白い結婚をカラフルな虹で彩りましょう。
「良いですか、クリスタ。今から言う事をよく聞きなさい」
母はクリスタとテーブルを抜いて向かい合って、とても冷たい声でそう告げた。
その様子にクリスタはなんだか恐ろしくなって自分のドレスのスカートをきゅっと握ってコクリと頷く。
「あなたはこれから子供ではなくなります。幼い少女ではなく一人の男の妻として生きることになるんです」
「はい、お母さま」
「結婚して、シルニオ侯爵家に入り、義母と義父をお母さまとお父さまと呼び、よく彼らに学び生きていかなければなりません」
「……」
……義母は、旦那様の、お母さま。義父は、旦那様のお父さま。それなのにどうしてわたくしがその人たちをお父さまお母さまと呼ばなければならないのかしら。
純粋に疑問に思うのと同時に、なんだか嫌悪感が湧いて、息が苦しくなるような気がする。
もう、母や父にそう呼び掛けて甘えることを許さないと言われているようだった。
けれども、ここ最近、一年ほど前から、もう随分とクリスタは父や母に甘えていない。
その理由をクリスタはすべて理解しているわけでは無かったが、おおむねはわかる。
「あなたは恵まれている方ですよ。クリスタ、ローズマリーは今までの婚約者とは別れて、すぐに結婚してくれる人の元へと向かうことになったんですから」
「ローズマリーお姉さま……」
ローズマリーは、クリスタの一つ上の姉で良く面倒を見てくれていた。
しかし、彼女はこの間、屋敷に迎えに来た父と同じぐらいの年代の男性に連れていかれてしまった。
彼女はその人と結婚していてもういない。
去り際の彼女はとても困惑している様子だったのを今でも覚えている。
別のお姉さまも同じようにいなくなって、この屋敷の子供は今ではクリスタだけである。
それは、ハルメンサーラ伯爵家の経済状況が著しく良くないからだ。事業がうまくいかなかった父はひどく荒れて酒浸りになり、浪費を続ける生活を送っていた。
すると母も同じように浪費をして、二人で家がつぶれるまでどちらが多くお金を使えるか競い合うように浪費に走り、子供たちを養育することすらままならなくなった。
だからこそこうしてまだ十歳にも満たないクリスタもお嫁に出されることになったのだ。
「それにしてもまさか、あなたの婚約者のマティアス様がこういう趣味をお持ちだとは思っていませんでしたが、まぁ、酔狂な人間というのはどこにでもいる物ですから」
「?」
母は、吐き捨てるようにそう言うがクリスタにはその意味がわからない。
「良いですかクリスタ。あなたは、妻になるということは、マティアス様にすべてを任せるという事です」
「はい」
なんてこともなかったかのように母は続けて言って、質問の機会を失ったクリスタは、素直に返事をした。
「彼には何をされても、屋敷に帰ってこようなどとは思わない事。妻には妻の役割があるのです。良いですか、何をされてもですよ」
「どんなことをされるのかしら」
「それはもう、色々ですよ。それをされても、一人でベッドに入り気持ちを気持ちを落ち着けて、次の日も励みなさい。それがあなたの役目です」
やはり母の言葉はすべてを説明してくれるものではなくて、そんなふうにふんわりとしたことを言われてもクリスタはわからなくて少し怒りたくなった。
けれども、クリスタが駄々をこねても母はクリスタに優しくはしてくれない、そういう予感があった。
だからこそ、小さく頷いてとにかく妻の役目を果たせばいいのだと自分に言い聞かせる。
……妻の役目をはたして、マティアス様にすべてを任せるようにずっしりと構えていればいいんですのね。
「いずれわたくしの言葉がわかるときがくるでしょう。そうしたらよくわたくしの言ったことを思い出して、立派な夫人になりなさい」
「はい、お母さま」
「よろしい、では明日、マティアス様がやってきますからそのための準備をして今日は眠りなさい」
「はーい」
もう真面目な話は終わったらしく、クリスタはしめしめと笑みを浮かべている母におやすみなさいと挨拶をして椅子からぴょんと降りる。
