砕けぬ意志のリトス
鉄塊の鞭が振るわれる。それをただ反射的に避けるのではなく、最小の動きでやり過ごす。
確かに頭蓋を粉々にする一撃が髪の毛先を撫でた。鋭敏になった感覚が背筋を震えさせる。
「っ————」
鉄塊の鞭が振るわれる。次こそは標的を粉砕する死神の一撃が迫る。
無駄だ。すでに人外が描く挙動の動線は見切っている。
たった一歩だけの後退をした。その一撃は間抜けに地面を砕く。
地面に喰いこんだ腕を踏み台にして跳躍、今度はこちらが仕掛ける。
狙うは、頭部。赤く輝く多目的センサー。身体強化と念動力が加わった飛び蹴りは、その一点を蹴り砕いた。
ロボットの視界が失われるが、直にサブセンサーに切り替わりそれを補ってくる。
付け入るのは、そのわずかな隙。
着地と同時に懐へ飛びこむ。スライディングした身体はロボットの股下を掻い潜る。
滑りこんだ勢いを活かして、無理やり身体をひねり回す。正面に捉えるは、銀の背中一面。
右腰のアタッチメントに手を伸ばし、切り札を引き抜いた。
「終わった終わったぁ!」
身体強化と思考加速を解く。遅滞していた時間が元に戻る。
ことが終わったのを見て、二体のロボットが歩み寄ってきた。それらはたった今崩れ落ちた同胞を担ぎ上げ、どこかへ————恐らくメンテナンス場へ運んでいく。
あれでちょうど十体目だ。リハビリを兼ねたこの修行に付き合わせてしまい、申し訳ないと————思わない。いつも管理システムには辛酸を舐めさせられているんだ。こんな機会があっても良いだろう。
それに、なんだよ椎間板バッテリーって。被弾対策でそんなに分散する必要性ないだろうが。おかげでこちらは背骨まるごとを破壊しなければならなかった。どうかしてる。
右手を握っては開く。身体の調子はすこぶる良い。身体中を走り回っていた痛みは、もうない。麻痺して浮いた感覚もない。間違いなく全快した。
汗を拭い、水筒を煽る。水分が染みていくのが心地良い。
「身体の具合はいかがですか」
「とても良いよ。ありがと、オーブ」
オーブと出会って二週間の時間が経った。身体は思っていた以上に快復してくれた。環境が良かったのが大きい。オーブがここへ来ることを提案してくれて本当に助かった。
オーブはあの黒地のウェットスーツではなく、白地のジャンプスーツ姿になっている。
プラント内で見つけた作業着だ。未開封のパッケージを見つけたのでこれ幸いと着させてみた。まぁ、もっとも、シャツの類は見つからなかったのでこの服の下は相変わらずウェットスーツのままなのだが。それでも私の心境はとても落ち着いた。
「お腹空いたー。お弁当にしよっか」
「判りました」
広場のベンチに座っていたオーブの隣に収まる。膝の上に今朝作っておいたお弁当を広げた。
メニューはシンプルにサンドイッチだ。
パン酵母があったので生地から焼き上げたバゲット。ふかふかに仕上げっている。具はしゃきしゃきのレタス、肉厚のトマト、さっぱりとしたオニオン、香り高いオリーブ。そして、メインは鯖だ。塩を振ってこんがり仕上げてある。さくさくになった脂身が絶品だ。レモンソースが後味を締めてくれる一品。これは自信がある。
隣のオーブを覗く。
小さな口でサンドイッチをもぐもぐと頬張っている。
「どうかな? 美味しい?」
「はい。美味しいです」
「………………」
「どうしましたか」
「………………なんでもない」
またダメだった。確かに目は輝いているけど、まだ缶詰に勝てていない。
一昨日なんて缶詰が残ってないかと聞かれた。心が折れそうになった。
昨夜は悔しくて缶詰のスープの味を再現してみたが、それでもダメだった。
一体、メーカーのはどんなレシピなんだろうか。その企業努力が恨めしくてたまらない。
忌々しくバゲットの一欠片を口の中へ放りこんだ。
「ふー…………」
ベンチを立って、今度は床へ大の字で転がった。はしたないだろうが、ここにはオーブしかいない。視界の隅でこちらの様子を窺っている銀のロボットたちは見なかったことにする。
オーブが膝を下ろそうとしているのを見て、制した。
「いや、膝枕はいいよ」
「そうですか」
そう応える癖に膝を下ろした。
「それでは、失礼します」
そのまま私の胸に頭を預けて横になった。なんでさ。
「…………オーブ、もしかして。これ気に入ったの?」
「マスターが眠るのなら私も側で眠ります」
「そっかぁ。でも、私眠るんじゃなくてただ横になっただけなんだけどなぁ」
「お邪魔だったでしょうか」
だから、その反応はずるいって。ダメだなんて言えないじゃんか。
「良いよ。オーブ温かいし」
「ありがとうございます」
