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夏至物語  作者: 川光俊哉
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(3)

 ふたりは、本当になにも知らず、次の手がかりに思いあたるまでは、だから、なにも言えないのです。もう、男の子は、影のおっさん、男の子は巨大なインクの汚点みたいな、ロールシャッハの怪物に性別があって、年齢があって、性格、感情、ひょっとしたら忘れているだけで三十年とか五十年ぶんくらいの過去の経験、記憶もあるような気がして、おもしろい影のおっさん、と、心のなかで名づけて、実際、そう呼んでもいましたが、もう、男の子は、影のおっさんの影から足をあげて、大きな栗の木の下、つめたい縁石に腰かけていました。影のおっさんは、うなっていました。

「そういうおまえは、どうなんだ」

「どうって」

「あっちは、坂になっているんだろう」

「うん」

「わざわざ、坂をのぼって、ここを通ってどこへ行こうとしたんだ。この道はどこから、どこへつづいているんだ」

「ええとね」

「なにを笑っている」

「分かんない。うす暗くて見えないけど、となりにいるの」

「すわっている」

「あのね、ボランティア活動に行ったの。それで、忘れものを思い出して、トイレに行って、優子ちゃんがくしゃみして、靴がなくなってると思ったら、探そうと思って、優子ちゃんを探しに図書館に入った。そうしたら、海のほうに歩いた」

「ぜんぜん分からないな」

「ごめんなさい」

「だから、優子ちゃんを、おまえは探しているのか」

「そゆこと」

「どんな子」

「変な子だった」

「言いたくないのか」

「え。そんなことないけど」

「眠いのか」

「うん。ちょっと」

「優子ちゃんは、どんな子だ」

「同じ学校でね、ぼくは、今月から転校してきたんだけど、同じクラスで、めがねかけてて、髪はおかっぱみたいで、つやつやで、口が大きい、口唇はうすい、目も長くてうすくて、魚のおなかみたいにいつも光ってる。ネオンテトラみたい」

「青いのか」

「そんなことないけど」

「赤いのか」

「ぜんぜん」

「どんな目」

「だから、なんだか、色じゃなくて、ひとりぼっちの魚みたいなかたちをしてるってこと。目の色は、茶色か、灰色か、うすい黒、だから、石のネオンテトラ、それが二匹、むかいあってる。やせててね、笑わないし、息をしているのかもよく分からない。

 ぼくの家は、田んぼが家の前にあってね、裏には池がある。庭はテトラポッドみたいな石が積まれてて、壁になってるとこで終わってて、屋根より少し高い、クッキーかビスケットをならべたみたいで、そうだ、田んぼを縦にして、時間がとまって、化石になったみたいな、崖。そこから上が山で、ぼくは、赤いバッタとか、カニのこうらみたいな背中のコオロギとか、でかいカマキリ、ものさしみたいなトンボ、むらさきのちいさい宝石もたまに落ちてたし、金のつぶもよく見つけて集めてた。

 そこは、おばあちゃんの家で、ぼくのお父さんは船をつくったり、先生をやったりしてる。お母さんは、家の前の道をちょっと行ったところ、工場があって、川にぶつかって、橋を渡って、押しボタンの横断歩道のところで喫茶店をやってる。

 ぼくは、山に行って遊ぼうと思って、崖をのぼってた。いつも、そうする。おばあちゃんは、たまに、あぶないよ、って言う。暑くて、ちょっとつかれてたかもしれなくて、それは前の晩に漢字をいっぱい書いたから、耳、とか、鼻、とか、貝、とか、横と縦の棒で目がちかちかしてた、それで、なかなか上まで行けなかった。コンクリートの割れたところ、ムカデが出てきて、でも、ぼくはびっくりしなかった。ハチの頭みたいなのがのぞいてて、つまんでひっぱったら、じゅずの玉みたいに、じゃらじゃら、音がして、背中もオレンジに光ってた。そのムカデをどうしたか、思い出せないんだ」

「む、む、む、む」

「影のおっさんは、そのムカデ」

「ちがうな」

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