〈動物好き〉スキルの令嬢が、婚約者に捨てられました
「クリスタ、今日でこの家を出ていってくれ。お前との婚約も白紙にさせてもらう」
私──クリスタは婚約者のディルク様から、とんでもないことを告げられていた。
「婚約も白紙……? つまり婚約破棄ということでしょうか?」
「そうだ」
「そ、そんな……っ! いきなり、どうして……」
「ふんっ。お前が我が公爵家にふさわしくないからに決まっているだろ。この役立たずが」
侮蔑を込めた目で、ディルク様が私を見てくる。
私が婚約しているディルク様は、公爵家の当主だ。
伯爵令嬢の私はディルク様にパーティーで見初められ、めでたく彼と婚約することになった。
愛がない婚約だった。
だけど貴族の婚約って、そういうものだと思ったから……。
私はディルク様を好きになるように努力した。
そこで私は婚前ではあったが、公爵家に住み込むことになった。
公爵家はとある理由から、私のような人間を求めていたのだ。
それは……。
「ここにはペットがたくさんいるからな。〈動物好き〉スキル持ちのお前は、ペットの世話係として最適だった。しかしふと思ったんだ。ペットの世話なんて、誰にでも出来る。お前じゃなくてもいいんじゃないか……って」
とディルク様は続けた。
この世界にはスキルと呼ばれる才能がある。
ディルク様の公爵家は代々、レアスキル持ちをたくさん輩出してきた一族だ。
ディルク様自身も〈剣豪〉というレアスキルの所持者なのである。
公爵家にとって、家の人間がレアスキルであることは必須。
アイデンティティーと言っても過言ではない。
私の〈動物好き〉スキルも今まで見たことのないものだったらしく、レアスキルの一つとして数えられることになった。
だが、レアスキルが全て有益なものではない。
中には『ただ珍しいだけで役に立たない』スキルもある。
私の〈動物好き〉スキルもその中の一つだった。
元々動物は大好きだったし、それにちなんだスキルを授かったのは嬉しいことだけど……いまいちこのスキルがなんなのか、私自身も分かっていない。
「確かに私のスキルは役に立たないものかもしれません。だけど私はこの家のペットに愛情を注いで……」
「ええい! 往生際が悪い!」
ドンッ!
ディルク様が拳を机に落とす。
「愛情を注いだからといって、なんなのだ! 愛など金にならん! それにそもそも僕はここで動物を飼っていることも、不満だったのだ!」
「それは公爵家で代々、大切に育ててきたペットだからだったのでは……?」
「そうだ。そのことが疑問だった。両親に聞いても、『お前がもっと成長したら教えてやる』としか言ってくれなかったしな」
私もその理由を知らない。
理由を知っている義父、義母は既に亡くなっているからだ。
両親を亡くしてディルク様が公爵家の当主になってから、屋敷の雰囲気はガラリと変わった。
ディルク様は公爵家──しいては公爵領をさらに発展させていきたいと考えていた。
そのため、無能の烙印を押された使用人は解雇され、優秀な人材だけが屋敷に残った。
私に対する当たりも日に日に酷くなっていき、今では休みなくペットのお世話をしている。
とはいえ、そのこと自体はあまり不満に思っていなかったりする。
動物のお世話をするのは楽しいからね。
「分かるな? 僕が公爵家になったからには、無能は全て切り捨てる。それが領地の発展にも繋がるのだから」
とディルク様は鼻で笑う。
「荷物をまとめて、さっさとこの家から出ていけ。役立たずに飯を食わせてやる義理はない」
「……分かりました」
私は拳をぎゅっと握りしめながら、そう言葉を絞り出す。
悔しかった。
しかしディルク様がこう言った時、よっぽどのことがない限り覆らないことは分かっていた。
元々愛がない婚約だったし、これ以上粘るだけ時間の無駄だ。実家にも迷惑がかかるかもしれない。
「では、最後に……犬のシロですが、一日五食与えてください。シロは食いしん坊ですから。あとは鳥のピーちゃんと馬のテイにも……」
「分かった分かった。部下に引き継いでおく」
「本当に分かっていますか……?」
「なにを言う。動物の面倒など、誰でも見れるだろう?」
ディルク様はそう吐き捨てる。
「そう簡単なものではありません。現に──」
「うるさいっ! お前の声を聞くのも不快だ! これ以上ごちゃごちゃ言うようなら、ペットごとあの世に送ってやるぞ!」
怒鳴り声を上げるディルク様。
ダメだ……。
ペットたちが気がかりだけど、このままでは彼が癇癪を起こしてなにをしでかすか分からない。
「せめてもの情けとして、実家に帰るための馬車は用意してやる。さっさと僕の前からいなくなれ」
「はい……」
私は動物たちに別れの言葉を告げられないまま、公爵家から追い出されてしまったのだ。
こうしてディルク様に捨てられた私は馬車に乗り、実家を目指していた。
「これからどうしよう」
それに実家に帰って婚約破棄させられたことを告げたら、両親はどんな顔をするだろう?