そのまま、ジオフロントの天井を見上げる。無機質で無骨なそれは嫌でも現実に引き戻させる。
————さて、どうしたものか。
これから先の身の振り方を真面目に考えなければならない。
まず、しばらくの間このジオフロントに身を隠すことを考えた。
ここなら食料の心配はないし、快適な寝床もある。暮らすには困らないだろう。
しかし、それも時間の問題だ。
いずれ最下層までレリックハンターの探索の手は入る。彼らに見つかるわけにはいかない。
そうなるのならば、ここを離れるしかない。地上に戻って身を隠さなければ。
身体は全快した。ならば、行動に移すべきだろう。
近くにあるオーブの温もりを感じる。人の温もりだ。決してものなんかじゃない。
この二週間、一緒に暮らしてよく判った。彼女も自分のことをものように扱うけれど、その実、当たり前の女の子だった。真っ当な感情を抱いている。そうでなければ、食事の度に目を輝かせないし、こうやって私の胸の内に収まることもないはずだ。
仮に、彼女が否定しても、私がそれを否定してみせる。世界を敵に回しても、私が彼女の味方になる。
偽善かもしれない。それでも関係ない。この生命は彼女に救われた。恩を返すべきだ。
決意は固まる。
「オーブ」
「なんでしょうか」
「私が君を守るからね。絶対だよ。約束だからね」
この体勢では顔はよく見えないが、反応に困っていることが判った。
ほら、こんなにも可愛いじゃないか。
しかし、なんだろう。妙な気分だ。変に高揚しているような気がする。
浮ついていると言うかなんと言うか。緊張しているような。逆に落ち着いているような。
今この胸に抱く、覚えのない気持ちは、なんという名前なのだろう。
それだけが私には判らなかった。
+ + + + + + + + +
「マスター…………?」
呼吸の音が変わったため呼びかけてみたが返事はない。
横になるだけだと言っていたが、どうやら寝入ってしまったようだ。
マスターを起こさないようにそっと身体を起こした。
広場の隅に控えていたセキュリティロボットと視線を合わせる。
「システムへ。環境設定の変更を要請。睡眠に適した気温にしてください」
『————承諾。指定区域の環境を再設定します』
すぐに温かい空気が流れてきた。床も暖房機能が働き、温もりが生まれる。マスターの身体は快復したばかりだ。寒さで体調を崩してはいけない。
「…………」
そっとマスターの顔を覗く。
とても静かな寝顔をしていた。深く静かな呼吸。緩やかに上下を繰り返す胸。
先ほどまでの表情とは何一つ違う顔。快活で、忙しなくて、とても賑やかな様子は見る影もない。
マスターは、私に知らない顔ばかり見せてくれる。
初めての出会いは、死に瀕する蒼白の顔。身体を濡らす血液だけが熱を持っていた。
目を覚ましたときは、目を見張っていた。大声を上げてむせたときは心配になった。
名前を与えてくれたときは、————あのときのことはよく覚えていない。それどころではなかった。
初めての食事を経験したときは、穏やかな顔をしていた。なぜあのような表情をしていたのだろう。
髪を濡らして戻ったときは、脱力していたように見えた。確証はないけれど、恐らく呆れられたのだ。そういえば、シャワーのときは赤らんでいた。あれはなぜだったのだろう。
「おのれ、かんづめ…………」
静かな寝顔が一瞬崩れて、苦悶の言葉が漏れた。すぐに表情は戻って静かな寝息が繰り返される。
————なるほど。今のが寝言と呼ばれるものなのか。睡眠中に現れるという独り言。やはりマスターは私の知らないものを見せてくれる。
「…………?」
わずかな違和感を覚えた。今、自身の顔に異変があった。ほんのわずかな間、頬が弛緩したのだ。
どうしてそんな反応が出たのだろう。再起動をしてから度々このような反応が現れるようになった。
原因は判らないでいる。現状、身体能力に影響があるわけではないようだが、懸念材料ではある。メンテナンスができればよかったのだが、ガンエデンに対応したメンテナンスポッドはこの都市には用意がない。しばらくの間は現状維持するしかない。
「システムへ。私もしばらくの間、眠ります。身辺警護を任せます」
『————』
「…………? システム、なにか問題でもありますか」
『————提案。施設内のベッドでの就寝を推奨します』
「…………」
確かにその通りだ。このような硬い床の上でマスターを眠らせているのはどう考えてもおかしい。温度の問題ではなかった。
しかし、この静かな寝顔を崩すことは強い抵抗を覚えた。そう感じた理由は、やはりよく判らない。合理的に考えればマスターを起こすべきなのに。
