第三章20『愛と笑顔のクッキング』
ななぽーとで以前から買いたかった洋服を持って、近くの喫茶店で休憩しているところへ、ルーチェさんがやって来てきました。
「大変だ!大変だ若菜ぁ!!」
「あらあらルーチェさん、ここはテラスですからあまり喋ると怪しまれてしまいますよ?」
「それもそうだな――って、確かにそれも重要だが今はそれどころじゃないんだよ!」
「何かあったのですか?」
「例の巨大バクが現れたんだよ!今ユウカとクレアが交戦してる!」
「ッ!」
「全くマーチの奴、なんで連絡寄こさなかったんだ!」
それを聞いて私はすぐに、夕斗くんが知らせないように止めたのだとわかりました。優しい彼ならきっと、私が光彦さんと一緒にいられるようにと考えるはずです。
「今、お二人は?」
「見るからに苦戦してるみたいだな、あの図体だけであって攻撃が全く通じてない」
「そうですか……」
「どうする?今日が大事な日だってのは俺も知ってる、でも正直このままじゃ……」
私の中で様々な感情が入り乱れているのを感じながら、それでもどうするべきかを考えました。今日は夕斗くんのお蔭で手に入れることができた幸せな日、でもその夕斗くんが危機に晒されている……本当はどうするべきか、私の中で答えは出ていました。それでも答えを出せずにいるのは、きっと私の我儘なのでしょう。
「どうした?」
「光彦さん……」
その時、丁度トイレから戻って来た光彦さんが、私の顔を見て心配そうに尋ねてきました。この人がこういう表情を表に出すのも珍しい気がします。
「実は……」
私はルーチェさんから伝えられたことを、そのまま光彦さんに伝えました。光彦さんは一度息を吐いてから、眼鏡のブリッジを人差し指で押さえました。あれは何か考え事をしている時の癖でしたね。
「――若菜」
「はい……」
「君はどうしたい?」
眼鏡から手を離した光彦さんは、私の目をじっと見て言いました。私は答えを口に出そうか戸惑いましたが、私は意を決して声に出しました。
「私は……ユウカさんを助けたいです。彼女は、私に大切なことを教えてくれた恩人ですから」
「そうか……」
そう言うと光彦さんは、椅子に置いておいた荷物を手に持ちました。
「光彦さん?」
「行ってくるといい、荷物は私が家に持っていく」
「えっ、ですが……」
「言っただろ?今日は君の望みを叶えると、君があの子を助けたいというのが望みなら、私は止めることなんてできない」
「光彦さん……」
私は溢れる涙を必死に堪えて、精一杯の笑顔を向けました。それに答えるように、光彦さんも笑ってくれました。やっぱり、この人と結婚したのは間違いじゃありませんでした。
「ルーチェさん、バクの正確な場所を教えてください」
「わかった!」
テラスから出た私は喫茶店の裏手に入って、誰もいないことを確認してからネックレスを外に出しました。とても綺麗なハート型のエメラルド、ずっと衰えることがなさそうな輝きから、私はこのスフィアをこう呼んでいます。
「エヴァーグリーン――セットアップ!」
緑色の光に包まれた私は、三葉にそっくりな――いえ、子供の頃の私へと姿を変えました。
「待っててくださいね、夕斗くん!――」
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「と、いうことがあったのです」
俺はモエナの話を聞いて、二人に感謝しながらも、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。無理を言って休んでもらった真田先生にも、幸せな時間をようやく手に入れた若菜さんにも。
「すみません、俺とクレアでアイツを片付けられていたら――」
謝ろうとした俺の口を人差し指でそっと止めて、不安を拭うように微笑んだ。
「夕斗くんが光彦さんを説得してくれて、再び家族として歩めるようになった。それだけで十分私は感謝しています。だから、自分の所為だなんて考えないでください」
「若菜さん……」
「それに、私も魔法少女です。幸せに暮らす人たちに危機が迫ってるのなら、助けに行くのは当然のことですよ?」
そう言うとモエナは、杖を強く握り締めてバクへと向けた。いつもの優しそうなその目には、熱い闘志が燃えていた。
