恋の始まり
運送業者に頼んでいた大きな荷物も到着して家の中は大方片付いてきた。
庭の雑草は生い茂ったままだったけれど、生活するにはとりあえずは問題ない。
「じゃあお母さん今日から仕事だから、紬は13時に学校ね。ちゃんと一人で行ける?」
「大丈夫だよ。もう高校生なんだし。」
母は私をギュッと抱きしめてから車に乗り、なにかあったら電話しなさいよ〜と言いながら出勤していった。
いい加減子供扱いするのやめてほしいんだけどな……
母の中では私はいつまで経っても小さな頃のままらしい。
昼ご飯を食べて届いたばかりの真新しい制服に身を包んだ。
学校は自転車で15分の場所にあるのだが、海岸線をゆっくり眺めながら歩いて行こうと思い早めに家を出た。
抜けるような青空とキラキラ輝く水面が目に眩しい。
砂浜では潮干狩りをする家族連れやマリンスポーツを楽しむ若者達で賑わっていて、道沿いにはオシャレなカフェや南国ムードたっぷりのホテルが建ち並んでいた。
高校二年生の五月という中途半端な時期での転校に不安な面もあったけれど、こんな素敵な街で高校生活を送れるのかと思ったら心が弾んできた。
私がゴールデンウィーク開けから通う海浜冠高等学校は海が一望できる小高い丘に建つ高校だ。
そのロケーションの良さに一目惚れをし、行くならここだと即決した。
中高一貫の学校で文武両道を掲げた進学校なので編入するのは本来ならば難しかったのだが、ちょうど欠員が出たらしくすんなりと認めてもらえた。
連休の真っ只中だというのに学校にはたくさんの生徒達の姿があった。多くの部活が練習に励んでいるようだった。
「西園寺せんぱ〜い!」
「きゃ〜っ!素敵ー!」
黄色い声援のする一角が気になって行ってみると、体育館の扉に大勢の女の子達が群がっていた。
この学校のアイドル的存在というやつだろうか?
興味津々で人混みの隙間から体育館の中を覗いてみると、お面を被った人達が竹刀を振り回していた。
イケメン先輩は剣道部か……これじゃあせっかくのお顔を拝めないじゃん。
がっかりしていたら笛が鳴り、打ち合いを止めた部員達が整列をしてお面を外し始めた。
一人前に出ていた白い防具を身につけた部員がお面を外した時、女の子達が揃って悲鳴を上げた。
あっ……あれは────────!!
頭に巻き付けた手ぬぐいで艶やかな黒髪は見えないけれど、凛とした端正な横顔には見覚えがあった。
運動直後の額に滲んだ汗や荒い息遣いに見とれそうになってしまったけれど、身を縮めて後ろに下がり走って逃げた。
住む世界が違うと思っていたのにまさか同じ高校だったなんて。私がここに転校してきたって知ったら露骨に嫌な顔をされそうだ。
なんとか相手の卒業まで顔を合わせないで過ごせないものか……
憂鬱な気持ちで職員室に行くと担任の先生が出迎えてくれた。見るからに人の良さそうなおっちゃん先生だった。
入学生に配布される手引きを元に学校生活での細かな説明を受け、必要な書類に記入していった。
書類は何枚あるんだってくらい同じことを書かされ、それだけで随分と時間を取られてしまった。
教科書を渡されたのだけれどすっごい量だ。
前の学校にはなかった教科がある……さすが進学校だ。
勉強ついていけるかな……
「先生、これ全部は持って帰れそうにないんで少し置いていってもいいですか?」
徒歩で来たことを後悔した。教科書に上履きに体操服にノートパソコン……とてもじゃないけどカバンには入り切らない。
幸い生徒一人ずつに鍵付きのロッカーがあるそうで、そこに置いていけばいいと教えてくれた。
ああそうだと先生はなにかを思い出し満面の笑みを見せた。
「もうすぐ剣道部の部長が体育館の鍵を返しに来るから、その生徒とロッカーまで一緒に行ったらいい。」
────────うん?
「生徒会長もやってる西園寺 真人って生徒でな、華道の家元の息子でもあるんだ。女子にも大人気なんだぞ〜。」
「先生結構です!校内の地図もありますし一人で大丈夫です!」
急いでカバンに荷物を詰め込み入り切らない教科書を両手で抱えて扉を開けた瞬間、剣道着を着た生徒と思いっきりぶつかってしまった。
弾みで持っていた教科書がバラバラと相手の足の上に落ちてしまった。
「いってぇ〜……」
しかめっ面の真人と目が合った。サイアクだ……
目の前にいるのが私だと気付いた真人は顔を逸らして小さく舌打ちをした。予想通りの反応だ。
「西園寺、ちょうどよかった。この子は転校生でな。ちょっと二年二組のロッカーまで連れてってくれるか?」
「大丈夫ですっ。私一人で行けますから!」
真人に謝り床に散らばった教科書を拾い集めたら、奪うように取り上げられてしまった。
「来いよ。案内してやる。」
「えっ…あのっ……」
戸惑う私を尻目に早足で歩き出すもんだからついて行くしかなかった。
いつの間にか時間が経っていたようで日は暮れ始め、校内に残っている生徒はほとんど見当たらなくなっていた。
私が小走りでついて行ってるのに気づいたのか、真人は少しスピードを緩めてくれた。
「こないだはホントにごめんなさい。ちゃんとお礼も言えてなかったし……助けてくれてありがとう。」
あの状況からして池に落ちたのを助けてくれたのは真人だ。真人も服を着替えていたし、記憶がないのは水に浸かった瞬間に気を失ってしまったからだろう。
興味がないのか触れてほしくないのか、真人からの反応はない。
しばらくお互いに無言のまま歩きロッカー前まで辿り着いたのだが、プレートには中等部一年二組と書かれてあった。
中等部って……中学生?