後ろを振り返って、ずっとそばについてくれている侍女のエルセの事を振り返る。
すると彼女はすごい形相をして母をにらみつけていた。
それにぎょっとして、クリスタは、あらやだと思う。
……何か怖い事でも考えているみたいなお顔をしていますわ。普通の事を言われただけですのに。きっとエルセは酷くお腹が痛いのですわね。
そう結論付けてさっさと眠ることにした。
翌日、マティアスがハルメンサーラ伯爵家にやってきた。エントランスで出迎えて、クリスタは彼を見上げてニコリと笑みを浮かべる。
「では、マティアス様、こちらにサインをお願いいたします」
「ああ」
「たしかに、これでクリスタのすべてはあなたの物、お好きになさって結構です」
「……ああ」
「……」
「……」
「あの、もう結構ですわよ」
母とマティアスはなんだか微妙な空気で会話をして何やら書類を書いてもらう。
それが終わってもマティアスは腕を組んでしらっとしているだけで母は気まずそうにそう言った。
それにマティアスは不可解そうな顔をして「良いのか? ……母子のわかれになるのに」と渋々口にする。
「え?」
「……ああ、いい。わかった。そもそも頓着がないんだったか」
「い、嫌ですね。そんなことありませんわよ。ほらクリスタいらっしゃい」
母に呼びつけられてクリスタは、トテトテと適当に歩いて母の元に向かう。
すると母は、ボンボンと頭を撫でているのだか、叩いているのだかわからない力加減でクリスタの頭に触れる。
「良い子にね。さようなら」
「はい、お母さま。さようなら」
そんな母子の会話を、マティアスは腑に落ちないような顔で見つめていた。
馬車に乗り込み、マティアスと二人きりになるとクリスタは、昨日の母の言葉が頭をよぎった。
けれども、まさかこんな馬車の中でも妻の務めがあるとは思えなくて、暇つぶしの為に持ち込んだお絵描き帳を開く。
黒鉛に布を巻いた簡素な鉛筆を使って適当に絵を描く。
白黒で、あまり面白味のない絵だけれど、馬車の外を通り過ぎていく珍しい樹々を書き写すのはなかなかに楽しい。
クリスタは夢中になって絵を描いた。
ごとごと揺れる馬車の中はお尻が痛くて不愉快だが、お出かけもここ最近していなかったので気分はとても晴れやかだった。
「……」
たいしてうまくないお絵描きもなんだかとても良いものな気がしてきて、ゴキゲンにクリスタは、目の前にいるマティアスをちらりと見た。
彼は何もせずに、クリスタの事をただ見つめていてちょっと怖い。
ニコリともしていないし、何かを話すわけでもない。
婚約を結ぶときに彼に会った事があると母は言っていたけれど、記憶もないしほぼほぼ初対面のようなものだった。
それなのに、楽しい会話をしようともするつもりはないらしく、ずっとぼうっとしている……ように見える。
そんなに何もしていなかったら暇だろう。
クリスタは気を利かせるようなつもりで、仕方がないから、次はマティアスの番だと、鉛筆とお絵描き帳を差し出した。
「……なんだ?」
「あなたの番ですわ」
「俺?」
「そうですわ」
押し付けるように渡すと彼は、なんだかキョトンとした間抜けな顔をして受け取りしばらくそれを眺めた。
……まさか描き方がわからないわけではないでしょう?
あまりに驚いている様子なのでクリスタは少し心配になった。
マティアスは立派な旦那さまであるはずなのだ。母に彼にすべてを任せて妻の役割をこなせと言いつけられている。
もちろん子供のクリスタが動くよりも、ずっとその方がうまくいく確率が高い。しかし、彼は大人と言っても、成人したばかりの大人だ。
……なんだかぼんやりしているみたいですもの、もしかしたら、利発な人ではないのかもしれませんわ。
「…………」
しばらくマティアスを見つめていると、彼はぎこちないながらも鉛筆を動かして、適当に絵を描く。数分経つと、マティアスは描き終わったものをクリスタに渡してくる。
そこにはなんだかよくわからない生き物が描かれていた。
……わたくしより下手……ではなく、芸術的というんでしたの?
