第3章 出王都 "Leaving the Capital of the Kingdom" 0
ソルと暁が出会う前のできごと。
王都、フェアステーベル。
城門には黒い旗が掲げられていた。
「遅かったか……」
旗を見上げて、男が呟いた。
緩やかな丘の中央にひときわ高い王城を頂き、なだらかな斜面に住宅や商業区が配置されたアルスターの首都である。
いくつかの尖塔と城で構成される王城、並びに王族貴族の屋敷を抱く区画を堀が取り囲み、その外側に下級貴族や上流階級の住宅区が広がる。
さらにその塀の外側を、王都の9割の面積を占める、一般区商業区が取り囲んでいる。
王都全体を城壁が取り囲むが、4か所に設けられた城門は、衛兵が詰めてはいるものの、昼夜を問わず開け放たれ、人や物が自由に往来することができた。
太陽王とも称えられる第12代アルスター王、コベリオ・アルスターの治世の元、商業が栄え、フェアステーベルはかつてない繁栄を極めていた。
人々は往来に制限がなく、税も安く、自由に商売を行え、文化も栄えた、この街に来たがった。
民にとっての理想的な街……。
しかしそれは逆に内外に敵を作ることにもつながる。
汚職を厳しく禁じられた役人や兵には不満が溜まり、人や富の流出を止められない他国からはたびたび侵略を受けた。
満足と不満のるつぼ……それが王都の表裏の顔だった。
両側に延々と続く店並みに囲まれて、往来はいつものように賑わっていた。
その賑わいは一見、いつもと変わらぬようでもあったが、しかし人々の心には一様に影がさし、痛みのようなものが淀んでいるのも事実だった。
王の崩御。
政治上、その事実は隠匿されてもよさそうなものであったが、なぜか公表され、人々は賢王が隠れたことへの憐みとともに、今後の政情、経済の行く末に、言い様のない不安を感じていた。
人混みに紛れるようにして立つその小柄な男は、薄汚い色褪せた衣服をまとい、右の肩には長い棒のようなものが入った袋を担いでいた。
フードを深く被り、人相は定かに判断されなかった。
体格のよい男がぶつかり、小柄な男の体が弾け飛ぶように倒れる。
「なんだ、こいつ。
小さ過ぎてまったく気がつかなかったぜ。
俺様の前を塞ぐんじゃねえ」
謝るどころか悪態をついて、何事もなかったかのように、大きな男が歩み去る。
その格好は衛兵の制服だろうか。
同じ制服を着た2人があとを追う。
小柄な男は埃を払いながら立ち上がると、すぐそばから「ちっ」という舌打ちが聞こえた。
体格のよい年配の女性が、果物が並んだ店の奥から「あんた、怪我はないかい?」と心配そうに話しかけた。
「ありがとうございます。
大丈夫です」
「まったく、王様が亡くなったってのに、不謹慎ったらありゃしない。
あいつはこの辺りじゃ有名なゴロツキでね。
衛兵の格好はしていても、中身はチンピラさ。
王様がいなくなっちまって、アギア様が天下をとることになったら、この都はきっとひどいことになるって、みんなが言ってるよ。
お姫様もかわいそうなことになっちゃって……」
それからその女性は「今のはないしょね」と、唇に人差し指を当てた。
男は酒場に入った。
まだ昼前だったが、中はすでに男たちで賑わっていた。
フードを外してカウンター席に座り、エールを注文する。
それほど特徴のない細い顔だったが、左目にかけられた黒い眼帯とその上下に走る深い傷跡は、フードを被っていなければ人目を引くことだろう。
「お客さん、見かけない顔だね。
この辺りの人じゃないね」
カウンターの向こうの店主が、ジョッキを差し出しながら、気さくに話しかけた。
「ああ、俺は羊飼いでね。
今日は羊の出荷で近くまで来たんだが、金も入ったことだし、都で土産物でも買ってゆこうと思ってね」
「なるほどね。
その担いでいるものは何だい?」
「これかい?
商売道具さ。
羊を叩く棒だよ。
護身用に持ち歩いてるのさ」
店主がなるほどと頷いた。
「ところで主人。
お姫様に何かあったのかい?
