下水道での死闘
帰りたい。
これほどにまで純粋な願いなど他にあるのだろうか?
否ッ! あるはずが無いだろう!
「クソったれ!? 避けんな! 当たれよ!」
「ピィィィィィィ!」
俺は旧下水迷宮の入り口から進入して数十分のところで死闘をかれこれ2時間ほど演じていた。
…舐めてた。冒険者、舐めてた! もう辞めたいです!お願いします!
「だああああ!? 尻尾でペチペチすなぁ! もう効かねーよそんな攻げイテテテッ!? 噛み付くのは反則だろ!」
「ピィィィィィィ!」
まず、ダンジョンは予想よりも明るくて安心したが想像以上に臭かった。酷かった。もう俺の五感に嗅覚など無い。それに…俺は芋虫が這いずるくらいのスピードで恐る恐るダンジョンを進んでいたが、道中、見掛けるモンスターらしきクリーチャーは正気度を軽く削られるほどグロいものばかり。SFか!と思わずツッコミたくなるほどに馬鹿デカイ虫ども…スライムらしき生き物も国民的なマスコットの青いアレと違って…濁った粘液で覆われた内臓がのたうち回るようなヤツだった。やべえよやべえよ…もう正直言うとさ、毒とかそういう問題じゃあないよ。この世界作った神様どんなセンスしてんだよマジで!? 頭がおかしい!そうビープ、俺をこの世界に突き落としたお前のことだよ! 一緒にこの世界を創造した神が他にいたとしても恐らく正常な俺と相いれない存在であろう。もう無理ゲーだよ、おしまいだぁ!
しかしだ、初っ端のファーストエンカウントが討伐対象のウイップテイルだったのは日頃の俺の行いの賜物だろう。全くもって運が良かった。さっさとコイツを懲らしめて即去りしとうございます。
あれから多分2時間近く…
奴は生粋のヒット&アウェイを一貫している。…もう疲れたよパトrじゃあねーよ。もうホント当たってくれよな。なんか多少は俺の剣がかすりはするんだが、致命傷には至る気配がない。
「もうキレたぞ!? 愛と勇気だけが友達の俺でももう限界だぜっ! 俺は人間をやめるぞ!叙々ぉぉオ~!!」
俺は自分の右手に手にした剣を放り投げると、その拳に力を込める。
「局所部位超硬化拳!」
俺はテンチョーの防具屋で、なにも日々をただ遊んで過していたわけじゃあない。自身が唯一使用できるスキルの可能性を追求していたのだ。テンチョーや店を訪ねる冒険者の話を聞いて、この世界の人間はやはり、俺がこの世界に来る切っ掛けになったあのコケモンと一緒で4つのスキルまでしか所持できない。しかしスキルひとつでも使いようで様々なものに化ける可能性があると知った。例えば剣技スキルは単純に装備した剣を強化したり、扱いが上達するだけではない。様々な"技"として繰り出せるのだ。炎スキルなら、そのスキルひとつから火球、炎の鞭、炎の壁などを"技"として繰り出せるのだと。俺は店番を終えた夜にひたすら訓練した。なに俺のスキルの使用回数は、通常の他スキルと違って無限だったからな。そこで編み出した俺の必殺技のひとつ…局所部位超硬化拳。拳を自身の肉体に使用すると身動きできなくなるレベル以上にかったくすることができる。ちなみに俺が前世界で好きだったロボットが沢山出る某シュミレーションゲームに登場する作品からこの技のヒントを得た。…鋼鉄すら超越した俺の拳は岩をも砕く。実際にテンチョーの裏庭にある岩を砕いちまった日にはビビってしまった。あとテンチョーに怒られた。
もう剣が当たらないならこれしかない!喰らいやがれ!俺は超硬化した右手を奴のどてっぱらに叩き込む。
「ビゥ!?」
ヤツはまるでボールのように吹き飛ぶと地面で痙攣し始めた。…うん。拳が感覚がない位に硬化していてよかったな。…あと爆発四散しなくてよかった。もっと腰を落としてガッツリいってたらそうなった可能性がある威力だったな。もしそんな惨劇が起きちまったら正気度チェック間違いなしだわ。
というか武器いらねーな!どうせ当たんないしな!