————良いよ。オーブ温かいし————
「————不要です。それでは」
システムへそう言い切って、マスターの懐へ収まり直した。
やはり不思議な感覚を覚える。わずかに香る乾いた汗の匂い。マスターの匂い。私と違う匂いがする。
マスターの温もりが伝わってくる。優しい温もりが心地良いと感じた。マスターも私の温もりを心地が良いと思ったのだろうか。
マスターの鼓動が伝わってくる。私の鼓動も届いているのだろうか。
とても落ち着く。本来睡眠なんて必要としないのに、自然と瞼が重たくなっていく。やはり私は異常なのだろうか。
「————あたたかい」
自然と溢れた一言とともに意識を手放した。
+ + + + + + + + +
地上への帰り道は、恐ろしくあっさりしたものになった。
それは、最下層まで潜った私の努力を全否定してくれやがった。
オーブはジオフロントの階層間エレベーターをあっという間に復旧させてしまい、私の四日間の道のりをものの数十分の記録に塗り替えてしまった。いやぁ、便利だなぁちくしょう。
本来だと車両やコンテナを運ぶ目的の大型エレベーターだが、意外と乗り心地は悪くない。本当なら街中を走る、ジオフロントの景色を見下ろせる階層間トラムに乗りたかったが、流石にそんなものが動いていたら目立ってしまう。他のレリックハンターに出くわすわけにはいかないのだ。
…………しかし、まぁ、なんと言うか。
「なんか、オーブと一緒だと冒険って言葉が意味を成さないよね」
「そうなんですか」
「いや、まぁ、これはこれで新鮮だから見応えあるけど、なんか鈍っちゃいそうだ」
エレベーターが一階層に到着する。隔壁が開放されると銀のロボットたちが丁重に出迎えてくれた。
憎き相手だが、その分心強い。何体かオーブの護衛に持ち帰ることも考えた。目立つ巨体は光学迷彩で誤魔化せるし奇襲性もある。だけど、バッテリーの充電手段が用意できないので諦めた。惜しい。
ロボットたちと別れてから、地図を確認する。どうやらここはあのジオフロント入り口の展望公園の近くらしい。すぐに地上へ出られるだろう。
「この景色も見納めかぁ」
足を止めて、ジオフロントを見下ろした。曇ない鏡面の摩天楼。白地の舗装が走る静寂の街。風一つ吹くことのない地底の墓標。
居住区はほとんど探索できなかったため、若干心残りではある。研究施設や工業プラントの類で見つけた遺物の方が圧倒的にお金になる傾向があるけれど、掘り出し物は意外とこういう街中にあるものだ。古代文明の一般家庭で使われていた遺物はそのまま現代でも通用する家電用品になり得るし、個人所有されていた遺物はユニークなものも多い。それを買い取って、解析して特許を申請すれば元手は簡単に返ってくる。手間と時間を考慮しても、とても実入りが良い。
…………ワンオフの遺物といった掘り出し物が眠っているかもしれない。正直、踵を返したい。オーブがいればセキュリティは突破できるし、悠々自適に————いかんいかん、私の欲望を満たすためにオーブに頼るのは間違っているし、そんな暇はないのだ。
今回は、諦めるしかない。ぐぬぬ…………くやしいなぁ。
「マスター、なにか問題でもありましたか」
じっ、と私の顔を見つめる深紅の瞳。無垢な視線だ。私が邪なことを考えていたとは欠片も思っていない。
「ごめん。少し未練があっただけ。せっかくならオーブと冒険してから帰りたかったなって思ってさ」
「冒険、ですか?」
「そう、冒険。自分の知らない世界へ足を踏み入れるって、わくわくしない?」
私の問いに、オーブは沈黙する。自分の中に明確な答えを持ち合わせておらず、考えこんでしまったようだ。
沈黙の間は僅かだった。オーブは素直な感想を口にした。
「私にはよく判りません。知らないことを体験することは高揚感を得るものなのですか」
「場合によるけどね。でも、オーブ。たぶん、君もその感覚は知っていると思うよ?」
「えっ————」
あら。不意打ちを喰らうとそんな素直な反応するんだ。
「私の料理、いつも楽しそうに食べてるじゃない」
そう、楽しそう。オーブは私の作る料理を美味しそうに食べるだけでなく、明らかに他のリアクションをしてくれている。
私は缶詰を上回る反応を引き出すため、様々な料理を試してみた。食事という行為に慣れていないオーブの反応はいちいち新鮮だった。
美味しいかと尋ねればみんな美味しいとだけ答えるだけだが、瞳の奥の表情は毎回違っていた。おかげで色々なことが知れた。
意外と甘いものというか甘すぎるものはあまり得意ではなく、甘さ控えめの酸味がきいたチーズケーキや生果物の方が好みのようだ。
