第二章15『真面目で厳しいひとりぼっち』
時刻は現在16時半。
授業はとっくに終わり、部活動が始まっている。校内は放課後独特の静けさが広がり、どこか心地良い雰囲気に包まれている。
そんな中、二年生の教室が並ぶ三階に、一つの怪しい影があった。そう、俺だ。廊下の曲がり角から少し顔を出し、様子を窺っている。はっきり言って怪しい。
俺だってこんなことはしたくない、本当はグラウンドでサッカー部の練習を見ている愛華ちゃんを見に行きたい!だが、そういうわけにはいかない。何故なら……
「この二人を風紀委員室へ」
「どわぁ!チクショーまたかよ!」
「離せコラ!」
あの風紀委員長の怪しい行動を、この目に納めなくてはならないからだ。俺が目をつけた怪しい人物たちの内の一人、正直クレアである確率は一番低い人物だ。イメージとかなりかけ離れているし、あの超真面目で厳しい人が中二病全開だとは思えない。それに、もし中二病なら上白川のことも理解してくれるはずだが、昨日見た限りじゃあそういうわけでもない。探るだけ時間の無駄になるかもしれない。
だが、いくら風紀委員長とはいえ理由も無しに他人を叱るのはどうにも理不尽だ。絶対に何かあるに違いない。そしてそれを捉えることができれば、あの人の弱みを握ったことになる!そうすればあんなことやこんなことも……いや、それはないな。
とにかく、絶対に見逃すわけにはいかないのだ。
「お疲れ様です委員長」
「ええ。それにしても、一向に風紀はよくならないわね」
「人あるところに罪あり、ですね」
「そうね、でも、罪というのは形はどうあれ必ず裁かれるものよ。だから必ず、この学校の風紀は良くなるはずよ」
「はい、俺も信じてます」
やっぱりあの人、超が三つ並ぶくらい真面目で、正義の塊みたいな人だ。たかが学校の風紀ごときでそこまで言える人はなかなかいない……やっぱり北野のことを注意したのも何かちゃんとした理由があったのかも。
「次は四階の見回りね」
「はい、二年生に比べておとなしい生徒が多いですが、手は抜けませんね」
片桐先輩は大柄な男子生徒と共に動き出した。俺も、風紀委員長への疑いが薄れつつあったが、尾行を続けた。
風紀委員の仕事については全く知らないが、尾行しながら見ている限り、校内の見回りやゴミ掃除などが主な仕事のようだ。ゴミ箱に入り損ねた空き缶から廊下の隅に溜まった埃まで、目についたゴミは一つ残らず掃除されていく。ウチの学校は結構綺麗だとは思っていたけど、風紀委員のお陰だったとは……今度からもうちょい真面目に教室の掃除をしよう。
それから十数分、四階の校舎を一周をし、ようやく見回りが終わった。
「これで四階は一通り見終わりましたね」
「そうね……それじゃあもう一度、一階から見回りね」
ええ!?まさか一階から四階までもう一周する気ですか!?俺だったらもう良くやったと帰るのに……
「我々が見回りを終えた階で、誰かが何かをしているかもしれない。でしたね」
「ええ、そういったケースは過去に何度もあった、そして見回ったことで検挙できた。大変だろうけど、決して無駄じゃないのよ」
「はい、では行きましょう」
おいおいおい、どこまで真面目なんだあの人は!もういいよ、俺を解放してくれよ!尾行始めてからかれこれもう四〇分以上経ってるよ!あーもうやめやめ、あんな人が何か隠してるとは思えない。もう帰ろう、愛華ちゃんを眺めてから帰ろう。
疲れと呆れからもうやる気を無くした俺は、踵を返して帰ろうとした。
だが――
「あっ、そういうば屋上の見回りを忘れてましたね」
「そうね……笹沢くん、屋上は私が見回りをしておくから、先に一階から見回りをしていてもらえる?」
俺はこの言葉に動きを止めた。
「えっ、いいんですか?」
「屋上は全体を見渡せるからそれほど大変ではないわ。だから私一人でも平気よ」
「わかりました、それでは先に」
「お願いね」
今までずっと一緒に見回っていたはずの男子生徒を、先に一階へ向かわせた?確かに屋上は遮蔽物がないから全体を見渡せるけど、風紀委員の仕事にはゴミ掃除もある。屋上だって例外じゃないのなら、寧ろ一緒にいた方が楽なはずだ。
風紀委員長は一緒に見回っていた笹沢を見送ると、屋上に向かう階段を登り始めた。そして、今彼女が登っている階段は――
「北側の屋上への階段……間違いない、屋上で何かをするつもりだ!」
心臓の高鳴りを抑えながら、今まで以上に慎重な足取りで風紀委員長を追い掛けた。
階段を先に登り切った片桐先輩は、ドアを開ける前に辺りを見渡した。驚いて咄嗟に隠れたが、ドアが開閉する音を聞く限りバレなかったようだ。念のためそっと顔を出していないことを確認してから、急いで階段を駆け上がった。今の行動で確信に変わった、先輩は何かを隠している。それもバレちゃいけないような何かだ!
