無用な力
「牧野 紬です。母の仕事の都合でこの時期での転校となりました。皆さんどうぞ、よろしくお願いしますっ。」
新しいクラスメートを前に自己紹介を終えて頭を下げると、よろしくね〜と温かい拍手が返ってきた。
先生から空いている席を使ってくれと言われたので見てみると、一番後ろの窓際から二列目に空席があった。
窓から海が見えてなかなか良い席だなあと思ったのだが、その隣に座る生徒を見てぎょっとした。
艶のある黒髪に端正な顔立ち。ただ座っているだけなのに漂ってくる品のある凛としたオーラ……どう見ても真人だ。
剣道部の部長や生徒会長もしているというからてっきり上級生なのだと思っていた。
いやいやいや、同じクラスだったんならロッカーを案内してくれた時に一言教えてくれたら良かったのに、なぜ言わない?
こちらを全く見ようともしない真人からは歓迎されていない雰囲気がひしひしと伝わってきた。
これはこのまま隣に座るのは不味い気がする……
「先生、私目が悪いので出来たら前の方の席がいいんですが……」
「それなら隣の西園寺にノートを見せて貰えばいい。生徒会長もやってて華道の家元の息子でもあるんだぞ~。」
それ聞いたの二度目です先生……
遠慮するなという先生からの圧に負けて真人の隣の席に座った。先生にとっては真人の隣はオススメの特等席なのだろう。
「よ、よろしくねっ。」
ぎこちなく挨拶をすると、真人は黙ったまま机を寄せてノートが見えやすいように置いてくれた。
相変わらず冷たいくせに優しい……
でも私、実は両目とも2.0なんだよね。早まったなこの嘘、すぐにバレそうだ。
一限目は担任の先生による文学国語の授業だった。
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む、ところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを……」
真人が『山月記』の文章を音読している。ふりがなもないのによくこんなにもスラスラと読めるもんだ。
みんなもまるで心地よい音楽を聞くかのように静かに聞き入っていた。
ふと気づくと、黒板の前に中年男性が立っていた。
見回りの先生かと思ったのだが上半身が裸で……というかふんどし一丁だった。
驚きなのはそんな不審者が教室にいるのに誰も騒いでいないということだ。
そういえば真人が毎週月曜日の9時に教室を巡回するおっさんの霊がいると言っていた。この学校で気をつけなければいけない三つの幽霊の内の一つだ。
もしかしてあれがそうなの?
真人に確認したいがまだ音読中である。
そのおっさんは廊下側の一番前に座っていた女子生徒のところに行くと顔を近づけジロジロと凝視し始めた。
目の前でヒラヒラと手を振ったりあっかんべーをしてみたり……なんの反応もしないと分かると次の生徒へと移りまた同じことを繰り返していた。
なにあれ……もしかして自分が見えてるかどうかを確認してる?
┈┈┈絶対に反応するなよ┈┈┈
音読を終えた真人がノートに書いて警告してきた。
反応するなと言われても……
そのおっさんは男子はとばし、女子にだけ執拗にチェックしていた。
くっつくくらいに顔を寄せてゲップをしたり、項をクンクン匂ったりとやることが変態じみてきている。
あんなのされて反応するなという方が無理だ。
「じゃあ次も同じところを読んでもらおうかな。誰か立候補いるか?」
そう言った先生とバッチリと目が合い当てられてしまった。
なにもこんな時にとも思ったのだけれど、音読に集中した方が気が紛れるかもしれない。
「隴西のり、りちょう?えっと李徴ははくがくさい…はくがくさい~……??」
ヤバい、全然読めない。
┈┈┈博学才穎↼はくがくさいえい、虎榜↼こぼう┈┈┈
真人が難しい読み方を書いて教えてくれた。
ありがとうと小声で礼を言うと、真人は絶対に反応するなよという文書を指でトントンと押して念押ししてきた。
私だって今まで何度となくヤバそうな霊をスルーしてきた経験がある。あんな変態親父くらい大丈夫だと自分に言い聞かせた。
詰まりながらもなんとか読み進めているとおっさんはもう私の並ぶ列へと来ていた。
もうすぐ自分の番だと思うと緊張で冷や汗が半端ない。見なければ平気だと教科書で顔を覆い、このままやり過ごそうと音読を続けた。
「彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の、往年の~……」
またしても読めない。
「……儁才。」
なるほどと思い教えられた通りに読んだのだが、頭のてっぺんから指先まで一気に血の気が引くのを感じた。
今の……真人の声じゃなかった────────
持っていた教科書からおっさんの顔がヌルっと現れた。
驚いて仰け反りそうになった瞬間、首から下が膠着したように動かなくなった。
「おまえ……ワシが見えとるんかあ?」
─────────金縛りだ。
「牧野、どうかしたか?」
先生が黙りこくった私を心配して話しかけてくるが声が出せない。
不気味な笑みを浮かべたおっさんは腰をくねらせながら私にまとわりついてきた。ねっとりとした紫の舌を私の頬に押し当てると、芋虫が這うように顔を舐めてきた。気持ち悪いなんてもんじゃないっ……
私、このままいいように弄ばれて殺されるの……?
