第3章 出王都 "Leaving the Capital of the Kingdom" 1
急に冷たい風が流れてきて、彼女は身震いした。
この時期としては異様な冷気だった。
手紙にペンを走らせる指をいったん止めて立ち上がり、彼女は窓を閉めた。
閉める前に窓から見上げた空には満月が輝き、彼女はその禍々しいようないつもと違う明るさに、風の冷たさ以上に寒いものを感じた。
明るい満月は魔を招き入れる……。
子供の頃に聞いた迷信を思い出した。
薄衣を羽織り、足元に鼻を擦り寄せてきた愛犬のブレンコを抱き上げて、ベッドに腰を下ろす。
愛犬の温もりにほっとする。
その時、机上の灯りの炎がゆらっとした。
「姫様。
陛下がお呼びです」
ドアの外から、側付きのゾフィーの声が聞こえて、彼女は背筋がぞくっとした。
「お父様の容態が?」
応えはない。
「すぐに行きます。
ミーア。
ミーアローナ、いますか?」
「は!」
「ついて来なさい」
ドアを開けると、彼女とほぼ同じ背格好の、地味なマントの女が跪いていた。
姫が駆け出すと、その前を露払いとして走る。
王女ソルレナータ・シャーヴィ・アルスター。
その褐色の頬が、月明かりに青ざめていた。
金色の髪がきらきらと豊かに流れる。
ソルは、現在の自らの立場をわきまえていた。
父王は死の床にあって、それが意味することは王政の混乱だった。
女である自分は実に危うい存在で、そのせいで、自分と国そのものが危機に陥ろうとしている。
嫡子でないことを悔しくも思ったが、それはどうにもできぬこと。
「姫様。
お気を確かに」
ソルの不安を悟った魔道士が走りながら、姫を案じて呟く。
姉妹のなかったソルにとって、ミーアローナは幼い頃より共に育った姉のような存在であり、魔法においては、弟子とも言えた。
王城において、ソルが最も信頼できる人物の一人だ。
「ありがとう。
大丈夫」
ミーアローナが案じたのは、姫の身だけでなく、この複雑な状況と予想される今後の展開も含めてのことだった。
王城内に姫の味方は多い。
が、敵は遥かに多い。
しかも敵は外にもいる。
王は立派な方だが、絶対王政による容赦のない統制と、富める者にさえいっさいの妥協を許さない、傲慢なまでの清廉さは、時に反発を招き、内外に多くの敵を作ってもいた。
そして王の最大の失政は、嫡子を作らなかったことだ。
王の実子はソルレナータ・シャーヴィ・アルスター王女、ただ一人。
側室もいるにはいたが、生まれた子は7年前に亡くなった正室、グラーサの生んだ女子一人だった。
アルスターは伝統として、代々、男子が王家を継いできた。
これまでに、女王は一人もいない。
王の側近らを含めた、親国王派の王族・貴族たちは、賢く美しく育った王女を次期女王として期待していたが、思うように国を動かしたいと願う、反王派の貴族たちは、女の跡継ぎをもっての外と、受け入れようとはしなかった。
そして……この問題に決着がつかぬまま、王が突然の病に倒れた。
病……。
毒をもられたとの噂だった。
王城の最上階、王の間の扉を開くと、そこには親王派の主だった者たちが、すでに集まっていた。
その中心には王が横たわるベッドがある。
ソルは王の枕元に近づくと、生気が失せ、青ざめた父の頬にキスをした。
第12代アルスター王、コベリオ・アルスター。
その業績ゆえに太陽王とも称された賢王ではあったが、もはやそこには往年の頑強も傲慢も残ってはいなかった。
残っているのは、消えゆく弱々しい魂のみ。
「お父様」
「ソル。
私のかわいいソル。
すまんな……、父を許してくれ。
私がふがいないために、お前に苦労をかけてしまう」
王の目から涙がこぼれた。
ソルは自分も泣き出しそうになるのを、ぐっとこらえた。
「お父様。
お体に障ります。
これ以上は……」
王がさらに何かを呟こうとした。
ソルが口に耳を寄せる。
その声はソル以外には誰にも聞こえなかった。
ソルは王の布団の中に手を伸ばし、そっと、王の手に握られていたものを掴んだ。
誰にも見られないように、それをポケットに忍ばせる。
「お父様」
「愛している……」
ソルは父親の頬を撫でてやった。
一粒だけ、涙をこぼしたが、泣いている間などないことはソルにもわかっていた。
臨終の際に、少しでも父と話ができただけでも幸いだった。
ソルはもう一度冷たくなりかけた王の頬にキスをすると、立ち上がって、皆を振り向いた。
「たった今、王がお隠れになられました。
これより1年を国の服喪期間とします。
また、亡き王の命により、30日ののちに、私が女王として即位します」
周りの者たちがざわついた。
「おやめくだされ!
ここは王の間ですぞ!
うわ!」
外で騒ぎがあったかと思うと、ドアがばんと強引に開かれ、甲冑を着込んだ竜騎士が10人ほど王の間に押し入ってきた。
一様に抜刀し、その場違いな様子は、一触即発も辞さない構えだった。
「何事です!
ここが王の間と知っての狼藉か!
ただでは済むまいぞ!」
ソルは声を荒げたが、この展開は半ば予想されたことでもあった。
竜騎士たちの間から拍手が聞こえた。
「勇ましい。
さすが、ソル姫ですな」
拍手しながら歩み出てきたのは、一人の貴族だった。
甲冑の竜騎士たちに囲まれて、一人平服だった。
貴族の筆頭、内務大臣リセンサ・アギアがにやついていた。




