悪魔の取引
レリックハンター協会 タリ連邦支部 第一応接室
日々命懸けで遺物を集めるレリックハンターは変わり者が多い。いや、変わり者しかいない印象がある。
国がさじを投げる危険な作業————遺跡探索を一手に引き受けてくれることには感謝している。彼らは懸命に成果物を持ち帰り、我が国に貢献してくれている。彼らの存在は我が国の貴重な労働資源と言えるだろう。
それでもあえて言わせてもらおう。彼らは正気じゃない。
確かに、遺跡探索で得られる成果物はものによっては一攫千金を国が約束している。それでも命懸け————いや、命賭けしてまでやる仕事だろうか。
古代文明の遺物は多くがロストテクノロジーだ。どんな代物でも利用価値がある。ただの電化製品でもその高度な技術力を解明すれば、新たな工業製品あるいは強力な兵器にすらなり得る可能性を秘めている。
だから国はその働きに応え、遺跡から発掘された成果物の所有権の半分を彼らに与え、その権利を国が買い取って労っている。その額は些細な物でも数千イヴケセフになる場合もある。些細なもの一つで普通の会社員の数倍は稼げるのだ。それが複数となれば間違いなく儲かっていると言えるだろう。一山当てて老後まで困らない稼ぎをした者も珍しくない。すごく魅力的な話だ。
だが、重ねて言おう。命を賭けるほどの仕事だろうか。
遺跡探索という事業は国がさじを投げている。それは、我が国だけではない。他の国々のほとんどが投げ捨てている。
それは何故か————遺跡に潜ったほとんどの者が命を落とすからだ。
近年だと、あの無駄にプライドと軍事力の高いノーザラタ王国が陸軍精鋭の一個小隊を遺跡探索に派遣したところたった数人しか生還しなかった話は有名だ。
一個小隊というと約三〇人以上だ。遺跡探索は単純な数だけでは踏破できないのだ。
生き残るためには遺跡のことを熟知し、高い専門技術を身につけていなければならない。それを体現したのがレリックハンターだ。
なのだが、では彼らの生還率がどの程度かと言えば…………七割といったところだろうか。全滅に比べればはるかに高い数字と言えるだろう。だが、残った三割の死という可能性はどれだけの価値で図れるのだろう。
約三分の一の確率で死ぬ仕事をこなすため、軍人のように屈強な身体に鍛えあげ、学者のように膨大な知識を蓄えなければならない。正直な話、そんな努力をしてまで命を賭けるのなら自分のように官僚のエリートコースを歩む方がよほど効率的に稼げるだろう。ラハト至上主義のこの社会————ラハトスキルに長けていれば尚更だ。身体能力に長けて身体強化もできるのなら立派なアスリートとして成功するだろう。学者になれるような学力と思考加速ができるならどこの大企業でも働けるだろう。生活に困ることはまずありえない。
だから自分は理解できない。こんなことに命を賭ける価値はあるのかと。
結論として、自分には計り知れない何かがある。命を賭ける魅力があるのだろう。
そうとしか言えない。説明がつかない。
自分には、彼らが得体の知れないなにかに命と才能を賭けて生きる者たちだと、そう納得するしかなかった。
目の前の彼女もその一人。
銀髪の、動きやすさのためだろう。こざっぱりしたショートヘア。翡翠色の瞳は爛々と輝き、活き活きとしている。快活的な様子の少女だ。身長は一六〇センチくらいだろうか。特別体格に恵まれてるというわけではないが、半袖から覗いた引き締まった腕は正に冒険に挑むためのそれだと判る。
改めて、経歴書に目を通す。
リトス・アルギュロス。年齢は一九歳。ヴェルディナ共和国出身。レリックハンター歴は二年目を越えたところ。
活動期間の短さに反し、既に数々の遺跡を踏破している。回収した遺物、遺跡の調査結果の数はベテランに迫る勢いだ。正しく凄腕と言っていいだろう。いや、この若さでこの功績は異常と言うほうがしっくり来るかもしれない。
その当人はにこにこと笑みを浮かべている。とてもそうには見えない。
本当になんでこんな仕事をしているのだろう。絶対、他にも良い生き方が————いや、自分には理解できないことなのだ。考えるだけ無駄だ。今は自分の仕事をするだけだ。
目前のテーブルの上には、ビニールでパッケージされた携帯型情報端末————遺物が一つ。今回の商談の品だ。
「それでは商談に入らせていただきます。今回は————」
「この遺物、売ってください」
快活な、弾むような声で遮られた。
————今、なんと言った?
「…………ミス・アルギュロス? 今なんと仰いましたか?」
「ですから、この遺物の所有権、売ってください」
恐いくらい明るい声音。にこにこと笑みを浮かべている。
唖然とするしかなかった。今、間違いなく信じられないものを見ている。
目の前の彼女は命を賭けた成果物に対し、逆に金を払おうというのだ。そんなバカな話あるのか。
いや、冷静になれ。
自分と同じく驚きから正気を取り戻した遺物鑑定官に目を向ける。彼は頷いた。そうだ、やることは変わらない。
「この遺物は未発見の代物です。国としては譲れません。この遺物の価値は計り知れません。ですから報酬は高額をお約束————」
「いくらですか?」
声音は変わらないが身体を乗り出し、喰らいつく勢いだった。
なんだ。ただの駆け引きだったのか。
彼女は報酬を釣り上げたかっただけなのだ。
まんまとしてやられた。こんな意表をつく手法もあるのか。勉強になった。
遺物鑑定官が前に出た。鑑定結果の資料を提示する。
「先に交渉官殿が仰った通り、この型式の情報端末は未発見の代物です。報酬三〇〇万イヴケセフはお約束します」
「じゃあ、それで買います」
見事なものだ。
ここから釣り上げるとしても彼女は少なくとも一般人の生涯年収相当を稼いだことになる。
————待て。今、なんと言った?