俺は意を決してドアを開けた。
そこに広がっていたのは、日が傾き始めた屋上――だけだった。
「………誰もいない?」
右を向いても左を向いても、どこにも人影はなかった。いや、それはそれでおかしい。俺は風紀委員長が屋上に入ったすぐ後に屋上へ乗り込んだ。もちろん入る前に階段や屋上の踊り場に誰もいないことは確認した、実は入ってませんでしたなんてことはないはず……じゃあ、今まで俺が追い掛けてたのは一体……?
「待て、落ち着け、何かトリックがあるはずだ。幽霊なんてことは絶対に――」
俺は思考を止めないよう全力で回そうとした。
そんな折に、ふと耳に何かが聞こえた。
人の声ではない何かが……
「――――ッ!!」
ヤバイ、大声出して逃げようにも後ろから聞こえてきたから振り返れない!なんだ今の声!真夏でもないの勘弁してくれよマジで!俺は別に呪われるようなことした覚えなんて……
「あれ?ちょっと待て、さっきの声どこかで聞いたような……」
そうだ、そうだよ。風紀委員長は消えるし人じゃない声が聞こえるしですっかりビビってたけど、この声は聞き覚えがある。確か、愛華ちゃんにお願いされた後、屋上を出ようとした時に聞こえた声。その声と同じだ!それにこれ、声っていうよりも――
「鳴き声?」
「あっ、待ってそっちは!」
「え?」
何かを止めるような声が聞こえたと思い、俺は後ろを向いた。
その瞬間、視界が真っ暗になった。
「……………ん?」
俺の視界を奪った何かがパタパタと動く感覚を頭で感じる。それになんだか獣臭い匂い。なんだか前にも似たようなことがあった気がする。
そう思いながら顔に覆い被さっている何かを掴んで引き剥がした。俺が手に持っていたのは、柴犬だった。
「え、なんで柴犬がここに?」
「大丈夫シュナ、イ、だ、あ……」
「へ?」
声が聞こえたのは俺から斜め上、屋上への出入口の上からだった。そこから顔を出したのは、風紀委員長だった。
「あ、貴方……!」
「風紀委員長……なんでそんなところに?」
「これは――掃除よ!掃除をしてたの!」
「掃除?わざわざそんなところを」
「ええ、例え誰も目につかないところでも、手を抜いてはいけないの」
「……その掃除とこのシュナイダーくんは何か関係でも?」
「そ、それは……」
風紀委員長は分が悪そうな表情をしながら、そっと顔を引っ込めた。ほほーん、そういうことですか。
俺はシュナイダーくんを抱えたまま、出入口の裏に向かった。出入口は二段構造になっていて、二段目の上には貯水槽が設置してある。さっき先輩が顔を覗かせていたのは一段目の屋根からだ、あそこは踊り場や階段の構造から少しスペースがある。そしてそこへ登るための梯子が裏にあるのだ。
鉄製の梯子を登ると、風紀委員長が辺りを見渡しながら慌てふためいていた。どうやら隠れるところを探しているようだったが、屋根に脚を付けた時点で観念したらしく、少し顔を赤くしながら俺を睨みつけ始めた。
「ほれシュナイダー、飼い主が待ってるぞー」
「べ、別に飼い主なんかじゃ……」
「めっちゃ足に擦り寄ってますけど?」
「それでも飼い主じゃあないのよ!」
「じゃあなんなんですか、この犬は?」
「この子は、その……」
風紀委員長は自分の足に何度も擦り寄る柴犬を一瞥すると、諦めたようにため息を吐いた。そして腰を下ろしてシュナイダーの頭を撫でた。
「この子は学校に迷い込んだ野良犬なのよ」
「野良犬?」
「飼い主に捨てられたみたいで、彷徨っている間に校庭から校内に入ってここまで来たみたい」
「すごいなこいつ」
「最初に見つけた時、すぐに学校の外へ出してあげたんだけど、ここが気に入ったみたいで何度も侵入してはこうやって寛いでいるの」
俺は風紀委員長の隣で同じように腰を下ろした。