王様がお隠れになったら、てっきりお姫様が女王になるかと思ってたんだが」
「ああ、そうさね。
おかわいそうなことさ。
みんな信じちゃいない。
きっと罠にはめられたんだよ……。
おっと、すまんね、これ以上は……。
あまり大っぴらに話すと、こっちの首も危ないんだよ」
「おやじ!
さっさと追加を持ってこい!」
店の奥から豪快な声が聞こえた。
さきほどの衛兵である。
「これでようやく俺らの時代が来たってもんだぜ。
あの王様はしみったれに過ぎた。
衛兵の給料だけでやってけるかってんだ。
これからはアギア様の時代よ。
あの方は役人や兵の気持ちをわかってくれる。
いい汁も吸わせてくれるだろうぜ」
亡き王の誹謗など不敬そのもののはずだが、それを戒める者は、誰もいないようだ。
「お客さん、悪いね。
あいつらにはいつも迷惑してるんだが、衛兵じゃ断れなくてね」
男はエールの残りを飲み干すと、会計を求めた。
「30コブリになります」
男がポッケをまさぐって銅貨を取り出そうとすると、数枚の金貨が床に転がった。
慌てて拾うが、その様子を目ざとく目の端でとらえた者がいた。
男は支払いを済ませると、外へ出た。
3人の衛兵がエールの追加を無視して、飲んだ分の支払いをテーブルに置くと、さきほどの男を追うように、店を出た。
小柄な男が、往来の人込みを縫うように滑るように進む。
衛兵たちはじゃまな通行人を突き飛ばしながら、悪態をつきつつ男を追う。
男がついっと路地に滑り込んだ。
大柄な衛兵がにやりと片頬で笑うと、3人でその路地に入る。
衛兵たちは知っていた。
その路地は袋小路になっており、予想通りそこには小柄な男の汚れた貧相な背中があった。
「おい、お前。
見かけない奴だな。
衛兵だ。
武器を持っていないか改めるぞ」
衛兵たちはにやにや笑っている。
「お許しください。
武器なんて持ってません」
小柄な男が背を向けたまま、震え声で応える。
「いや、これも勤めだからな。
まあ、お前のポッケに入っている金色のものを素直に差し出せば、許さんこともないが」
「本当ですか?
見逃してくれますか?」
「ああ、本当だとも」
「本当に本当ですか?」
「お前、しつこいぞ。
なめてんのか、こら」
「くっくっく。
なめてるに決まってるだろうが。
このクズども」
「な……」
ぽんっと男が地面を蹴ると、あり得ない弧を描いて、衛兵たちの上空を舞った。
唖然とする3人の背後に降り立つと、今度は衛兵たちが袋小路側に閉じ込められた形になった。
大柄な衛兵が振り向いたが、その顔は怒りで赤く染まっていた。
「てめえ、なんのつもりだ!」
「なんのつもりかって?
こういうことだ」
男がフードを外すと、左頬の大きな傷跡が露になった。
細い顔に吊り上がった両目。
黒髪に囲まれた顔は他を威圧する迫力があり、衛兵たちはそれだけで圧倒され、たじろいだ。
男が肩にかけた細長い袋から短槍を取り出し、肩慣らしとばかりに、器用に振る。
その所作は優雅で一切の無駄も隙もなかった。
槍が舞いを踊るかのように、滑らかに動き、衛兵たちの足を払い、背中を叩く。
穂(先端の刃)を使うことはまったくなかったが、衛兵たちに抵抗する余裕はなく、あっという間に全員が地に倒れた。
石突(穂の反対側の先端)で大柄な衛兵のだらしなく突き出た腹を突くと、その口からさきほどしこたま飲んだエールが噴き出した。
「わ、悪かった。
た、助けてくれ」
「一つ、聞かせろ。
お姫様は無事か」
「お姫様?
……ああ。
養育係のサビオ様のお屋敷に幽閉されているという噂だよ。
1週間後の裁判で有罪が確定するまでな」
石突でもう一度突くと、衛兵は白目をむいて、意識を失った。
「まだ時はあるか」
男は倒れた衛兵たちを背に、路地を出て、人込みに消えた。




