第一章6 『嫌いになれない奴』
「き、君さぁ……はぁ、はぁ、下着姿の女の子に抱き着かれて、飛んで逃げるのは、いいけど、もうちょっとスピード落としてくれない?追いかけるこっちの身にもなってよ」
「わ、悪い、ちょっと気が動転して――あーダメだ、まだ頭から離れない」
学校から飛んで逃げてきた俺は、少し離れた公園の茂みで変身を解いた。公園に人がいなかったのは運が良かった、こんなところ、ご近所さんに見られでもしたら――いや、誰かに見られた時点でもう外に出れない。それに……うおお!愛華ちゃんの下着姿が、胸の感触が、脳裏から離れない!しかも結構派手なのを――ってそうじゃない!
「なんだい?男に戻った瞬間興奮してきたのかい?この初心ムッツリめ」
「ち、違うから!べべべ別に興奮なんか」
「はいはい、そうですねー。まぁ、何はともあれよくやってくれたよ君は!初の戦いでバクを倒しちゃうなんて、驚きだよ!」
「そんなにすごいのか?」
走り疲れたマーチはベンチに飛び乗って横になった。
「君も戦ってわかったと思うけど、バクを倒すのは本当に大変なんだよ。叶えた欲望によってはとんでもない化け物にもなるからね。だからバクと戦ったとしてもダメージを与えて追っ払うだけ、それを繰り返してようやくバクを倒せるんだ」
「なるほど。それにしても、結局バクってなんなんだ?学校じゃあんまり詳しく聞けなかったけど」
「バクというのは“ホープ”が近くにいる人間の欲望に反応してそれを叶えるために姿を変えた、言わば欲望の化身だよ」
「ホープ?」
また聞きなれない単語が現れた。ファンタジーものではよくあることだが、覚えるものが多くて大変だ。
「この世界とは別の世界に存在する、人間の望みを叶えてくれる不思議な鉱石だ。その人の望みが願いや夢だった場合は問題ないんだけど、それが欲望や欲求だった場合、ホープが暴走して、その人を取り込んで怪物になる。そしてその欲望を叶えるために行動するんだ」
「それはまた、傍迷惑な石だな」
「ホープだって、出来ることなら願いだけを叶えたいと思ってるはずだよ。それに、その傍迷惑から人々を守るのが僕たち魔法少女派遣センターの仕事だから、こちらとしては、傍迷惑な石である方がありがたいんだよ」
そんなことを言いながらマーチはふてぶてしく笑った。この犬、異様に腹立つ上に人のこと脅すわドジってやらかすわでロクでもない奴だけど、なんか憎めないんだよな……そこもすごい腹立つけど。
「さて、君はやることをやってくれたし、僕もやることをやらないと」
「やること?」
「君とアフターグローの契約を破棄するんだよ。そもそも君が魔法少女になったのは僕の責任だからね」
「お前……」
マーチはどこからともなく現れた薄いモニターを前足で操作する。アフターグローの使い方を知っている俺には、それが設定制御モニターであることがすぐにわかった。こいつの言う通り、こうなったのは全てこいつの所為だから、終わったら思いっきり投げてやろうかと考えていたけど……しょうがないから許してやろう。それに、マーチとはこれでお別れになるだろうしな。俺がしんみりと別れの寂しさに浸っていると――、
「……………あれ?」
何やら不穏な声が聞こえてきた。
「どうした?」
「いやごめん、ちょっと待って――おかしいな、この画面であってるはずなんだけど……」
マーチが何度もモニターを操作するが、すぐに画面が青から赤に変わる。これは何か操作を間違っているか、何かが足りない、できないことを知らせる表示だったような気がするんだけど……
「なぁ、こっちで操作してみるか?アフターグローにもすぐに原因が聞けると思うし」
「そ、そうだね、お願いするよ」
俺はアフターグローに呼びかけ、マーチと同じ設定制御モニターを出してもらった。書いてある字は日本語でも外国語でもない見知らぬ言語だったが、なんて書いてあるかは理解できる。アフターグローが喋る言葉も、聞いたことないけど言っている意味はわかる。こういうところも不思議ではあるが、今はそれを置いといて、設定制御モニターから契約の解除を選択する。本人同意など細かいことを済ませて、確認のボタンを押した。すると、マーチと同じように解除ができないといった知らせをする赤い画面になった。本当にできないな、どういうことだ?
