接触
何かと踏み込んだ言葉を交わしつつ、少年は慇懃な姿勢だけは崩さなかった。
「すぐに処理いたします」
ふいにそう言って深々と頭を下げると、カートを押しつつ誠志郎の部屋へと向かった。
ここでは、そこかしこに監視装置があることは周知の事実だ。
そしてそれ以上に、住人同士、互いの動向には敏感なのだ。
一見して人の気配はないが、迂闊に気を許して良いものではない。
「失礼いたします」
部屋へと招き入れると、恭しく一礼して入っては来たものの、扉を閉めるなり態度は一変した。
入室者チェックの監視カメラに向けて素早く親指を立てて見せると、カートに飛乗り、あぐらをかいて座り込んだ。
行動自体は粗雑だが、その身のこなしは軽い。
作業服の厚い袖に覆われていながらも、その細い腕が、鍛え抜かれた筋肉で脈打つのが見て取れた。
「僕はマイア」
「それ、もちろん偽名だよね?」
「コードネームって言ってくれるかなあ?」
マイアはにやりと笑って、嘯いた。
「変な名前だけど、一辺付けたら変えさせてくれないんだよね、これ。当時はカッコいいと思ったんだけど、おじさんになったらどうすんの、って。」
「聞いたことがあるような気がするな、その名前」
「そっか、あんたは朝日先生んちの息子だったね」
そうだ、父の仕事で聞いた名だ。
多分、敵ではなかったはずだ。
「たぶん、あんたとは昔に出会ってる。ものすごくガキの頃だけど」
「うちはわりとオープンだったからね。だからこその、今なんだろうけどな。」
敵味方構わず出入りを許していた父の拠点には、子連れでやって来る者も多かった。
こいつもその一人であろう。
ただ、文官揃いだった来訪者らの息子にしては、やけにしっかりと武闘派なのが解せないが。
だが、ひとり、心当たりがあった。
そういえば、先ほども、ちょっと似ていると感じたのだ。
「もしかして、白流の?」
「そう。」
彼は、にぱっと破顔した。
「孫みたいなもんかな」
勝見白流は、壮年の烈士だ。
現代のシノビと呼ぶ人もいる。
個人としては破格のキャパシティを誇る情報通で、名前まで知れ渡っている割に、誰も彼が何者であるかを知らない。
誠志郎の父とは妙に親しく、私邸にも頻繁に出入りしていた。
実際、父の失脚後、種々多様な手続きを支援し、この「学園」を斡旋してくれた人が、その白流である。
彼の活動は元々単独で、高度乍に非常にシンプルなものであったが、孫を称する存在が現れて以降、複雑怪奇と化していた。
通称、マイア。
小柄で、隠しもしない素顔は非常に愛らしいと噂されている、神出鬼没の諜報員。
そこまで知られていながらも、決して、映像記録には姿を残さない。
いきなり、とんだ大物を引き当ててしまったものだ。
だが、この出会いも偶然ではないのかも知れない。
一定層には顔バレしているこんな奴が、始終、誠志郎の身辺をうろついているには、結構なリスクが伴ったはずだ。
単に旧交を温めたかった訳ではあるまい。
あんまり長居するのも不自然だから、と、そこそこで話しを切り上げてマイアは部屋を出て行った。
追うのは、それこそ不自然なので、誠志郎は扉口で見送るに留めた。
だが、その時微かに、どこかでそっと扉を閉める音が聴こえたような気がした。