八話
「あ、話すの忘れててた」
奏は手で口を塞ぎ驚いた表情をしたが、たちまち口から手を離しながら「まぁ今話しても構わないかも」と静かにつぶやく。奏は首を上げてまっすぐな目で天音を見上げる。
「白石くん、今日初ぅーー」
「いや、断るよ」
「えっ、あたしまだ話も終わってねぇーのに」
奏は自分の話が終わる前に断った天音を見てふくれっ面をする。しかし、奏のふくれっ面でも天音の表情はちっとも変わらないまま再びきっぱりと断る。
「僕は練習とかそういうの聞いたこともないし、そしてもし聞いたとしても絶対しない」
「どうして、どうしてそんなに嫌がるの」
「・・・」
「もちろん、これはあたしのわがままぁーー」
「僕、実はコード演奏できない」
「えっ、うそ・・・昨日はできるんだと・・・」
「・・・とにかくそういうわけで黒川さんとの演奏もできない」
「で、でも」
「もういいでしょ? それでは」
「まっ、待って! 白石くん!」
天音は奏の呼びかけにもかかわらず、背を向けて部室を出てしまう。奏はそういう彼を手首を掴んで引き留めることも可能だったが、どういうわけか彼女はそうしない。奏はただ閉じたドアの前にじっと立っているだけでちっとも動かない。
「引き留めなくでも大丈夫なのかい」
今の状況を静かに見守っていた良介が彼女に歩く。奏は彼の問いに振り向きせず彼に言う。
「大丈夫、大丈夫」
良介に言う奏の言い草は彼が思った以上に淡々としている、数秒前に断れた人とは思えないほど。むしろ彼女は怪しい笑みを浮かべる。
「フフフッ、あたしたちには明日があるから。フッフッフッ」
奏の怪しい笑い声に良介がため息をついて首振る。良介は初めてで天音のことがかわいそうに思った。
******
次の日の早朝、登校する天音が教室のドアを開ける。教室の中に入るとやっぱりまだ誰も来てない。いつも早い時間に登校する彼にとっては見慣れた風景だ。天音は誰もいない教室の中を歩いて自分の席に座る。そしてバックを下ろして中から楽譜とペンを取り出す。
「今日聞いたところには、この部分はもっと柔らかに・・・」
天音は静かにつぶやきながら熱心にペンで楽譜へ書き始める。すでに楽譜には余白がないほどぎっしりに書かれているけど、天音は書き進める。
「ここはうーむ、思ったよりもっとも弱く・・・」
「あっ、し白石くん、おっ・・・おはいよございます。きょっ、今日も一番にき・・・来ましたね」
「あ、おはいよ」
この風にしばらく書いていたらいつも同じ女の子が二位に教室へ入ってくるーー一位はいつも天音だ。その女の子はいつも教室に入って天音に挨拶するが、他人との交流があまりない天音は彼女の名前すら知らないーー実は彼女だけではなく、まだクラス皆の名前すら知らない。しかも天音は入学したから彼女が挨拶する時いつも目を楽譜へ固定されたまま挨拶して彼女の顔つきとか外見すらよく知らない。
その女の子は挨拶した席でじっと立ってそわそわしている。なんか言いたいことがあるように見えたが、なかなか言い出せない。そうして数分すぎると、外から誰かが歩く足音が聞こえて来る。突然の足音に女の子はあわてる。女の子があわてている間、教室のドアが開く。ドアから入ってきた二人の女子生徒は彼女と目が合って彼女に挨拶する。
「あれ久保さんじゃねぇー? おはいよ久保さん」
「あっ、おっおはいよぉー」
彼らに挨拶する女の子の声がだんだん小さくなる。女の子は彼らに挨拶早々自分の席へ大股で歩いて座る。そして女の子に挨拶した二人の女子生徒も自分たちの席に座って騒ぎ始める。静かだった教室がちょっとうるさくなる同時に一人一人ずつ生徒たちが教室に入り始める。時間がかなり経つにつれてほぼ全ての生徒が教室に入ったが、それでも天音はだった一度も首を上げなかった。彼は楽譜に視線が固定されたままずっと楽譜に何かを書いている。
「皆、早く席に座って」
時間は経っていつの間にかショートホームルームになってクラスの担任の先生が入って来る。先生の登場にさっきまで賑やかだった教室が一瞬静かになる。流石に先生の登場には天音も首を上げるしかなかった。こうして皆の視線が先生集中されると、ようやく先生が話し始める。