クリスタは描かれた謎の生き物を見て素直すぎる感想が思い浮かんだ、けれどそれを口に出すことはなく、ぎこちない表情で、仕方がないのでフォローを入れるように言う。
「ネ、ネコさんかしら。かわいいわ」
「……ネコじゃない。下手だろ。君一人で描いていてくれ」
そう言って窓の外に視線を移す彼は、クリスタから見ると拗ねているように見える。
きっと彼が描いたものを当てられなかったから機嫌を損ねたのだと思う。
……仕方のない人ですわ。自分も好きなものを馬車の中に持ち込めばいいのに。
そうしたら、二人で好きなことをして、たまに見せっこをすれば楽しく時間を過ごせる。
けれども、それを言うことはない。
なんせ妻は夫を立てる物らしいのだ。それこそ妻の役目だろう。
……でもわたくしは妻ですから、口を出しません。まさか馬車の中でも妻の役目があるなんて思いませんでしたが、油断は禁物ですわ。
それを察知できた自分をクリスタはちょっと好きになって自慢げに続けて絵を描いた。
そうしてシルニオ侯爵邸へと向かった。
シルニオ侯爵邸では、すぐにお義母さまとお義父さまがクリスタを迎えてくれた。
クリスタは丁寧にあいさつをして、笑みを浮かべてそれから与えられた屋敷の部屋の一室で、その日はすぐに眠ることになった。
エルセがついてくれているので、不自由することはなく、こちらで新しく侍女もつけられて生活には困らない。
しかしとにかくたくさんベッドに入った。
母は、ベッドに入って気持ちを落ちつけろと言っていたので、クリスタはそれをきっとたくさん眠って元気に毎日を過ごせという意味だと思っていた。
なのでお昼寝こそしなかったが、すやすや眠って、もりもりパンを食べた。
そしてたまにお義父さまとお義母さまに領地内をピクニックに連れて行ってもらった。
最初こそぎこちない表情をしていた二人だったけれど、同じ屋敷で暮らしていくうちに、呼び方も関係性も安定してきて、とてもよく頼れる人たちだ。
順風満帆の日々は、ハルメンサーラ伯爵家にいた時よりも少しだけ楽しい。
そう思いながら過ごしているとあっという間に一ヶ月が過ぎていた。
そしてふと、母が言っていたことを思い出す。
妻の役目をうんたらかんたら、もう半分ぐらいは何を言っていたのか覚えていなかったが、それでも最後の母の言いつけだ、守らねばならないだろう。
そう思い立ち、いつもだったらすでにぐっすり眠っている時間にこっそりとベッドから抜け出した。
寝室の隣には居室があって、そこにはまだ侍女たちがいるはずだ。
彼女たちに相談をして妻の役目を果たす為にはどうしたらいいかと問いかけようと考えた。
なのでベッドのそばに置いてあるベルをならさずに適当にトテトテと歩いて隙間から光が漏れている扉のそばへと寄った。
すると扉越しに、新しくつけられた侍女たちの声が聞こえて来る。
「ねぇ、やっぱりクリスタ様の結婚って白い結婚っていうのかしら」
それはふと疑問に思ったような声だった。
……白い結婚?
