第三章13『隠れているもの』
慌ただしい昼休みが終わり、今は放課後。
俺は魔法大全を返すためにアスナロ通りに向かっていた。それにしても、昼休みは酷い目にあった。校舎に隅まで追い詰められてリンチ寸前、縛りあげられる前に片桐先輩が来てくれて助かったけど、結局俺まで怒られるし……
まあそれは置いといて、アイツらに放課後までついて来られなくて良かった。魔法少女としてのこともあるけど、俺が若菜さんと会ってるところなんて見られたらどうなることやら。
「あれ、マーチ?」
アスナロ通りへと繋がる交差点に差し掛かったところで、横断歩道の前にマーチがちょこんと座っていた。舌を出して息を荒げているところはまさに犬そのものだ……いや、犬なんだけど。それにしてもなんで一人――じゃなくて一匹だけであんなところに?
「ようマーチ、女子高生のパンツは見れたか?」
「ワン!」
「いやワンじゃなくて、もしかして外で人通りも多いから喋れないのか?」
「ワン!」
「そ、それは返答ってことでいいのか?」
「ワン!」
「……………」
交差点の前で犬に話しかける男子高校生。傍から見たらすごい恥ずかしいことしてるんじゃないか俺って……いや、そもそもなんもアクションを起こさないこいつが悪いわけだし……よしっ
「そうか、何をしてるか知らないけど。俺は用があるから行くぞ……」
俺はマーチから視線を外し、横断歩道へ足を踏み入れた。
「俺のベッドの下にあるお前のエロ本を撤去しないといけないからな」
「ワォオオオオオオオオオオオン!!」
「のわぁ!?やめろ!頭に噛み付くな!」
動揺と焦りが入り乱れた表情で噛み付いてきたマーチを振り払いながら、横断歩道を駆け抜ける。そのまま商店街の前でようやく頭から離れたマーチは、さっきよりも息が荒かった。
「君は、君は悪魔か!ベッドの下に隠された秘宝を公に晒されるだけでも致死レベルなのに撤去とか……地獄に落ちろ!」
「うるせぇ!テメェが俺のこと痛い人にしようとしたからだろうが!」
「ちょっとした遊び心じゃないか!冗談も通じないのか!」
しばらく俺とマーチは、人通りも多い道で口喧嘩をしていた。幸い通りすがりの人たちは、俺が腹話術でもしてると思ったのか、それほど騒ぎ立てたりはしなかった。
『い、一旦落ち着こう……人も多いのにこんなことしてたら本当に痛い人になる』
『すごい今更な感じはするけど、そうだね』
『で?お前は何しに来たわけ?』
『実は君と若菜ちゃんに話しておきたいことがあって、今日本を返すなんて言ってたからついでに言っておこうかと』
『話しておきたいこと?』
『そう、まあ簡単に言っちゃえば遠方へのバク討伐だよ』
『遠方って、なんだかコマバクノイドと戦った時のことを思い出すな』
あの時は確か、他の区域を担当する魔法少女の代わりに戦ったんだよな。今回もそんな感じか?
『まあ詳しい話は若菜ちゃんと合流してからだね』
『わかった、それじゃあ探しに――』
「あ〜!」
ふと聞き覚えのある声が聞こえて振り向くと、アスナロ通りから三葉ちゃんが手を振りながらこっちに近づいてきた。
「蜜柑ちゃんのお兄さんだ〜」
「こんにちは三葉ちゃん、学校の帰り?」
「うん〜、お兄さんも帰り〜?」
「う、うん、まあ……そんなところかな」
子供に嘘を吐くのは心苦しいけど、今から君のお母さんに会いに行くって言うのもなぁ……
「そうなんだ〜!良かった〜」
「え?」
「実はお兄さんにお願いしたいことがあって〜」
「俺に?」
「はい〜、実はプレゼントを買おうって思ってるんだけど、何にしようか迷っちゃって〜。だから、一緒に決めてほしいな〜って!」
お母さん似の柔らかな笑顔で三葉ちゃんは言った。俺の妹もこんくらい俺に笑顔を向けてくれたらいいのに。
「俺なんかでいいのか?」
「うん〜、お兄さんはママともパパともお知り合いだから〜」
「二人にプレゼントするのか?」
「うふふ!実はね〜?明後日はママとパパの結婚記念日なの〜」
「へぇー、そうなんだ」
「だから、ママとパパにプレゼントするの〜」
「そっか、三葉ちゃんは偉いな」
軽く頭を撫でてあげると、三葉ちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。あぁ〜、これだよ!妹っていうのはこういうのだよ!