遺物鑑定官も固まっている。
そんなこちらの様子を見て、彼女はにこやかに言い放った。
「もちろん、即金で」
「い、いや、ちょ、ちょっと待ってください」
「その金額なら私は買いますよ」
いや、そうではない。だからなんだ、その釣り上げ方は⁉︎
こちらが買い上げなければ損するのはそっちなんだぞ⁉︎
「で、では、三三〇万————」
「買います」
「三五〇————」
「買います」
「四〇〇————」
「買います」
「よ、四五〇万」
「買います」
「ご、五〇〇万————」
「買います。いやぁ、釣り上げるの上手いですね。参っちゃうなぁ」
な、なにを言っているんだ、この女は⁉ その台詞はこちらのもののはずだ。あべこべになってしまっている。
この金額でまだ足りないというのか。レリックハンターの求める魅力とはその実、金しかないのか————?
自分はなんのためこの場にいるのだろう。そう交渉だ。自分にはこの遺物を手に入れるという仕事でこの場にいるのだ。自分の仕事をしなければ。
「ミス・アルギュロス、貴方の目的はなんですか? 我々を困らせたいだけなら止めていただきたい」
彼女は特に考えるそぶりもなく、口を開いた。
「ただ、欲しいだけですよ。正確に言わせてもらうなら私が欲してるのはその中身もですが」
その言葉に遺物鑑定官がびくりと反応した。彼女はその様子をにこやかな笑みで応えた。
古代文明が遺した情報端末。
探索レポートには目を通した。なんでも厳重な管理下で保管されていたものだという。
確かに、そんな代物に秘められた情報が無価値なはずはない。だが、価値があるものかも証明できない。何故なら————
「この遺物は故障しているのですよ?」
そう壊れている。この遺物はうんともすんとも言わないガラクタなのだ。
修理できる目処も立っていないし、当然中に入っている情報が生きている保証はない。
事前の打ち合わせで遺物鑑定官もそこの真偽については自信がなさそうだった。情報をサルベージできる可能性はあるが、何しろ未発見の代物だ。解析は困難を極めるだろう。だからそこに金を払うまでの価値があるのか判らないという。ならば、この遺物の価値はロストテクノロジーの塊としてだけ扱おう。そういう取り決めだった。それをこの少女は覆そうという。
「故障の有無は関係ありません。その価値は私が決めることです。どうやら貴方方は中身の価値まで計ってはくれていないようですが」
「それは保証しかねる内容ですから。ですが、それを考慮しても十分な金額のはずです」
「ですから、それをお支払いすると言ってるんです」
話は平行線。
自分たちはあるかも判らないものには必要以上に金を払いたくはなく、未知のロストテクノロジーは見逃せない。
彼女はあるかも判らない情報に可能性を見出し、これ以上の額を引き出そうとしている。
仕方があるまい。予算を越えてしまうが追加の金額を————いや、もっと上手く言い含める方法は————
「そう言えば、さっき聞き捨てならないこと仰いましたね」
彼女は、今まで沈黙を貫いている協会の立会人に顔を向けた。
「『国としては譲れません』? それって協定違反ですよね。さも当然に所有権を主張するのはおかしくありませんか? 正規の手順を踏めば————つまり、この取引で売買が成立すればレリックハンターにも遺物の所有権利は認められるはずですが」
「…………その通りです。協定により所有権は、国家とレリックハンター両者に等しく与えられます。この商談において、ハンター・アルギュロスにも正当な購買する権利があります」
立会人は表情一つ変えずに淡々と事実だけを告げた。
しまった。あまりにもあり得ない発言でそんな失言をしていた。
でも、大きく間違った認識ではない。普通、レリックハンターは国から報酬を受けて生計を立てているのだ。その逆を、命を賭けてまで金を払う者がいるなんて————いや、待て。
まさか。
額を釣り上げるのが目的でなく、本気で遺物を買い上げようとしているのか?
彼女がこちらへ向き直る。
その快活とした様子が、狂気に感じた。
そして、気づいた。
自分が最もいけないことを言葉を口にしていることに。
だからあの時、彼女は勢いよく喰いついたのだ。あの時、既に主導権は完全に握られていたのだ。
「『この遺物の価値は計り知れません』でしたか。それが五〇〇万ですか。遺物の価値も、その中身の価値も、計り知れないってそんなものなんですか?」
彼女の声音と笑顔は崩れない。
それが今、悪魔のそれにしか見えなかった。
「あと、気になったから言わせてもらいますけど、報酬っていう認識改めた方がいいですよ。確かに私たちは遺跡を探索させてもらってやりくりしてますけど、この場は取引の場ですよね。私たちは貴方方のために成果を持ち帰ってるわけじゃありません。私たちは自分のために成果を持ち帰ってるんです。それは大抵お金に変わってしまうから報酬と思われるのは仕方ないとは思いますけど、それが絶対だとは思われたくはありません」
彼女は、ぱんっ、と合掌した。まるでこちらの止めを刺す宣言のようだった。
爛々と輝く翡翠色の狂気が覗いてくる。まるで魔性のようだ。
「ですから、売ってください。もちろんそちらが納得できる額まで釣り上げますし、私が納得できる額なら仕方ありませんが手放します。得体の知れないものに払えるご予算がどれだけあるか知りませんけど————さぁ、チキンレースを始めましょうか!」
きゃっきゃっ、と。楽しいゲーム大会が開催されたかのように陽気だ。
私にとっては、悪夢のやり取りの始まりだ。
遺物鑑定官は、おろおろした様子でこちらを窺っている。立会人は静観を貫いている。
胃が急激に具合が悪くなることを実感した。