撫でられて気持ちがいいのか、シュナイダーはその場に座り込んで呑気に寝始めた。
「本当は校内に動物がいるのはいけないことなんだけど、こんなに気持ち良さそうな顔をされると、こっちが悪いことをしているような気がして……」
「そうだったんスか、でもよく今までバレませんでしたね?」
「私がここから絶対に出て来ちゃダメって言ってから、ずっとその約束を守ってくれているの。ふふっ、本当に不思議よね?もしかしたら貴方が言った通り、私のことを飼い主だと思ってくれているのかしら」
そう言ってクスリと笑った片桐先輩の横顔に、不覚にもときめいてしまった。あの真面目でキツイ性格を知った上でこんな笑顔見せられたら、男はドキッとするだろう。これが所謂ギャップ萌えか……
「じゃあ前に北野が放課後に屋上へ行こうとしたのを怒ったのも、シュナイダーのことを隠すためだったんですね」
「もしかしてこの前の彼のことかしら?そうね……この子のことが知られたら、また居場所を失ってしまうと思って、ついキツく言ってしまったわね。今度会ったらちゃんと謝っておかないと」
「………………」
「何?私変なことでも言ったかしら?」
「あ、いやその……風紀委員長でも謝る時は謝るんだなって」
「当然でしょ?自分が悪いと思った時はしっかり謝るわ……そんなに意外だった?」
「まぁ……正直かなり」
「はぁ、やっぱり周りからはそう見えてるのね」
風紀委員長はシュナイダーから手を離して立ち上がり、沈んでいく太陽を見据える。
「……私は、今まで自分が正しいと思うことを貫いて生きて来た。これからもきっと、そうやって生きていくと思うわ。でも、それが時に周りを遠ざけてしまうことがある。私はそんなことをずっと繰り返してきた……今、私の近くにいるのはシュナイダーだけ……もしかしたら私は、この子が一人になるのが嫌だったからじゃなくて、私が独りになるのが嫌だったから、この子を隠し続けてるのかもしれないわね……」
「先輩……」
「ごめんなさいね、こんなこと聞いても貴方が困るものね」
「別にそんなことは――」
「いいの、聞いてくれただけでも嬉しいわ。ありがとう」
夕日を背にして微笑んだ先輩の顔は、どこか哀しげだった。
「この子のことは、秘密にしてくれるかしら?」
「はい、もちろん」
「ありがとう……そろそろ戻らないと笹沢くんが心配してここまで来ちゃうわね。彼、見た目以上に心配性だから」
どこか冗談交じりに言った片桐先輩は、俺の隣を通り過ぎ、鉄製の梯子を降りていった。このまま帰していいわけない!何か――何か言わないと!
「あの!」
俺は屋根から顔を出して大声を出した。屋上から出ようとしていた風紀委員長は、俺の顔を見上げた。
止めたのはいいけどなんて言えばいいんだ?こういう時に気が利いたこと言える自信がないし……でも――
「ッ!俺じゃダメですか!?」
「え?」
「もしこの先、シュナイダーのことがバレて、シュナイダーが学校からいなくなって、先輩が独りになったら……今度は俺が!先輩の近くにいます!寂しくなったら隣にいます!嫌なことがあったら話も聞きますし八つ当たりにも我慢します!だから、その……」
「……ふっ、ふふっ、あはは!」
「え、なんでそこで笑うんですか?あーやっぱり直感で言うべきじゃなかった!」
「ご、ごめんなさい、そうじゃないの……」
口を押さえて笑いを堪えていた先輩は、一度息を吐いてから、もう一度俺を見据えた。
「ありがとう。そんなこと言ってくれたのは、貴方が初めてよ」
「そう、ですか?」
「ええ……それじゃあ、もしそうなった時はお願いね?」
「――はい!」
片桐先輩はステンレス製のドアを開けて、校内に入っていった。最後に見せてくれたその顔は、なんだか嬉しそうに見えた。