「よし!三葉ちゃんのために、お兄さんが人肌脱いであげよう!」
「あっ、ダメだよお兄さん!外で服を脱いだらお巡りさんに捕まっちゃいますよ〜」
「ははは、今のはそういうことじゃないよ」
「?」
この少し抜けてるところは若菜さんそっくりだな。
『ねぇ夕斗、若菜さんとの約束はいいの?』
『マーチの方からルーチェに、少し遅くなるから若菜さんの家で渡すって言っといてくれ』
『えっ!?でもこの流れ的に一緒に買い物して一緒に若菜ちゃんの家に行くんだろう?バレる危険が……』
『それについては問題ない』
俺はマーチにそう促して、三葉ちゃんに意識を戻す。
「それじゃあまずどんなものを買うか決めようか」
「うん〜、私はね、お花がいいなって思うんだ〜」
「お花か……うん、いいんじゃないかな。それならママもパパも喜ぶよ」
「えへへ〜」
「でも、一つ問題があります」
「問題〜?」
「それは……三葉ちゃんのプレゼントがママとパパにバレちゃうかもしれないのです!」
「え〜!」
驚く三葉ちゃんに少し笑いながら、わざとらしく両腕を組んで考えるふりをした。
「もしお花は買って家に持って帰ってきたら、もちらん枯れないように水にあげなくちゃいけないよね?」
「うん〜!」
「でもそれだと、ママやパパにお花を見つけられちゃうかもしれないね」
「で、でもお水をあげないとお花は元気にならないよ〜?」
「そう、だからお花を買ったらプレゼントがバレちゃんだよ」
「そっか〜、じゃあお花はやめた方がいいのかな〜?」
「はは、実はお水をあげなくても大丈夫なお花はあるんだよ。しかも、三葉ちゃんも作ったことがあるかもしれないお花だよ」
「私も作ったことがある、お水がいらないお花〜?………あ〜!わかった、折り紙のお花だ〜!」
「正解!それならお水をあげなくても枯れないし、隠そうと思えばどこにでも隠せるよ」
「わぁ〜!お兄さんって頭いいんだね〜!」
とても嬉しそうに笑う三葉ちゃんに、俺も思わずほっこりしてしまう。ぶっちゃけこのくらいなら子供でも思いつきそうなものだけど、納得してくれてるみたいだしいいか。
「よし、じゃあ早速家に帰って作ろうか!折り紙は家にある?」
「うん〜、いっぱいあるよ〜」
「そっか、それなら安心だね」
「でも、家に帰ったらママがいるから、お部屋でお花を作ってるのバレちゃうかな〜?」
「それなら、俺が若菜さんとお話ししてるから、そのうちにいっぱい作っておくといいよ!それならバレないよ」
『おお、なるほど!これで三葉ちゃんを部屋に入れたまま、バレず若菜さんに本を返すことができるわけだ!相変わらず頭は回る男だね君は』
「そっか〜!やっぱりお兄さん頭いいね〜!」
「いやいやそれほどでも、それじゃあ行こうか」
「うん〜!」
俺は三葉ちゃんと共に真田家へと向かった。途中でルーチェが提案を了承してくれたことをマーチから聞き、問題なくマンションへと辿り着いた。
「今開けるから、ちょっと待って〜」
首にぶら下げていた鍵を使って三葉ちゃんが玄関を開ける。それにしても、真田先生の自宅に二度もお邪魔することになろうとは……俺が出入りしてることバレてないよな?
