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ベルウッドダンジョン株式会社 ~西辺境支部奮闘記~  作者: アマラ
一章 ダンジョンのプレオープンは気合が重要
11/22

十一話 「はい、ベルウッドダンジョン株式会社です。はい、はい。ああ、社長! お世話になっておりますー!」

 その日、ジェイクはベルウッドダンジョン株式会社の事務所にいた。

 仕事机に向かい、書類仕事を片付けているのだ。

 第一、第二ダンジョンから連れて行く人員は、何とか確保、確定することが出来た。

 新ダンジョンの設計図も、後は現地を見て手直しするだけという段階まで完成している。

 だが、こまごまとした書類仕事というのは、あとからあとから湧いて出てくるものなのだ。

 保険やら、国への報告やら、導入する機材のカタログの確認やら、従業員が新ダンジョンに行くための切符の手配やら、弁当の数の確認やら、運び込む食獣植物のリスト作りやら。

 数え上げればキリがない。

 もちろん、ほかの従業員も手伝ってくれているし、仕事の分担も行っている。

 とはいえ、ジェイクは新ダンジョンのダンジョンマスター、最高責任者だ。

 最終的にジェイク自身が決定をしなければならないものも多く、書類の量は膨大なものになっていた。


「ダンジョンマスターの仕事ってのは書類仕事だって祖父さん言ってたなぁ、そういえば」


 ボヤくように呟き、ジェイクは盛大に溜息を吐く。

 部屋の中には、ジェイクが一人だけ。

 ほかの従業員達は、方々を走り回っている。

 ジェイクもつい昨日まであちこちを駆けずり回っていたのだが、書類が溜まってきたので電話番がてら事務所に残ることになったのだ。

 ちなみに電話というのは、魔力を使った通話装置の事である。

 専用のケーブルさえ敷いてしまえば離れた場所とも通話できる利便性から、最近普及が進んできていた。

 今では、これが無ければ商売が成り立たない、とまで言われている。

 ちなみに、「電話」という名前になっている理由は、作られた当初の構造に由来するらしい。

 今では一切電気を使っていないのだが、開発当初は主要なパーツに電気が使われていたのだとかなんとかいう話だ。

 その辺はもう一般的に使われていない古い技術扱いなので、ジェイクには専門外である。

 気を取り直して書類に向かおうとしたジェイクだったが、その視界に電話機が入った。

 そこで、しまったというような顔を作る。


「やっべ。そういえば向こうで使う電話機どうすんだっけか」


 電話線を敷く算段は、既に現地に飛んでいる従業員に付けてもらっている。

 だが、電話機本体のことはすっかり忘れていたのだ。

 様々なメーカーから商品が出ており、機能にも多種多様である。


「とる前に相手の名前表示するやつ、アレは欲しいよなぁ。録音機能は、いるか、かな? エーベルトさんに確認してみるか」


 そんなことを考えていると、ジェイクの机にある電話機が甲高いベルの音を鳴らし始めた。

 受信の合図である。


「はいはいはい、今出ますよっと」


 そんなことを言いながら、ジェイクは受話器を取った。

 どうやら周りに誰もいないと、独り言が多くなるタイプらしい。


「はい、ベルウッドダンジョン株式会社です。はい、はい。ああ、社長! お世話になっておりますー!」


 どうやら、どこかの社長さんからだったようだ。

 ジェイクは電話越しでも頭を下げてしまうタイプらしく、ぺこぺことお辞儀を繰り返している。


「この間はどうも! ご馳走になっちゃて! いや、久しぶりに食べましたよ。いえいえ、ホントに! あっはっは!」


 そんな話をしていると、部屋のドアが唐突に開いた。

 顔を出したのは、ジェイクの兄だ。


「ジェイク、すまんがちょっと」


 そこまで言って、兄は慌てて口を閉じる。

 ジェイクが電話をしていることに気が付いたからだ。

 兄に気が付いたジェイクは、電話をしつつも片手をあげて挨拶する。

 わかっているといった様子でうなずきながら、兄は自分の席へと腰を下ろした。

 どうやら、電話が終わるまで待つつもりのようだ。


「はい。はい。ああ、例の! はい。あー、なるほど。じゃあ、そのー、そしたらぁ。もう、こっちで預かっちゃって。一緒に持って行っちゃう形にしましょうか? いえいえ、全然、そこは。はい。どっちにしても運搬費用は掛かるわけですし」