ディルク様と婚約する時、私の両親は大層喜んでくれた。
なのに一方的に捨てられたって言ったら……きっと悲しむ。怒るかもしれない。
両親のそんな顔は見たくなかった。
憂鬱とした気持ちを抱えつつ外の風景を眺めていると、馬車は森の中に入っていった。
この森の噂は聞いたことがある。
なんでも、怪奇現象がたびたび報告されているらしいのだ。
ゆえにここを不気味がって、進んで自分から入りたがる者は少なかった。
だから馬車が進む速度も上がり、一気に森を突っ切ろうとしていたみたいだけど……。
「え?」
急に馬車が停止する。
なにごとかと思って小窓から見える前方に視線を移すと、そこには可愛らしい子猫が道を防いでいた。
「どうして、猫がここに?」
子猫はどく気配がない。
だから馬車は気にせず、そのまま前に進もうとした。
結果的に猫を引いてしまう形になっても、仕方がないと思ったんだろう。そんなことより早くこの森を抜けたいと。
「待ってください」
だけどそんなことは私は許さない。
馬車の御者さんに一言そう告げ、私は外に出る。
「お、おい。ちょっと待て。あまり外に出るな。危険だ」
御者さんは制止してきたけど、意に介さず私は子猫に近づいて話しかけた。
「こんにちは。こんなところでなにをして──あっ」
その瞬間。
子猫はくるっと背を向け、走り出してしまった。
「ま、待って」
あとから振り返ると、別に追いかける必要はなかったと思う。
だけど何故だか胸騒ぎがした。ここで子猫を追いかけないと、後悔することになる……と。
しばらく追いかけていると、ようやく子猫は立ち止まってくれた。
「ふう……一体、なにが……って、え?」
振り返ると、先ほどまであった馬車が忽然と消えていた。
「どうして……?」
さっきの場所から、そんなに離れていないはずなのに……。
子猫を抱いて、さっきのところまで戻る。だけどやっぱり馬車は見当たらなかった。
「これが噂の怪奇現象……?」
ぞっとする。
もしかしたら、私はこのまま帰れないかもしれないと。
「た、大変! 早く森から出なくっちゃ!」
そう声を上げると、子猫をするっと私の胸から飛び降りた。
そして再び走り出してしまった。まるで私に抗議するかのようだ。
森から脱出しないといけない。
だけど方位磁石もろくに持っていないし、どっちの方向に歩き出していいのか分からない。
だから私は子猫を追いかけるしかなかった。子猫のことが気になるしね。
それにこういう時、動物が森の外まで導いてくれる──という童話を昔読んだことがある。
ちょっとメルヘンすぎるかもしれないけど、私はそれに賭けた。
子猫を追いかけていくと、森から出るどころかどんどん奥に向かっていく感覚があった。
もしかしたら私、このまま森から出れないんじゃ……。
不安が徐々に膨らむ。
やっぱり引き返そうか……と思い始めた時、開けた場所に出る。
一体ここは……と思うのも束の間。
大木に身を寄せるように一人の男性が倒れているのを発見した。
「くっ……俺もここまでか」
彼は苦悶の表情を浮かべていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
私はすかさず男性に駆け寄る。
子猫も男性も心配するように、彼の前で立ち止まる。
「き、君は……? 人間? どうして人間がここに?」
倒れている彼は怪訝そうな目で私を見る。そんな彼の物言いに、私は違和感を覚えた。
しかし違和感の正体を探るより、まずは目の前のことだ。
女の私から見ても、ビックリするくらい美しい男性だった。
彼はとても辛そうな表情はしていたけれど、外傷は見当たらない。
でも息が荒く、今にも死んでしまそうなくらいに顔色が悪かった。
「ど、どうされたのですか? 体調が悪いのですか?」
「俺のことは放っておいて……くれ。どうせ……もう俺はここで終わり……だ」