それにもう一人の侍女が答える。エルセの声ではない。今は居室の方にはいないのだろう。
「そりゃそうよ。だって迎えに行った時以来、マティアス様とはまったく交流もないわよ。というか、困るわよ。あんなに小さいのに本物の結婚だったら」
「そうよねぇ。でも侯爵様と夫人は心配していたらしいわよ。いくら不憫だからって言っても、まだ十歳にも満たない子供を妻にして、自分の息子が何か間違いを起こさないかって」
「マティアス様たっての希望らしいものね。もしかしてと思ってしまうのも無理ないわ」
「そうよねぇ」
「だからこそ、ちゃんと白い結婚よ。真っ白で、潔白で、まぁ夫婦になったからには、それはどうなんだという人もいるかもしれないけれど」
みなまで言わない彼女たちの会話は、母の言った言葉と同じようによくわからない。
しかし、ともかくクリスタのしている結婚生活は白い結婚と言われるものなのだという事はわかる。
それをいいという人もいるし、悪いという人もいて、けれどもとにかくマティアスとクリスタが交流がない事が関わっている。
そして母は、彼にすべてを任せていろいろなことをされて受け入れ妻として役目を果たせと言っていた。
ということは、母は白い結婚は良くないと思っているのかもしれない。
けれども、彼に任せていても話は進まないし、彼はきっと利発な方ではないのだ。そしてきっと母の想定よりも、行動を億劫に思っているに違いない。
「そういえば、ハルメンサーラ伯爵家、もういよいよ立ち行かなくなって屋敷を売り払ったって」
「あら、領地も荒れ放題なんでしょう?」
侍女たちは続けて別の話題を出す。しかしクリスタはその内容を聞いておらず、ならどうしたら結婚は白くなくなるのかと考えた。
……マティアス様が動いてくれないのなら、わたくしから動くしかありませんわね。
白い結婚というのだから……白い……。
考えながらもベッドに戻って、とりあえず明日考えることにする。今から何かを出来るわけでもないのでそれが一番だろうと思ったのだった。
翌日、侍女に案内してもらって、クリスタは執務室へと向かった。
一ヶ月の間たまに顔を見かけていた彼は、いつもぼんやりしている様子で、一緒に馬車に乗った時にも思ったようにあまり利発そうには見えない。
……それにきっとこの様子、わたくしとの結婚に乗り気ではなかったのですわ。だから結婚を白いままにしているんですの。
クリスタは思っていた。白くない結婚にするのなら、色が付いていればいい。
つまりはそう、それはきっと青でも桃色でも、緑でも黄色でもいい。
とにかく色を付ければ白い結婚ではなくなるのだろうと、勘違いをしていた。
もちろん白い結婚とは、夜の夫婦生活がない事や、愛し合っていない中身のない結婚という意味があるだけで、言葉のままの意味ではない。
そんなこととは露知らず、クリスタは、執務室の彼の机の対面側に子供用の椅子を運んでもらって、持ってきた箱を開ける。
「……」
ごきげんようと元気に言いながら入ってきて、突然向かいに座られたマティアスは目を丸くしてクリスタの事を見つめている。
相変わらず、やる気のなさそうな顔つきである。端正で男性らしいよい容姿をしているのに、ニコリともしないところが勿体ない。
「いいですわよ。気にせず仕事をしていて」
「……そうか?」
「ええ。わたくし、ちゃんとやりますからね」
そうして箱の中から取り出したのは、七色の顔料が混ざっている蜜蠟で作られているクレヨンだ。はるか西方の土地で作られた貴重な画材で、本来は子供のおもちゃなんかではない。
しかし、父から渡された一番上の姉が、貧乏な時期に生まれてしまったクリスタを不憫に思ってくれたものだ。
姉たちはみんな、クリスタに優しくしてくれる良い人たちでクリスタも大好きだ。
いつかは、嫁に行った彼女たちにも会いに行きたいものである。
そんなことを考えながらも、クリスタは机の上の書類を一つ手に取って、書かれている文字を邪魔しないようにまわりにぐりぐりと絵を描いていく。
執務室にいるマティアスの側近も事務官も、小さなマティアスの妻を止めることができず、物珍しそうにクリスタの事を見つめていた。
「……マティアス様、これ……にもサインを」
「ああ」
「はい、わたくしに貸してくださいませ」
彼らが書類のやり取りをするのを見て、クリスタは口を出す。