 電話をしつつも、ジェイクは近くにあったメモ帳を引き寄せ、何かを書き込み始めた。

 受話器を顔と肩の間で挟もうとしているが、どう上手くいかないらしい。

 結局挟むのは諦めて、片手で押さえることにしたようだ。

 左手で持った受話器を、右耳に押し当てているためかなりねじれた格好になっているが、まあ、しょうがないだろう。


「では、ウチの担当者にあとで連絡入れさせますよ。打ち合わせも必要ですし。ブルーズでしたよね? うちの。はい。ええ。じゃあ、帰り次第そちらに電話させますので」


 どうやら、話が付いたらしい。

 ジェイクは椅子から立ち上がると、受話器のコードに引っ張られた妙な格好のまま動き始める。

 手元のメモ帳が切れてしまい、隣の机にあるのを取ろうとしているようだ。

 それに気が付いた兄は、素早くメモ帳を手渡した。

 ジェイクは片手と表情で礼をしながら、忙しそうに何かを書き込んでいく。


「では、よろしくお願いします! また、メシ行きましょう! ははは! 楽しみにしてますー! はーい、では! 失礼しますー!」


 笑顔で何度も頭を下げつつ、ジェイクは受話器を元に戻した。

 さっきまで笑っていた反動のように顔をしかめると、大きく溜息を吐きながら眉間を揉む。

 別に、無理に笑っていたから顔をしかめているわけではない。

 ジェイクは電話越しでも終始表情を笑顔に保ち、相手に声が聞こえやすいようにと、声を若干大きめにする癖があるのだ。

 そのため、電話が終わると顔が疲れ、ついでに喉も若干辛くなるという現象が起きるのである。

 あー、とか、うー、とか唸っているジェイクの前に、マグカップが置かれた。

 その横には、飴の瓶も置かれている。

 顔を上げたジェイクの目に映ったのは、自身もマグカップを手にした兄の姿だ。


「おつかれ」


「ああ、ありがとありがと。いや、あれよ。バットン種苗の社長さん」


 ジェイクが口にしたのは、取引のある種苗会社の名前だった。

 それが電話の相手だったらしい。

 兄は納得したような声を出しながら、こくこくと頷いた。


「ああ。新ダンジョンに入れる食獣植物の件か」


 いくらデブエルフのブレイスがいるとはいえ、ダンジョン屋はダンジョン屋だ。

 食獣植物を育てるのにも、人員的、面積的な限界がある。

 なので、先ほど電話をしていたような種苗業者から、食獣植物を購入することもあるのだ。

 バットン種苗は、ベルウッドダンジョン株式会社と昔から付き合いのある種苗業者だった。

 ブレイスが品種改良をした食獣植物の特許を買い取ってもらったり、技術交流をしたりと、協力関係にある企業の一つである。

 中小企業というのはお互いに協力していかないと、立ち行かないものなのだ。

 兄が持ってきてくれた飴を口に放り込み、ジェイクは肩をすくめた。


「そうそう。運送の件なんだけどさ。王都までは行くんだけど、そこから西辺境へブツを送る算段が付かないらしいのよ。あ、コレのど飴か。美味いな」


「どういうことだ? って、ああ、なるほど。今は御用列車ばっかりか」


 西辺境では、領土拡大の為に着々と準備をしている状態だ。

 モンスター討伐軍の編成も進んでおり、そのための兵器や人員、食糧等の物資の搬入なども行われている。

 その運搬には、もっぱら鉄道が使われていた。

 一般の客車や西辺境の維持に必要な物資以外は、ほとんどこれに当てらえていると言っていい。

 例外として、新ダンジョンを建設する企業だけは、優先して貨物車両を使用できることにはなっている。

 まあ、もちろん金を払えば、の話ではあるが。

 とにかく、現在は軍やダンジョン屋が貨物車両を使っているために、一般の企業の荷物の運搬はかなり難しくなっているのだ。


