第3章 出王都 "Leaving the Capital of the Kingdom" 4
窓の外を力なく眺める。
竜騎士の背中が見えた。
この家の使用人と何かを話している。
自分は籠の中の鳥だ。
奸臣の巧妙な計略に落ち、それに抗す術を持たぬ自らの無力さを、ソルは呪った。
すべてが自分に不利なように思えた。
大臣や貴族たちは、その多くが父が亡くなったことを喜んでいることだろう。
王こそが、この国の腐敗をぎりぎりのところで食い止めてきたのだ。
もはや歯止めはなくなった。
裁判さえ、奸臣どもが思うように支配し、正義などは存在しないだろう。
父王と自分の無念を晴らすこともできず、わたしはこのまま処刑される……。
「姫様。
無理なさらずともよいのですよ。
泣きたい時はお泣きなさい」
サビオの妻、カーロがソルの隣に腰を下ろ死、そっと姫の手を握る。
「カーロ」
カーロはソルの耳元に囁く。
「我が夫をお信じなされませ。
きっと姫様がよくなるようにしてくれます。
あの人は姫様のことが大好きなのですから。
妻の私が嫉妬するくらいにね」
ソルはくすっと笑った。
「カーロ。
泣けって言っておきながら、笑わせてどうするのよ」
「そうですね。
希望は捨てずにいましょう。
それが生き抜く活力になります」
「そうね。
あの狸を信じて待つわ」
「ええ、あの狸は敵からすれば、なかなか怖い狸だと思いますよ」
ソルが笑い、カーロは王女を自身の娘のように抱きしめた。
「姫様」
使用人の格好をしたミーアが物陰から囁く。
サビオやカーロ以外の者がソルの近場にいることは危険だった。
窓の外からも監視されているだろうし、どこに間者が忍んでいるとも知れない。
ソルは返事をしなかった。
それこそが取り決めておいた返事だった。
「間もなく手はずが整います。
もう少々のご辛抱を」
ソルは、やはり無言をもって、返事となした。
賑やかな市場、その片隅で彼はいつものように肉を切っていた。
両親のない彼は物心ついた頃よりそこで働き、日銭を稼いできた。
父親には会ったこともないし、母は父のことを何も教えてくれなかった。
母は彼が7歳の時に病で亡くなった。
息を引き取る際に、自分の名前が本当は「ルア」ではなく、「ルアノイテ」であることを母は明かしてくれた。
その名前を忘れない限り、いつか救われる時が来るから、と母は言い残したが、何のことかまったくわからなかったし、それから11年経っても、彼の境遇は何も変わらなかった。
身寄りもなく、子供が一人で生き抜くのは難しいことではあったが、それでも18歳になるまで食べることにも住居にも困らなかったのは、彼がおじと仰ぐ、アジターがいたからこそだと、彼は信じていた。
なぜアジターが自分を助けてくれるのか知る由もなかったが、母が死の間際にあって、「この人を信じなさい」と言われてから、彼を疑うことは母を疑い、自己を否定することのようにも思えた。
もしかしたら、母のよい人だったのかも知れぬ。
この人が実は真の父かも知れぬと尋ねたこともあったが、アジターは笑って否定した。
「ルア。
今日、仕事が上がったら、話があるんだが」
昼休みに入って、アジターが彼の元を訪れた。
「アジターおじさん、どうかしたの?」
「いや、たいしたことじゃないんだが、ちょっと聞いてもらいたいことがあってな」
どこか態度がよそよそしい。
アジターのそんな様子は、かつて見たことがなかったので、ルアは不安を感じたが、断る理由もなかった。
仕事を終えて、市場を出、人通りのない路地に出ると、そこにアジターがいた。
わざわざ待っていたのだろうか?
ねぐらに来てくれればいいものを。
顔色が悪く、異様に汗をかいている。
レベル5、HPが19中の11で、黄色に染まっている。
命の危険というわけではないが、体が弱っているか、怪我をしている証拠だ。
「おじさん?」
「ルア。
すまないな……」
アジターの背中から、まるで陰のような人物が現れた。
まるで陰が浮き上がって人の姿になったように見えたので、ルアは今まで味わったことのない、悪寒が背筋を這い登ってくる感覚に襲われた。
レベル14、HP72、MP207……。
こんなに高い数値は初めてだ。
「ルアノイテ様。
お初にお目にかかります。
エスクリーデと申します」
フードの中で、顔はよく見えず、赤い目だけが光っている。
何だろう、この違和感は。
きっとよくない者だ……。
「どうして……。
どうしてその名前を……」
人前でその名前を自ら名乗ったことは一度もない。
「高貴なお名前ですよ。
あなたの暮らしは、これからまったく違うものになるでしょう……ヒヒヒヒ」
これが、「救われる時」なのだろうか?
ルアは、むしろ目の前が暗くなるのを感じた。
サビオは自分の執務室から、ほとんど動くことができなかった。
もちろん、アギアのやりたいようにやらせるつもりはなかったが、かといって、自分が直接動いて味方を募るような行為をすれば、その相手に迷惑をかけることになる。
また、サビオ自身、王女の養育係として、王の殺害に加担した容疑もかけられていた。
頼りは、信頼を置く数名の間者である。
敵側主導の法廷になぞ、本気でソルを立たせるつもりはなかった。
改めて感じたが、王城内は敵だらけである。
ここまで亡き王が嫌われていたとは迂闊だった。
しかしソルが正当の世継ぎだと信じる者の、少なからずいるのも確かだ。
彼らに同意を取り付けて……。
それにしても、王不在の現況を、アギアはどうするというのだろう。
王家の血を継ぐものとしては、王弟のセグンド、もしくは王のおじ、ジャネラがいるにはいるが、セグンドは凡人で王の器にないことは周知のことだったし、ジャネラは齢78と高齢である。
セグンドやジャネラの子もいるにはいたが、いずれも凡人で、ソルの才能を凌駕して、家臣を納得させる者など一人もいなかった。
アギアが摂政として傀儡政権を築くのは間違いなかろうが、この二人のどちらかが王についても、人心がついてくるとはとても思えなかった。
王の葬儀はアギアが権威を見せつけるために主導するとしても、その傍らに、即位すべき皇太子が不在では話にならぬ。
この期に及んでは、同志を募り、王都を出るしか巻き返しの道はあるまい。
森に守ってもらうか……。
「サビオ様」
親衛隊「五枚の盾」の一人、サジェイが囁いた。
彼がいつ部屋に入ってきたかもわからなかったし、気がついたら背の裏にいた。
存在感のなさ……それこそが彼の技とも言えた。
彼の報告に、サビオは驚愕した。
向こう側が、こちらより一枚も二枚も上手だったわけか。
であれば……姫の身は余計に危うくなる。
すぐにでもことを起こさねば。
「サジェイ。
よいか、よく聞け……」




