ジオフロント
誘導灯に従って、地下道を進むと今度は下に続く階段があった。足元が判るように誘導灯が点々としている。その灯火に誘われる羽虫のように、階段を黙々と下っていく。
およそ一〇階分下って、階段は終わりを告げる。誘導灯もここで終わり。目の前には巨大な防火シャッターと思われる隔壁が降りており、人一人通れそうな非常口が備わっていた。非常口のレバーを開放して先へ進む。薄暗い通路を進んでいくと、奥でわずかに明るい光が見えた。どうやらこの先は大きく開けているらしい。
通路を抜けると、そこは異様な光景が広がっていた。
————摩天楼だ。広大な地下空間に異様なほど巨大なビルが建て連なっている。
ここの古代遺跡は、いわゆる地下都市————ジオフロントと呼ばれる場所だ。今、私はジオフロントを見下ろせる展望公園に立っている。
ここから見渡せる景色はビルに隠れてよく見えないが、推定全長は五キロメートルだとか。ここから見下ろしただけでも遥か上層にいることが判るが、下は更に複数の階層で構成されている。
その数、一〇階層。ここからの最下層までもが五キロメートル相当あるらしい。あまりに広大なため、現状は上から数えて六階層までしか探索が進んでいないという。
ここで恐ろしい事実がある。手に入れた遺跡の地図によると一〇階層より更に地下が————なんと更に一〇階層あるという。つまりこの遺跡は合計二〇階層、底まで一〇キロメートルあることになる。現代科学では到底考えられない建築技術だ。
地図の情報から上層の一〇階層が居住区で、下層の一〇階層が工業区だと判っている。目的地は、最下層の二〇階層だ。
思わず、唾を飲みこんだ。それは未知なる世界を体験する高揚感なのか、過酷な冒険へ挑む恐怖心なのか、あるいはその両方なのか。
「さて、と。行きますか」
道程は長いが、ここからは死地だ。慎重に、確実に歩を進めよう。
さっきの誘導灯ほど判りやすくはないが、先客の開拓ルートの痕跡を辿って下りていく。ここの遺跡は発見されてからあまり時間が経っていない。探索が六階層まで進んでいると言ってもそれは現状で最も深い位置に潜りこめたというだけだ。詳しい探索が済んでいるのは精々その半分だろう。
高所の壁面を伝って、高層ビルの中へ侵入する。都市の電源はまだ生きているのだろう。照明が通路を照らしている。これならエレベーターも生きているだろうがセキュリティに引っかかる愚を犯したくない。がんばって数十階下っていくのが現実的だ。まぁ、楽な部類だ。
非常階段に繋がる扉を検分する。監視カメラはなく感度センサーのみが取りつけられているようだ。それも先客よって無効化されているのを確認する。このルートは無事に使えそうだ。とは言え、先客の仕事ぶりを信用し切ってはいけない。抜け駆けを防ぐためにあえてセキュリティを生かしていることはよくある話だ。
各階のセンサーの様子を見ながら階段を伝って、一階層の地上部に降り立つ。重苦しい非常扉を開放して、ビルの外へ繰り出した。
「おー、ピカピカだぁ」
視界に広がった街並みを素直に感心する。
並び立つ高層ビル群のガラス壁面は曇ることを知らない鏡面と化しており、流体強化コンクリートで舗装された真っ白な道路は塵一つなく街中を走っている。
異様に高いビルばかりの風景に目をつぶればよく整備された街だと判る。
————と言うことは、まぁ、間違いなく都市の管理システムは生きているということだ。遭遇するのは避けられない。げんなりする。
「本当に広いな、ここ」
道すがら公園らしきものが目に入った。それは、ビルばかりの中に忽然と存在していた。砂漠のオアシスのようなもの。