彼は鎮痛な面持ちを浮かべる。
「終わりだなんて言わないでくださいよ」
私はそっと彼の両手を握る。
「きっと大丈夫です。なにかあった時用のために、ポーションを一つだけ持っています。これで……」
と言いかけると、不思議な現象が起こる。
私が包み込むように握っている彼の両手。
そこを中心として淡い緑色の光が灯ったのだ。
「え?」
「この光は……っ!」
光はどんどんと広がっていき、やがて男性の体を包んだ。
正体不明の光。だけど不思議と恐怖はなかった。それどころか安心感を覚えるくらい。
やがて光は消え、男性は「そ、そんな、まさか……」と驚いたように目を見開いた。
「し、信じられない……体の毒気が完全に抜けている」
「毒気? 毒におかされていたのですか?」
「そういったところだ」
彼の顔色はすっかり良くなっている。
訳が分からないが、どうやら元気になったことは確かみたい。
「どうして毒が抜けたんでしょうか? まだポーションは使っていないのに……」
「俺の体を蝕んでいた毒は、どんなポーションを使っても治らない」
「だったら、なおさらどうして……」
「君のおかげだ」
そう言って、彼はぐいっと顔を近付ける。
キレイな顔が目の前まで迫ってきて、ドキドキした。
「す、すまん。怖がらせてしまったか?」
「い、いえ、大丈夫です。あなたがとてキレイなものですから、つい言葉を失ってしまっただけです」
「俺がキレイ……か。人間にそんなことを言われたのは初めてだぞ」
さっきから『人間』という部分を強調している気がする。
そのことに疑問を覚えていると、彼はさらにこう続ける。
「ありがとう。君のおかげで助かった。一体、どうやって礼を伝えれば……」
「でも私、なにもしていないんですが……」
せいぜい彼の手を握っただけだ。それで毒が抜けるなら、この世の医者は全員廃業である。
「人間にはスキルというものが備わっているんだろう? それが理由かもしれない。差し支えなければ、君のスキルを教えてくれないか?」
「は、はい。〈動物好き〉っていうスキルです」
「や、やはり! 君がそうだったんだ! ようやく見つけることが出来た!」
彼は興奮したように声を弾ませる。
???
たくさんの『?』が頭の中に浮かんでいる。
そんな私に言うように、ここまで導いてくれた子猫が「にゃー」と鳴いた。
「あの……色々と聞きたいことがあるんですが、まずはあなたは誰ですか? どうしてこんなところに?」
「ああ、すまない。名乗るのが遅れた。俺はアルバート。獣人だ」
獣人!
どうりで私が『人間』であることを強調するわけだよ。
見た目は完全に人間だけど、人間とは相容れない存在──それが獣人と呼ばれる種族だ。
どちらかというと、獣人は犬や猫などの動物に近しい存在。まあ人間も動物の一種じゃないかっていう気もするけど……そんな考えが教会にバレたら怒られるので、あまり言うことが出来ない。
そして獣人はこの国において差別対象で、彼らは森の中などでひっそりと暮らしているという。
だから私も獣人をこうして見るの初めてだった。
「そうだったんですね。私はクリスタ。馬車でこの森を通りがかるところだったんですが、その子猫ちゃんを追いかけているうちに道に迷って……あなたを見つけたというのが経緯です」
「そうか……こいつが。きっと俺を心配して、君をここに連れてきてくれたんだろう。ミケ、大手柄だな」
そう言って、彼──アルバートは子猫の頭を撫でる。
どうやら子猫はミケという名前らしい。ミケちゃんは彼に撫でられると、気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「質問ばかりで申し訳ないんですが、あなたが先ほど言った『ようやく見つけることが出来た』というのは? 私を探していたんですか?」
「そうだ。〈動物好き〉スキルを持っている人間をな」
……?