「ただいま〜」
「あら、おかえりなさい三葉」
「お邪魔します、若菜さん」
「あらあら、夕斗くん」
「ワン!」
「うふふ♪マーチちゃんもこんにちは。もしかして、夕斗くんたちと一緒だったの〜?」
「うん〜、二人でお話ししてたの〜!」
「そっか〜、良かったね〜」
若菜さんと三葉ちゃんはニコニコ笑いながら会話をする。それだけでなんだけで玄関が癒しの空間になる、微笑ましいものだ。
「それじゃあママもお兄さんとお話ししてね〜」
「うふふ♪そうさせてもらうわね〜」
三葉ちゃんは靴を脱いで洗面所へと歩き出す。入る前に一度俺の方を向いてウインクをしていた、それだとバレちゃうよーと言う意味も含めて苦笑いを返した。
「あらあら、何か約束しているみたいですね〜」
「あはは……まあ、バレてますよね」
「なんだか最近落ち着きがなかったから、きっと何か隠してるんだろうな〜っと。うふふ♪何を隠しているのかは、ここでは聞きませんけど」
これはきっと、何を隠しているのかもわかってそうだな。流石は母親だ。
「それじゃあお話しでもしましょうか?」
「そうですね」
俺とマーチは若菜さんの案内でリビングに通された。そこでテーブルを挟んで対面するように座った。その所為かテーブルの上に乗っかっている大きな胸に思わず目が映ってしまう。
「どうかしましたか?」
「い、いや別に!それよりこれ……ありがとうございます」
胸を見ていたことを誤魔化すように、俺は鞄から本を取り出した。この本、内容もさる事ながら重いは分厚いはで持ってくるのが大変だった。おまけに必要なところしか読んでないから完璧に読んだとも言えないし。
「お役に立ちましたか?」
「はい、お陰様で」
「それなら良かったです〜。そうだ、良かったらお茶でも飲んでいきませんか?早く帰ると三葉が困りそうですから」
「じゃあお言葉に甘えて」
椅子から立ち上がった若菜さんはキッチンの方へと消えていった。ていうか、俺まだ三葉ちゃんとどういう約束をしたのか言ってないのに、なんで時間稼いでることわかったんだろう。やっぱり親ってなんでも知ってるもんなのかな?
「それにしても……綺麗なところだなここは」
「そうだね……あっ、見てよ夕斗!写真立てがあるよ!」
「あっ、ほんとだ」
「はぁー、純白に身を包んだ若菜ちゃん……そそるね」
「ウエディング姿に発情するな」
マーチに軽くツッコミを入れながら、俺は改めて棚の上に飾られた写真立てを見る。
そこにはウエディングドレスを着た若菜さんや、ピクニックに行ったらしい写真、さらには結婚する前であろう真田先生と若菜さんのツーショット写真もあった。
どの写真も、とても幸せそうな顔をしている。
「あらあら、そんなにまじまじと見られたら恥ずかしいですよ」
「あっ、すみません!ちょっと気になっちゃって」
気がつけば若菜さんが二人分の紅茶を持ってリビングに入っていた。そんなに長い間見ていたとは、少し申し訳ない。
紅茶をテーブルの上に置いた若菜さんは、戸棚に近づくと写真立ての一つを手に取った。それは結婚する前に撮ったであろう写真だった。幸せそうに笑う昔の自分を見て、若菜さんはどこか、寂しそうな顔をした。
「……若菜さん?」
「えっ、あーごめんなさい!お話しするんでしたね!」
そう言うと若菜さんは慌てて目の前に座った。今のはすごい気になるけど、もしかしたら触れちゃマズイことかもしれない。一旦話題を変えよう。
「そうだマーチ!お前何か話したいことがあるんだってな!」
「え?あーそうそう!夕斗と若菜ちゃんに話したいことがあるんだよ!」
「話したいこと、ですか?」
「うん、ところでルーチェは?」
「あ〜、ルーチェさんなら今日は本社に行くって言ってましたよ〜」
そうなのか、どうりで見当たらないわけだ。ということはマーチが連絡した時も向こうの方から通信してたわけだな。