ここもよく整備されているが、土がむき出しになっている箇所がある。恐らく花壇だ。本来なら綺麗な花が植わっていたのだろうが、備蓄の苗か種が切れてしまったのだろう。新しく植えられる花はないようだ。
ここにはどんな人たちが暮らしていたのだろう。そして、なぜこんな都市を残して文明は姿を消してしまったのだろう。
古代文明の全容は未だに謎が多い。大陸中にその痕跡を残しておきながら、滅亡した明確な理由は判明していない。世界規模のパンデミックがあったという記録は発見されているが、これだけの技術力を誇る文明が疫病だけで滅亡するとは考え難い。その他に考えれられる要因については目下研究中だ。その内、どこかのレリックハンターが手掛かりを見つけるかもしれない。
地下深い街並みに吹く風はない。空調は機械によって完全に管理されている。住人がいない静寂の街。建て連なるのは彼らの墓標なのかもしれない。ひどいセンスだ。
「花を愛でる感覚は私たちと変わらなそうだけど」
がらんどうの花壇を視界から外す。
今回、途中の階層を探索するつもりはない。先を急ごう。
開拓が進んだルートはよほど石橋を叩いたのだろう。管理システムに見つかることなく、三階層まで辿り着くことができた。四階層からが本番ということになるだろう。
七階層へ辿り着いた。
普通の街並みの中に反し、神経を尖らせて慎重に歩を進める。綺麗に舗装された歩道を呑気に歩くことができればよかったのだが、生憎と監視カメラだらけだ。通れるわけがなかった。
休憩を挟みながらだが、ここまで来るのにすでに一〇時間以上かかっている。遺跡の地図があるから順調な方だ。少なくとも次の階層に繋がる通路を見つけるのは苦労していない。
踏破されていない道を自分一人の力で切り開いていくのは大変な労力がかかる。セキュリティの位置は判らないし、無効化されてもいない。危機に陥っても誰も助けてくれない。失敗すれば、数日後行方不明者と認定されて遺体も探されない。
八階層への通路入口付近まで来たところ、嫌な音を耳にした。
————ウィィィーン。
聞き取りづらい静音モーターの駆動音。それも複数聞こえた。
すぐに物陰へ滑りこむ。ポケットの中から鏡を取り出し、音のする方向を覗く。
ラハトライフルを握りしめる手に力が入った。
「おいでなすったよ…………」
数は三つ。全長は約二メートル。足底には小回りの効くローラーがついており、舗装された道を滑らかに進む。胴体は卵を鋭くしたような形状をしており、そこから六本の脚と二本の腕が生えている。頭に類する部位はなく、卵の先端に無機質な光学センサーが赤く灯っている。
————管理システムだ。正確には、その手足となる作業ロボットたち。街の何処かに隠されたシステムのコアユニットが遠隔操縦している。
見慣れない型式だが、都市型遺跡に配備されたヤツらの仕事は決まっている。街の清掃だ。街の清潔を保つことがヤツらの務めなのだ。
問題なのはその無差別さだ。ヤツらは登録されていない住民————つまり、不法侵入しているレリックハンターを見つけるとまるで粗大ごみを扱うかのように排除にかかる。恐ろしいことにこれは都市の防犯活動ですらない。
捕まれば悲惨なものだ。コンテナに仕舞うため、手足を引きちぎられてコンパクトにされる。ここで死んでいなくともそのまま運ばれて、再生プラントに放り込まれれば生きたまま溶かされることとなる。遺跡に遺体が残らないのはこれが理由だ。