やっぱり分からない。
ディルク様から『役立たず』と呼ばれた〈動物好き〉スキルの人間を、アルバートが探す理由はないような気がした。
彼が全快した理由も説明が出来ない。
この時の私、さぞ不思議そうな顔をしていたんだろう。
アルバートは優しげな表情でこう口を動かす。
「いいか? 君のスキルは……」
◆ ◆
そして数ヶ月が経過して──。
ディルクの公爵家は大変なことになっていた。
「ま、また火事だと!? 先日の水害といい、どうしてこのような不運が立て続けに起こる!」
部下からの報告を聞き、ディルクはそう声を荒らげた。
「わ、私にも分かりかねます! しかし今も消防団が消火にあたっています! 消防団は増員を要求しています。どうしますか?」
「ええい! 増員だけるだけの余裕は、我が公爵領にはない! 要求を突き返せ!」
「で、ですが!」
「そもそも、そういった消防団の我儘を抑えるのがお前の役目じゃないのか? 先代からの付き合いで雇っていたが、もう限界だ。お前は今日をもってクビにする!」
「そ、そんな!」
「連れていけ」
ディルクの秘書を務めていた男が、使用人に肩を担がれて執務室から出ていく。
彼は最後まで「公爵様! 今一度、考え直してください!」と叫んでいたが、ディルクはそれに耳を傾けなかった。
誰もいなくなった執務室で、ディルクは溜息を吐く。
「一体全体なにが起こっているんだ!? クリスタを追い出してから、なにかがおかしい!」
クリスタを追い出して、公爵領はさらに発展していくはずだった。
しかし結果は逆だ。
まず領内では立て続けに火災や水害といった不運に見舞われていた。
事態を収束させるため人を派遣しているが、到底間に合っていない。
そのせいで公爵領の予算は常に火の車だ。
不運はそれだけではなかった。
ディルクのスキャンダルが新聞社にすっぱ抜かれたのだ。
彼はクリスタと婚約している頃から、多数の女たちと逢瀬を重ねていた。
中には無理やり事を済ませ、金で口止めした女どももいる。
悪い遊び方だった。
そんなディルクの下半身事情を、何人かの被害者女性が新聞社に売った。
結果的に公爵家の支持は急落。
昨今の火災や水害のこともあり、民衆の不満はいつ爆発してもおかしくない。
「今まで全て上手くいっていたのだ。それなのにどうして……ん?」
ディルクがそう呟くと、執務室に犬が入ってきた。
ペットのシロである。
「なんだ、犬か。俺は今、機嫌が悪いんだ。さっさと目の前から消え失せろ。叩かれたいのか?」
無論、相手は犬だ。言葉が通じるはずもない。それを承知した上で、ディルクはそう言い放った。
しかし。
『愚かな話だ。ここまできて、まだなにも気付いていないとはな』
「……!?」
急に喋りだした犬──シロに対してディルクは驚き、椅子から転げ落ちてしまった。
「しゃ、喋った!?」
『本来、このように喋るのは掟によって禁じられていたのだがな。しかしもう我慢の限界だ。これ以上は見てられん』
「禁じられて……? な、なにを言っている。お前はただの犬なんじゃ……」
『教えてやろう。我は神獣フェンリルだ』
シロは声の調子を変えずに言う。
「し、神獣!? そんなバカな!」
神獣とは神の使いと称される生き物である。
その能力は絶大で、神獣には神からの加護が与えられるという。
昔には神獣の加護によって発展し、大陸一の国に成り上がった例もある。
しかし神獣は警戒心が強く賢明で、人前に姿を現さない。
神獣ならば人語を操ってもおかしくはないが、どうしてただの犬だと思っていたものがフェンリルなのか。
ディルクは混乱した。
『今、公爵領が荒れているのは神獣の加護を失ったからだ』
ディルクがあわあわと口をパクパクさせているのを無視して、シロは一方的に話を続ける。
『まず、貴様はペットの鳥を捨てたな?』
「あ、ああ。確かピーちゃん? とクリスタは言っていただろうか。鳥なんて大して可愛くもなければ、役にも立たないからな。だから経費削減のために野に放った。公爵家には無駄なものは必要ないのだ」
『愚かすぎる。貴様が鳥だと思っていたものは、神獣のフェニックスだぞ?』
「な、なんだって!?」
ディルクが声を荒らげる。