「本当はバットン種苗さんに運んでもらった方がいいんだけどね。専門家だから」


 食獣植物はほかの植物よりは遥かに丈夫ではあるものの、その扱いは難しく、運搬には専門の知識と技術が必要だ。

 まあ、うっかりすると人を食ってしまうこともあるわけで、運搬にはとにかく気を遣うのである。

 もちろんベルウッドダンジョン株式会社にも、ブレイスをはじめとして専門家はいるのだが。

 何しろこちらは新ダンジョン建設の件だけでてんてこ舞いだ。

 そういったものに人員はなるべく割きたくない。

 ついでに言えば、専門の方々に運んでもらった方が、費用諸々も安く済む。

 運搬に使うのは、何も人手だけではないのだ。

 専用の機材やら何やらも、種苗業者の方が多く確保しているし、それを動かすノウハウだって持っている。

 出来るならばバットン種苗に西辺境まで運んでもらい、そこで荷物を受け取りたいのだが。

 兄は難しい顔でうなりながら、肩をすくめて見せた。


「ま、どうにもならないものはどうにもならないからな。荷物はこっちで運ぶとして、いろいろすり合わせるしかないだろ」


「はぁー……。そのための下準備もしないとなぁ。ブルーズさん早く帰ってきてくんねぇかなぁ」


 ブルーズというのは、バットン種苗との取引を担当している営業さんだ。

 今はほかの担当している企業との相談のため、外出しているのである。


「いまみんな忙しいからな」


「まぁーねぇー。で、なんか用があったみたいだけど?」


「用事? ああ、そうだった。危ない、忘れるところだった」


 兄はそういうと、マグカップの中身を喉に流し込んだ。


「オヤジ達と話してたんだが、そろそろお前も中央に行った方がいいんじゃないかってことになってな」


「中央? 王都ってこと? もう? まだ先でいいんじゃねぇの? どうせまだ物資集積終わってなし」


 兄の言葉に、ジェイクは首を傾げた。

 ベルウッドダンジョン株式会社の事務所がある場所は、南辺境である。

 この南辺境から、新ダンジョンを作る西辺境へ行くには、まず王都へ向かうのが近道であった。

 一応南から西へ直接通じる街道もあるにはあるのだが、起伏も激しく、道幅も狭い。

 輸送用の大型ゴーレムが通れないのだから、よほどである。

 致命的なのは、鉄道が通っていないというところだ。

 高速、且つ、大量輸送が可能な鉄道は、本来大回りになるはずの輸送経路を、「近道」へと変えているのである。

 そもそも、この国の鉄道は、ほとんどすべてが王都へとつながる様に作られていた。

 物資や人の流れを統制することで、国の管理を行き届かせるのが目的でもある。

 また、そうすることで、富を王都へ集中させる狙いもあった。

 とはいえ、弊害は多い。

 バットン種苗の件が、その一つの例だろう。

 大きく、面倒を見続けなければならない植樹植物を輸送するには、輸送列車を使わざるを得ない。

 一度王都へ運んでから、西辺境行きの列車に乗せる必要があるのだ。

 街道を輸送用ゴーレムで運ぶという手段は、やはり道が悪すぎて使うことが出来なかった。

 例え王都までは運べても、そこから西辺境へ運ぶ手段がない、というわけだ。

 そんな事情もあって、現在ベルウッドダンジョン株式会社が新ダンジョン建設の為に集めている物資は、その大半が王都の集積地に集まっていた。

 ジェイクもその現場を、確認しに行く予定になっているのだ。

 とはいえ、新ダンジョン建設までには、まだ時間もある。

 集まっていない物資なども多く、確認するにも、まだジェイクが必要な段階ではないと思われた。

 しかし、兄は別の意図があって言っているらしい。


「いや、物資はそうなんだけど。そっちじゃなくて、人員の方だよ。人を雇うの」


「ああー、そっちか。え? もう?」


