第二章8『ORANGE vs RED』
「白きを滅する黒き咎――シュバルツブレイズ!」
「ファイヤーマター・フュージョニウム!ブラックメテオ!」
黒い炎が道路を埋め尽くさんと広がっていく。それが直撃する前に、赤い雷撃で砕かれたアスファルトの破片と融合させる。これで相手に撃ち返せればいいんだけど、生憎融合させるだけなので、黒い炎を纏ったただのアスファルトの塊にしかならない。それでも攻撃を無力化できているだけ十分だ。
「くっくっくっ……」
「何?燃える石っころがそんなに面白い?」
「いや――面白い魔法だ。物質だけではなく魔法ですら融合の素材にできるとは……貴様なら、新たなる生命を生み出すことも難しくなかろう」
「残念だけど、そんな錬金術みたいなことはできないの、やったこともないけど。あなたなんか、無機物だけで十分よ!」
「無機物で十分、か……刮目せよ、黄金郷の聖水を――ゴールデンスプラッシュ!」
煉獄の魔王は杖を振りかざし、呪文を唱える。それだけで、金色の水流が俺に襲い掛かる。水なら防げる、そう思った俺は杖を横に構えて待ち受けた。
だがそれがいけなかった、回避することもできた金の激流は、俺を取り込むように直進を続けた。以前カエルバクノイドに超巨大水鉄砲を食らわせたことがあった、それとは比にならないほどの勢いだ。
「げほっ、ごほっ!クソッ、アイツの魔法なんなんだ!炎に水に風に氷に雷!ファンタジーではお約束な魔法ばっかじゃねぇか!」
『あの子が使っているのは人工属性魔法だね。本来では有り得ない効果や色彩などを持つ自然現象を発生させるんだ。彼女の場合は色だけが違うようだけど』
「それはまた、魔法使いらしい魔法ですこと。だけど、自然現象を操れるのはアイツだけじゃない!」
俺は煉獄の魔王から視線を外し、背を向けて走った。
「ほう、逃げるのか?まあ、それもまた当然のこと、我は煉獄の魔王!全ての生物が恐れおののく魔者の頂点だ。恥じることはない……だが、私がそれを許可するかどうかは別だ!」
真っ赤な少女は黒いマントをはためかせ、俺の背中に食らいついてくる。あの足の速さ……やっぱりアブソーバードレスに匹敵する身体能力を持っていやがるなこの小娘。
だが、今はそれでいい。そうでなくちゃ作戦が進まない!
「さぁ、無様にチリとなれ!常世全てを灰燼と――」
「マターロッド・フュージョニウム!」
「ッ!」
煉獄の魔王の驚く表情を見ながら、融合中の杖を振り向きざまに横へ薙ぐ。
これは、お前が俺を追いかけて来ること、鍔迫り合いの時に見せたパワーからして、すぐに追いついて来ること、それらを見越しての作戦。追いついたお前はきっと呪文を唱えて魔法を使う。それと同タイミングでこっちも魔法を使えば思わぬ不意打ちになる。どんな魔法かなんて読む必要はない、向こうが詠唱をする限り、こっちの魔法には追いつけない!
融合していた杖は煉獄の魔王に直撃する寸前でその姿を現した。俺が素材に選んでいたのは――
「軽自動車を、ハンマーに……!」
「レプシロバーン・ハンマー!」
巨大な鉄鎚は直撃と共に火を吹き、爆発を引き起こした。煉獄の魔王は爆炎に飲まれながら二〇メートル先まで地に触ることなく飛んで行った。アスファルトの上を二回もバウンドしてから、ボールように転がって止まった。飛んでいる間に炎は消えたが、火事でも起きたかのような爆煙が彼女を包み込んでいる。
「どう、レプシロバーン・ハンマー、バージョン2のお味は?」
『本人も爆発していない辺りに改善の効果が見えるね』
「それに今回は軽自動車を選んだからね、前より威力は落ちたけど十分強力よ。あの子もこれで――」
「くっくっくっ……」
聞き覚えのある不敵な笑い声に、俺は驚きながら振り向いた。爆発に巻き込まれ、遠くまで吹き飛ばされたはずの少女の笑い声が、煙の中から聞こえて来る。まさか、あの爆発を食らって無事だったのか……?