「行きましょうユウカさん、私たちの街を救うために」
「……うん!」
「話は、済んだようだな……!」
「うえぇ!?クレアちゃん、何してるの?」
「見てわからぬか?押しているのだ!」
クレアはクマバクの胴体に張り付いて前に向かって精一杯押していた、いくらアブソーバードレスの効力があるとしても、四〇〇メートル超の巨体を抑え込むことはできない。いや、それをわかっていて試しているほど、今の俺たちには対抗策がない。先輩らしからぬ行動だが、ああするくらいしか思いつかなかったのだろう。
「俺たちも一緒になって押せば或いは……いや、でも押し倒したところで……」
「確か魔法が全然通用しないんですよね~?」
「うん、一応物理的な攻撃でダメージは与えられるみたいだけど、クレアちゃんの魔力は少ないし、与えられるダメージも少なくて……」
「ん~そうですね~……」
モエナは今も進撃を続ける巨大なクマをつま先から頭の先まで眺めると、柔らかい笑みを浮かべて空いている手を左手を頬に添えた。
「うふふ、どうしましょうか~」
「どうしましょうかって……」
「それにしても、クレアさんとバクさんを見ていると、一寸法師を思い出しますね~」
「一寸法師?」
「はい~、小さな一寸法師が大きな鬼と戦ってお姫様を助けるお話なんですけど~」
「いや話自体は知ってますよ?鬼の腹の中に入って針で刺す――」
ここで俺はあることに気が付いた。
クマバクは文字通りクマの姿をしている。その体毛は分厚く、炎で燃えることもなければ深い傷を与えることもできない。防御力であれば今までのバクの中ではトップクラスだろう。
じゃあ中は?アイツがクマと同じ――いや従来の生物と同じ身体の構造をしているのであれば、バクにも内臓がある。だとしたら……
「そうだよ、アイツの内側からなら!おーいクレアちゃーん!戻ってきてー!」
「ぬう?何か思いついたのか!」
バクを押すのを辞めて戻って来たクレアに、俺は早速思いついた案を出した。
「なるほど、外からの攻撃が通じないのなら奴を体内から攻撃すればいいわけか」
「うん、これならきっといける!」
「だがどうやって中に入る?馬鹿正直に口へ飛び込むわけにもいかないだろ」
「アイツに攻撃が通った後、掃除機みたいに木を吸い込んで捕食してたでしょ?あれを利用すれば――」
「いや、私もそう思ったのだが……見ろ、奴の顔を」
指差す先にいるクマバクは、お腹を少し擦りながら満足げにしている。
「大量なる木々をその身に宿したことで、己が腹を満たしたようだ。あの状態ではあの黒き孔の引力が如き力を発動するか……」
「それなら、あのクマさんが食べたくなるような美味しい料理を作ればいいんですよ~そしたらきっと、バクさんの口も開くと思いますよ~」
「料理を作るって、今ここで?」
「はい~、私の調理魔法があれば可能です~」
清掃魔法の次は調理魔法か、ほんと家庭的な魔法ばかりだな。
「だが材料がないぞ?」
「それなら問題ありません~」
そう言うと、モエナの掌から突然蔦が生え始め、そこから葉っぱが顔を出した。その光景に俺は演技も忘れて驚き、クレアも同じく唖然としていた。
「えっ、何!?何したの今!?」
「すごいですよね~、魔法を唱えなくてもいろんな植物が出てくるんですよ~。実はこれ、昔から特技だったんですよ~」
「えっ、昔から?」
「はい~、魔法少女になるずっと前からできるようになって、お腹が空いた時はよく助けられました~」
「ちょ、ちょっと待て!魔法少女になる前からだと!?」
「はい、それがどうかしましたか?」
いや、どうも何もおかしいでしょ。魔法陣も詠唱もなしでそんなことできるとかマジックですか!と俺は激しくツッコミたかったが、それよりも先にクレアがその真相を導き出した。
「貴様まさか……属性魔力の持ち主だったのか!?」
「属性魔力?」
「属性魔力を持っている者は、魔力を身体の外へ放出する代わりに、その属性に因んだ現象を起こすことができるのだ。とはいえ、植物属性の魔力が存在するとは……」
ここで俺は、以前昼休みに先輩が話していた属性魔法のことを思い出した。属性魔法は生まれつき魔力に属性を持った者にしか使えない魔法……本人はなんのことだかわかってないみたいだけど、まさか若菜さんがその属性に魔力を持った人間だってことか!?