武装はないため排除は容易い相手だが、あれを壊せば今度はセキュリティロボットが姿を現す。先の研究施設では三体だけで済んだが、街規模の遺跡には千単位でセキュリティロボットが配備されていることも珍しくない。この都市の規模なら————考えたくもない。相手にするのは現実的ではない。
作業ロボットがセンサーを使って辺りを見回しながら進んでくる。恐らく視覚情報を主にしたセンサーしか積んでいないはずだ。じっとしていればやり過ごせるだろう。
センサーに鏡が捉えれる前にしまいこみ、ラハトライフルを抱えて縮こまる。
『——————』『——————』『——————』
ゴミが落ちてないことを確認してヤツらは次のエリアへ滑るように去っていった。
安心して、大きく嘆息する。
流石に今日は疲れた。適当なビルに入って、キャンプするとしよう…………。
+ + + + + + + + +
ジオフロントに潜って、四日目。ようやく最下層の二〇階層に到達した。
思っていたより順調に侵入できた。やはり案内があるだけで違う。これがなかったら一人でここまで踏破することは叶わなかっただろう。未知なるものの発見だ。手柄は独り占めしたい。
二〇階層の天井付近の足場から見下ろす。
予め知ってはいたが、最下層は思っていたより建造物が少ない。工業区の心臓部である発電施設とその電力を優先的に供給してもらうことを目的にしたと思われる施設が点々としているだけだ。
街の電源が生きていた通り、発電施設は数千年もの間、問題なく運転を続けているようだ。これだけの規模の電力を賄えているのだ。この最下層まで探索が進み、管理システムを制圧することができれば、ここは新たな現代文明の拠点になることだろう。もっとも、その管理システムの制圧に何年かかるか判ったものではない。疲れを知らないロボット軍団の籠城を攻略せんとする軍人さんたちは大変だ。国のためにご苦労さまだ。
地上部に降り立つ。やはり人の気配はなく、上層に残っていた先客の痕跡もない静寂の世界。足跡一つない真っ白な道。住人は機械の手足だけ。ここは地下深くの死の国だ。
目的の区画に辿り着いた。
外観からは一見なんの施設か判らない。近くで見ると思っていたよりその敷地は広く、縦にも横にも延々と白い壁面が続いている。
巨大な病院に見えなくもないが、地図には隔離施設とだけある。相変わらずガンエデンとやらの正体は掴めない。
遺物の情報端末を起動して、施設内の地図を呼び起こす。まずは中央コントロールルームへ向かい、そこで情報を得ることにしよう。
セキュリティがあると思われるエントランスは避け、比較的大きなガラス窓に近づく。窓に仕掛けられたセンサーを無効化してガラスを工具で切り抜いた。
施設の中へ侵入する。
「————うわぁ」
思わず、声が漏れてしまった。
侵入したその部屋は、白かった。間抜けだがそう答えるしかない空間だった。天井から壁、床まで白で染まっている。備え付けられたデスクと椅子さえも同じ白だ。
何者も寄せつけない白。それは清潔感でも、潔癖の意志を表したものではない。異物を浮かべあげる白。この世界で、今、私は間違いなく異分子なのだ。
なにか恐ろしいものを見てしまった気がする。思わず背筋が震えた。
忍びこんだ部屋を出るとその先も白く磨かれた通路が続いていた。同じように真っ白だ。すごく不気味だ。足を踏み入れていはいけない場所とはこのことを言うのだろう。
————ウィィィーン。
間近であの静音モーターの音を聞いた。
震えた背筋が今度は凍りつく。
恐ろしく近い。素早く通路の前後を見渡す。しかし、白の世界には自分以外の異物はいない。
————いや、頭上だ!