「もうって。研修期間考えたらぼちぼちだろ」


 言われて、ジェイクは慌てた様子で壁にかかっているカレンダーを見た。

 ジェイクが実家に戻って、約一か月弱が経っている。

 軍の編成が終わるまで、あと四か月か五か月と言った所だろうか。

 それが終わり次第、モンスター討伐が始まる。

 普通に考えて一か月、長引いて二か月と言った所だろう。

 ということは、早くて五か月後。

 遅くとも七か月後には、ダンジョン建設が始められるということになる。


「えーと、うっそ。マジで? え、まず募集にどのぐらいだ?」


 ぎょっとした様子で、ジェイクは指を折って残りの期間を計算し始めた。

 まず、新人の募集に一か月はかかるだろう。

 ダンジョン屋は専門職であり、人を集めるのには時間がかかる。

 まして、今は新領地開発の真っ最中だ。

 新ダンジョン建設にかかわる企業はどこも、新人の確保に走り回っている。

 優良な人材の確保にてこずるのは、自明の理だろう。

 ついでに言えば、西辺境で募集が出来ない、というのも痛い。

 ダンジョン屋というのは、基本的に縄張り意識が死ぬほど強いものだ。

 命がけでダンジョンという縄張りを守っているからか、場所に対する思い入れが異常に強いのである。

 新人を募集するにも、その「縄張り」を遵守しなければ、無用な争いを起こすことになってしまう。

 今回でいえば、絶対に新人募集を掛けられない土地は、西辺境であった。

 何しろ、三つもの地元企業が新ダンジョンを作るのだ。

 多くの人数が新人として雇われることは、たやすく想像できる。

 そこに踏み込んでいって人材をかっさらうようなことをすれば、一度に三つの企業を敵に回すことになるのだ。

 ダンジョン屋は基本的に気が短い。

 そんなことをすれば、冗談抜きで殴り込みをかけてくるだろう。

 ベルウッドダンジョン株式会社が同じ立場になったとしたら、ベルウッド親子が率先して殴り込みをかけるので、間違いない。

 となれば、新人の募集が掛けられる場所は、地元である南辺境か王都周辺ということになる。

 王都周辺にはダンジョンはないので、フリースポットはここだけなのだ。

 さらに、地元で集めた人材はなるべく地元で雇用したいということで、西辺境で集めた人材は第一第二ダンジョンに充てられることになるだろう。

 ということは、実質新ダンジョンの人材募集が出来るのは、王都周辺だけということになる。

 ほかのダンジョン屋も当然王都を主軸に人を集めるだろうから、競争ということになってしまう。

 こういう時、中小は弱い。

 同じ条件で募集した場合、殆どの人は大企業を選ぶものだ。

 安心感で比べたら、そうするだろう。

 まあ、もっとも。

 それは「安心」というだけで在り、「安全」な立場を得られたか、という意味においては、全くの別問題なのだが。


 ともかく。

 まず、新人の募集を実際の採用を決めるまでには、最低一か月かかる。

 ほかの企業との兼ね合いによっては、二か月かかるかもしれない。

 そして、新人の研修。

 一応、整備や魔法技術、植物栽培などの専門技術を持つモノを雇うつもりでいるが、いかんせんダンジョン屋としては素人だ。

 最低限の知識を詰め込むのに、二か月は要る。

 ギリギリまで追い込んで、二か月だ。

 そこから、それぞれが配属されることになる部署の古参につけて、一か月。

 やはりこれも最低限だ。

 専門知識と技術があるだけの「素人」を、少しは動けるようにするには、最低でもそれだけかかる。

 まあ、それでも不足も不足、何年もかけて現場で能力を磨いてもらわなければならないわけだが。

 なにしろ、合計で三か月は必要だ。

 ということは。

 募集に、一か月から二か月。

 訓練に三か月、ということは。