「アイツ、まさかまたオーロラちゃんと……」
「その話はやめろ」
「まあいいや、どうせルーチェにも直接連絡行ってるだろうし、二人だけに話そう」
マーチは椅子からテーブルに上がると、空中にウインドウ出して操作し始めた。すると、俺と若菜さんの目の前に、ある一枚の写真が現れた。
そこは一面木で覆われた場所で、山のようなものが見える。そして、それに身を任せるように、大きな熊が横たわっていた。大きさは明らかに四〇〇メートルは超えている。
「なんだこいつ……」
「あら、大きな熊さんですね」
「これは昨日、東京都の西にある御前山というところで撮られた写真だ。君たちにはこのバクを倒してもらう」
「デカ過ぎて攻撃が通るようには思えないんだけど……ていうかなんで俺たちなんだよ、東京の西部には魔法少女がいないのか?」
「そのーなんていうか……東京のそっち側ってあんまり人っていないじゃん?だからー……」
「あそこに現れたバクを退治する担当がいない、と?」
「はい……」
「お前、それ会社としてどうよ?」
「まさかあんな山奥に現れるなんて思わないじゃないか!」
必死に弁解するマーチを見て、俺はため息を吐いた。その逆に若菜さんはあらあら〜と笑っている。
「とにかく、これはある意味チャンスなんだよ!これであのバクを君たち《《三人》》が倒せば、またさらに有名になること間違いなしだよ!」
「ん?ちょっと待て、今三人って言ったか?」
「うん、君とーモエナちゃんとー、クレアちゃん!」
「あら、確かクレアさんってユウカさんとコンビを組んでる魔法少女さんですよね?」
「おまっ!」
俺は素早くマーチの首根っこを掴み、懐へと持ってきた。
「いいのかよクレアとモエナ一緒にして!まだ互いに正体も知らないだろ!」
「別に正体が子供じゃない同士が会ったらバレるってわけじゃないんだし心配ないよ。それにもしバレたとしても君よりは問題ないからさ」
「た、確かにそうかもだけど……」
「あの〜、このバクさんはどんなバクさんなのでしょうか?」
「うん、それについても情報は入ってるよ!」
俺の手元から脱出したマーチは、再びウインドウを出して操作した。
すると写真の片隅に文字が現れた。
「こいつはお腹いっぱいになるまで食べていたいという欲求から生まれたバクなんだよ。山奥で現れたことも含めて推察すると、遭難でもして食欲が限界に達していたところをホープが反応したんだと思う」
「このクマバクは今どうしてるんだ?お前が慌ててないってことは、それほど緊急ってわけじゃなさそうだけど」
「ああ、それなんだけど……今は姿をくらましてるんだ。一応センサーには反応があるんだけど、位置的には山の中になるんだ」
「あんなデカイのによく山の中に潜り込めたな」
「もしかしたら大きさを自在に変えられるのかも、とにかく山の中じゃこっちも手が出せないから。戦うしたら奴が出てきてからなんだ」
土から出てくるのを待つ、か。確かに俺たちの使う魔法じゃアイツを地上から倒せない、一応サンクチュアリーヘル・バスタードはあるけど、それがバクのところまで届くかどうかもわからないし……
「うふふ♪それならクマさんが起きてくるまで、ゆっくりお茶ができますね〜」
「はは……そうですね」
「じゃあクマバクが出てきたら連絡するから、その時に撃退ということで!」
「ちなみにいつ出てくるとかわからないのか?」
「それができたら苦労しないよ。でもそうだな……明日明後日には出てくるんじゃないかな?ほら、こいつは食欲で生まれたバクだし」
「ふーん……」
俺は相槌を打ちながら、目の前の若菜さんを見る。いつも通り柔らかな笑顔でお茶を飲んでいる――ように思えた。
だけど、紅茶に反射した顔は、どこか不安そうに見えた。