辛いものは平気。むしろ辛党の気がある。唐辛子が効いた料理を額に汗かきながら黙々と平らげた。合間で口に含む水が辛さを際立つことに首を傾げていた。
一方、苦味は明らかに反応が悪かった。苦瓜の炒めものを口にしたときは明らかに落胆していた。完食こそしてくれたが申し訳ない気分になった。
色々試してみた結果、どうやら温かい料理というか熱々の料理が好みのようだ。グラタンなんて悪くない反応をしていた。身体の温まる料理は、伴って心も温かくなるものだ。缶詰のスープが気に入っている理由はこの辺りから来ているかもしれない。今度は、幼い頃にアキヒメの家で食べさせてもらったオウカ皇国の郷土料理、鍋焼きうどんなんかどうだろうか。あの麺の打ち方を調べておかないと。
「それは、気がつきませんでした。確かにマスターが調理される食事は私の知らないことばかりです」
「知らない世界を体験する気分はどんな感じがした?」
再び訪れる僅かな間。瞳の奥がゆっくりと揺れている。今までの経験を慎重に咀嚼しているのだ。
そして、それを確かめるように思いを口にした。
「————心が震えました」
「うん。それが、わくわくするってことだよ。知らない世界を知ること。冒険するってことだよ」
「————冒険」
オーブは、新しく知った事実をゆっくりと噛み締めている。
そうしている姿がなんだかとても————
「…………んー?」
とても————なんだろう。言葉が続かなかった。私はいま、なにを考えようとしたのか。
なんか、とてもムズムズする。落ち着かない気分だ。
「マスター?」
「ああ、ごめん。なんでもない。先、急ごっか」
止めていた足を動かし、展望公園の敷地に踏み入れる。
展望公園に人の気配はない。無機物のオブジェクトが規則正しく並んでおり、綺麗に磨かれたタイルが道を描いている。
ジオフロントの入り口付近のため、他のレリックハンターと出会す可能性が一番高い場所だ。ここからゲートまで一気に駆け抜けて、車に乗りこんでさっさとおさらばしよう。
…………まぁ、遺跡探索の申請期間を大幅に過ぎてしまっている。行方不明者扱いになっているだろうから、借りていた車は回収されているだろう。大変申し訳ないが他のレリックハンターの車を拝借するとしよう。
「…………?」
なにか違和感があることに気がついた。眇めて、展望公園を見渡す。視界に入る風景に異変はない。
ただ、なにかがおかしい。いま、この空間になにかが潜んでいる。
すぐに姿勢を低くして、近くの物陰に身を潜める。オーブもそれに習って身を潜めた。こういうところはとても察しがいい。主を守るためなのだろう。危機察知の意識が高いのかもしれない。
それにしても、なんだ。この、ひりつく感覚。頭の中で鳴り響く警鐘の理由はなんだ。
人の気配はない。物音もない。それなのに、神経を逆なでするこの感覚は————
「————————」
嗅覚だ。私は、いま、異常な臭いを感じ取っているのだ。
僅かに鼻孔を刺激する生理的嫌悪感。鉄の香り。————血の臭いだ。
いま、展望公園の中に誰かが潜んでいる。
物陰から様子を伺う。臭いのもとを辿り、大まかな方向に当たりをつけた。
姿勢を低くしたまま、オブジェクトの物陰から物陰へと移り、接近する。
————あそこだ。
摩天楼を見下ろせる広場に誰かが倒れている。遺跡という場所から考えてまず間違いなくレリックハンターだろう。
身軽になるためリュックを置き、辺りを警戒しながら近づいた。
仰向けになって倒れている人物は動く気配もない。その天井を見上げる表情を見て察したが、念のため首元を確かめる。
「死んでる…………いや待て。この人、確か————」
あの日、窓口で騒いでたレリックハンターだ。ジョーンズのことを疑っていた。
嫌な予感がする。
死体の状態を検分する。身体にはラハトライフルの光弾による焼きついた銃傷があった。
ラハトを使えるのは生物しかいない。セキュリティロボットではない。これは、人間の仕業だ。
ジョーンズに因縁を持っていた人が何者かの手によって殺された。
それは、つまり————そういうことだ。
「あの野郎、なんてことを」
「あの野郎って、誰のことだい?」
「…………お前のことだよ、クソ野郎」
声のした方へ振り返る。そこにはにやにやと笑みを浮かべるジョーンズが立っていた。
「現場に残っているとは思わなんだ。誰かに見つかるのはマズいんじゃないの?」
「関係ねぇよ。目撃者も始末すればいいだけさ」
「真正面からできると思ってんの? どうせ卑怯な手でこの人殺したんでしょ」
ジョーンズはくつくつと笑う。
————なんだ? なんでコイツはこんなに余裕をかましている?