見上げると不自然に歪んだ影が天井に貼りついていた。
やられた。光学迷彩だ。それを搭載した機種のほとんどが軍事施設に配備される傾向があるのに、まさかこんなところにいるだなんて思わなかった。
すぐにリュックを捨てて身軽になり、その場から跳ね飛んだ。さっきまで立っていた場所に影が音もなく降り立つ。高性能のショックアブゾーバーが採用されていることが判った。
光学迷彩が解かれる。現れたのは、身長約二メートルの銀の人型。
人の形をしていながら人外のツルツルとした曲面装甲。腕部が妙に長い。だらんと伸びたそれは床に届きそうだ。
頭部中央に集中する複眼————多目的センサーが赤く輝く。それは間違いなく、私の姿を捉えている。
先の遺跡で遭遇したものの同胞。侵入者を排除するセキュリティロボットだ。あれも管理システムのコアユニットが制御している。
慣れ親しんだ生命の危機。心臓は早鐘を打ち鳴らし、全身にラハト張り巡らせる。鋭敏になった感覚と広がる視界が時間の流れを遅滞させる。
「————っ!」
小さく息を吐き出しながら、ラハトライフルの安全装置を外した。
先手必勝だ。ラハトライフルの引き金を絞る。それは装備者のラハトを喰らい、銃口から無慈悲な暴力を吐き出した。
ラハトを圧縮して放たれた光弾の雨が人型に降り注ぐ。光弾は頭部と胸部に直撃し、その体躯をよろめかした。
このまま畳み掛ける。ラハト供給量のメモリを操作し、最大火力へ。胸部へ狙いを定め、一斉掃射した。光弾は激しく装甲を叩き、何発かがその厚い装甲を貫通する。
銀のロボットは膝をついて、動きを止めた。その様子を冷静に見極めながら引き金を絞り続ける。しばらく光弾を浴び続けたロボットはそのまま崩れ落ちた。
「よし」
ロボットが沈黙したことを確認したあとも銃口は下ろさない。すぐに辺りを警戒。次に迫るセキュリティロボットに備える。
「…………?」
しかし、それが訪れる気配はなかった。静音モーターでも強化した聴覚なら間違いなく聞き取れるはずだ。あまりにも静かすぎる。思わず首を傾げてしまう。
これだけの規模の施設で、尚且つ光学迷彩を採用した軍用タイプを配備しておいて、後続が現れないのは不自然極まりない。
「あれ? 警報も鳴ってないや…………?」
セキュリティロボットに発見された時点で鳴り響くはずの警報の音もない。
どうも様子がおかしい。管理システムはなにをやっているんだ?
————いや待て。もしかして。
「ここのセキュリティ、管理システムから独立してるうえで死んでる…………?」
管理システムとは独立したセキュリティならこの状況に説明がつく。同じ街の中とはいえ、独立した別のシステムを管理システムがメンテナンスすることはまずないと言われている。メンテナンスもされない機械が数千年も経てば壊れてしまうのは道理だ。出会したこの銀のロボットだけが唯一の生き残りだったのだろう。
しかし、それも不自然な話ではある。独立したシステムで運用していたのは恐らく機密保持の類だろうけれど、そのシステムの保全方法はどうなっていたのだろうか。まさか人力? 機密保持しないといけないのに人を投入するなんてそんな馬鹿な話ある? …………詳しく調べてみないとなんとも言えないけど、事実としてセキュリティはその機能を失っている。
となると、この探索は一気に楽になった。セキュリティに怯えることなく、悠々自適に施設の深層へ迎えるのだから。
リュックを拾い、先へ進むことを再開する。足取りはとても軽くなっていた。
中央コントロールルーム前まで辿り着く。
電源が生きているため流石に扉はロックされていた。入室者を見分けているであろう認証パネルを分解し、自前の解析用情報端末と接続する。解析ソフトを走らせて、ロックを解除した。
部屋へ踏み入れる。ここもまた不気味な白さを誇っている。規則正しく並べられた端末機の筐体ですら不気味だ。生理的嫌悪感を覚える。本当になんの隔離施設なのだろう。まさかガンエデンとかいうのはバイオ兵器の類なのでは…………不安になってしまう。いらないよ、大量殺戮兵器なんか。