『フェニックスは自然と再生の象徴だ。昨今、公爵領に火災や水害が頻繁に起こっているのは、フェニックスの加護を失ったからである。
そして貴様はフェニックスの加護を手放すどころか、怒りをかった。もし火災や水害が起こっても、再生の象徴たるフェニックスがいれば、すぐに沈静化していたものの……』
「そ、そんな……」
ディルクは言葉を失う。
シロの言っていることは信じられないことだ。
しかし現にシロは自らが神獣だと言い、なによりも喋っている。
そして不自然に起こり続ける公爵領の不運と照らし合わせると、シロの言っていることを信じざるを得なかった。
『そして次は貴様が馬だと思っていたもの。あれも神獣のユニコーンだ』
「ユ、ユニコーンだって!? 予算が足りなくなって、一ヶ月前に馬車小屋に売り払ってしまったが……」
『そうだ。そのユニコーンだ。ユニコーンは純潔さと高潔さの加護を持っている。貴様の女遍歴が世間に問いただされることになったのも、ユニコーンの加護を失ったからである。
知っているか? 貴様が二束三文の値段で売り払ったユニコーン。ユニコーンの加護を得た馬車小屋は大層繁盛しているらしいぞ? まあ貴様が知っているとは思っていないがな』
とシロは鼻で息をする。
「そ、即刻二匹とも連れ戻す! そうすれば再び公爵家は発展の道を……」
『もう遅い。貴様は話の本筋を理解していない。公爵家が神獣の加護を失った理由……それはクリスタを捨てたことから全てが始まった』
「ク、クリスタを……? あの役立たずのペットの世話係か。確かにクリスタはお前たちと距離が近かった」
とはいえ、クリスタが公爵家で飼っている動物たちを神獣と気付いている素振りはなかった。
本当に知らなかったのか……それとも、わざと隠していたのか。
ディルクには分からなかった。
「それがどうして……」
『彼女のスキルは類稀なるものだった。動物たち──そこには神獣も含まれるが──と心を通わせる能力。彼女の動物への愛は、我々動物にとって全てを癒す神の光である。そんな彼女がいたからこそ、現当主がバカでも、我々はここにいてやったのだ』
「な、なにを言っているんだ! クリスタのスキルは〈動物好き〉といって、そんな効果はない!」
『貴様が〈動物好き〉スキルの真価を理解していなかっただけだろう? それにスキルの名前というのは、時代によって変わることもある。実際、彼女のスキルは──』
そこまで言って、シロは首を横に振る。
『これ以上は時間の無駄だ。なんにせよ、クリスタはもうここにはいない。
クリスタがいなくなっても、先代に良くしてもらった義理はあった。だから我は最後までここに残ってやるつもりだった。
しかしもう我慢の限界だ。我も今日をもってここを出ていかせてもらおう』
「ま、待ってくれ! 話せば分かる!」
『話せば分かる? 貴様が今まで、我々にどんな仕打ちをしていたのか覚えていないのか? そしてクリスタに酷い仕打ちをしてきた貴様を、神獣は決して忘れない。
言っておくが……フェンリルは威厳と地位の加護を神から与えられている。我がいなくなった後は、公爵家の威厳と地位が失墜すると思うが……まあ我の知ったことではない』
「だから待てって言っているだろ!」
ディルクは立ち上がり、シロを追いかける。
しかしろくに運動もしていないためか、足が絡まってその場で転んでしまった。
視線を前に向けた時は、シロは煙のように姿を消してしまっていた。
「大変だ! すぐに連れ戻さなくては!」
神獣を連れ戻せば、公爵家は元の状態に戻る。ディルクはまだそう信じきっていた。
すぐさま使用人を呼び出し、今まで捨ててきた神獣を連れ戻すべく指示を出すが、ふとシロ(フェンリル)の言ったことを思い出す。
『この公爵家が神獣の加護を失った理由……それはクリスタを捨てたことから全てが始まった』
(そうだ……クリスタだ)
ディルクは自分のやったことを棚上げして、全ての責任をクリスタのせいにした。
(なんにせよ、クリスタがいなければ神獣たちは戻ってこないと言っていた。まずはクリスタを連れ戻すことが先か)
愚かな彼女のことだ。
きっともう一度婚約してやる! と言えば、涙を流して喜び戻ってくるだろう。
ディルクはニヤリと口角を吊り上げた。
そしてそこからさらに数ヶ月後。