それにマティアスは二度、三度と瞬きをしてそれから、素直に渡した。
それにまたクリスタは、ぐりぐりとお花の絵をかく。カラフルと言えばやはりお花だろう。
丁度クレヨンの色も七色あるし、これで完璧だろうと、クリスタは鼻息を荒くした。
その様子を見てエルセだけは今からでも止めようか、しかしマティアス様が何を考えているかわからない、と思考を窮地に追いやられて必死に考えていた。
執務室に行くと言った時にクリスタがクレヨンを持っていくのは彼の仕事が終わらなかったときの暇つぶし用だと思っていた。
それなのにクリスタは重要な書類にひたすら落描きをしている。
こんな意味のない事をいたずらでするような子ではない事は十分にわかっているし、まったく興味を示してくれない旦那様に構ってもらいたいと思っているからなのか? と思考が巡ってエルセは動けない。
その間に、クリスタによる書類の花の装飾は増えていく。
マティアスは、何を言うわけでもなくそのまま仕事を続け、昼頃になって昼休憩を取ろうというときになって、やっとクリスタに言った。
「……もう書くものがないが……君は……どうしたい?」
考え込みながらの言葉で結局、マティアスもクリスタが何をしたいのかよくわかってなさそうだった。
それに、クリスタは、まったくと仕方のないような気持ちになった。
「もう休憩の時間なんでしょう。それなのにわがままを言ったりしませんわ。皆おやすみしたいはずですもの。今日はこれでおしまいとします」
「……今日は?」
「ええ。明日も来ますわ。だってほらねぇ、わたくしはマティアス様の妻ですもの」
「……そうか」
自信満々に言って椅子からぴょんと降りるクリスタだが、マティアスはその言い分を理解しないままに、話を切り上げて、ダイニングへと向かった。
それからしばらく、書類をカラフルにする生活を送っていた。
白い結婚というのは色のない結婚という事だ。それがよくないということは、たくさんの色で思い出を作ればいい。クリスタの考えは安直だった。
たくさんの色と言えばカラフル、カラフルと言えば虹色。
そんなふうに頭の中で連想ゲームをして、虹色のような結婚生活にするぞと意気込んでカラフル大作戦を実行中だ。
そして今日はその第二弾。
古くて小さくなってしまったドレスを、針子にお願いして合体させてもらったのだ。
もともとクリスタはパステルな色が大好きだ。
だからこそそれらを合体させると非常にカラフルなドレスが完成し、虹色とまではいかないけれど主張の強いドレスが完成した。
カラフル過ぎてパーティーに着て行ったらひょうきんものだと思われてしまうようなものだったがクリスタはそこそこ気に入っている。
それを着込んで、マティアスの部屋を訪れていた。突然やってきても彼は、お茶とお茶菓子を出してくれて気前がいい。
ハルメンサーラ伯爵家では、節約の為にお菓子を制限していたからだ。
……でも、がっついたりしてはいけませんわ。はしたないと思われてしまいますもの。……それにお菓子って高いんでしょう? シルニオ侯爵家に少し悪いわ。
子供らしい嬉しい気持ちよりも遠慮が勝つ。カラフル大作戦も、自分の持ち物を使っているし、クリスタはわがままは言わない方だ。
だって言ってシルニオ侯爵家の経営が傾いたら大変だ。優しいお義父さまとお義母さまが酒浸りになってしまうかもしれない。
それだけは避けなければ。
「お菓子は好きじゃないのか? ……子供なのに」
マティアスは相変わらず、クリスタの方をじっと見ている。
「好きですわ……でも……」
「味の種類が気にくわないのか? パティシエに言って別のものをつくらせようか」
「違いますわっ、そんなのだめですの!」
「……そうか」
そう提案する彼に、クリスタはそんなことをしてしまっては、これ以上にお菓子を作るお金を使わせてしまうと思い前のめりになって答えた。
すると彼は驚いて、また無言に戻ってしまう。
きっとあんまりに勢いよく言ったから、怖かったのかもしれない。
それにしても、なんでそんなに怒ったように言うんだ! と言ってくれればクリスタだって、だってお金がかかるでしょう! と大きな声で返せるというのに、彼はクリスタが何をしてもいつも、そうか、そうか、そうかと、ソウカ星人のように。
……いつもいつもそれですわ。ソウカ星人はそうかしか言えませんの! それにきっと無気力ですの!
