第三章15 『なんということでしょー』
「はぁー………着いてしまったか」
俺は真田家の玄関前で大きく深呼吸を繰り返していた。
あれから何事もなくここまで来たが、問題はむしろここからだ。出来るだけ、何もすることなく終わらせる。そして若菜さんには俺が来たことを黙っておくように言ってもらう……これを意識していこう。
でも、やはり緊張と不安が――
「わっ!」
「ふおっ!」
突然の大声に俺は前に飛び退いた。俺が立っていた後ろには、三葉ちゃんがにこやかに、それでいてイタズラっぽく笑っていた。
「み、三葉ちゃんか、びっくりした……」
「うふふ、こんにちはお兄さん~」
「こ、こんにちは」
「今日は何しに来たの?もしかして、またママとお話?」
「うん、まあそんなところ……!」
そこまで言って俺は気が付いた。
俺が来たことを若菜さんには黙っておいてほしいと頼むつもりだったが、三葉ちゃんも言う可能性もある!
「ねぇ三葉ちゃん?」
「何~?」
「きょ、今日俺がここへ遊びに来たことは、パパには内緒にしてくれるかな?」
「なんで~?」
「それはえーと……明日の結婚記念日にプレゼントするものがバレちゃうかもしれないから……うん、そう!バレちゃうから!」
「そっか~……うん!じゃあ秘密にしてあげる~」
「ありがとう三葉ちゃん、ところでどう?プレゼントの方は」
「うん~、今日で完成するよ~」
「良かったね」
よし、とりあえずこれで三葉ちゃんの口は防げた。あとは若菜さんの話を聞けばそれで終わりだ!
「ただいま~」
「お邪魔します……」
三葉ちゃんに玄関を開けてもらい、俺は家の中に入った。相変わらず高そうなところに住んでいる。昨日はすぐに若菜さんが顔を出していたが、今日は手が離せないのか姿が見えない。
「お兄さんはリビングでゆっくりしてて~」
「いいの?」
「うん~」
「じゃあお言葉に甘えて……」
俺は靴を脱いでリビングに向かった、それにしても妙に静かだ。
リビングの扉を開くと、中には誰もいなかった。
「あれ、若菜さーん?」
てっきりこっちにいるのかと思ったけど、どこにいるんだろう?
リビングを見渡してみたり、キッチンやベランダを覗いてみたが、どこにも若菜さんの姿は見当たらなかった。一体どこに……
「ん?」
ベランダからリビングに戻ろうとしたところで、俺はあることに気が付いた。ベランダが二部屋分の長さがある、そしてリビングの隣にあるであろう部屋はカーテンで閉ざされていた。
改めてリビングを見てみると、廊下から見て左手側に襖がある。俺はてっきり物置か何かだと思っていたけど、物置にしては襖が大きい。そうか、ここにいるのか。
俺は襖に手を掛け横に引いた。
「若菜さ――ッ!!」
リビングの隣は所謂寝室になっていて、そこには大人二人が寝れる程の大きさのベッドが設置したあった。そしてその上で若菜さんが横になって眠っていた。それだけなら驚くことはない。
問題は格好だ。
若菜さんは下着以外に何も付けていなかったのだ。
「……………!!」
突然のことに言葉を失い、身動きが取れない俺の目には、母さんよりも大きい二つの胸、桃のように柔らかな尻、少しゴージャスで大人っぽい黒いブラジャーとパン――じゃなくて!閉じろ俺!
「お兄さ~ん?」
「ッ!!?」
三葉ちゃんの声を聴いて体が緊急警報を鳴らしたのか、俺が考えるより早く襖を閉めていた。幸いリビングの扉の前から声を掛けられたようで、襖の中は見られていない。ていうかなんで隠した俺は。
「なななな何ぃ?」
「私、蜜柑ちゃんと遊びに行ってきますね~」
「あ、ああわかった!いってらっしゃい!……」
何も知らない三葉ちゃんは、ご機嫌そうに玄関から出て行った。その姿を全力の作り笑いで見送り、扉が閉まるまで続けた。
「――ふぅ、危うく死ぬところだった」
とりあえずどうするか、若菜さんが起きるのを待つか?でもずっとリビングにいるのもあれだし……やっぱり帰った方がいいかもしれないな。
そう思い襖から手を離した瞬間、静かに襖が開いた。
そして、手を掴まれ中に引き込まれた。
「うわっ!」
驚いている暇もなく、そのまま俺はベッドに投げ出された。
何が起きたのか状況を確認しようと起き上がろうとした瞬間、俺の体は温かいもの包まれ、身動きが取れなくなった。
これは一体――ッ!?
