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中編

 湿った風が肌にまとわりつく、星一つ見えない曇り空の夜。

 私は人気のない路上で敵と対峙していた。

 桜庭夢乃(さくらばゆめの)、殺しの標的であり犠牲者になるはずだった女の子。

 暗い夜でもなお映える艶やかな黒髪をなびかせながら、桜庭が一歩一歩じらすように近づいてくる。

 どうする!?

 こいつは武道や格闘技を“習っている”というレベルではない。

 何気ないやりとりから隙を作る技術。

 小柄な体躯から繰り出したとは思えない強烈な打撃。

 明らかに私たち殺し屋と同じ命のやり取りを前提とした技術を高い水準で身に付けている。

 そんな敵が今、私と対峙しているのは偶然か?仕組まれたのか?

 次々と疑問が湧いては目の前の現実に押し流されて消えてく。

 今は生きるか死ぬか。

 殺すか殺されるかの時だ。

「ほっ」

 桜庭が場に似つかわしくない軽い掛け声でライトを頭上にかざし、私の顔を照らした。

「うっ…」

 縦方向へ小刻みに揺れるライトの光が鬱陶しい、光に心構えをしていても薄目を開けるのが精一杯だった。

「なんてね、これは使わないであげるね」

 桜庭は消したライトを手首のスナップを効かせた小さな動作で投げる。

 飛来するライトを私は咄嗟にナイフで弾いた。

 私の意識がライトに集中した一瞬のうちに桜庭は視界から消えていた。

風市(ふうし)

 近くから聞こえる声。

 気づいた時には桜庭が横に回り込んでいた、足刀(そくとう)蹴りが私の右太腿外側の急所に命中する。

「がっ…」

 素早く正確に急所を捉えた打撃の衝撃は受け流すことが出来ず、痛みと痺れが太腿全体に広がった。

 私は脚のダメージを無視して一旦距離を取ろうとする桜庭に向き直り追撃する。

 ナイフの殺傷力なら、多少無理なフォームでもダメージを与えられる!

「シッ、フッ!」

 顔面への左ストレート。

 最小限の体重移動で躱す桜庭。

 パンチで意識を上段に向けさせ、私は間を開けずに右手に逆手持ちしたナイフで低い位置から逆袈裟に斬り上げる。

 その斬撃も桜庭は地を滑るような体捌きで後方にかわす。

 まだだ!

 ナイフを持った右手の外側へ踏み込んだ桜庭へ、私は振りぬいた腕を戻す動きで突き刺そうとした。

「いぎっ」

 右腕に激痛が走った。

 反射的に痛みから逃げるように無様なつま先立ちの姿勢になる。

 何をされてるか、理解が追いつかない!?

 見ると桜庭はアッパーカットのような形で私の肘周辺の衣服を掴んでいた、服越しに肘と拳が密着するように深く掴んでいるためパンチのように跳ね上げることなく拳がゴリゴリと肘の急所を抉ってくる。

 桜庭が急所を攻め続ける肘を前へ押し出し、ナイフを持った私の右手首を後ろへ引く互い違いの動きをすると、私は抵抗する間もなく地面に膝をつかされた。

「くっ、この…」

 目の前に見えるのはアスファルトの地面、それでも余裕の笑みを浮かべる桜庭の顔が見えるようだ。

「もう一回」

 優しい、とさえ感じる囁きが聞こえた。

 固め技が解かれ、フッと身体が軽くなった瞬間。

「がっ…」

 先程と同じ右太腿外側の急所に同じ蹴りが入った。

 悠々と私を見下ろす桜庭夢乃。

 私は激痛に痺れる右脚を抱えながら、苦痛のうめきを噛み殺して敵を睨みつけた。

 なんとか立ち上げっても少し動いただけで右の太腿には鈍痛が走る。

 私は桜庭を牽制するようにナイフを突き出した。

 桜庭は充分に間合いを取り、自分に向けられたナイフなど存在しないかのように穏やかな目で私を見ている。

 私の回復を待つ気か?

 その余裕は利用させてもらう。

 徐々に和らいでいく脚の痛み、さっきの攻撃から10秒くらい?30秒は経った?よくわからない…。

 私からじわじわと間合いを詰める、桜庭は動かない、動かないどころか表情にも変化がない。

 身構えることなく自然体で立つ桜庭夢乃からは何の情報も伝わってこなかった。


 ※ ※ ※


 あと半歩踏み込めば攻撃が届く間合いで和子の動きが止まった。

 二人が静止する。

 ズッ、という夢乃の足が地面と擦れる音に反応して和子が弾かれたように動いた。

「フッ!」

 鋭い呼気と共に和子が順手に持ったナイフで夢乃の頸動脈を斬りつける。

 和子の斬撃がスピードに乗るより早く、夢乃の手刀がナイフを持つ和子の内手首を叩いた。

 同時に夢乃の中段突きが和子の水月に命中、ナイフを落としそうになる痺れる手首の痛みと呼吸が出来なくなるほど浸透する腹部の痛みが和子を襲う。

「ぐっ…」

 間合いの外に弾き飛ばされた和子が顔を上げると夢乃は自分の身体を抱きしめるように腕を交差して夜空を見上げていた。

 喉だ!

