第二章7『降臨、煉獄の魔王』
「ふんふんふん♪ふふふんふふふんふん〜♪ふんふんふっふふふふふ〜ん♪」
「あの……夕斗さん……?」
「なんだマーチ?」
「えーとその……なんでそんな上機嫌に女の子の服準備してるんですか?」
「え?そんなの使うからに決まってるだろ、変なこと言うなお前は」
「いや変なのは夕斗だからね!?どうしちゃったのさ一体!まさか本当に女装趣味に目覚めちゃったの?幼女の階段登っちゃったの?」
「うるせぇな朝から。それと何を変な勘違いしてんだテメェは」
「そ、そうだよね!良かった〜、ムッツリ童貞だけど一応常識はある夕斗がとうとう壊れたのかと思ったよ」
「ちょっとデートで着て行くだけだ」
「登るどころか飛び去ってた!?ほんとにどうしちゃったの!」
マーチにプリンを買わせた翌日、俺は意気揚々と変装用の服を綺麗に畳んでベッドの上に揃えていた。まあなんでこんなことをしているのかというと、ユウカの姿で愛華ちゃんとデートするためである。
三日前に悩んでいた愛華ちゃんとユウカを会わせる件は、社長に会う時に使った作戦をそのまま使うことでなんとか解決し、なんと明日の土曜日にお出掛けすることになったのだ!いや〜まさか本当に愛華ちゃんとデートできる時が来るなんて……幸せ過ぎて夢なんじゃないかと疑うレベルだ。
でも個人的には『ユウカで』ってところが残念だ、本当は『俺で』デートしたい!折角接点が出来たんだから、これを機にもっと近づけたら……
「夕斗!夕斗ってば!」
「あーもううるせぇな!なんだよさっきから!」
「バクが出たんだよ、バクが!ビル街の近くに現れたんだ!」
「えっ、デート云々の理由が聞きたかったからじゃないの!?」
「そうだったんだけど出てきちゃったの!さあ早く準備して!」
「わ、わかった!––ったく、何が出動する機会が減るだあのエロジジイめ」
俺は文句を垂れながら鞄を持って部屋を出る。幸い妹とは接触することなく家を出ることができた。アイツに鉢合うと無駄なタイムロスになってしまうからな。
「マーチ、周囲に人は?」
『いないよ、今なら大丈夫』
「了解」
マーチからの応答を聞いて、俺はスフィア––ではなく制服のポケットに忍ばせていた装置のスイッチを入れた。これは会社からマーチに支給されていた“簡易型透過機”というもので、一〇秒程度ではあるが装置に触れた人を周りから見えないよう透過させることができる。これを使えばどこでも変身できるのである、なんでこれを今更使っているのかというと、これの存在をマーチのアホが隠していたからだ。どうやらあの駄犬はこれを使って何か良からぬことを企んでいたらしく、その計画を俺に知られたくなかったと、首輪で宙吊りにされながら答えていた。
「よし……アフターグロー、セットアップ!」
オレンジ色の光が瞬く間に全身を覆い、ユウカの姿へと変貌させる。体感では大体十秒以上掛かっているに、現実では一瞬の出来事。ここんところは相変わらず謎である。
「さて、いっちょお片付けと––」
『んん!?ちょっと夕斗!』
空へ飛び立とうとした俺をマーチは大声で止める。あまりにも不意打ち過ぎて転びそうになったが、なんとか留まった。
「なんだよマーチ、何かあったのか?」
『……いなくなった』
「は?何が?」
『バクがいなくなったんだよ、なんの前触れもなく!』
「いなくなった?」
俺はマーチの言葉に疑念を抱いた。
種類にもよるけれど、バクは高層ビルにも匹敵する大きさを持つ巨大怪物。そんなのが突然姿を消すなんてことあり得るのか?しかも場所は道路をビルで挟んだビル街、そう簡単に抜け出せるようなもんじゃないはずだ。可能性を考えるとなると……
「とりあえずビル街に行ってみる、もしかしたら……」
『何かわかったのかい?」
「ああ、なんとなくだけどな」
道路から足を浮かしてビル街へ向かう。
バクがいなくなった理由、可能性としては二つ。一つは、バクがセンサーから姿を絡ませることできる能力を持っていること。でもこれはかなり可能性が低い。アイツら自分の欲望を叶えるためにしか動かない、そんな奴らがわざわざこっちのことまで手を回すとは考えにくい。それにバクノイドの一件でセンサーもかなり強力になっている、能力なんか使っても姿を消せないだろう。