そんなのやだ……誰かっ………
誰か助けて──────────!!
「畏み畏み、縛りを祓い給え。」
真人が呟いたと同時に体の膠着が緩んでおっさんが黒板へと弾き飛ばされた。
体中の力が抜けて机に倒れ込んだ私を真人が支えてくれた。
「先生。こいつ気分が悪いみたいなんで保健室に連れていきます。」
そう言うなり私を横向きに抱き上げるもんだからクラスからはどよめきが起こった。
これって、世に言うお姫様抱っこ……?!
周りからの好奇な視線など構わずに真人はそのまま教室を出て廊下を突っ走った。
「ちょ、ちょっと下ろして!」
恥ずかしいやら怖いやら嬉しいやらで狼狽えていると、おっさんが教室から飛び出して来るのが横目に見えた。
長く垂れ下がった紫の舌を床にびちゃびちゃと引きずらせながら全速力で追いかけてくる姿があまりに恐ろしすぎて、真人の首にガシッとしがみついた。
「やっぱ下ろさないで!!」
「あんまりくっつくな!走りづらいっ!」
真人は裏山を少し登ったところまで来て私を地面に下ろすと、すぐさまシャツのポケットからメモ帳とペンを取り出しなにやら書き始めた。
気になって覗いてみると達筆な文字で難しい漢字を書き連ね、その上に大きな星を描いていた。
「……それ、なに?」
「呪符だ。簡易的だがな。」
呪符……?
さっきも呪文のような言葉を呟いて金縛りを解いてくれたし……真人って一体、何者なの?
妙な気配を感じて後ろを振り向くと甲冑を身にまとった武士が三人、木の影からこちらを伺っていた。
全員髷が外れたボサボサ髪で、矢が頭に刺さったり目玉が無かったり内蔵が飛び出たりしていた。
「ままま、真人!こっち落ちっ…落ち武者あ!!」
「放っとけ。そいつらに害はない。」
放っとけってえ?!
落ち武者達は刀や鎧で武装していてふんどし一丁のおっさんより遥かに害がありそうだった。
真人は呪符を六枚書き上げると、その内の五枚を星形を描くようにして地面に置いていった。
「来たぞ。俺から離れるなよ。」
重苦しい陰鬱な空気が立ち込めると木々の間から異様な姿のおっさんが現れた。
教室にいた時より骨が不自然に隆起し、首の向きが天地逆さまになっていた。
こんな化け物みたいな幽霊を見たのは初めてだ。
「なにあれっ、さっきと全然違う!」
「おまえが刺激するから妖魔化したんだ。」
妖魔?それなにっ?もう全然意味分かんないですけど!!
妖魔とやらに向き合った真人は静かに呼吸を整え、ゆっくりと口を開いた。
「この世に未練が有り、尚も留まり続けたいなら退け。悪行をしようものなら、即、滅するぞ。」
妖魔は四つん這いになり獣のように唸り出した。真人の忠告などまるで聞く気がないようだ。
「そうか。なら致し方ない。」
真人が手の平を合わせて身構えると、体を包む空気が揺らいで青味を帯びたものへと変化した。
なんというか……近づき難い神聖な光を纏っているかのようだった。
次に真人が指で様々な形を作り始めると、それに呼応するように地面に置いた呪符が黄金色に淡く輝いた。
激しい唸り声を上げた妖魔の体が二倍に膨れ上がったかと思ったら、真人ではなく私目掛けて一直線に飛びかかってきた。
「─────発!!─────」
真人の一喝で呪符の文字が浮かび上がり妖魔の体を縛り上げた。
逃れようと体をくねらせ大暴れしたが、文字はもがけばもがくほど体にくい込んでいく……
妖魔は苦しみ悶えながら尚も私に向かってこようとしていた。なぜこんなにも執着してくるのだろうか……
怖いというよりも、物悲しく哀れに思えた。
真人は残った一枚の呪符を妖魔の額へ目掛けて投げ、「滅」と唱えた。
呪符の文字が光り輝き、妖魔はたくさんの光の粒となって跡形もなく消え失せていった。
恐ろしい化け物になった幽霊をあっという間にやっつけてしまったのだ。
「あのっ…ありがとう。なんか……すごい力だね?」
「すごくなんかない。こんな…誰も幸せにしないような力……」
真人は手の平を胸の前に合わせて静かに合掌した。
殺されそうになった相手なのに、どうしてそんな寂しそうな顔をして拝んで上げてるんだろう……
聞きたいことはたくさんあるのに、とても聞けそうな雰囲気ではなかった。
「若は、陰陽師なのでござるよ。」
えっ?若って真人のこと?