そもそもコイツ、どこに隠れていた? 警戒はしていたのに。気配すら感じなかった。
「マスター、囲まれています」
「なんだって?」
「申し訳ありません。気がつくのに遅れました。————光学迷彩です」
思わず舌打ちをしてしまう。だからか。ジョーンズの気配に気づかなかったのは。
光学迷彩は軍用装備だ。レリックハンターの所持が許される装備ではない。
軍と癒着しているという噂は本当で、私の雑な推理は正しかったことになる。
————私たちは今、見えない兵隊たちに囲まれている。違和感は、血の臭いだけでなかったのだ。
「ところでジャンクコレクター、その女は誰だ? そんなヤツ、ゲートの記録にはなかったぞ」
目ざとくというか、当然のようにジョーンズの視線がオーブへ注がれる。やめろ、お前の視線でオーブを汚すな。
「前にも言ったけどさ。答える必要、ある?」
「それもそうだ。これから死ぬんだからな。だがな、ジャンクコレクター。俺はこれでもお前のことを信用しているんだぜ」
「なにを」
「遺物へのこだわりさ。確かにお前はガラクタを集めているが、確信のある目をしている。それに価値があると信じている」
嫌なことを言う。こんなヤツに私のことを理解されているなんて屈辱の極みだ。
「お前言ったよな。『目的のものは自分の力で手に入れるのが良い』ってさ。俺は確信したね。あの日、お前は価値のあるものを探しに行ったんだ。ガラクタじゃない。本当に価値のあるものを」
「…………それで?」
「お前は見つけたんじゃないか? 価値のあるものをさ。そこにいる女とかさ。大した美人じゃねぇか」
ジョーンズはけたけたと笑う。本当に忌々しい。
「…………」
「だんまりか。まぁ、良い。これからじっくり確かめればいいだけだからな」
ジョーンズが片手を挙げた。
マズい。あの手が振り下ろされると同時に私たちは襲撃される。
ラハトライフルは失っている。兵隊は何人姿を隠しているか判らない。限られた武器だけで切り抜けることができるだろうか。
そんな絶体絶命のとき。唐突にオーブが口火を切った。
「マスター。ユニットが到着しました。これより障害の排除を行います」
「えっ」
私の間抜けな返事を皮切りに辺りから悲鳴が上がった。思い出したくもないあのミキサーが仕事の合図をする。
銀のセキュリティロボットが光学迷彩を解いて姿を現した。その数、十体。遺跡の守護者がその暴力を振るう。
人外の目は人の目とは違うものを見る。彼らには光学迷彩が通用しない。
「なんでセキュリティがここに⁉ ここは巡回ルートから外れてるはずだぞ⁉」
姿の見えない兵隊の誰かが叫ぶ。銃声で叫ぶ。ラハトライフルの光弾がジオフロントの空を舞う。
光弾の、鋼を叩く音が虚しく通り過ぎる。銀の人外の急所にはかすりもせず、死神の一撃が振るわれる。
肉が裂け、潰れ、骨の砕ける音がする。生々しい、生命が潰れる音。ぐしゃり、ぐしゃり。
誰かの悲鳴が遠ざかっていく。それは摩天楼の闇に吸いこまれて消えた。
瞬く間に展望公園は、地獄に成り果てた。悲鳴の音色に合わせて、血と肉塊と骨が踊っている。
弾き飛ばされた肉塊が足元まで転がってきた。
肉から溢れ出た血溜まりが靴底を濡らす。阿鼻叫喚が脳に響く。
なんだ。これは。
これは。なんだ。
「オーブ…………?」
「しばらくお待ちください。速やかに障害を排除します」
————この娘はなにを言っている?
————なにをやっている?
足元にある新鮮な死体。
頭蓋骨を砕かれ、脳漿が溢れ出ていた。目玉が零れ落ちている。その無惨な表情から読み取れるものは、理不尽しかない。
人間らしい死に方ではない。手も足も出なく、ただ殺された。
————誰が、こんなことを?
断末魔が上がる。ぐしゃぐしゃ。べきばき。生命の潰れる音がする。飛び散る絵の具が真っ赤な芸術を描く。
————誰が、こんなことを?
深紅の瞳は、揺るがない。無感動に地獄を眺めている。
古からある機械仕掛け人外は、オーブという女王の名に従い、敵を殺していく。
その理由は、主を守るため。その権能をもって、敵を殲滅せんとする。
————主を守るため?
待て。これは。
私がやらせているのか。私のせいなのか。私のせいで彼女はこんな。
————ダメだ。これは、ダメだ。彼女にこんなことをさせてはいけない。
「オーブ、やめて! 殺しちゃダメだ!」
私の声に応じて、ロボットたちは動きをピタリと止めた。
オーブが無表情の顔で私の様子を窺っている。その深紅は、不思議そうに私を見つめている。
やめて。そんな顔しないで。
「なぜです。彼らはマスターに危害を加えようとしました。排除すべきです」
やめて。そんなこと言わないで。
君がそんな恐いこと言っちゃダメだ。こんなことをしてはダメなんだ。
「オーブ、ダメだ。君が人を殺すのはダメだ」
「ですから、なぜですか。敵対対象の排除は殺害が一番効果的です」
自分はなにも間違っていない。そう信じて疑わない。無垢な眼差し。
そして実際間違っていない。彼女は私を守るため行動に移した。
当然の行いだ。彼女を止めようとする私こそ愚かである。
————でも、君は本当に判っているのか?
そんな子供みたいな無垢な目をしていて、何をしているのか本当に判っているのか?
君が判っているのは、損得の話だ。不利益をもたらす相手に容赦しない。それはいい。
君は、人を殺すということがどういうことなのか本当に判っているのか?
