喜び運ぶ香りに想いを馳せて(一年目の春②)
ぽかぽかと暖かい陽射しが優しい。
植物庭園はまさに楽園の花園と呼ぶに相応しいだろう。
昨日の幻想的な雰囲気とはまた違い、穏やかに微笑む太陽がレインボークリスタルとガラスに反映し、きらきらと鳥籠を明るく照らしている。
リヒトハインは守人の役目を果たすべく昨夜の少女を探す為、周囲を見回した。
すると、真っ白で可愛らしいフラワーワゴンに似合わない大量の土を積んだ"それ"が見ているこちらが不安になるような、ふらふらとした動きで前にゆっくりと進んできた。
「……咲初様?」
「ひゃう! あ、リヒトハインさん……ご機嫌いかがですか?」
「……何をやっているんでしょうか?」
「肥料を運んでいました。みんなのお手入れに、とても大切なんです」
「変わります」
「え? 悪いです…そんな……」
まさか花嫁が庭仕事……力仕事の部類を、しかもこの大量の土を一人で運ぶなど想像していなかった。
(……考えが足りんかったな。もっと配慮しなければならないか…)
と後悔しながらも、すぐに咲初が押していたワゴンの取っ手を持とうとする。
が、人に頼る事がないのか、少女は困惑して中々離してくれない。
少女にバレないように小さく溜息を吐きながら青年は続ける。
「咲初様、無礼を承知でお願いしたい事がございます」
「なんですか?」
「手をこちらに広げて頂けないでしょうか?」
「え? 手ですか……?」
咲初はキョトンとその花と水のようなヘテロクロミアの瞳を丸くしながら、素直にリヒトハインの前に広げた。
青年は両手を離して行き場を無くしそうになったワゴンの取っ手を気付かれないように片手で持ち上げながら、もう片方の手の平を少女の小さく柔らかそうな白い手に触れないように、黒手袋で覆われた彼女の二、三倍はある大きく武骨な手を同じ様に広げて見せた。
「俺の方が貴方様より遥かに運べそうでしょう?」
「あ、あの……えっと……」
出会ったあの日は夜だった為、あまり認識できなかったが少女は赤面症らしい。
顔を真っ赤にしながら、「お、おねがいします…」と小さくつぶやいた。
リヒトハインが運び始めたのを確認すると咲初は真っ赤な頬を両手で包み込みながら
「お、男の人って……あんなに、手が大きいんですね…私と全然…違う……」
青年は気付いていないが、少女の顔が赤い理由はそれだけではなさそうだ。
✿❀
満開に咲き誇る桜に、可愛らしいフリルのような紅紫色や白のアザレア、小さく集まって咲く小手鞠は真っ白で可憐だ。
だが、花に関して無知なリヒトハインは、ちらりと見たもののすぐに目を外し、咲初に頼まれた肥料を運んでいる。
「重いのに、ありがとうございます…!!」
「いえ、これくらいは別に…元々は咲初様一人でお運びに?」
「はい、時間はいっぱいあるので…けどリヒトハインさんがお手伝いして下さるとすごく早くて、本当に、ありがとうございます…!」
「勿体ないお言葉です」
ご機嫌な咲初とは違い、リヒトハインは昨日から疑問ばかりが、閉じた蓋をこじ開けるかの様に膨れ上がる。
神葉樹の花嫁や神子と奉っているはずなのに少女一人でこの広大な庭園を管理させる依頼人の行動が理解できない青年は、さらに思考しそうになるが——
「あ、あそこ…パンジームーランフリルパステルルージュ、もうすぐ咲くかも……」
小声でぽつりと呟いた少女の目線の先にはまだ蕾もついてない状態の葉だけが綺麗に生い茂る花壇だけがあった。
「…まさか、全ての花の場所を把握しているのですか?」
「はい、お花によって好き嫌いや日当たり、土の状態は変わりますから……」
(……普通じゃないな)
もう一度言おう。この楽園の花園は神葉樹を覆うほどの鳥籠の様な建物だ。
はっきり言ってしまえば、異常に広い。
全てを把握するなど、相当な年月と努力を重ねるか、リヒトハインの様な瞬間記憶を備えた"天賦の才"しか有り得ないだろう。
幼い容姿から"相当な年月"は難しいだろうと判断しながらも青年は、それでもやはりこの小さな少女が、自身と同じ才を持つとは思えなかった。
「お花、綺麗ですね、花時です…」
「……花時?」
「春、いろいろな花の咲くころをそう言うんです…」
「咲初様、博識ですね。俺は存じ上げておりませんでした」
えへへ、と両手を口元に当てながら「特に、桜の花の頃を言うんです」とにこにこ微笑みながら付け足す。
褒められて嬉しいのだろう。
分からない事がありましたら、なんでも聞いて下さいと、楽しそうに少女は微笑んだ。