「四か月から五か月は要るだろ? で、討伐が終わるまでに五か月から七か月、って。マジか。ギリギリじゃねぇか!!」


「おおう、びっくりした。急にデカい声出すなよ」


「ああ、わるい。いや、しかし。マジか。時間ねぇのか」


 ジェイクは改めて状況を確認し、頭を抱えた。

 兄の方も腕を組むと、難しそうな顔で唸る。


「お前が居てくれると事務仕事がすごい勢いで片付いていくから助かるんだが。ぼちぼちそうも言ってられないだろ?」


「そうだなぁ。仕事途中でほっぽってく形になるけど、しょうがないか」


「こまごまとした仕事は、こっちに任せてくれ。ダンジョンマスターにはダンジョンマスターにしかできない仕事があるからな」


「わるい、恩に着る」


 両手を合わせるジェイクに、兄は苦笑交じりに首を横に振る。


「迷惑云々を言われると、俺の方が立つ瀬ないだろ?」


 元々、ジェイクは兄の代わりに、ダンジョンマスターに就くことになったのだ。

 原因は、兄のおめでた婚である。

 迷惑という意味では、先にかけているのは兄の方なのだ。

 だから、そのあたりのことは言わぬが花というやつだろう。


「ああ、それもそうか。二度目は勘弁してくれよ?」


「二度目ってどういうことだよ。こう見えて嫁さん一筋なんだぞ、俺は」


「はいはい。あ、そういえば、アニキんとこ、結婚式ってどうするの?」


「まだ上げてないな。バタバタしてたし」


 兄夫婦のところは、それはもうやんごとない事情でてんやわんやしていた。

 とてもとても、結婚式を挙げる暇があったとは思えない。

 ジェイクも、そのあたりのことは心得ている。

 わざわざそう質問したのは、次の「結婚式はする予定があるのか」という質問につなげるための布石だ。

 まさにそう言おうとしていたジェイクだったが、兄が続けた言葉に目が点になった。


「とはいえ、やっと準備が整って三日後だからな」


「三日後? なにが?」


「何言ってんだよ。俺の結婚式だろうが」


「聞いてねぇよ!! え? いや? いや、やっぱり聞いてねぇよ!!」


 叫んだあと一瞬考えたジェイクだったが、やはり聞いた覚えはなかった。

 そんなジェイクを見て、兄は不思議そうに首をかしげる。

 だが、すぐに何かを思い出したように、手を叩いた。


「ああ、そうか。お前には伝えてないのか」


「どうしてだよ!? 結婚式、結婚式だぞお前! え、っつーかマジでやるの!? 手伝いとかいろいろしなきゃならんだろ! それなら! 俺も!」


 詰め寄るジェイクを、兄は両手で押し返す。


「いやいや、ほら! お前どうせ仕事忙しいだろ!? それなら、式にだけ参加してくれればいいかなぁーって!」


「それにしたって、っつーかなんで今まで俺の耳に全然入ってこないんだよ!」


「だってジェイクお前、こっち戻って来てから飯食う時と寝る時以外ずっと事務所で仕事してただろ」


 兄の胸ぐらをつかんでいたジェイクは、思い出すように上を見上げた。

 言われてみれば、確かに飯を食っているときと寝ているとき、あと風呂に入っているとき以外は、ずっと仕事をしていた気がする。

 そうせざるを得なかったのだから、仕方ない。

 新しいダンジョンを作るというのは、それだけ大事なのだ。

 兄の嫁さんとも、食事の時に挨拶やらなにやらは済ませている。

 ずいぶん顔を合わせているようなつもりになっていたが、考えてみたら一日三回の食事の時に話しているだけだった。


「なるほど。俺が知らない間に式の相談とかしてても気が付かないか」


「まぁな。ていうか、お前が忙しいのはよくわかってるから。式には出てくれるだけでいいと思っててさ。そもそも、式って言っても身内だけの食事会みたいなものだから。かしこまったものじゃないんだよ」