その深紅の瞳は、今、なにを見ている?
————私を見ている。
それならば、私にできること————私がやるべきことは————
「————私がやる。私がやるから、オーブは手を汚さくていい」
「承服しかねます。それは命令でしょうか」
「命令じゃない。お願いだ。君は人殺しなんてしちゃいけない」
判ってる。これは私のエゴだ。
でも許せないんだ。許せるはずがない。
こんな目をする娘が。なにも知らない娘が。人を殺すだなんて、決して許してはいけないはずだ。
「なんだか判らねぇが、助かったぜ」
しまった、そう思った時には身体は宙を舞い、地面へ叩きつけられた。
衝撃で息が詰まる。身体が硬直し、すぐに動けない。
気づけなかった。コイツ、ドサクサに紛れてまた光学迷彩で近づいていたのか…………!
「マスター!」
「おっと、動くなよ。おかしな真似をすればズドンだ」
拳銃————大口径ラハトガンの銃口を突きつけられる。なんて間抜け。私の愚かな誤ちがこの状況を作り出した。
動きの止まったロボットたちを見て、ジョーンズがわざとらしい口笛を吹いた。
「信じられねぇな。本当に言うこと聞いてやがる。こりゃあ本物じゃねぇか」
地面に転がる私を見て、にやにやと笑う。
「それにマスターだって? お前、古代人を奴隷にしたのか。やるじゃねぇか。————おい、お前ら! いつまでもオロオロしてるんじゃねぇよ。この女を連れて行くぞ。拘束しろ」
光学迷彩を解いて、隠れていた兵士たちが姿を現す。
彼らは硬直するロボットたちに怯えながらもオーブの両手を拘束した。
「オーブをどうする気だ」
「そりゃ調べるんだよ。古代人なんてレアだし、セキュリティが言うこと聞くなんて普通じゃねぇからな。上手くいけば大儲けできるだろ。…………でも、そうだな。こんなに良い女なんだ。一度古代人の味を見るのもいいかもしれねぇな」
最初、なにを言っているのか理解できなかった。
だがすぐに、その下卑た笑みが頭の奥を熱くする。コイツを許してはいけない。好きにさせてはいけない。
「この下衆が! 許すと思ってるの⁉」
「許しなんていらねぇよ。お前はここで死ぬんだからな」
引き金に指がかかる。死神の鎌が持ち上がる。
ここで死ぬわけにはいかない。私はオーブのために死ぬわけにはいかないんだ。
私はオーブに約束した。絶対に守ると誓った。
私は、死なない————!!
心臓に————ラハト器官に命令を下す。全身にラハトが張り巡り、奇跡を具現化する。
引き金が絞られた。光弾が放たれる。加速した思考で身体を操る。
強化された身体と念動力が無理やり身体を跳ね飛ばす。光弾は紙一重で避けることができた。
体勢を取り戻して、ジョーンズを睨みつける。
「このガキっ‼」
ジョーンズが悪態をつく。
この距離なら踏みこめば、切り札が届く。でも、それだけじゃダメだ。オーブを人質に取られてまま兵隊たちの相手はできない。
ロボットたちの襲撃により数が減ったとはいえまだ数人いる。これではオーブを助け出すことができない。
悔しいがこの場は引くしかない。
奥歯を噛みしめる。そのまま砕いてしまいそうだ。この屈辱、忘れてなるものか。
「オーブ‼」
なにも知らない深紅の瞳が私を見る。
私の出会った宝もの。絶対に取り戻してみせる。
「必ず迎えに行く! 待ってて!」
強化された足が地面を蹴り上げる。高く跳び上がった身体はそのまま展望公園の柵を越え、摩天楼の空へ繰り出した。
遠くから私を呼ぶ声がした。
+ + + + + + + + +
「どうだ、ジョーンズ?」
「…………間違いなく落ちたな。ビルのどこかに引っかかった様子もねぇ。死んだよ」
その言葉を聞いて思考が真っ白になった。
————マスターが死んだ。まったく実感が湧かない。
どうしてマスターはあんなことをした?
どうしてあんな指示を出して、どうして自ら生命を断った?