「わ、わ、わ……若菜さん!?」
「すぅ……うふふ……」
なんということでしょー、匠の早業により、俺は抱き枕へと早変わりー……って、それどころじゃない!
俺の頭が胸に来るように、若菜さんが俺のことを抱きしめたまま眠っている。しかもさっきと変わらぬ下着姿で!ていうか胸が、胸がぁ……!こ、これは……思春期の男の子には効果は抜群過ぎます!
「わ、若菜さん?あの、若菜さん?」
「ダメですよ~……まだ百まで数えてませんよ~……」
「お風呂入ってるわけじゃないんですけど!」
だめだ、完全に寝てる!これはもう起こすしかない、このままじゃ俺が眠りにつきそうだ!
「お、起きてください若菜さん!」
「はれ~?……夕斗くん~?」
「はい、夕斗です!起きてください!」
「……夕斗くんも一緒に入ります~?」
「いや入りませんけど!ていうか入れるわけないじゃないですか!」
「そんなに照れなくてもいいんですよ~……」
「まあ確かにそんな状況になれば照れますけど――ってそうじゃなくて!若菜さん!起きてください、わーかーなーさん!」
「んん~?…………」
俺の負けない闘志によって、若菜さんはゆっくりと目を開いた。
「お、おはようございます。若菜さん」
「……………夕斗くん?」
「は、はい……」
若菜さんは抱きしめている俺のことを見て、二、三秒程動かなかった。きっとまで寝ぼけているのだろう。
「……あら、夕斗くん。いらっしゃい~」
「ど、どうも」
「……あらあら?なんで夕斗くんは私と一緒に寝ているんですか?」
「寝ぼけた若菜さんに引っ張られて抱き枕替わりにされてるんです」
「そうなんですか~、大変ですね~」
すごい他人事!もしかしてまだ寝ぼけてる?それとも素なの?
「あのー、できれば離していただけますと助かるのですが……」
「あらあら、うふふ♪ごめんなさいね~」
そう言うと若菜さんはやっと俺から離れてくれた。安堵の息を吐いてから、俺はベッドから起き上がった。だが問題はまだある。
「それと、なんでその……し、下着姿だったんですか?」
「下着、姿~?………」
俺に指摘されて若菜さんは自分の姿を見た。
すると、少し顔を赤らめて毛布を手元に手繰り寄せ、上から羽織って後ろを向いた。
「あらあら、私ったら……」
や、やっと気づいたのか。ていうかきっと今までずっと寝ぼけてたんだな、そうでもないとあんな恥ずかしそうな顔はしない。
「ごめんなさいね夕斗くん、その……恥ずかしいところを見せちゃって」
「い、いえ、俺は全然!」
「私、昔から何か抱いてないと寝れなくて、手元にないと寝てる間に探しに行くみたいなんです」
そんな寝相が存在するとは……
「そ、そうなんですか……それで、下着姿だったのは……」
「お買い物しようと着替えてたんですけど、気づいたら寝ちゃっていて……」
「もしかして夜眠れなかったんですか?」
俺は何気なくそう聞くと、若菜さんは顔を俯かせて黙ってしまった。その姿を見て、昨日の悲しそうな表情を思い出した。
「若菜さん……あの、何か悩んでることがあるんですよね?」
「……………」
「その……俺なんかで良かったら相談に乗りますよ。これから一緒に戦っていく仲間なんですから」
「……やっぱり、夕斗くんは素敵な方ですね」
「え?」
「……実は今日夕斗くんにお話しがあると言ったのは、ただの口実なんです」
「口実?」
「本当は……夕斗くんに会いたかったから、なんです」
「俺に会いたかった、から?」
すると、若菜さんは羽織っていた毛布を脱いで、俺と正面から向き合った。
その目はまるで、何かを求めているような、そんな目だった。