端末機の一つを起動する。扉のロックと違ってこちらは生体認証を突破する必要がある。手持ちの情報端末の演算能力では時間がかかるだろう。解析ソフトを走らせて、今夜はここで一泊だろうか。
「…………んんん?」
一向に立ち上がる気配がない。普通なら瞬く間に立ち上がるはずだ。
故障だろうか。いや、電源は生きているし…………もしかして、これは…………となると————
他の端末機も起動してみるが、皆同じ状態だった。これはもう間違いない。これらは初期化されている。
遺跡ではよくある話だ。情報管理の一環でこういった処理がされていることは珍しくない。セキュリティが死んでいた理由はこれも要因かもしれない。
もっとも、ここで諦めるわけではない。サルベージを試みる。情報端末を接続して、今度は復元ソフトを走らせる。
————データのほとんどが完全に抹消されていて復元は不可能の状態だ。
復元できたのは諸手続きの書類データのいくつかとと手元にある施設内の地図と同じ施設の構造図だけだった。どうやらお目当ての品は施設内を虱潰しに探すしかないようである。
「おや?」
ふと、違和感に気づく。
手にしている地図と端末機に表示された地図の一部が異なっている。端末機に表示された地図は明らかに一部の区画が記されていなかった。
「————隠し部屋だ」
意図的に隔離された、ネットワークから遮断された空間がある。
手にしている地図にはそれが記されている。間違いない。本命はそこだ。
ガンエデンは、そこに眠っている。
そこは、更に地下へと繋がるエレベーターだった。
先と同じ手順で認証を突破して中へ。監視カメラがこちらのことを覗いていたが、セキュリティは死んでいる。気にすることはない。パネルを操作してエレベーターを起動した。
「…………」
思わず、頬を掻いた。
このエレベーターもやはり白で磨かれている。これは異常な空間だ。真っ白な世界に自分という異物だけが浮いている。
ここはただ白いのではない。これは警告の色なのだ。真っ白な世界に他の色は必要ないと言っている。だから光学迷彩なんて搭載したロボットがいたのだ。
エレベーターはさっきから延々と降っているはずなのに、まるでたどり着く気配がない。地下一〇キロメートルより深く、より深くへと降っていく。
古くから地底深くは死者の領域だと謡われている。ガンエデンとはもしかすると黄泉の国ことなのではないだろうか。そんな間抜けな思考が過ぎった。
「どうかしてる」
お宝の目の前だ。気が立っているのだろう。私もまだまだ未熟者だ。無事に帰還するまでが探索だと言うのに。
エレベーターはそれから五分の時間をかけて、目的地へたどり着いた。
開かれた先は、長い一本の通路と閉ざされた扉が一つだけ。ひと目見ただけで厳重な隔壁だと判る。
リュックを降ろし、早速作業に取りかかる。情報端末を接続して解析ソフトを走らせる。
しばらく待っているとエラーが吐き出された。もう一度実行するがやはりエラーになってしまう。どうやらセキュリティレベルが違うらしい。どうにも、手持ちのソフトでは解析は叶わないようだ。
困ったことになった。鍵が開かなければどうやっても先へは進めない。
「これプロトコルが違うのかな。厄介な」
時間をかければ突破できるかもしれないがそれは難しい話だ。手持ちの食料は帰還のことを考えるとどう考えても足りないし、あったとしても精神と身体は加速度的に疲弊していく。そんな状態で探索を続けるのは自殺行為でしかない。
なんとかならないか知恵を絞ってみる。
「マシンパワーはさっきの端末機バラしてもってくれば…………いやダメだダメだ。ソフトを用意するにはどう考えても数日かかる。時間が足らない。ああ、クソ。こんなことなら最新のAIユニット買っておけばよかった。アレがあれば全然違うのに…………」
仕方がない。できる限りの情報を回収して新しい解析ソフトを作るしかない。
行って帰ったうえで数日間の缶詰作業が待っているかと思うと気が滅入るけれど、確実な手だ。なに、こんな状態だ。抜け駆けの心配はないだろう。