「出でよ、青き大地の巨腕――タイタンアームズ!」
呪文が聞こえたその瞬間、俺の足元が盛り上がり、青い腕のようなものが這い出てきた。完全に油断していた俺は、その腕になす術なく握り締められてしまった。
「なっ、くっそ……動けない!」
「巨人の手が何者だろうと逃さないように、青き大地の腕もまた、何者も逃さない……くっくっくっ、ついに捕らえたぞ。夕焼けの魔法少女よ」
煙の中から現れた奴の姿に、俺は目を見開いた。無傷だった。あれほどの爆発を受けたにも関わらず、煉獄の魔王の身体は傷一つ付いてはいなかった。
「な、なんで……あの時確かに……」
「ふっ、あれには流石の私も驚いたぞ?まさか杖をハンマーに変えるとはな……だが、爆発に威力を任せたのが運の尽きだ」
煉獄の魔王が俺の目の前まで近づいて来て、やっと俺は気がついた。奴が身につけていたはずのマントがどこにもなかった。
「まさかあのマントを楯に!?でもそんなこと――」
「普通なら有り得ない。だが、私は煉獄の魔王。全てを灰燼と帰す黒き煉獄の炎の中で生きているのだぞ?私が身につけている衣服は全て、あらゆる炎や熱に耐性を持っている。例え如何なる爆発であろうと、この身を傷つけることはできない!」
しまった!完全に誤算だ、大誤算だ!あの一撃で仕留められると思ったのに!ていうかこれはマズイ、洒落になってないくらいマズイ!
「くっくっくっ、今更抵抗しても無駄だ。せめて苦しまないよう一撃で葬ってやろう……」
真っ赤な少女は狙いを定めるように杖の先を俺の頭に向ける。それだけで全身が強張っていくのがわかる。なんとかして抜け出さなければ!でもどうする!?さっき腕に掴まれた弾みで杖を落として魔法は使えないし、アブソーバードレスの補正があっても壊さないし!そもそも杖持ってないと魔法が使えないってどういうことだ!
「常世全てを灰燼と帰せ――シュバルツブレイズ!」
煉獄の炎が灯り始める。
俺は目を強く瞑り覚悟を決めた――
「………………………………………?」
なぜだろう、いつまで経っても熱さが襲ってこない。もしかして熱を感じる間も無く昇天したのか?そう思った俺はゆっくり目を開いた、そこには閉じる前となんら変わらない景色が広がっていた。ていうか、俺も燃えてすらいない。
「あ、あれ……?」
「くっ――くっくっくっ!騙されたな、今のはフェイントだ!」
「フェイント!?」
「やはり、ただ煉獄の炎で焼死させるだけではつまらん!この私を追い込んだ貴様に対する礼儀として、我が最強の魔法で葬ってくれるわ!」
「最強の魔法!?」
「我が操りし煉獄の炎、その本領だ……くっくっくっ、この土地一帯が消えて無くなるのは確実と思うがいい!」
「この土地一帯が……!」
今まで空気と化したい野次馬たちも、この言葉に騒然とし始めた。中には我先にと逃げ出す人たちも、早く止めなければ!この街には愛華ちゃんだっているんだぞ!
「暗き世に、灯りし黒き豪炎よ。汝の焔は光を呑み込み、汝の熱は闇すら溶かす。ここに示すは我が力の体現者、我が侵略の篝火。燃えろ、焦せ、汝は煉獄の裁きの鉄槌――」
「や、やめ……ッ!」
「グロリアス・ノワールフランメ!」
魔王の声が狭いビル街にこだまする。人が、物が、街が、声を静めて無を作り出す。もう、そこに音は存在しなかった。
そして、そして、そして……
「…………………………………………………………………………………………………………………」
特に何も起こらなかった。
「…………………………………………………………………………………………………………………???」
あれ、おかしいな、今すごい劣勢な状況で、トドメを刺されそうになっていて、最強の魔法を使われそうになっているはずなのに――すごくシリアスな場面なはずなのに……
「――く、くっ!私としたことが、まさかグロリアス・ノワールフランメを使うための魔力が残っていないだなんて!でも、貴様を始末するのに大袈裟な魔法は必要なかった。そう思えばどうということではないわ!」
空気がおかしい、可笑しい空気になっている!