「…やった? やったぜ!初めてモンスターをやっつけたぞ!? うはっ うはははは! よっしゃササッと回収してこんなところとはおさらばだぜ…」
そんな俺が勝利の余韻に浸る間もなく…
「グアアアアアアッ!」
「だ、誰か助けてくれえええええ~」
大して離れてない距離からモンスター(なんかしらんが強そう)の慟哭と情けない男の悲鳴が聞こえてきた…まだ若い人間の声だった。
「え!? なんだよ近くで戦闘中なのか? ははあ~衛兵のオッサン達が言ってた連中か? 助け…おっと俺はできたら声を掛けてあげてね? と頼まれただけだしな。うん、悲しいけどここダンジョンなのよね。冒険者ってのはそういう職業でしかねーわけで…ご愁傷様。まあ衛兵には襲われてた事は伝えといてや…」
ボチャン。声のした方向に俺が手を合わせた背後から水音がした。
ここは旧下水迷宮というだけあって通路には水路が張り巡っている。幅は狭くて2メートル、広ければ金持ちの家にある小さなプールくらいの距離があった。
「…ん? はうあっ!?」
俺が振り返ると、力尽きたウイップテイルをパクリと咥えている体の半分が口みたいなトカゲっぽい水棲モンスターがジっと俺を伺っていた。
ジャボン。俺が体を硬直させた揺れを察したのか素早い動きで水路に逃げた。俺の大事な獲物を咥えたままで。
「あ゛っ!? 待てコラ!ウイップテイル泥棒! …チクショ~!」
水路は想像以上に深い。その暗い水面の下にどんな危険が待っているかわからない。水路にヤツを追って飛び込む真似は出来ない…。
「あああぁ~↑ なんつうタイミングで邪魔してくれちゃってんだよ!? これは立派な妨害行為ぞ! 文句言ってやる! というかもう助けねーぞ。死んでたら装備剥いでやっからな!」
というか助けられる可能性なんてほぼねーしな。だって俺の攻撃手段、今のパンチくらいだよ?
俺は剣を拾うと声の聞こえてきた方に走った。
百メートルほど進んだあたりにそいつらは居た。見ればオレンジ色のモヒカンというけったいな髪型をした子供? 背がやたら低いな小学生くらいしかないっぽいががむしゃらに剣を振り回している。その後ろにはふたり、地面に転がっている。うわぁ~もう全滅一歩手前じゃん。…仕方ない、楽になるまでもうちょっと待ってやるか。
「あ! アンタ助けに来てくれたのか…!?」
「あ。バレた…仕方ねえなあ、てかまだ生きてたのかよ」
倒れているふたりのうちのひとりが体を起こしてコチラを見ている。どうやら若い男のようだ。傷だらけの青い鎧を着ている。さっきの声の主はコイツか…。
「うっ…助けてくれ…頼む。俺もコイツもアイツから逃げてる途中で毒を喰らっちまって…コイツはダメージも酷い。このままじゃあ…」
アイツ。ああ、あの熊みたいにデッカイ…ネズミ?か。
うん。無理だな勝てねえなあ。ただ見捨ててくのが常套手段だろうが、万が一にでも生き残られて変な噂を流されるのは今後の事を考えるとよろしくない。例え死んでもこの世界じゃあ蘇生スキルとやらがある…口封じにも難がある。仕方ない…お?
「お前…その腰のヤツ。ウイップテイルか? …寄越せば助けてやる(ニチャア)」
「…え。ああ、この際もうクエストは無理だ…こんなものくらいくれてやる!だから頼む…サーンだけでも助けてやってくれ…」
こんなもの…それを手に入れるのに俺がどんだけ苦労したと思ってんだと多少イラっとしたがまあいいや。これでなんとか俺のクエストは達成できるだろうさ。
俺は死に体のソイツからウイップテイルを引っ手繰るとサーンと呼ばれた冒険者を見る。ほう…泥だらけだが結構可愛いじゃない。俺はロリ巨乳が基本だが、こういう素朴なコも嫌いじゃあないよ?
「仕方ない…3本しかないんだがなあ。ホラお前も毒喰らってんだろ?」
俺は渋々、腰から取り出した解毒ポーションを青い鎧の男に1本手渡すと、もう1本をその女の子を抱き起してその口にポーションの飲み口を押し当てて傾ける。
「あ、ありがとう!助かった…」
「イヤイヤ気を抜くんじゃあねえよ。あと2本で16…いや20シルバーな。後でちゃんと払えよ」
涙を流す男を諫めると、俺の手ずからポーションを嚥下していた女の子がコホコホとむせて目を覚ました。
「…え? 誰? …バル? グレグレ君は…?」
「サーン!?…良かった!」
「ハアハア…! 良かった助けがきたのか。お前らもう毒は大丈夫なのかよ?」
そこに前衛のモヒカンが軽業師のように空中でアクロバットしながら目の前に着地した。
「はあ。お前ら随分と厄介な奴を引っ掛けやがったな…」
「アンタ…? まさかしなくてもD級だよな。この街のギルドじゃあまだ見掛けたことがねえもんなあ。ふたりを助けてくれてありがとよ…俺はC級のグレグレだ。悪いがアンタふたりを連れて逃げてくれないか。あの化け物はムースラットっていう第二階層のモンスターなんだがよ。…恐らく変異種だ。まったく最悪だぜ!」
「変異種?」
目の前の巨大ネズミは確かに赤く明滅してるが…?