「アフターグロー、この原因なんだかわかるか?」
「オソラク、“スフィア”ナイデハッセイシタナゾノエラート、ジンイテキナソンショウガゲンインデハナイカトオモワレマス」
スフィアって、確かアフターグローみたいな魔法少女に変身するために道具の総称だよな?それがエラーを起こして、しかも損傷したと……
俺はこっそり逃げようとしているマーチの頭を鷲掴みにして持ち上げる。
「おい、どういうことだ駄犬」
「違う!僕じゃない、僕の所為じゃない!」
「ふざけんな!謎のエラーって絶対男が変身したからだろ!アレしかないだろ!どうすんだこれ!」
「うるさいうるさい!アレしか方法なかったんだからしょうがないだろう!それに人為的損傷の方は君が原因じゃないか!いくら万能なスフィアだって電気と融合させられたらそりゃぶっ壊れるに決まってるだろ!」
マーチはジタバタと暴れて俺の手から難を逃れる。俺は俺で学校の時のように地に膝と手を突く。
「もうどうすんだよ、戻れないじゃん俺ぇー」
「そ、そのまま魔法少女続けたら?」
「できるかそんなこと!何か手はないのか……?」
このままでは、俺は一生魔法少女としてあの化け物たちと戦わないといけない。彼女ができたり結婚することになった時、「俺って実は魔法少女なんだよ」とか言ってみろ、速攻嫌われるに決まってる!そして一生独身のまま、一人寂しく死んでいく――そんな人生絶対に嫌だ!なんとかしてこの状況を脱しなければ……
「そうだ!お前の会社の人にこのことを伝えればいいんだ!そうすればなんとかしてくれるかもしれない!」
「ダメ!絶対ダメ!それだけは絶っっっ対にダメ!!」
「あ?なんでだよ、こういうトラブルは報告すべきじゃないのかよ?」
俺の問いにマーチは滝のような汗を流しながら目を逸らした。こいつとはまだ一時間もないくらい短い付き合いだが、俺にはわかる。こいつがこうなった時は何かしらやらかしていると。
「じ、実は、今朝君と契約してしまった後、上から任務は完了したかどうか報告しろって言われて、色々テンパってた僕は思わず完了したって報告しちゃって……」
「は?」
「それに加えて、魔法少女や魔法、バクだったりの存在はこの世界の人に知られちゃいけないってルールがありまして、魔法少女がバクと戦った後は記憶を消したり壊れたものを直したりと事後処理をするように言われていて、もし関係のない人に知られ、あまつさえ魔法を覚えちゃったりした場合、ミスしたサポーターはクビ、魔法を覚えた人間は始末されてしまうと言いますか……」
「つ、つまり……」
「もしこのことを報告したら、安西蜜柑と契約するためのスフィアを他人に渡し、魔法を習得させたということで僕は会社をクビになり、君も始末されちゃいます……」
もう、マーチを殴り飛ばす気すら起きない。完全に道が断たれた。放心状態の俺を見て、ビクビクしながらマーチは続けた。
「さらに言いますとスフィアをバレずに修理しようにも、それなり設備が必要で、それはこの世界では手に入らないのでそれもできません。あっ、ちなみにこのまま魔法少女として活動している限りは、バレることはないのでご安心を……」
俺はゆっくりと立ち上がり、掌や膝に付いた砂を払い落す。そしてオドオドとこちらを見上げてくるマーチをじっと見つめる。
「あの、夕斗さん……?」
「はぁ、帰ろう。今日はもう授業受けてる気分じゃないし」
「そ、そうだね、じゃあ僕はこれで」
マーチは踵を返して歩き出した。
「どこか寄るのか?」
「うん、ちょっとそこら辺に。今日の寝床を探さないといけないから――」
「何言ってんだよ、お前もウチに来い」
「え?」
俺の言葉にマーチは振り返る。なんか不思議そうな顔をしてるんで、俺は思わずため息を吐いた。
「お前、魔法少女の生活もサポートしてくれるんだろ?だったら近くにいなくてどうするんだよ。それに、こうなったのはお前の所為なんだから、一緒に元に戻る方法を考えてもらわないとな」
「夕斗……!」
こいつはどうしようもない奴だけど、何故か憎めないし嫌いにはなれない。それに、今俺がこうして生きてるのも、なんだかんだ言ってマーチのお蔭だからな。命の恩人を放っておくわけにはいかない。
「とりあえず母さんに犬を飼っていいか聞かないとな、もしダメだったらこの公園に住み着く野良犬と化すけど文句はないよな?」
「もちろん!それに見てよ、チワワだよ僕?こんな可愛い犬を飼っちゃダメなんて言える女性はそうそういないよ!」
「さっきまでしょげてたくせに。まっ、いざとなったらお前の可愛さに頼るよ。そういうの得意そうだし」
俺はマーチを連れて、我が家へと足を進めた。元に戻るにはまだまだ先は遠いけど、なかなか嫌いになれない相棒がいることだし、なんとかなるかもな。
『臨時ニュースです。本日一二時三五分、私立遊禅寺高校にて謎の巨大植物が現れました。全長は約五〇メートルと思われ、校内にいた女子生徒二〇名程が捕らわれていましたが、空を飛ぶ謎の少女によって撃退されました。少女の身元は不明であり――』
「あっ、おかえりなさい夕斗。ニュースを見て心配したけど、無事みたいで良かったわ」
前言撤回、やっぱりアイツ嫌いだ!!