なんで?私身長160cmあるしそれなりの凹凸だってある。
なにより、二ヶ月前まで小学生だったなどと間違われることは断じて有り得ないっ!
「私、高校二年生なんですけど?」
「あんな苺のパンツ履いてるからガキだと思ってた。」
───────────っ!!
なん…なのコイツ……なんなの一体……
私だって見せたくて見せたわけじゃないのにっ……!
デリカシーってもんが皆無かよ!!
「もういい!あんたの助けなんて必要ないから!!」
ブチ切れながら教科書をひったくって高等部の校舎がある方へと走った。
案内してくれるっていうから仲良くなれるかもって思ったのに、期待した私がバカだったっ!
「おい待て!そっちには─────」
引き止められたが無視して階段を駆け下りた。
二階へと続く踊り場で一人の女子生徒がしゃがみ込んでいるのが見えた。
彼女のいる場所だけやけに空気がどす黒い……
周りの温度が急降下して全身に突き刺すような悪寒を感じた。
これ……絶対に近づいちゃいけないやつだ。
本能でそう察したのに勢いがついていたせいで急には止まれず、足がもつれて大きく体制が崩れた。
頭から転げ落ちそうになった瞬間、後ろから誰かに抱きしめられて口を塞がれた。
「静かに。あいつと目を合わせるな。」
耳元で真人のささやく声がした。
私がコクコクとうなづくと真人は私を力強く抱きしめたまま校舎の外へと連れ出してくれた。
怖かった……まだ全身に寒気がする………
「分かってるとは思うが今のは幽霊だ。あれに取り憑かれたら屋上に連れて行かれて落とされて終いだ。」
それって……殺されちゃうってこと?
ウソでしょ……じゃあ真人が助けてくれなかったら今頃私は……
考えるだけで体が震えてきた。
「学校の裏山にも行くなよ。タチの悪い落ち武者の溜まり場になってる。あと毎週月曜日の9時に教室を巡回するおっさんの霊もいて……」
「ちょ、ちょっと待って!そいつらにも取り憑かれたら殺されるってこと?!」
「他にもいるが気をつけるのは今言った三つだけだ。覚えておけ。反応しなければ襲われることはない。」
「なんで?なんでこの学校ってそんなに幽霊が多いの?!」
よくよく見渡してみれば柱の影にも花壇の上にもユラユラと揺らめく霊体が見える。
今までたくさんの霊体験をしてきたけれど、こんなにも密集している場所に出くわしたことはない。ましてや危害を加えてくる霊なんて滅多にいないのにっ……
この学校、なんかいわくつきなの?!
真人は私から目を逸らして黙り込んでしまった。知ってはいるけれど言いたくないって感じだ。
再び無言の状態でロッカーまで案内してくれた。
真人からは私を突き放そうとする冷たさがひしひしと伝わってきた。別にこっちだって、絶対仲良くしたいってわけじゃないけど……
モヤモヤとした気持ちを抱いたまま、ロッカーを開けようとスカートのポケットに手を突っ込んだ。
「あれ、鍵が……」
なんでないのっ?先生から受け取ってちゃんとポケットに入れたはずなのに、どこかで落とした?!
まさかさっきの幽霊のとこなんじゃ……
どうしようと青ざめていたら真人が盛大なため息をついた。
「おまえは馬鹿か?……ったく、見てきてやるからちょっと待っとけ。」
言葉は悪いが代わりに探してくれることに驚いた。
真人は元きた道を引き返そうとしたのだが、すぐにこちらを振り返った。
「しばらく一人になるが、怖くないか?」
そう言って見つめてきた瞳が、いつもの冷淡な印象とはまるで違っていて……
「だい…じょうぶです……」
「そうか。なら一分で戻るから待ってろ。」
そう言い残して校舎へと走って行った。
真人って……────────
嫌なやつなら嫌なやつのままでいたらいいのに。
あんな風に急に優しく見つめられたらこっちはどうしていいんだか戸惑ってしまう。
「なんで私……こんなにドキドキしてんだろ。」
出会いが最悪だったしこれ以上関わり合うことはない。それは相手も同じなんだろうと思っていた。
でも池に落ちた私を助けてくれたのは彼だし、今日もまた幽霊から助けてくれた。
今だって、私のことを気遣ってくれたし……
真人のこと。
もっと知りたいなって、思った───────