そしてもう一つは––
「す、すげぇ、あんなでっかい怪物を一撃で……」
「何者なんだあの子は?」
「ユウカちゃん、じゃないもんな……」
到着したビル街には大勢の野次馬たちが集まっていた。ビルや道路は少しばかり破壊された跡があった、でも肝心のバクの姿はどこにもなかった。
ただその代わり、女の子が一人、道路に立っていた。
「来たか、待ち侘びたぞ……」
「あなたがバクを?」
「ん?ああ、貴様を待つまでの遊び相手にな。と言っても、私と戦う前からボロボロでだったのでな、一太刀入れただけで散ってしまったさ」
ルビーのような真紅の短髪、魔女が被るような三角帽子に、足首を隠せるほど大きいマント、赤く丸い左目に対し、右目は覆い隠すように眼帯が付けられている。そして、指なしグローブが嵌められた彼女の手には、俺のアフターグローに何処と無く似た杖が握られている。俺はすぐ、この少女の正体に気づいた。
「あなたも魔法少女なのね」
「魔法少女?ふふっ、いや、私は魔法少女などではない」
「ッ!?」
魔法少女じゃ、ない?いや、俺と同じく杖を持っている以上、同じ魔法少女のはず、そうじゃないとしたら一体……
「知りたいか、私が何者であるか?ならば教えてやろう、そして刻むがいい。この名が貴様にとって最後に耳にする真名となるのだからな––」
真紅の少女は黒いマントを翻し、持っていた杖を俺に向ける。そして、高らかに声を張り上げた。
「我が名はクレデリアス・リベリオン・ヴェルメリオ・パーガトリー13世!人間たちが住まう人間世界とは別次元の異層、魔界を統べる魔者の中の魔者!魔界に住みし者たちは皆私に恐怖し、崇め、奉る……彼らは親愛なる想いと慈悲を求めし思いを込めてこう呼ぶ––煉獄の魔王と……」
「煉獄の魔王……」
魔界、魔者、そんなものがこの世に存在するのか?いや、魔法や聖獣がいるくらいだ。あっても不思議じゃない、でも、だとしたら、なんで魔法少女の杖をあの子は持っているんだ?
「その杖は、魔法少女のものじゃないの?」
「これか?ああ、これは私が王位を継承した際に、先代から譲り受けた魔杖“クリムゾン・オブ・レッド”……この杖を一振りすれば、この世の全てを煉獄の炎に包み込むことができる焔の杖だ––ふふっ、だが安心するといい。どうやら我が杖はこの世界では効力を失ってしまうようでな。本来の一割程しか力を発揮できないのだ」
煉獄の魔王は俺に説明しながら、その炎の杖を楽しげに振るう。スフィアに似た魔法の杖……もしかしたら構造自体も同じって可能性もある。アフターグローも、本来ならとてつもない力を持っているのかも……
「私を待っていたっていうのは、どういうこと?」
「貴様を待っていたのは何故か。それはな––」
魔界、魔者、魔法の杖……俺の知らない言葉が次々と羅列されていくうちに、俺は少女の言葉に意識を向けていた。それがいけなかったのだろう、煉獄の魔王が瞬く間に眼前まで接近していたことに、一歩遅れて気づいたのだ。
「ッ!」
ガキンッ!と、鋼同士がぶつかり合う音がビル街に響く。挙動は遅れたものの、向こうの狙いが逸れて構えていた杖に偶然合ったってくれのは運が良かった。いや、もしかしたら最初からそのつもりだったのかもしれない。
「な、何を……!」
「ふっ、知れたことを!こうなった以上、貴様もわかっていよう!」
激しい鍔迫り合いの中で、煉獄の魔王と名乗る少女は愉快に笑う。
「私の手で貴様を倒す。我が目的はそれだけよ!」
「わ、私を、倒す!?」
これはマズイ。そう思った俺は彼女を突き飛ばすつもりで杖を振るった。だが向こうも同じことを考えていたのか、互いに押し合い地面を擦りながら距離を取った。
「なんでそんなことする必要があるの?別に、私はあなたに何かした覚えは––」
「ないさ。何かされた覚えはない」
「じゃあなんで!」
「私が私であることを世界に知らしめるため、ただそれだけだ、夕焼けの魔法少女よ。貴様を倒し、我が存在をこの世に刻みつける!」
俺は杖を握る手に力を込めて、煉獄の魔王を見据える。あの鍔迫り合いでわかったことが一つ、あの子のパワーは私に匹敵するということ。アブソーバードレスの身体能力補正にあそこまで互角に渡り合えるなんて……これが魔者の力ってやつなのか?