ふと、遺物の情報端末を手に取る。
そう言えば、これも未発見のもので知らない仕様の代物だった。必要だったから修復したが、特別性能が秀でているわけではない。私の携帯端末の方がよほど高性能だ。
新品に入れ替えた筐体が輝いている。自分はまだまだ現役だと主張している。俺はやる時はやれるヤツなんだ。そう叫んでいる。
「…………」
いやいや、そんなまさか。
あのゴミのような意識で管理されていた代物だぞ。冗談じゃない。
これは重要な端末ではなく、ただの私物だ。古代人の生活感溢れる貴重な考古学的資料だ。
「…………てい」
魔が差してしまった。
情報端末を認証パネルにかざす。
軽快な電子音。情報端末に埋めこまれたチップを読みこんで認証が確認された。
『認証を確認しました。隔壁を開放します』
事実を伝えるアナウンスが無慈悲に心へ突き刺さった。
「うっそだろぉぉぉぉぉぉ————————⁉」
遺跡に潜ってから顔は洗えていないが、残念ながら夢ではない。
信じられないことだが、事実を受け止めるしかない。この遺物は重要機密だったのだ。
「…………うん、シュナイダー教授に誰か紹介してもらおう。真面目に考古学勉強した方がいいや」
新しい課題を胸に抱きながら扉へ意識を向ける。アナウンスはあったが、未だ開放されていない。
しかし、扉の向こうから唸るような機械音が聞こえてくる。どうやら隔壁は何層もあるようだ。この様子だとあと数分はかかりそうである。
そんな時だった。なにか物音が聞こえた気がして、後ろを振り向いた。
————エレベーターが、稼働している。
戦慄が走る。
間違いない。今まさに生命の危機に立たされていると頭の中で警鐘が鳴り響く。
作業のため、床に放っておいたラハトライフルを手に取り、素早く動作を確認する。
ラハト器官を活性化させ、全身にラハトを張り巡らせる。鋭敏になった感覚と広がる視界が時間の流れを遅滞させる。
銃口をエレベーターへ向ける。
静かに息を取りこんで、吐き出した。
「————来るなら、来い」
エレベーターが到着して、その白い扉が開かれる。
現れたのは、二メートルの銀の人外。曲面を描いたツルツルとした装甲に、複眼のセンサーが赤く灯っている。
さっきと同じ個体だ。胸部は激しく損傷しているのに、その歩みは止まることを知らない。歩みに合わせて長い腕部が大きく揺らぐ。
ここは通路の一本道。退路はない。今度こそ破壊するしかない。
やはり先手必勝。ラハトライフルを掃射する。当然火力は最大。光弾の暴力が再び銀の人外へ降り注ぐ。
しかし、ロボットはさっきと打って変わり、人と同じ形とは思えない機動でこれを掻い潜る。軽快に床を蹴り、天井から壁、壁から床とくるくると駆け巡る。ぐわんぐわんと二メートルの体躯を揺らす気持ち悪い挙動を見せつけて、迫り来る。
「コイツ————!」
遅滞しているはず時間の中で、人外は目に追えない早さで踊り狂う。先手必勝の攻撃は意味を成さず、あっという間に肉薄された。
ロボットの長い左腕が鞭のようにしなる。目的を果たすため、都合の良く造られたからくりが死の形を体現する。その動きはやはり追い切れない速度だったが、反射的にその場から飛び退くことができた。
ぐしゃり、と。白の床が陥没した。その威力は人の身には間違いなく致命的だ。あの腕は死神の鎌のそれだ。
こちらは必死に銃口を向けるが意味を成さない。ロボットはこの距離の銃撃ですらその人外の振る舞いで嗤っている。
長い右腕が振るわれる。屈んで避ける。白の壁面が叩き割れた。撒き散らされる破片もやはり白。どれだけ白なんだここは。
「このっ————!」
ラハトライフルでは捉え切れない。
この間合いでもまともに当てることができない。集中した火力でなければ装甲を貫通することができない。
————ならば、より懐に飛びこむしか選択肢はない。
左足を大きく踏み出す。そしてそれは、獲物を撃ち貫く弩となる。
全身の血管を伝ってラハトが張り渡る。次の瞬間、左足を軸にした弩は、右足という破砕の矢を解き放った。
————ガギンッ!