 和子は感じたままに動く。

 最短距離を一直線に、踏み込んでナイフを突き出す。

 夢乃はナイフの攻撃軸から外側に体を捌いた、和子のナイフを持った右手を左腕の受けで上方に受け流しながらすれ違いざまに右手の母指球(親指の付け根)を再び和子の水月に打ち込んだ。

「が…あっ」

 和子の身体がくの字に折れ曲がる。

 夢乃は水月を打った右拳を流れるような動作で振り上げ、真下に向かって和子の後頭部に打ち下ろした。

 和子の視界が一瞬だけ真っ白になる。

 刹那の瞬間、和子の意識は完全に途切れた。

 それでも和子は無意識のうちに受身を取り、頭からコンクリートに倒れることを防ぐ。

 身体に伝わる地面を転がった感触が気付けになり、立ち上がると同時に意識を回復する。

 夢乃には追い打ちをする様子はなく、正面で手を重ねて俯き加減で佇んでいる。

 和子はやや右半身に立っている夢乃を見て、対角線のコンビネーションを選択した。

 即ち左の蹴りから右手のナイフにつなげる連携である。

「シッ!」

 ナイフを顔の高さまで振り上げて意識を上に逸らしつつ左ローキックを放つ。

 夢乃はローキックに合わせて膝を上げた。

 蹴りが伸び切って力の抜けた瞬間を狙い、和子の足首に向けて脛で切り込んでいく。

 宙に浮いている左足方向へ重心を誘導された和子はたちまち尻もちをついて倒れ込んだ。

 地面に長座した和子に対し、今度は夢乃が蹴りを放つ。

「いっっ…」

 上体を反らしてかわした和子の顔を夢乃の左足がかすめ、頬に摩擦熱が残った。


 ※ ※ ※ 


 アスファルトに寝そべった私は桜庭から距離を取りながら立ち上がった。

 追撃はない。

 恐怖よりも違和感。

 目の前にいるのは私と同じ年頃の女の子なにの、中身はまるで違う物のような。

 えっ…、えっと、『コレ』は死ぬの?殺せるの??

 桜庭夢乃の底知れぬ黒い瞳が私を見ている、見透かされている体の隅々も心の奥も。

 全身から粘ついた汗が浮かび身体の表面は熱いのに、身体の芯は氷の手で掴まれたように冷たい。

 東雲さん! 東雲さんなら、こんな時…。

 縋る思いで東雲さんを思い浮かべた時、フッと心が軽くなった。

 そうだ東雲さんだ、この仕事を任せてくれたのは東雲さんなんだ。

 敵は人間だ、このナイフで突き刺せば殺せる!

 さっきまでのナイフを滑り落としそうな手汗が止まり、ナイフが身体の一部のように馴染んだ。

 敵の皮膚を突き破り、臓物をかき分けて刃が体内に侵入する感覚をリアルに想像することが出来る。

「うん、そう…それそれ、いい眼だね」

 桜庭夢乃が感心したように胸の前で手を叩く。

 敵は私が攻撃に集中する瞬間を、その意識の隙間に滑り込むように反撃してきた。

 それなら私も同じことをやってやる、正面から意識の隙を突く!

 一歩、二歩と桜庭夢乃はじらすように歩み寄ってくる。

 来い、来い!もうお前の間合いだ。

 突き出したナイフの切っ先が胸に触れようかという距離になっても、桜庭夢乃の瞳には何も映らない、ただ澄んだ黒い瞳があるだけ。


 ※ ※ ※


 先に動いたのは和子だった。

 敵の攻撃の隙を突くという意に反して、防衛本能に動かされてナイフを突き出す。

 その攻撃の意思を察知した夢乃が左腕でナイフを持つ外手首を払う動作を始めた瞬間、和子は突き出す動作を中断して後方に飛び退きながら夢乃の左腕を切り裂いた。


 ※ ※ ※


 私は間合いの外に出てからナイフを持つ手に残る感触によって、自分のナイフが敵に届いたことに気付く。

 ただ、それは人体よりも固い物をなぞった感触、おそらく防刃ベストの類。

「へぇ」

 桜庭が切り裂かれた服の袖を見ながら呟いた、さっきまでよりも声のトーンが低い。

 敵に攻撃意思を感じた私は、近い間合いでの迎撃に向いた逆手持ちにナイフを持ち替えた。

 桜庭が私の間合いのギリギリ外側から上下の揺れが全くない水平移動で一気に懐に飛び込んで来る。

 近い!と思った時、既にナイフを持つ手首を握手をするように内側から掴まれていた。

 手首が捻じられ小指側が上向きになり、それに伴って私の身体全体が前のめりに崩れる。

 背中合わせになるように飛び込んで来た桜庭が私の肘を肩の上に固定して掴んだ手首を振り下ろした。

 折られる!

 覚悟した瞬間、視界が目まぐるしく変化した。

 私は無意識のうちに力の方向に流されるまま跳躍していた、相手の肩の上で側転するように飛び上がり技の始動前と同じ体勢で着地する。

 再び正面から対峙した桜庭夢乃の瞳に微かに動揺の色が浮かんだ、でも私の方がもっと驚いてる。

 桜庭の顔から動揺の色が消えて笑みが浮かんだ瞬間、私の手からナイフが叩き落とされた。

 武器を失った私は一旦間合いの外に離れ、桜庭は落としたナイフを足で後ろへ滑らせる。

「すごいすごい、まだ終わりじゃないよね?」

 殺意を向けてくる私に対して、桜庭は無邪気に微笑む。

「くっ…」

 少し相手の動きに反応できたからといって不利は変わらない。

 でも、自然な流れで武器を手放すことが出来た。

 私は敵から目を逸らさず呼吸を整え、膝の曲げを深くして防御的な姿勢になる。 

 このチャンスで絶対に仕留めてみせる! 

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