「あ、あのー……」
「ふっ、なんだ夕焼けの魔法少女よ?今更命乞いをしても意味なんか――」
「まさかとは思うけど……弾切れ?」
「……………………………」
愉悦に満ちた表情で余裕を示していた煉獄の魔王は、俺の問いかけを聞いた瞬間、ピタリと固まった。陣形型魔法式は確かに読まれやすいけれど、魔法陣さえ書いちゃえば何度でも使えちゃう利点がある。じゃあ詠唱型魔法式は?魔法を読まれないという利点を活かすのなら同じ詠唱は必然的にできない。つまり、同じ魔法を使うには多くの詠唱を作り出さなくちゃいけない。
彼女本人の意思なのか、それとも魔法の効力が切れたのか、青い腕は俺を解放しながら消えていった。アスファルトに転がっているアフターグローを拾い上げ、無線を起動させる。
『くふ……ふふっ……』
「……マーチ?」
『え?……あっ!何、どうしたのユウカ!』
「魔法少女になった時、頭の中に魔法やその使い方がインプットされるって言ってたけど、その中に詠唱も含まれてる?」
『いや、スフィアには自動魔法陣作製機能が備わっているから、基本的にインプットされるのは魔法陣の形だけ、詠唱型魔法式を使うとしたら一から見つけ出さないといけないね』
「なるほど……」
「ちょ、ちょっと待て人間!その口ぶり、まるでこの私が魔法少女だと確定しているような、そんな物言いだな!」
煉獄の魔王(仮)は怒鳴り散らすように声を張った。その顔は彼女の真っ赤な髪よりも真っ赤だった。
「よくよく考えれば、身体能力の補正をしてくれるアブソーバードレスと互角に渡り合えたのも、爆発を食らってもなんともなかったのも、私と同じで、アブソーバードレスを着ているからって考えれば全て辻褄は合う。私なんて、あの爆発より強力な自爆食らってるのにピンピンしてたんだから」
「うっ……!」
なんだか陸に投げ出された魚のように苦しそうな表情を浮かべる煉獄の魔王?は、後退りを始めた。
「あなたの持っている魔杖も明らかに私と同じだし、地上だから本領を発揮できないんじゃなくて、最初からそんな力ないだけ!つまり、魔界も魔者も存在しない!」
「ぐぅ……!」
もはや虫の息となっている煉獄の魔王を自称する少女に、俺はトドメを刺す。
「あなたは煉獄の魔王なんかじゃない、早すぎる中二病を拗らせたタダの魔法少女よ!」
「………ッ!!」
『タダの魔法少女っていうのも、変な話だけどね』
真っ赤な魔法少女はその場で力なく膝をつき、手を地につけた。野次馬たちもさっきとは違う意味でざわつき始める、あんな大真面目に戦っていたはずが、まさかこんなことになるとは誰も思うまい。ていうか、俺はまた、中二病の言うことを間に受けていたのか……そう思うとなんだか恥ずかしくなってきた。
「く……くくっ、くっくっくっ、くっくっくっ!!私は煉獄の魔王、クレデリアス・リベリオン・ヴェルメリオ・パーガトリー13世!魔界を統べる魔者の中の魔者!それ以外の何者でもないのだぁ!!」
「流石は中二病、ここまで追い詰めてもまだ魔王だと言い張るのか――ていうか涙目だけど大丈夫!?」
「うるさいうるさいうるさーい!えーいこうなったら、我が右目の封印を解くしかない!」
「右目の封印!?――いや、それもただの飾りなんじゃ……」
「くっくっくっ……愚か者めが。私を怒らせたことを後悔しながら消えるがいい!」
そう言うと、中二病少女は右目の眼帯に手を掛け、空高く捨て去った。俺は特に身構えることなく眼帯を目で追った。もう何をしたって怖くもなんともない、それもただのハッタリに過ぎない。少女は両目を瞑ってニヒルに笑い続ける。
「貴様はいつから、私が使う魔法が一種類のみだと錯覚している?」
「ッ!?」
「閃光眼ハイグリントシャイニング!」
次の瞬間、俺の視界が真っ白に染まった――いや、正確には光に包まれた。突然起きたフラッシュに、腕を使って視界を塞ぐ。何が起きたのかはわからないが、今のところ身体にダメージなどはない。それにしてもやられた、完全に油断していた。
閃光はいつの間にか治っていて、視界も徐々に街の景色を取り込み始めた。そして視力が元に戻って、俺はようやく気がついた。
「あっ、逃げられた……」
目の前にいたはずの赤い少女は、視界からいなくなっていた。辺りを見渡してみても、ビル街のどこにも見当たらない。あの魔法は、自衛隊や警察なんかが使うスタングレネードみたいなものだったようだ。
「それにしても、魔法少女って言っても色々いるんだね。今度別の子に会った時はもうちょっと慎重にならないと」
『まあでも、魔法少女同士で戦うなんてそうそう無いし、いい機会だったと思うよ?』
「そうだね。さて、私も学校行かないと。また風紀委員長さんに怒られるのも嫌だしね」
『うん、じゃあお疲れ様!』
「あっ、そうだマーチ」
『なんだい?』
「テメェ、あの子が魔法少女だとわかってて黙ってたろ?帰ったら捌き倒すから覚悟してろ」
『えっ――』
俺はマーチの返答を聞くことなく無線を切り、学校に向かって離陸した。帰宅後、机の上に『探さないでくださいお願いします』という書き置きがあったが……ゴミ箱に投げ入れた。