公爵領はさらに酷い状態となっていた。
人口の流出が止まらず、公爵家の権威も失墜。
今ではディルク家の爵位取り下げの話もされていると聞く。
しかしディルクは勝利を確信していた。
ここまで長期間、クリスタの所在を探させていたが……それをようやく見つけ出すことが出来たのだ。
「ど、どうしてこんなところに!?」
だが、部下から上がってきた報告を見て、ディルクは驚きの声を上げることになった。
◆ ◆
私──クリスタの前では、かつての婚約者ディルク様が頭を下げていた。
「頼む! 戻ってきてくれ! 僕が悪かった。もう一度、婚約しよう!」
ディルク様がこんな姿を見るのは初めてだ。
だけどそれを見ても、私の心は揺れない。
「わざわざ、ここまで来てなにを言い出すかと思ったら……あなたはなにも変わっていないようですね。私はあなたのところに戻るつもりはありません」
「な、なんだと!? こっちが下手に出たら調子に乗りやがって!」
ディルク様が起こって、手を上げる。
咄嗟に私は目を瞑るけれど……次に襲いかかってくるであろう衝撃はなかった。
「俺の女に手を出すとは、大した度胸だ」
ディルク様の拳をアルバートが受け止めてくれたからだ。
アルバートは数ヶ月前、私が助けた獣人。
今では私の大切なお方。
「俺の女だと……?」
「そうだ」
「ふんっ、たかが獣人風情がなにを言っている。どうせお前もクリスタの〈動物好き〉が目当てなんだろう? お前は彼女にふさわしくない」
「はあ……なにを言い出すかと思えば」
アルバートは呆れたように溜息を吐いた。
「クリスタから話を聞いている。貴様は彼女のスキルを見誤った。今更、彼女のことが惜しくなっても、もう遅い」
「黙れ黙れ! 僕は公爵だぞ! ただの獣人のお前が口答えする権利はない! 失礼なことを言うな!」
「──あまり権威を持ち出すのは嫌いだったが、貴様がそういうつもりなら言ってやろう」
すうーっと息を吸い、アルバートはこう告げる。
「俺はアルバート。ここ獣人皇国の獣王だ。失礼なのは、どちらかな?」
彼の言葉を聞き、ディルク様は息を呑んだ。
──アルバートを助けてから。
私は彼に真実を聞いた。
一般的には存在をあまり知られていないが、獣人だけで構成されている国がある。
それが獣人皇国だ。
アルバートはそこの国王陛下──獣人皇国では『獣王』と呼ばれているらしい──であり、毒におかされた国を救うために、ある人間を探してきた。
それが〈動物好き〉のスキルを持つ女性。
昔は〈獣の聖女〉と呼ばれていたスキルらしい。
だけどいつしかスキルは名前を変え、現在のような形に落ち着いた。
私はこのスキルがなんなのか分かっていなかったけど、どうやら〈動物好き〉は動物と心を通わせ、その『愛』によってどんな病気や毒でも癒すことが出来るスキルらしい。
そして獣人皇国は三百年周期で、国中が毒で満たされてしまう。
疫病みたいなものなんだろう。
この毒は何故だか獣人だけ効く厄介なものらしく、現時点では治療法が見つかっていない。
しかしたった一つ、毒に有効な方法があった。
それが〈動物好き〉スキルの愛による治療だ。
私はアルバートに〈動物好き〉の真価を聞き、彼の頼みで獣人皇国に招待された。
そこでは獣人たちが毒によって苦しみ、地獄のような光景が広がっていた。
寝る間も惜しんで、私は彼らの治療にあたった。
とはいえ、私の言ったことは苦しんでいる人のところに行き、彼らの手を握ってあげるだけ。
そうするだけでアルバートを救った時みたいに緑色の光が灯り、それが消えた頃には毒がすっかり抜けているのだ。
獣人皇国にいる全員を癒した私は『英雄』として讃えられた。
盛大なパレードが行われた時はちょっと恥ずかしかったけどね。
そして落ち着いてきた頃、アルバートは言った。
『君がよかったら、これからも獣人皇国に住まないか? 無論、それ相応の待遇は俺が約束する』
……と。
実家にも帰りにくかったし、行くあてもなかった私はアルバートの申し出を受けた。
そしてアルバートや他の獣人たちと楽しく暮らしている中、急遽かつての婚約者ディルク様が来訪してきたということだった。
「お、お前が獣王……?」