私には理解できなかった。
「まぁいい。長居し過ぎた。早くズラかろうぜ」
「少し待て。遺体の回収をする」
「そんなもん管理システムに掃除させればいいじゃねぇか。下に捨てればいいだろ。どうせ公にできねぇんだからよ」
「遺体自体はともかく、光学迷彩はそうもいかん。これを失うわけにはいかない」
「あー…………そりゃ仕方ねぇな」
ジョーンズと呼ばれた男が近づいて来る。
男は笑みを浮かべている。その評定は初めて見たが、判る。これは悪意を持った笑みだ。
「お前のご主人さまは死んじまったよ。どうだ、今度は俺に仕えてみるのは?」
「…………」
「だんまりか。ご主人さまの真似ってか? でもな、喋った方が楽になれるぜ。お前には洗いざらい吐いて貰わなくちゃならねぇんだからな。まぁ、クスリでイってるのを相手するのも良いけどよ」
生理的嫌悪を覚えた。
知らなかった。悪意とはこうも気持ちの悪いものなのか。
人間とはこうも気持ちの悪くなれるのか。マスターとは大違いだ。
そのマスターの顔が思い浮かぶ。
————えっと。オーブしかいないから、いいかなって————
————どうかな? 美味しい?————
————馬鹿、火傷するでしょ————
————オーブ、ここにおいで————
出会ってから短い間に様々な表情を私に向けてくれた。
今だからこそはっきりと判る。あれはマスターの好意の形だったのだ。
私は、その好意に心地良さを————温もりを感じていたのだ。
それを失ってしまった。あの温もりはもう、帰ってこない。力が抜けていく。
胸の奥がずきりと疼いた。知らない痛み。すごく痛い。
なんだこれは。どうしてこんなに痛いのだろう。怪我なんてしていないのに。すごく、痛い。
「ジョーンズ。回収が終わった。引き上げよう」
「オーライ。————ほら、ついてきな」
男が銃口を突きつける。他にも銃を持った兵隊が複数いる。この場は従うしかない。
展望公園を後にする。すぐにマスターが身を投じた摩天楼が見えなくなった。
最後の言葉が頭の中で繰り返される。あの時、強い眼差しが私を見ていた。
————必ず迎えに行く! 待ってて!————
マスター。私は、その言葉を信じていいのでしょうか。
決して叶わないとしても、その言葉を信じていいのでしょうか。
私は、どうすればいいのでしょうか。
教えてください。マスター。
+ + + + + + + + +
「…………ワイヤーが届かない距離なのは失敗したな。死ぬかと思った」
展望公園から約四〇〇メートルほど落下した。一階層の地面。ここからだと展望公園の縁も見えない。
身を起こす。身体は伸縮性の高いハンモックのネットのようなものに捕まっていた。
ネットを蜘蛛の巣のように吐き出しているのは、管理システムの多脚ロボットたちだ。
「助かったよ。本当に」
無機質なセンサーに向けてお礼をする。
オーブが私をジオフロントの住民として登録していたのだろう。管理システムは住民を守るためその危機に駆けつけたのだ。
ネットから飛び降りる。ロボットたちは黙々とネットを片付け始めた。
「ここから追いかけても間に合わないか…………」
オーブのお陰でセキュリティは解除されている。制約なくエレベーターを使うことができるが、この位置からではどれだけ時間がかかるか判らない。ヤツらはすでに殺人を犯している。最初からあの場所に長居するつもりはないはずだ。
ヤツらが向かう場所は十中八九、軍の施設だ。オーブを取り戻すにはそこへ乗りこむ必要がある。ヤツらにはオーブの権能の一端を知られてしまった。今は良くてもより厳重な管理下に送られる可能性は高い。すぐにでも取り返さなければならない。
「取りあえず武器だ。モーターハウスに戻って、予備のライフルを————ん?」
血溜まりが視界に入った。人一人がトマトより無惨に潰れている。
服装から見て、どうやら上にいた兵隊の一人ようだ。
恐らくロボットに叩き落されたんだろう。そう言えば遠ざかる悲鳴を聞いた気がする。
「これって————」
トマトな兵隊の腰から装備を拾い上げる。
「……………………」
血を拭い、状態を検分してから、そのまま自分の腰に納めた。
『————————』
片付けを終えたロボットのセンサーが私を見つめていた。
やはり言葉はない。だけれど、その意思は伝わった。
————さっさと行ってこい。この変人。
言われるまでもない。私は約束をしたのだ。絶対に彼女を取り戻す。
なにを犠牲にしてでも。必ず。
もう行こう。先を急がなければならない。
+ + + + + + + + +
遺跡に潜っている他のレリックハンターが停めていた車を拝借し、協会支部まで戻ってきた。
すぐに地下駐車場のモーターハウスに駆けこむ。
予備のライフルの動作を確認。プラスチック爆弾のいくつかに予め遠隔信管を埋めこみ、後ろ腰に装備する。
左肩に風穴が開いた防護ジャケットを脱ぎ捨て、予備のジャケットに袖を通す。
準備はできた。後は、敵の根城だ。
モーターハウスを出て、その足で一階の広場へ向かう。
「アルギュロスさん!」
聞き覚えのある声。エミリーだ。彼女が窓口の向こうから近づいてくる。
「ご無事だったんですか⁉ 探索期間が過ぎても戻ってこないから心配したんですよ⁉」
おや。全然話したことないのに随分と気にかけて貰っていたらしい。これは悪いことをした。
でも、今はそれどころではない。