だから夫として結婚を白くなくするための行動もしてくれない。きっとカラフルが恥ずかしい事だと思っているのだろう。
そう思って少しクリスタは苛立ったが、そうしているだけではきっと夫婦なのに不仲になってしまう。
父や母のように。二人で協力するのではなく、いざということが起こった時に敵同士になって傷つけあってしまう。
それはきっと、日ごろの些細な贅沢よりもずっとよくない事で、よっぽど気にした方がいい。
だから寄り添うような優しい気持ちになって、お菓子を一つ手に取る。
「いただきますわ」
「ああ」
「……お菓子は、好きだけど、好きじゃないんですの。だから、たまにでいいですわ」
「……そうか」
そして自分の気持ちを伝えるために言葉を選んでマティアスに言う。彼の返事はまた、ソウカで、わかってくれているのかと少し不安な気持ちになる。
しかし、口にしたクッキーのおいしさにクリスタはカッと目を見開いて、舌が痛いほど痺れる甘さに「ほわぁぁ~!! 美味しいですわ!」と一口で口の中に放り込んで、紅茶をごくごくと飲む。
結局、がつがつと食べて、お菓子でお腹が膨れるのがとても幸せで不安な気持ちは拭き飛んで跡形もなかった。
「そういえば変わったドレスを着ているな」
お腹が膨れてスッカリ満腹になったクリスタは、マティアスにドレスの事を話題に出されて視線を向ける。
そして言われてから、この件で彼の元にやってきたのだと思いだした。
「そうでしたわ。きちんと見てくれなければ困りますの」
「何故だ?」
「カラフルだからですわよ」
クリスタは、にっこりと笑みを浮かべて椅子からぴょんと降りて彼の横にやってくる。
ドレスの裾をつまんでひらひらとして彼に見せつける。
こうして二人の思い出をカラフルにしていけば、きっと侍女たちにもうらやましい結婚だと思われること間違いなしだろう。
けれども彼は、相変わらず、クリスタの作戦に乗ってくれるわけではない。
「そうか、よかったな」
「……」
……そこは素晴らしい、俺もカラフルになろう! という所でしょう?
どうしてそんな他人行儀な答えが出てくるのかとクリスタは座ったままの彼を見つめてそれからその手を取った。
「クリスタ?」
「きちんと見て、もっとちゃんと感じてくださいませ」
「……なにを?」
疑問を持つばかりで進歩のない彼の大きな手を両手で引いて立たせる。
用意されていたテーブルセットの横に二人で向き合って立ち、クリスタは自分の腰に手を回してもらおうとしたが、身長差がありすぎてダンスのホールドを組むことができない。
「わたくしとの生活を、わたくしとの結婚を、もっとちゃんと見てくださいませ」
音楽がなくても二人で体を揺らすことが出来れば、二人で踊ったという思い出になる。
それはまた一つ白くない結婚への一歩になるだろう。
「見てるし、考えてる。……だっこしたらいいのか?」
けれどもクリスタの思惑とは違って、腰に手を回させようと両手を引っ張って腹に触れさせる行為は彼にそう勘違いさせたらしい。
そしてわきに手を入れられて持ち上げられると案外、マティアスががっしりとしている事に気が付く。
「……」
きちんと支えられて、彼と至近距離で目が合って、クリスタはキョトンとした。
もちろんそんな子供っぽい事を旦那様に要求していたわけなどない。
けれども、これなら彼から虹色のドレスがよく見えるだろう。こうしてくれたのは良い事だ。
「普段なら、だっこなんてされても嬉しくないですけれど、今日ばっかりは嬉しいですわ」
「そうなのか……目に眩しいドレスだな」
「結婚生活とはそういうものですの!」
「……そうか」
そうしてクリスタは意味もなく抱き上げられて時間を過ごした。彼と触れ合うのは案外悪くないと思う。
マティアスは小さな妻を抱き上げて、彼女が指示した家具の塗り替えが順調に進んでいるかを見て回っていた。
屋敷の外に家具を運び出し、彼女の指定した色で綺麗に塗り上げていく。
先日は何やら異様にビビットなカラーの食材が使われたフルコースが出てきてそれも彼女の仕業だったらしい。