矢は、銀の人外に見事命中した。金属と金属がぶつかり合う悲鳴。右足の踵が火花を散らせて、ロボットの左脚を歪ませている。
確かな手応え。ウェイトは明らかに負けているがダメージは与えられることが————いや、待て。
なぜ、命中した?
私は敵の動きを捉えるため踏みこんだ。そして、それは叶った。
でも、それはおかしい。目で追い切れない早さを見せつけたのはロボットの方だ。
銃の狙いから逃げられるような輩がこの攻撃をまともにもらうわけが————
マズい。誘われた。
すぐさま右足を引き抜き、体勢を立て直すがなにもかもが手遅れだ。遅滞する時間の流れの中でロボットの右腕が持ち上がるのを見た。
いくら強化した身体でもあれから逃れるほど早く動くことは叶わない。加速した意識はそれを指をくわえて見過ごすしかない。
持ち上がった右腕が割けるように展開し、ひどい凶器を見せつけた。
金属の花だ。鋭利な花弁で何層もある刃の花。
似たものを知っている。あれは、食材を刻むミキサーの刃だ。それはつまり、標的を精肉することを教えてくれている。
刃の花が悲鳴を上げる。肉はどこだ、と嗤う。
人外の複眼が私の顔を覗いた。
————お客さま。挽き肉はどれだけご所望ですか?
人外の職人がその腕を振るう。
悲鳴を上げる刃が、防護ジャケットごと私の左肩を貫いた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ————————っ‼」
想像を絶する激痛が全身を駆け巡る。頭の中で火花が爆ぜた。
鮮血が吹き出し、新鮮な肉片が真っ白な床に赤のまだらを描いていく。
「っ————舐めるなぁ‼」
痛みに折れることなく、踏み留まる。肉薄できたのはこちらも同じなんだ。今度こそ外さない。
反撃の時。銃口を胸部装甲に押しつけ、引き金を絞る。零距離で光弾が叩きこまれた。
しかし、ロボットは止まらない。確かに光弾は貫通しているはずなのに。
人外の職人が鮮血で濡れ、嗤う。今日の特売品を捌いていく。
刃の花が血脂で曇りながら、次々と私の肉を削いでいく。血が失われていく。
ロボットの左腕がラハトライフルをはたき落とす。銃身はひしゃげ、使いものにならなくなった。これで残っている武器はサバイバルナイフと切り札だけ。
激痛で処理速度が落ち、遅滞した時間が加速を始める。それを必死に引き止めながら残された手段を演算する。
ロボットの右腕が身体を捕らえている今、逃げることは叶わない。
残った武器は————サバイバルナイフは論外。
切り札は————可能性はある。
装甲自体は私の蹴りで歪むくらいだ。威力の心配は————逆の意味である。これが、私を巻きこんでしまう心配だ。
切り札に巻きこまれたら、間違いなく死ぬ。無惨な死体に成り果てる。
そもそも、これは本当に通用するのだろうか。ロボットがラハトライフルのゼロ距離射撃耐えたのはなぜだ————そこに動力源がなかったからだ。
これが軍用タイプだということを失念していた。動力源が別の箇所にあるパターンを想定するべきだった。出会した時のあれはメンテナンス不足が引き起こした機能不全だったのだ。
つまるところ、現状で敵の弱点が判らない。弱点を突くことができなければ削り合うしかない。そうなった場合、圧倒的に有利なのは当然のこと機械の方だ。そして今、大きく削られてしまっているのは私の方で切り札を切っても、勝てる見こみは————ない。
私は、死ぬ。
それならば。
死んでしまうのであれば。
左肩を精肉されてしまい、左腕はもう動かない。残った右腕は切り札ではなく、後ろ腰のプラスチック爆弾とその信管を引き抜いた。
丁寧に設置する猶予はない。勢いのまま胸部めがけて粘土状の爆弾を叩きつけ、指で信管を押さえつける。だが、片手だけで起爆スイッチを配線する余裕はない。
