第3章 出王都 "Leaving the Capital of the Kingdom" 3
アギアは自室に戻ると、一声怒鳴った。
荒れるアギアが手がつけられなくなることは誰もが知っていたから、執務室に居合わせた側近たちは何もできずに身をすくめた。
「あの狸めが」
狸とは、姫君の忠実な養育係のことである。
してやったつもりが、逆にしてやられるとは。
最後の詰めが甘かったと、唇を噛んだ。
姫を捕縛すれば、それでことはうまく運ぶと予想していたが、計画通りとは行かぬものだな。
7日!
あの忌々しい王がようやく死んでくれたというのに、あと7日も待たねばならぬのか。
まあ、よかろう。
裁判なぞ、どうにでも操れるし、裁判長はこちらで立てればよい。
「大臣殿」
陰気な声がした。
陰を実体化させたような、黒く小さな人物が、アギアの前に現れた。
フードに覆われて顔貌は不鮮明で、瞳だけが、赤く陰鬱に輝いているように思えた。
「エスクリーデ殿か」
いつ見ても陰気な奴だ。
いったいどこから現れるのだ?
そもそもこの部屋になぜ自由に入れる?
毎回、人を驚かせて。
「ヒヒヒヒ。
お怒りのようですな。
失敗したわけではありますまい?」
「失敗などするものか!
つまらぬ茶々が入っただけのこと。
それより、そっちの首尾は順調だろうの?」
「ヒッヒヒヒ。
それはもう。
明日にはご用意が整いましょう」
「本当に間違いないのだな?
もし、手違いでもあれば、飛ぶのは私の首なのだからな」
「ご心配は無用。
王陛下がことをなされたその場その時より、ずっと監視を続けておりましたゆえ、間違いはござらぬ」
「19年とはな……。
そなたらも、執念深きことよの」
「苦労が報われて、こちらも本望というもの。
ヒヒヒヒ。
それよりも、大臣殿が筋書き通りにことを進めてくださることが肝ですからな。
大臣殿に国の実権を握っていただいて初めて、我が国との友好は成り立つというもの。
責任重大ですが、あなた様以外にはできぬこと」
「わ、わかっておるわ。
私も戦なぞは望まぬ。
平和を願うは、政治家として当然のこと」
「では、明日。
楽しみにお待ちくだされ、ヒヒヒヒ」
エスクリーデは、現れた時と同じように、文字通り姿を消した。
不気味な奴……。
アギアは今更ながら、綱渡りをしている自分の立場を思い、じわっと冷や汗が湧くのを感じて身震いした。
竜騎士とは、貴重な翼竜に乗ることを許された、騎士の中の騎士である。
誰もがなれるわけではない。
騎士の中から特に優れた者が推挙を受けて、その役職に足る技量を備えていると認められて、ようやく任じられるのである。
竜騎士たる者は皆、その地位に上り詰めたことを誇りに思い、命をかけて王国と民と王陛下のために戦うことを誓うのだ。
王を守る……。
竜騎士たちは一様にジレンマを抱えていた。
王を守ることを誓ったはずなのに、今、自分たちがしていることは何なのか?
内務大臣の命とはいえ、姫を幽閉し、監視するとは、本当に正しいことなのか?
まず、あの優しき姫が父親である王を亡き者にしようなど、とうてい考えられなかったし、そもそも王を守るということは、姫を守ることと同義であったはず。
その姫を犯罪者、それも父親殺しの容疑者として、自分たちが周りを取り囲むというのは、あまりに矛盾ではないか?
これは自分たちが誓った正義と、本当に言えるのか?
そして最も彼らの心を責めたことは、姫から父親を弔う権利を奪ったことだった。
心が張り裂けそうになり、涙する者さえいた。
「代われ。
交代だ」
姫が幽閉されたサビオの小さな家(貴族の屋敷とは思えぬ粗末なもの)は、6人の竜騎士で囲まれていた。
6人であれば死角は生まれず、隣が見えるので、何かあれば互いに助け合うことができた。
そして6という数字は、内務大臣が最も警戒する5という数字の、単純に上を行くものでもあった。
「ああ、助かる」
厨房のある裏門近くの位置を守り、出入りの検問の役を担っていた竜騎士は素直な気持ちを述べた。
お互いに兜の中まで見ることはできなかったが、その竜騎士は重圧からようやく開放されて、安堵の息を深く漏らした。
新しい竜騎士が位置につくと、ほどなくしてフードに顔を隠した使用人の女が、食材を積んだ荷車を引いてきて、サビオ邸に入る許可を求めてきた。
竜騎士は荷を確認すると、手を上げて、それを許した。




