命を育てるということ(一年目の夏③)
「朝顔、秋咲き品種のコスモス……悩んだんですけど、ラッセルルピナスにしますっ♪」
咲初が選んだ子は、ラッセルルピナスと言う蝶々たちが休憩をしているような小花が連なって空に向かい咲く、そんな花だ。藤を逆さまにしたようなので、昇り藤とも呼ばれている。
「多年草なのでこの初夏でも大丈夫です」と嬉しそうに微笑む少女の持つ小瓶には、優しいお日さまの様な色合いのアプリコット・晴れやかな空を思わせるオリオン・ブルーなど。
まるで虹の様に光り輝く楕円形の種が、少量の水の中を揺らめいていた。
「咲初様、それは料理ではないんですか?」
「へ?」
「だって、水に…」
「あっ! ふふっ、これは硬実種子で皮が硬いので、そのままだと発芽しにくいんです。なので、お水と仲良くなってもらったんです〜」
「……花って色々と、大変なんですね」
「……きっとそれは花に限った事ではなくて、命を育てるってそういうことだと思います」
慈しむ様に、庭園に咲き誇る梔子やダリア・アガパンサスなどを見守る幼き少女は、まるで聖母の様だ。
やはり、幼子とは思えないそのアンバランスな美しさに目を奪われたのは一瞬だった。
「……お料理……ふふふっ、ひひっ、リヒトハインさん面白いですね」
「むしろ何を考えているか分からないと言われる方が多いですよ。それに…」
「……?」
「俺は貴方様の笑いかたの方が非常に興味がありますね」
咲初は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら、上品なレースの両手で、口を押さえた。どうやら、少女の笑い方は少し特殊なようだ。
✿❀
種を植えるだけといえば、単純に聞こえるが、それは非常に大変で繊細な作業だった。
土は、水はけが良く酸性の弱いもの。良く使用する、鹿沼土やピートモスは酸性度が強いため、不可。
草花培養土に軽石を加えた土や、咲初が教えてくれた魔法の呪文の様な細かい配合の土を用意するのだけでも、リヒトハインにとっては苦戦を強いられた。
それに窒素分の低い肥料も必要だ。本当に、土を運ぶ重労働を含め、やる事が多すぎる。
(やはり、書物の知識では不十分だったな……)
中央都市王立図書館での努力自体は決して無駄ではない。実際、花の名前などは春頃よりも理解できている。
だが、やはり知識として理解するのと、育てるのでは全く別だ。
この植物庭園は特別らしく、鉢に植え替える作業をしなくても良い・日当たりと温度管理の頻度が少ないだけ、仕事量は減っているが、育てると言う事は大変なのだと痛感した。
(花を育てると言う事、か……)
それは簡単に見えて、難しくて。
丁寧に扱い、大切にする気持ち…つまり、愛せなければきっと無理だ。だからこそ、機械的に育てる事はきっと不可能に近い。
そして、育てられる人も限られるのだろう。
花も、動物も……人も。結局は同じ。
(きっと彼女は、それを理解しているんだろう)
ふかふかの柔らかな土に、深さを調整しつつ穴をあけながら、きらきらと光り輝くその虹を二、三粒ずつ蒔いていく。
透明なガラスで出来た鈴蘭の形の霧吹きで、丁寧にたっぷりと水やりをする。この段階では如雨露での水やりは難しい。
種が動いたり、水が流れて一箇所に偏る恐れがある為だと、咲初が教えてくれた。
(綺麗に咲くと、良いな……)
そしたら、また彼女は嬉しそうに笑うだろう。考えるだけで少し心がぽかぽかする、気がした。
花と触れ合い、育てると言うこの行為に、青年は、花を大切に愛する咲初のその思考を理解し始めた。
✿❀
「少し休憩にしましょうか?」
「そうですね、咲初様、暑くないですか?」
「だ、大丈夫です。リヒトハインさんは大丈夫ですか? お洋服が暑そうです」
「俺は問題ありません」
実際は非常に暑い。
リヒトハインが着ている黒スーツは通気性が悪く、熱がこもり蒸れて息苦しいし、自身の長髪も相まって更に不快感が凄まじい。
表情には全く出てはいないが、だからだろうか。普段と違い、今日の彼は少しぼうっとしている。ピンと張り詰めた糸が少し緩んでいる様だ。
「本当に有難うございます。リヒトハインさん、播種楽しいですか?」
「楽しい……かは分かりませんが、何かを育てるという事は、大変だと思いましたね」
「そうですね、私たち、命を預かってるんです。たとえ人間みたいにお話できなくても、きっと一緒なんです」
「命は平等だと?」
「ふふ、お花もおしゃべりしてるんですよ、ただみんなに聞こえないだけで。だから、いっしょです」
「……その考え方は理解できます」
「本当ですか? リヒトハインさんは現実的な考え方をされるから……少し、意外です…嬉しいですけど…」
「……どうして、咲初様は播種にルピナスを選んだのですか?」
「え? 綺麗なんですよ、ラッセルルピナス……」
「ルピナスの名は狼に由来し、吸肥力が非常に強い特徴を貪欲な狼にたとえたものである。本に記載されてました」
「はい、そうですね…?」
言いたい事が分からず、小さく首を傾げる少女に青年は続ける。
「狼が不吉のシンボルなのは、勿論知っていますよね?」
「はい…けど……」
この黄昏では、狼は人を襲い喰らう不吉の象徴とされており、討伐依頼が出されるくらいである。
だからこそ、狼が由来となったルピナスをあまり快く思わない者がいるのも事実だ。
少し困った表情の少女だったが、すっと、真剣な表情で青年を揺るがぬ瞳で見つめながら、言葉を続ける。
「花に罪はありません……そして にも……」
風が強く吹き付けて、言葉の端が上手く聞き取れない。風と共に、ふわりと、酔いそうなほどに甘い香りが空に舞った。
蜜の様に滑らかで優しいその花に。
梔子の香りに引き寄せられて、リヒトハインは、無意識に花の娘の髪に顔を埋めた。
「本当に良い香りだ」
「あ、わわわ……はっ……」
「……?」
「はれんちです〜!!」
「!?」
顔を真っ赤にしながら、わたわたと混乱している少女に「どこでそんな言葉を」「自分はそんなんじゃない」とか、言いたい事は山ほどあるのに。
どうして謝罪や伝えたい事を口にする前に、少女のその発言に固まっているのか。
あぁ、本当に。分からない、分からないんだ。
ふわりと、また真白な花が、流れてくる。
この甘い甘い香りにくらくらして、上手く思考ができないんだ。きっと。
暑さにやられているのだろう。言動が噛み合っていないのだ、今日の青年は。