「あのネズ公は見た目の割には臆病でな。普段は第二階層のダークゾーンから出てこないんだが…稀にこういう変異種が出やがるんだ。変異種は元のモンスターがどんなに弱くてもB級相当以上の扱いのモンスターだ。それに、俺の剣技スキルじゃあマトモなダメージにならねんだわ…まったくよお、ウェインさんに合わせる顔がねえぜ!」
「グアアアアアアッ!」
「…まあ、俺も倒せるとは思わねえが」
ムースラットの変異種とやらが新たな標的として俺をとらえたのか唸った。
「俺ももう体力の限界だったけどよ…ここでウェインさんから面倒を見るようにいわれた後輩を死なせる訳にはいかねえんでな!ここまで逃げられたんだ…出口までもう遠くないはずだ。アイツは脚がそこまで速くねえ、走れ!俺が時間を稼ぐ!」
「お、おい!」
俺は止めたがゲレゲレ? いやゲロゲロだったか? モヒカンは捨て身で変異種に斬りかかった。だ~が…?
「ぶべら!?」
「ほれ見たことか…」
あえなく変異種からの体当たりで吹き飛ばされる。
仕方ねえなあ…俺は虫の息になったそいつに腰から取り出した下級治癒ポーションをぶっかける。…なるほど、傷は治りはするが一気に気分爽快とまではいかないか。
「治癒のポーションまで使ってやったんだ高くつくぜ? おい、お前ら! えーとサンとバールだったっけか?」
「バルです!」
「私はサーン!」
「ああそうかい。お前らを命懸けで庇ったくれたそのモヒカンを連れてさっさと出口に向かって逃げろ。できたら衛兵か他の信頼できる冒険者に声を掛けてくれよな?」
「あ、アンタは!?」
「…決まってんだろ?」
俺は剣を引き抜いて剣先で木の盾を軽く小突く。
「時間を稼ぐ。しかし、コイツは儲けたな~お前ら覚悟しておけよなぁ~?」
そこに変異種が俺目掛けて体当たりをかます。
「危ない!?」
あ~逃げたい。こんな化け物怖いに決まってるだろ。なんで格好つけちゃうのかなあ~。俺ってばそんなヒーローってキャラじゃあないんだけども? でもやっちまったんだから仕方ないよな!
「全身超硬化!」
俺は木の盾を前に構えると変異種の体当たりを正面から受け止める。その瞬間俺の体が赤く光る。そう俺のもうひとつの必殺技、全身超硬化。ぶっちゃけ単なる俺のスキルである"かったくなる"を一気に重ね掛けするだけなんだけどね。
手にした木の盾は木っ端微塵になる。だが俺は身動きひとつしない。伊達に訓練に付き合ったくれたモチョンマのドデカイハンマーで毎晩殴られてたわけじゃない。というかアイツ容赦なく俺を叩きやがって…「はあ~スッキリ♪」じゃあねーよ。初日以降は単なるアイツのストレス解消でしかなかったな。なんか思い出したら腹立ってきたわ。だが俺に突っ込んできた野郎は予想だにしなかっただろ。まるで鋼鉄の柱に自分からぶつかってきたみたいだろうからなぁ? 変異種の頭からバキバキという変な音が聞こえた。いい気味だぜ!
「グゲゴォオ!?」
「うるせえよ!こんにゃろが!」
俺は右手に持った剣を混乱からか動きを止めた変異種の濁った眼を目掛けて突っ込んだ。そうこの技の真骨頂は単なる防御ではない。狙いはカウンターだ。岩を斬れない刃がへし折れて砕ける様に…絶対の防御力の前では自身の攻撃力が己へと跳ね返るのだ!フフン。伊達にモチョンマのハンマーを砕いてないんだわ。ちなみにそのハンマーはモチョンマが勝手に失敬したテンチョーの愛ハンマーだったからふたりして半日庭に埋められたけどな。…それにこの技は俺のスキルの弊害…肉体の硬直が一瞬で済むからな。追加の攻撃もこうやって可能な訳だ。まあ、ウイップテイルみたいな素早いヤツとは点で相性が悪いがな。
「ガァァアアアア!!」
俺のショートソードを左目から生やした変異種が絶叫を上げる。まだ死なない…むしろまだ元気いっぱいって感じで暴れてらっしゃる。後は俺の局所部位超硬化拳くらいしか攻撃手段がない。流石にこんなデカブツ相手じゃあ…早くトンズラしなきゃあな。
「…凄い」
「硬化のスキルか…? でもあんなのは見たことが…」
「おい!日和ってないでさっさとソイツを連れて…」
変異種は何を思ったのか俺ではなく腰を抜かした3人組にターゲットを変更して襲い掛かったのだ!
「グゥッ!」
「「………っ!?」」
俺の肩に馬鹿みたいに太いネズミの牙が食い込んでいた。