それに陰陽師ってあの陰陽師………?
話しかけてきたのは頭に矢の刺さった落ち武者だった。そう言えばいたんだっ!!
悲鳴を上げて真人の後ろに隠れた。
「良いでござるなその反応。もっと怖がらせたいですなあ。」
「この刀でワシらと同じように切り刻んでやろうかいな~?」
なんなのこいつらっ……ゲラゲラ笑って人のこと脅かして楽しんでる!
「ねえ真人!こっちのは倒さないの?!」
真人はチッと舌打ちをすると不機嫌そうに睨んできた。
「な、なんで怒るの?陰陽師ってこういう悪い霊を退治するのがお仕事なんでしょ?」
「それなら廃業中だ。なのに隣でつまらんことに反応しやがって。もう俺を巻き込むな!」
「つまらんことって……おっさんに顔舐められて平気な女子高生がどこにいるっていうのよ!」
「はあ?他人の家の庭で木にぶら下がってパンツ見せてる女がなに言ってやがる!」
─────────ぐっ……!
またそれを蒸し返す?!いい加減忘れろっちゅーの!!
「幽霊が見えるのは私が悪いわけじゃないのに!助けてくれたことには感謝してるけど、ちょっと冷たすぎるんじゃないの?!」
「おまえみたいに霊感だけ無駄にある無知識で無防備で無能な馬鹿が一番狙われるんだ!忠告は散々してやっただろ!!」
ぐぬぬっ……人をネギ背負った馬鹿ガモみたいに言いやがってえ~!!
「まあまあご両人、そんなに熱くならずに。」
見かねた落ち武者達が止めに入ってきた。いつもならきゃーっと言いながら逃げるところだがもう完全に頭にきてしまっていてそれどころじゃない。
「私だって、学校にいっぱい幽霊がいるって聞いてちゃんと予防策はとってきたんだから!」
スマートホンに付けているお守りを見せてやった。真人の顔が一気に曇る……
わざわざ遠くの有名な神社までお参りに行って頂いてきたのだ。さぞかしご利益があるに違いない。
「……せいぜい、立派な赤子を産むんだな。」
「はい?なんのこと?」
「なんのことだはこっちのセリフだ!!それは安産のお守りだっ!」
「へぇええ?!」
本当だ……安産祈願てしっかり書いてある。ピンクで形も可愛かったからご利益をよく見ずに選んでしまった。
落ち武者達が腹を抱えて大爆笑している。
自信満々で披露しただけに、恥ずかしすぎて涙が出そうだ……
「……ったく。」
真人は呆れながらも自分の首にしていたペンダントを外し私に渡してきた。
それはラベンダー色の勾玉だった。
「これを身に付けていたら悪意のある霊に触れられることはない。やるよ。」
こんな綺麗な色の翡翠なんて初めて見た。革紐部分にも細かなエンボス加工が施されている。
真人ってお金持ちの家柄だし、これはかなり高価な代物に違いない。
「もらえないよっ、こんな高そうなの。」
「隣でビービー泣かれたら迷惑なんだよ。」
無理やり首に掛けられてしまった。本当に頂いてもいいのだろうか……
男の人からプレゼントされた初めてのアクセサリー。魔よけ用で色気はゼロだけれど、なんだか口元が緩んできてしまった。
「ありがとう。一生大事にするねっ。」
素直にお礼の言葉を伝えただけなのだが、真人は困ったように顔を背けた。
「悪いが俺がしてやれるのはここまでだ。次からは自分で対処してくれ。」
そう言うと教室へと戻っていった。
いつの間にか落ち武者達も姿を消していた。
さっきまでの喧騒が嘘みたいに一人ポツンととりのこされてしまった。
────────陰陽師か………
あんなにすごい力なのにどうして辞めてしまったんだろう。
『すごくなんかない
こんな…誰も幸せにしないような力……』
もう私とは関わり合いたくないんだろうけれど……
真人がなぜそんな風に言うのか。
どこか寂しげなように見えて……
気になって、仕方がなかった────────