ほかの侍女たちからの報告を聞いて、クリスタはどうやら虹色が好きなのだという事だけは知ることができた。
しかし、下の兄弟がいないマティアスにとって、少女というのはまったくもって不可解で、今も何かの拍子に突然壊れたように泣きだすのではないかと気が気ではなかった。
「素晴らしい光景ですわ。マティアス様。よく見ていてくださいませ、陰気な茶色とはおさらばですわ!」
ただ、今日の彼女は幾分機嫌がいいらしい。
いつもよりも、ニコニコしていて、声も元気がいい。
しかし何を起点にして、クリスタが傷つくのかマティアスはまったくわからない。
実家が崩壊していくときに、どんな心の傷を負ったのか。
母に捨てられ、見知らぬ少女趣味の変態の元へと嫁入りさせられそうになってどう思っていたのか。
そうならなかったからと言って、こんなに幼いうちから嫁に入ることは不安だっただろう。
自分はただその不安要素の一人でしかないはずで、大人になるまで関わるつもりもなかった。
幼く小さなてのひらに、丸い頬、小さなピンクの唇は、高くて子供っぽい声を紡ぎだす。
どれを取ってみても壊れやすそうで、その顔が歪んで涙を落したら、マティアスはなすすべがない。だからずっと不安で恐れていて、観察するようにクリスタを見つめる。
不用意な発言をしないようにしていたら、酷く不愛想な人間みたいな返答になっていた。
「……君の望む通りになりそうか?」
「ええ、ありがとうございますわ、マティアス様。ペンキ代もただではないのに、お願いを聞いてくれて」
「いや、いいんだ。安いものだから」
それでも、しばらく時を過ごしていると、多少慣れて彼女と自然な会話をすることができる。
それに、何かを虹色にすることを手伝うと彼女は、マティアスに一段と好意的になる。
今だって、そういうと「うふふっ」と笑ってマティアスの頭に頬をこすりつけて「虹色にしましょうね」ととても嬉しそうな声で言う。
使用人たちはそんな様子の、若夫婦を見てなんだか酷く平和な光景だなと思った。
そして、マティアスは今日やっと常々思っていたことを聞いてみた。
「ところで、君はなんでも虹色の物を好むが、何故、そんなに好きなんだ」
頬ずりするのをやめて、まっすぐとマティアスを見つめているクリスタに問いかける。
すると彼女は、変な顔をして、しばらく考えた後に返す。
「知ってて協力してくれたんじゃないんですの?」
「……わからない。すまない」
「なんだ。そうだったんですの。いいですわ。わたくしが教えてあげますわ」
謝るマティアスに、クリスタは自慢げに胸を張って一丁前のような顔をした。
そういう大人のようなフリをして教えてくれようとするところが、彼女の可愛い所だと思いながらマティアスは頷いた。
「白い結婚じゃなくするためですわ」
その言葉にマティアスも、周りで若夫婦の話を聞いていた使用人たちもどきりとした。
少し舌足らずなまだ幼いクリスタの口からそんな言葉が出てこようとは誰も想像していない。
白い結婚ではない、結婚。それはつまり中身の伴った普通の結婚。
将来的にという話ならばそういう事も可能だろうが、クリスタはクリスタ自身が知らないところで、白くない結婚をさせられそうになっていたという事実がある。
それは割と有名な話でハルメンサーラ伯爵家は子供を売るようにして嫁に出した。
しかしそこまでしてももう、爵位も返還されて、最後のあがきとしてやっていた行為が詐欺だったとして、すでに捕らえられている。
彼らは最後の最後まで悪党のようなムーブをかまして消え去っていった話題の伯爵夫妻である。
そんな彼らに、育てられたクリスタがそんなことを言ったとなると、そうしろと言われていたのかという可能性を感じてしまう。
けれども本当に恋愛をするくらい仲良くなりたいという気持ちなのかもしれないし、とその場にいた様々な人間の脳内に様々な考えが思い浮かんで、一瞬にして緊張が走ったのだった。
そしてクリスタの次の言葉を待った。