「そんなことより聞きたいことあるんですけど」
「そんなことって、なにを」
「ジョーンズ————あのクソ野郎が根城にしてる軍の施設ってどこです?」
エミリーが息を呑む。どうやら察してくれたようだ。
「待っていてください。今、責任者を呼びます」
「それは良いから教えてください。私は早く行かなくちゃいけないんだ」
「行ってどうするのです」
静かな問い。その諭すような抑揚に振り返る。
ホワイト支部長だ。綺麗に仕立てられたスーツを上品に着こなした立ち姿。その紳士の出で立ちに、圧力を覚えた。
紳士の眼差しが突き刺さる。見極めようとしている目だ。師匠が同じ目をしていた。
それに建前や嘘はいらない。なぜなら私のやることに一切変わりはないのだから。
「大切なものを奪われました。取り返しに行きます」
「それは今でなければいけないのですか? 貴女の証言があればハンタージョーンズと軍を立件することができます」
当たり前のことだ。私がことを荒立てる必要はない。そう言っている。
だが、それに大人しく従うわけにはいかない。
「約束をしました。必ず守ると。必ず向かいに行くと。それを誰かの手に任せることはできません」
「それはなぜですか?」
紳士が私の目の奥を————真意を覗いてくる。私の意志を尋ねている。お前は、なにをするつもりなのかと。
それならば、私はそれを示すだけだ。
「それが私だからです。私が私であるために、目的を果たすためには私でなければならないんです」
「そのために危険を犯すと?」
「それは私が止まる理由にはなり得ません。我が身可愛さだけで私は自分を投げ出すことを許さない」
紳士は目を眇めた。私は自暴自棄だと自ら言い放ったのだ。当然の反応だ。
「自分の言っていることの意味が判っていますか?」
「私が愚かなことは判っています。私の振る舞いが許されるものではないことも理解しています。それでも————」
どんなに愚かだったとしても。
他人に許されなくとも。
私が彼女のために歩みを止める理由にはならない。
私は、彼女のために————
ホワイト支部長を見据える。紳士の視線は変わらず、私に問いかけている。
お前は、なにをするつもりなのか。
いや。違うか。
彼は、私の覚悟を尋ねているのだ。
おかしな話だ。それを評価してくれたのは、誰でもない貴方だったじゃないですか。
それならば、私はそれに応えるだけです。
「ホワイト支部長。貴方は言いましたよね。私には砕けぬ意志があると。もう一つの名前の方が私の本質だと」
その言葉に、眇めていた目が僅かに見開いた。
私は言葉を続ける。
これは、宣誓だ。私の在り方を世に知らしめる宣戦布告。世界が敵に回っても、それに立ち向かうと謳う。
私は、いま、ここでその一歩を踏み出すのだ。
「私は自らその名前を名乗ったことはありませんでした。でも、相応しいと言うのなら今こそそれを名乗ろうと思います」
いつか拾った宝石。師匠から私に相応しいと言われた。
宝石を掲げた。その向こうは空の果て。磨かれた銀の月。
私は、必ずそこへ辿り着く。
「私は砕けぬ意志の宝石だ。何者にも私の意志は砕けやしない」
どんなに愚かだったとしても。他人に許されなくとも。私の意志は砕けない。
世界が敵に回っても。私は私であることを止めない。
私は私のために、彼女のために、歩むことを止めない。その意志は止まることを知らない。
見上げるのは未踏の地。
幼いときした誓い。それは今も続いている。砕けぬ意志で歩み続けている。
守ると約束をした。それは今も続いている。彼女に救われた生命は、彼女のためにあるべきだ。
「決意は固いのですね」
「固いですよ。石なだけに」
しまった、と思った。こんなときになに巫山戯てるんだ私は。どうかしている。
しかし、そんな私の様子を見てホワイト支部長は微笑んだ。
「判りました。ジョーンズの素行調査報告書を渡します。それに目を通しなさい」
「支部長、なにを言っているんですか⁉」
「私が許可します。書類を彼女に」
ホワイト支部長の指示を受け、エミリーが窓口の奥へ駆けて行った。
どう見ても納得している顔ではなかった。彼女には悪いことをしたな。機会があればお詫びをしたい。
「ホワイト支部長、ありがとうございます」
「私にできることはここまでです。協会の立場からできることはありません。これは私の独断です」
「…………ご迷惑をおかけします」
「構いません。責任は取らされるでしょうが、支部長という席にも飽きが来ていました」
ホワイト支部長は紳士の佇まいを崩して、ニッカリと笑った。
「良い意志を見させていただきました。身体を鍛え直して現場に戻りたくなりましたよ」
「…………夢を見るのは楽しいですよ。止められません」
戻ってきたエミリーから書類を受け取る。
目的の資料に目を通す。首都郊外にある軍属の研究施設。ヤツはそこへ頻繁に出入りしているとあった。
「行きますか」
「はい。お世話になりました」
「ご武運を」
広場を後にする。
居心地の良い場所だった。でも、もうここに戻ることはないだろう。
オーブを助け出したら私たちは追われる身になる。これ以上迷惑はかけられない。
この先は想像もできない困難な生き方を強いられることになる。
でも、構わない。この生命は彼女のためにある。あの無垢な娘のためならなんだってできる。
私の明日は、オーブのためにあるのだ。