「さあ、それではまず今日の連絡事項からぁ・・・・あれ? そこの席はーー」
先生が天音の方を指差す。すると皆の視線が先生の指が指すところへ向ける。先生が指さす席にはもはや登校時間が過ぎたのに席には誰も座っていない。
「そこの席は?」
「えーと、黒川さんの席ですね」
その席は天音の後ろから二番目、つまりその席の主は黒川奏だ。席の主誰か知った天音はもし昨日のことのせいではないか少し不安を抱く。そしてそういう彼よりさらに不安を抱く人が一人いる。
「エッ、ででは黒川さんは今日けっ欠席ですか」
さっきまで目を細めて優しく笑っていた先生だったのに、奏のせいで慌てていつの間にか顔から優しい笑顔はなくなった。
「ももし黒川さんと連絡した人いっ、いない?」
先生が生徒たちにあわてて問いかけたが、奏から今日休むだと連絡をもらった人は誰もいなかった。今この教室に奏の行方を知っている人は一人もいない。
「あれ? 本当に誰もいないなの。でではどうしよう・・・あ! 一応欠席欄にチェックしなきゃ」
先生はまず落ち着いて出席簿を出す。そして奏の欄にチェックをしようとした瞬間ーー
「すみませんー! はぁはぁ黒川奏、今来ました!」
突然教室の後ろのドアが開き、そこから奏が荒い息を吐きながら入ってくる。奏が荒い息へ先生は心配そうな顔をする。
「く黒川さん?! 大丈夫なの? もし体調が悪いなら」
「いいえ、全然平気です。はぁはぁこれは、ただ家から走ってきたせいで」
「そうなの、ならよかったけど・・・。あ! とりあえず席に座って」
「はーい」
奏が先生のおっしゃるとおり自分の席に座る。先生は奏が座るのを確認してから再び朝礼を続ける。先生の優しい声が教室に鳴る。天音は先生からの連絡事項を聞いて特に気を使わなければいけない連絡事項はないだと思ったが・・・。
「そして部のことなんだけど、うちの高校は部活が強制ではない。けど個人的な考えでは人生で一度しかない高校生活、部活で思い出をたくさん作る方がいいじゃないか思うよ」
ショートホームルームが終わるまで数分残して、先生が急に今日の連絡事項とは関係のない話を始める。しかし、先生の部活を推奨するような言葉に生徒たちからは何の反応もない。生徒たちはただ何の答えなしでじっと先生を見ている。それでまた狼狽する先生はあわてて解明する。
「だっ、だからこれはその・・・わたくし個人的なお考えだし、そそれが・・・強制するのはぜっ絶対、絶対ないから・・・。うぅ、今日はこれで終わり」
これ以上の解明は逆に毒になりそうだと思った先生はあわただしくショートホームルームを終わらせる。教室を出る先生の姿はどこか辛そうだ。こうして先生が教室を出るなり生徒たちはまた騒ぎ始める。
数人は席を移してまで友たちとおしゃべりをするが、クラスの人と特に縁がない天音の首は再び楽譜を向かう。天音は再び楽譜に集中してなんと書き、机の上をピアノを弾くように叩く。二週間前までは皆が騒ぐ声に集中しにくいだったけど、今は結構慣れてもう問題にはならない。しかしーー
「ねぇねぇ奏ちゃん〜、やっほ〜」
「あっ千夜ちゃん、やっほ〜」
「奏、きみ今日まじでヤバかったよ」
「へへ、そうだね。マジで死ぬかと思ったよ」
天音の後ろにある奏の席に女の子たち二人が来る。彼女たち奏の席の周りに囲んで騒ぎ始める。普段なら全く気にしない天音だったが、どういうわけか今日に限って彼女たちの会話が耳によく入れる。
「それで、何で遅れたの。普段もギリギリしたが、今日みたいに遅刻するのは初めてだろ」
「それがね・・・へへ、ちょっと寝坊しちゃって・・・えへへへ」
「そりゃいつもそうじゃん、朝寝坊だから。奏ちゃんが早起きするの見たことないわ」
「うっ、そりゃ確かに事実だけど今日は仕方なかったもん。昨日遅く寝たから」
「そう? じゃあ昨夜遅くまで何した」
「気になるの。フッフッフッ、でも秘密だよ」
奏が急にニヤリと笑う。奏の怪しい笑みに彼女の友たちは首をかしげがらお互いを見つめる。そしてその笑い声に鳥肌が立った人が一人ある。
「あたしがだった一人のためにこう頑張ったのは初めてだね」
奏の視線が前を向ける。そしてその視線を向けるところにいる天音は嫌な予感がする。