————イメージする。この手からは、稲妻が走る。
思い描いたその意志を叶えるため、心臓から濃密なラハトが吐き出される。
次の瞬間、右手から電流が迸った。
爆轟。
身体は弾き飛ばされ、後ろの扉に強く叩きつけられた。
信じられないことに意識がある。最早、痛みは感じられない。身体はまともに動かなかったが視界はロボットを捉える位置にあった。
ロボットはバラバラになって床に散らばっていた。銀の人外は今度こそ破壊された。それなのに私がまだ生きていることはとても不思議なことだった。爆発の瞬間、無意識に肉体を強化したのかもしれない。火事場ではラハトでこんなに頑丈になれるのか。知らなかった。
正直なところ、それは焼け石に水だ。
右腕を見下ろす。右手は跡形もなく消し飛び、ぐしゃぐしゃになった肉と骨が露出している。視界が欠けているのも片方の眼球が弾けているからだと察した。身体がまともに動く気配がないのは痛みで麻痺しているだけではない。全身の骨が砕け、内臓が損傷しているのだろう。左肩からは未だどくどくと鮮血が溢れ、床を赤く染めている。
自分は、すぐに死を迎えるだろう。
意外と湧き上がる感情はない。こんな生業だ。心のどこかで整理はついていたのだろう。
両親の顔が思い浮かぶ。最後に連絡を取ったのはいつだっただろう。こんなに早死するならもっと孝行しておけばよかった。私はろくでなしだ。申し訳ない。
唐突に身体が後ろに倒れこんだ。寄りかかっていた扉が開放されたのだ。どうやら今更隔壁がなくなったらしい。あんなに唸るような音をしていたのに。まったく気がつかなかったのは鼓膜が破れて、音が聞こえなくなっているからだ。
「————ぁ————っ」
呼吸が上手くできない。音は聞こえないが、空気が漏れるのを感じる。今、ヒューヒューと息を漏らしているのではないだろうか。滑稽だが面白くもない。
そうだ。面白くない。
このまま、死んでしまうのは、面白くない。
さっきまで感じることのなかった感情が湧き上がってくる。
死ぬことは避けられない。
でも。それでも、まだ。
死に方は選べるはずだ。
精神を集中する。身体がまともに動かないなら、無理やり動かせばいい。ラハト器官に最期の仕事を告げる。残り短い時間で失血し、その機能が失われない内に鞭を入れる。
イメージするのは昆虫のような外骨格だ。ラハトの膜で身体を包みこむ。身体が言うことを聞かないのなら外から動かすしかない。まるで初めての試みだが、やれることはやってみよう。
「————っ!」
立ち上がることは叶わなかった。無理もない。外骨格の動かし方なんて判らないのだ。
それならば、腕だけならどうだろう。————なんとか動かせる。これなら。
「はっ————」
腕だけで身体を起こす。どうやら這うくらいならできそうだ。
死に体のミミズのように身体を這わせ、開放された扉の奥へ進む。
いやに先が長い。外界を遮断していた隔壁の多さを物語っている。
白の不気味さも相まって、まるで、決して開けてはならない禁断の箱のよう。
その白い道行きを、自分の赤で染めながら進むとやはり白い空間に辿り着いた。
あまり広くはない。無菌室を思わせるような空間で白が更に際立っている。中心には大型のカプセルがぽつんと鎮座していた。カプセルの側には操作端末らしきものが備わっている。
操作端末を這い上がる。一度みっともなく崩れ落ちたが、心折れることなく這い上がった。
視界が霞む。限界は近い。
念動力を使って左手で操作端末に触れる。
霞む意識が辛うじて表示された文字を読み取る。
『生体認証の登録を————』
それ以上は、もう、読み取れなかった。
血塗られた手が端末の上を滑り、意識が闇に落ちていくのを感じた。