「……だから、虹色にするんですのよ。真っ白では何もないみたいですものね。良くないですわ。わたくしと、マティアス様。二人の関係を虹のような思い出で彩ってたくさんの人たちに祝福されたいと思っているのですわ」
次に言われた言葉に、マティアスは考えた中のどれも正解ではない事に気が付いた。
白くない結婚にする、という彼女の言葉はとても物理的なことで、虹色のドレスを着たり、書類を虹色にしてみたり、ということが白くない結婚にするという行為そのものなのだ。
「マティアス様も協力してくださいませ。二人でやれば二倍カラフルになりますわ」
笑みを浮かべて、そう言ったクリスタ。
彼女の金髪が風にさらわれて少し靡く。
その笑顔が、子供らしい考えが、幼くとも純粋でただまっすぐで、マティアスは急に泣きたくなるような気持ちになった。
うっと胸が苦しくなるみたいで、今手の中にある彼女の存在が尊くて気がついたら返事をしていた。
まっすぐに育って、綺麗なまま、美しい花のように華奢な少女を守りたい。手折られれば簡単に枯れてしまいそうなこの素直さが、何より愛おしいような気がする。
「ああ、そうしよう。白くない結婚にしよう」
「ええ、期待していますわ」
シルニオ侯爵家には、ほかの屋敷とは違う所がたくさんある。それは主に色に関することが多く、子供向けのおもちゃのようにパステルな色付けをされていることが多いのだ。
幼妻となったクリスタの希望だというふうに説明されることが多いが、その説明をされるたびに元幼妻であった現在十五歳の少女になったクリスタは少し恥ずかしかった。
今では、カラフルなものを増やそうというつもりは毛頭ない。
しかし、王都から帰宅した、夫のマティアスがお土産に渡したものの箱を開いて、クリスタはぶるぶると震えていた。
「虹色に発光するパールらしい。随分と綺麗だろ? 君が喜ぶと思って」
マティアスは二十代後半になっており、男らしい貫禄が出てきたかと言われるとそうではない。
出会った時からあまり外見は変わっておらず、クリスタだけがめきめきと大きくなっている。
「っ……」
「どうした、喜んでくれないのか? 昔はあんなに、虹色の物にはしゃいでいたのに」
そう言ってマティアスは膝に乗せたクリスタにキスをする。
そうするとクリスタは真っ赤になって、ぱちんとその箱をしめた。
しかし、せっかくマティアスが買ってきてくれたものだから乱暴に扱うわけにはいかずにテーブルにそっと置いて、それからバッとマティアスの方を振り向いた。
「ですからっ! その話をいつまで擦るんですの! いい加減にしてくださいませ!」
「擦るというか、今でも反射的に探してしまっているだけという感じなんだが」
「はいはいっ、それはそうでしょうね。だってわたくしあの時の虹色ブームは長かったですものね! 分かりますけれど黒歴史なんですの!」
「そうか? ……俺にとってはいつまでも大切な思い出だ。クリスタ」
「ええ、ええ、わたくしにとっても大切な思い出ですわ! でも、恥ずかしいんですのっマティアス!」
「恥ずかしがっている君も可愛い。こんなに大きく重たくなって俺は嬉しい」
「女の子に対して失礼ですわ!」
「成長が嬉しいだけなんだけどな」
そう言ってマティアスはにこりと笑う。
昔と違う所というとこういう部分だった。その笑みは、ジワリと愛情がにじんでいるみたいで、クリスタにだけ向けられる特別製のものだ。
それがうれしくないはずもなく、出張帰りということもあり、寂しかったという思いも膨らんで、怒っている気持ちや恥ずかしい気持ちよりも甘えたくなってぎゅっと抱きしめる。
「……失礼な事には変わりありませんの……まぁ、とにかくおかえりなさいませ、マティアス」
「ああ、ただいま」
短く会話を交わして、二人はうっとりとほほ笑む。
もうすでにあの時から白い結婚など影も形もなくなり、ただそこにはカラフルな美しい思い出を持った一組の夫婦がいるだけなのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
下の☆☆☆☆☆で評価、またはブクマなどをしてくださると、とても励みになります!