「あっ、そういえばルーチェが言ってた!モエナちゃんは魔法の自動習得で二つしか魔法を習得できなかったって、それってすでに属性魔法を習得してたからってことだったんだ!」
「ふっ、どうやら希望が見えてきたようだな」
「うん~、でもあの大きなバクさんが思わず食べたくなる料理となると少し時間がかかるかもしれませんね~」
「それなら大丈夫!一人で時間が掛かるなら、みんなで作ればいいんだよ!」
俺の一言にクレアは首を傾げ、モエナは楽しそうに目を輝かせた。
「みんなで?」
「うふふっ♪それはとても楽しそうですね~」
「だが我々は調理魔法など覚えていないぞ!まさか今から自力で習得するなどと抜かすわけではなかろうな!」
「まさか!覚えるんじゃなくて、共有するんだよ!」
俺は魔法陣を展開して杖を空高く掲げた。
「ハート・シンクロン!」
放たれた二つのリングがクレアとモエナを包み込み、俺の周りにもリングが浮かび上がって来た。
「こうすれば、モエナちゃんが魔法を発動させるだけで、私たちにも魔法陣の形や魔法のイメージが伝わるよね!」
「なるほど~!」
「ふっ、流石私が見込んだだけのことはある」
「それじゃあモエナちゃん!お願いね!」
「うん!」
モエナは杖を掲げて魔法陣を展開する、今まで見たことのない魔法陣だったが、俺はその魔法陣の形と魔法の内容を一瞬にして理解した。クレアにも伝わったようで、俺と目を合わせて頷いた。
「「「エレガント・クッキング!」」」
俺たちは目の前に現れた巨大な調理器具を使って調理を始めた。属性魔力の有無なのか食材を自由に出現させられるのはモエナだけで、俺とクレアはその食材を手際よく仕込んでいく。
目の前で忙しなく作業をする俺たちを見てか、食材の匂いを嗅いでか、クマバクはショーケースのオモチャを見る子供のような目をしながら動きを止めた。あの何をやっても進み続けたバクがこうも簡単に止まるなんて、少し悔しいがモエナに感謝しないと。
「よしっ、これで……」
「できたね!」
「うふふ、名付けて――魔法少女のデラックスフルーツケーキ!」
直径にして約一〇〇メートルに及ぶ五段重ねのケーキが完成した。巨大な果物とホイップクリームをスポンジで挟み、表面をクリームで覆っている。装飾のクリームやカットフルーツは思わず手が出てしまいそうなほど綺麗に飾り付けられている。あまり料理の経験がない俺でもこんなにも甘く美味しそうな物が造れる辺り流石は魔法だ。
クマバクは完成したケーキを見て我慢することなく大きく息を吸った。自分の身体の四分の一はあるケーキが宙へと浮かび上がり、バクの方へと引き付けられていく。
「今だ!」
俺たちはその隙を狙い、ケーキと共にクマバクの口の中へと飛び込んだ。コンサートホールよりも広い口腔を抜けて食道へと潜り込む、食道も予想通り大きく、まるでトンネルのようだ。長い食道を抜けた先には口腔よりも広い空間があった、真下には黄緑色の液体が湖のように溜まっている。そこへ吸い込まれたケーキだったものが食道から現れ、湖の中に入った。ケーキはまるで水に入ったわたあめのように一瞬にして溶けた、どうやらあれは胃液のようだ。
「ここは胃のようですね~」
「クックックッ……煉獄の魔王たる我が力を振るうに相応しい場所だな」
「そうだね……それじゃ、イッチョ暴れようか!」
巨大な胃袋の中で、俺たちはそれもう一寸法師のようにありったけの魔法を使って暴れまわった。黒い炎が吹き荒れ、爆発する苺が飛び交い、手縫い針が胃の側面を突きまくる。体内でもわかるほどクマバクが苦しんでいるのがわかる。
「私はもう魔力がない、トドメは任せたぞユウカ!」
「うん!トリプルタイプ・フュージョニウム!」
アフターグローにクレアが使っていた赤い剣とモエナが使っていた巨大な包丁を融合させる。魔法陣から解放された杖は、俺の身長の五倍もある巨大な赤い剣へと変化した。
「ジャイアント・クリムゾンナイフ!」
真っ赤な大剣を胃に向かって勢いよくつき刺し、そのまま胃の側面に沿って旋回しながら飛行する。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
胃の頂点まで到達したところで大剣を振り下ろす、輪切り状態の胃は縦に切断され、それと同時に周囲が光の粒へと変化した。蛍のように光が散り散りになると、やがて青い空と山林が姿を現した。
「ふぅ……なんとか勝てたね」
「はい~、やりましたね!」
「クックックッ、煉獄の魔王である私に掛かれば造作もないこと……」
「最後に魔力切れたけどね」
「う、うるさい黙れ!」
戦いが終わりに自然に談笑をする流れになったところで、モエナは何かに気づいて地上に降りた。それに気づいてついて行ってみると、そこには真ん丸に太った男性とホープピースが転がっていた。コマバクノイドから出てきたホープピースはクレアにあげたから、正直欲しいところだけど……
「モエナちゃん、それを持って早く戻らないと」
「え?」
「だって、まだ今日は始まったばかりだよ?きっと待ってるよ」
「……はい!」
モエナは満面の笑みを浮かべて、ホープピースともに愛する人の元へと帰っていった。それを見送りながら、俺たちも帰るべき場所に足を向けた。