「そうだ。貴様はたかが公爵風情だ。俺の顔を知らなくても仕方がないだろう」
さっきの意趣返しと言わんばかりに。
アルバートがそう吐き捨てた。
「……っ! しかしそんなの関係ない! 彼女は人間だ! お前ら獣人とは違うんだ。人間の国で暮らすのが、彼女の幸せなのでは?」
「……とこいつは言っているが、クリスタはどうだ?」
「いいえ」
一歩前に出て、ディルク様の顔を真っ直ぐ見つめる。
昔の弱かった頃の私とは違う。
それにこの男にはちゃんと言ってやらないと、分かってくれないだろうという確信があった。
「途方に暮れていた私を、アルバートは優しく受け入れてくれました。この国の人たちはみんな親切ですし、今更戻る必要はありません。それに……こんなに大好きな動物たちに囲まれて、暮らせるですもの。私の幸せはここにあります」
獣人皇国にはなにも、獣人だけが暮らしているわけではない。犬や猫などの動物もたくさんいるのだ。
最初に私をアルバートのところに連れていってくれた子猫のミケも、どうやら彼の使い魔的存在だったらしい。
さらには私がここに来てしばらくして、公爵家にいる頃に愛情を注いでいたペットも移住しにきてくれた。
フェニックスのピーちゃん。ユニコーンのテイ。フェンリルのシロだ。
もっとも、私がお世話をしていた動物がまさか神獣だとは思っていなかったけどね。
神獣たちが実は加護を授けていて、そのおかげで公爵領は発展してきたと聞かされた時は驚いたものだ。
ディルク様の両親がシロたちを大切に飼っていたのは、そういう理由があったのだ。
その加護も獣人皇国に移り、毒が治ったこともあって、この国はますます発展していった。
一方、ディルクがいる公爵領は神獣の加護を失い、すさまじい速度で衰退している……ってことも神獣たちから聞いた。
「だから……戻ってきてと言われても、今更もう遅い! です。お帰りください」
「な、生意気なことを言いやがってええええええ!」
ディルク様が再び私に殴りかかろうとしたが、控えていた騎士たちに取り押さえられた。
「クリスタ、このゴミをどうしたい?」
「もう顔も見たくありません。この国の土を二度と踏ませないようにしてください」
「クリスタは優しいな。それくらいで許してやるとは……君が言うなら、承知した」
アルバートがパチンと指を鳴らす。
すると転移の魔法陣が発動し、ディルク様が目の前から消えた。
きっと公爵領に戻っていったんだろう。
とはいえ、ディルク様の未来は明るくない。
最終的にディルクは領地衰退の責任を取らされ、爵位を取り下げられることになる可能性が高いだろう。
「一件落着だな」
「すみません。ディルク様とは一度、ちゃんとお話ししたかったんです。だからわざわざ招いてもらって……」
「いや、謝る必要はない。君の我儘くらい、何度でも叶えてやろう」
そう言って、アルバートは優しげな表情を浮かべる。
「それから……クリスタ。君に言うべきことがある」
「なんでしょうか?」
私がそう問いかけると、アルバートは片膝を突いた。
え? え?
なにごと?
混乱している私の一方、アルバートはこう口を動かす。
「クリスタ。俺の伴侶になってほしい。今回のことが一段落したら、言うつもりだったんだ。まだ出会って数ヶ月程度だが、出会った時から俺は恋に落ちていたかもしれない。
よかったら、俺の手を取ってくれないか?」
アルバートが右手を差し出す。
……は、伴侶!?
急に言われたものだから、頭の回転が追いつかないんですけど!
そういえばアルバート、さっきディルク様に向かって『俺の女』って言いましたね。
あの時はディルク様を叱るために言った言葉だと思っていましたが……もしかして、感情が先走ってしまったんだろうか?
どちらにせよ、私の返事は決まっている。
「……はい。私でよければ」
と私はアルバートの右手を握った。
顔を上げた時、彼は嬉しそうに笑っていた。
──〈動物好き〉スキルの令嬢が、婚約者に捨てられました。
彼女は愛する人を見つけ、可愛い動物たちに囲まれて、末長く幸せに暮らしましたとさ。
お読みいただき、ありがとうございました。
気に入っていただけましたら、【ブックマーク】や下記にある広告下の【☆☆☆☆☆】で評価していただけますと、執筆の励みになります。