「いや、それにしたってだな」


 釈然としないジェイクではあったが、兄がそう言っている以上、口出しするのも憚られた。

 考えてみれば、兄夫婦が結婚式を挙げるとすれば、確かに今のタイミングもありだろう。

 今まではやんごとなき事情でバタついていたし、これから後は新ダンジョンの件でやはりバタつき始める。

 なにより、子供が生まれるのだ。

 そうなったら、結婚式どころの騒ぎではなくなる。


「身内でささやかに、ってやつだよ。花嫁衣裳だけは、着せてやりたいって向こうのご両親がな」


「そうか……ん? 向こうの? 南辺境伯ご夫妻?」


「まあ。そうだな。うん」


 得も言われぬ、重い空気が漂う。

 ジェイクは何とも言えない、苦いような酸っぱいような表情を浮かべた。


「それは、あの。身内だけのささやかなやつって、その。大丈夫なの?」


 この「大丈夫なの?」には、様々な意味が込められていた。

 それこそ、兄弟だからこそ可能な情報量と言っていいだろう。

 もし二人の絆が無ければ、それはただの「大丈夫なの?」に聞こえていたに違いない。

 だがこの言葉には、数百数万倍の言葉が圧縮されているのだ。

 それが分かっているからこそ。

 兄は、苦いような酸っぱいような、なんとも言えない表情を浮かべた。


「その。まあ、なんとか」


「マジか」


 兄の表情を見て、ジェイクは言及するのをやめることにする。

 ただ、アニキも大変なんだな、と深く、深く思うだけであった。

 えも言われない空気が漂うが、ふと、兄が「ああ、そうだ」と思い出したように手を叩く。

 話題が変わるならと、ジェイクは聞く体制を作る。


「話は戻るんだけどな。王都行きの件、ほかの従業員が行く予定でとってたチケットがあるんだよ」


「ああ、ハップルガンさんが行くはずだったヤツか」


「それそれ。ソレをジェイクにどうだ、って話になってるんだけど。どう思う?」


「そうねぇ。確かにそれもありか」


 言われて、ジェイクは再びカレンダーに目を移した。

 様々な予定の書きこまれたそれを見て、徐々に眉をひそめていく。


「あれ? 兄貴の結婚式が?」


「三日後」


「電車の出発が?」


「四日後だな」


「急っ!! 急すぎるの何もかもが!! こっちの脳みそが付いてこねぇよ!!」


 ジェイクが怒鳴るのも、無理からぬことだろう。

 言葉通り、あまりにも展開が急すぎるのだ。

 しかし。


「あーもーおー!? でも予定的には丁度いいのか!? 新人の募集してアレしてこれしてっつったら、ギリか! 早い方がいいか王都行き! なんなんだよチクショウ!!」


 ガンガンと机を叩くジェイクに、兄はひたすら手を合わせて頭を下げることしかできなかった。

 この上、「ついでに電車移動中に新人研修用の資料の叩き台作って置いてくれ」と、伝えなければならなかったのだが。

 流石にこのタイミングでいうことは憚られた。

 どうせ後で伝えなければならないのだが、今言ったら自分が殴られそうな気がしたからだ。

 そして、その直感は恐らく正しい。


「もーよぉー! わかったよやってやるよったくよぉ!! 後でその列車に乗るって伝えに行くわぁ! ついでにほかにも詰めないと行けないところあるしよぉ!」


「そうか。まあ、無理しないようにな」


「無理もするわ!! 大体、研修用の資料もまとめてな、あああ!! 忘れてた研修用の教材かっ!! やる暇ねぇぞ!! 列車の移動中にやるかチクショウ!! はははっ!!」


 どうやら、兄が言うまでもなく、ジェイクが自主的に仕事を思い出したらしい。

 壊れ気味に笑うジェイクに、兄はただただ申し訳なさそうに頭を下げるのであった。

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