「悪いけど、私も負けるわけにはいかないの。この町の平和は、例え魔王だろうと譲らない!」
「––くっくっくっ、いい目だな。私はそういう目をした者と戦いたかったのだ……故に耐えろ。我が一撃を」
少女は深く息を吐き、静かに目を瞑った。なんのつもりだ?仮にも戦おうというのに、まさかそれで戦うわけじゃないだろうな……いや、考えてる暇はない!力が拮抗している現状、先に動かなければやられる!
「よくわからないけど、隙だらけだよ!」
いまだ目を開かない少女に向かって、俺は杖を構えて突進する。相手は仮にも女の子、一撃食らわせればそれでお終い––
「黒き焔よ、灯れ––シュバルツブレイズ!」
一瞬だった。
俺の視界は黒に覆われ、全身が高熱に包まれた。直進していたはずの俺は、いつの間にか後ろへと吹き飛ばされていた。
「あ、熱い……今の、炎……?」
「どうだ、煉獄の炎の味は?」
黒い炎。そんなものが出せるのは魔法しか有り得ない。でも、なんでだ?なんで魔法陣がないんだ?魔法っていうのは建築と同じだ。どんな家にしたいかを決めて、設計図を作って、木材や道具を用意して、そして初めて完成する。魔法陣は謂わば設計図、魔法陣を組み立てない限り魔法は使えない。
それなのに、あの子は魔法陣を展開することなく魔法を使った!一体どういうことだ……
『まさかこんなことになるなんてね……』
「マーチ?」
『あの子が使ったのは詠唱型魔法式だよ』
「詠唱型魔法式?」
『言葉の羅列によって魔法を構築する技法だよ。最近では魔法陣を使う陣形型魔法式が主流になっているけど、昔は詠唱によって魔法を発動していたんだ』
マーチの説明に思わず意識が向いてしまうが、相手はその隙を見逃すことはなく、さっきのような呪文を唱えて俺に攻撃を仕掛ける。黒い炎の他にも、赤い稲妻に銀色の風、紫色の吹雪まで飛んでくる。
俺はそれらを回避しながら続きを聞く。
『詠唱型魔法式は魔法陣と違って発動まで時間が掛かる。それも強大な魔法であればあるほど、詠唱の時間が長くなる。でもその代わり、相手に魔法を予測されないという利点があるんだ』
「どういうこと?」
『魔法陣っていうのは一つの魔法に一つだけ。でも詠唱は一つの魔法に一〇〇以上存在する、だから同じ詠唱をしない限り相手に魔法を読まれることはないんだ』
「なるほど、それはまた厄介な相手だね。でも––」
「駆ける赤色の牙––ブラッドレッドサンダー!」
煉獄の魔王が持つ魔法の杖から、真っ赤な雷撃が牙を剥く。それに対し、俺は迎え撃つように杖を構えた。
「サンダーマターフュージョニウム!」
光の速さで飛んで来た赤い雷は俺の目の前で姿を消した。
「我が雷撃が消えた……!」
「消えてないよ、強いて言うならあなたの後ろ」
俺は杖で彼女の後ろを示した。煉獄の魔王は後ろを振り向くと、怪訝そうな表情を浮かべた。そりゃそうだ、あの子の斜め上にある信号機の赤いランプが何故か帯電してるんだもの。
誰も走っていない道路で進行を示す青が光る。やがてそれは黄色に変わり、そして赤へと変わる。
その瞬間、赤い雷撃が煉獄の魔王に向かって落ちた。
「ッ!!?」
突然のことの襲撃にも関わらず、煉獄の魔王は地面を転がるように回避した。彼女は体制を立て直し、俺に向かって杖を構えた。
「貴様、何をした?」
「あなたの赤い雷を信号機と融合させたの、その名もシグナルサンダートラップ!即席とはいい出来だったでしょ?」
俺は挑発するようにわざとらしく肩を竦めた。
すると––
「くっ……くふふ……あははははっ!ははははははは!!」
真っ赤な彼女は、本当に楽しそうに、愉快に、高笑いを上げた。俺は予想していた反応と違いすぎて唖然とした。
「いい、いいぞ!私の敵はそうでなくては困る!さあ来い夕焼けの魔法少女!もっと私を楽しませてくれ!」
『ユウカ、これは……』
「うん、なかなか面倒な敵に目をつけられたみたいだね」




