(4)
「そうかな。そんな気がしたんだけどな。じゃあ、どこに行ったんだろ。捨てたのかな。もとの穴にもどしてやったような気はしないんだけどな。やっぱり、するする、って人さし指と親指のあいだをすりぬけて、がしゃがしゃ、ごとごと、電車みたいに体をゆらして一直線に太陽に飛んでったような。
もしかすると、ぼくを乗せて。
だって、ぼくは雲を頭の上に乗せて、山のてっぺんを見おろしていたと思う。優子ちゃんが歩いてた。手さげのかばんを右手でさげて、肩より少し下で、髪の毛のそろえた先を、右、左、ゆらしてた。丸太を横にしてならべた階段を、公園と神社につづく道をのぼってた。髪は黒いし、服は中学校みたいなスカート、ゆらゆるスカート、紺色シャツで、かばんは、たしか、大きなさいふみたいだった。だから、お葬式の赤ずきんちゃんみたいだった。それなら階段はマッチ棒か、あめ細工だろうし、目指しているのはおばあちゃんの家、暗い、しずかな、大きな口のなかの歯がぎらぎらしている、イグアナみたいな赤ずきんちゃんの優子ちゃんの死んだおばあちゃんの家で、おばあちゃんの死んだ体をひとりで焼くんだ。ひとりで、たき木を集めて、顔のしわがのびて灰色になった、ベッドの上のおばあちゃんの上に乗せて、どんどん乗せて、天井につくくらいがんばったときには、もう夕方だ。ひと息ついて、
「つかれた」
なんて、つぶやいた優子ちゃんに、
「おつかれさま」
って、おばあちゃんは言ったかもしれない。
「あ、おばあちゃん」
「こんなにたくさん、ありがとう」
「重くないの」
「大丈夫」
「死んでるから」
「死んでるからね」
「火をつけるけど、いいの」
「あなたが、そうしたいなら」
「なんか、してほしくないみたい」
「そんなことはない、早く燃やされて、灰になってしまいたいよ。どんどん、かたく、くさくなっていくもの。のどがかわいたって、水も飲めない。腰は痛いし、背中がみしみし言ってる。なにも見えない。昨日のことは覚えてるけど、おとといのことは分からない。なんにも、分からないの。どんどん、馬鹿になっていくの。あなたに、おしえてあげることがなくなって、話をするにも、とんちんかんなことを言ってしまいそうで、こわい。あなたに、おしえてもらわないといけないことになっちゃう。
太陽はどっちからのぼるんだったっけ」
「東」
「それは、どっち」
「おばあちゃん、いま寝てるじゃない」
「死んでるね」
「死んで、寝てるけど、右をむいたら窓があるじゃない」
「あった気がする」
「サボテンが枯れてる。まるいやつが、アイスクリームの紙のカップみたいなちいさい鉢に、すっぽり、おさまって、黄色っぽい茶色になって、ちょっとほこりをかぶってる。カーテンは、ビー玉くらいの大きさの赤いリボンと犬、チワワの顔が、縦、横、きちんと行儀よくかわりばんこに、朝礼みたいにならんでる。おばあちゃん、かわいいものとか、動物とか好きだったから、わたしといっしょに買いにいった」
「ああ。思い出した気がする」
「うそだけどね」
「ああ」
「わたしが誕生日にプレゼントしたやん」
「そうだったね」
「それも、うそだけど」
「ええ」
「本当は、カーテン、病院みたいなクリーム色だけどね」
「ああ、そうだった」
「サボテンもないけどね。ヒヤシンスがくさってるんだけどね」
「優子ちゃん」
「うう」
「どうしたの」
「泣いてんの。おばあちゃんが、どんどん、知らないばばあになっていく。見えないけど、たぶん、かたちも変わっていってるんだ。もう、やだ」
「焼いて」
「そうするけどさあ」
「そうして」
「なんか、なんか覚えてないの。わたし、いま、すごく思い出したことがあるんだけどな。それと同じこと、思い浮かべてくれたらいいんだけどな」
「だめだね。なんにもない。優子ちゃんはやさしい、いい子だって知ってる。それは、思い出じゃないから、知ってるよ。カブトムシとか、ひまわりの種とか、麻雀牌とか、えんぴつのおしりとか、砂浜の色ガラスとか、なんでも口に入れる子だったけど」
「そんなの幼稚園のときとかじゃん」
「そうなの。もう口に入れないの」
「うるさいな。食べれるものしか入れないわ」