第一章2 『いちごミルクは可愛い飲み物』
なんていうことだ。まさかやった宿題を忘れるとは。
四時間目が終わった昼休み。俺は真田先生の説教でげんなりしながら弁当を食べている。あの人はやっぱり怖い。教室の隅をオタク仲間と占拠して、俺以外は昨日の深夜アニメの話に花を咲かせている。ちなみに俺は見てない、割とグロイ内容だったから。
「昨日は良いところで終わったよね」
「まさかタクムがミリアちゃんを刺すとは……タクムマジ許さん」
「でもミリアちゃん殺さないと街の人たちやリリカとデキちゃった子供守れなかったししゃーない」
「ていうかアニメ見て思ったけど、まだミリアちゃんの伏線原作じゃあ回収してないよね?どうする気だろ作者」
ちなみにタクムは主人公でミリアちゃんっていうのはヒロインらしい。話を聞く限りじゃタクムが色々と酷すぎる。まだ第五話だぞ。
そんなことを思いながら箸を進めていると、教室のドアが開く音が聞こえた。不意にそっちを見てしまった所為で――いやお蔭で、俺は箸を止めた。
青味がかった綺麗な黒髪に、健康的なポニーテール、パッチリ開いた目と柔らかそうな桃色の唇、顔は小さく身長も低め、だが出るところは出てるスタイルのいい体、黒いパンストに包まれた細い脚。
彼女は立花愛華。この私立遊禅寺高等学校のアイドル。誰もが憧れる絶世の美少女で――俺の片思いの相手だ。
ああ~、やっぱり可愛いな愛華ちゃん。別に幼馴染でもないし、部活が同じでもないし、帰り道も家も知らないけど会ったことないから近くじゃないだろうし、きっと俺のことも覚えてないだろうけど、一度でいいから一緒にご飯食べたいな~。もうそれだけで満足できる。
このまま俺の視界に入れておきたい。そんな思いを知ってか知らずか、隣に座っていたオタク仲間の一人の馬場竜馬が横から顔を出してきた。
「見えねぇよ馬鹿、どけ」
「お前、この前それで愛華ちゃんの友達から「こっち見てるよ」って怪しまれたばかりだろ」
馬場の忠告でその時の苦い記憶を思い出し、体の向きを変えた。あの時愛華ちゃんにもそれが伝わってたんだよな、あの日の夜は泣いたわ。
「だって、立花さん可愛いししょうがないじゃん。見ろよあれ、飲み物いちごミルクだぞ!超女の子じゃん!」
「ちなみに俺もいちごミルクだけど」
「うるっさい!お前のいちごミルクと立花さんのいちごミルクじゃ価値が違うんだよ!」
「お前今の言い回しすごい変態みたいだぞ?本人の前で言って来たら?」
ケラケラと馬鹿にして笑う馬場に、俺は無言で手刀を叩き込んだ。ついでにそのメガネも割ってやろうかこの百合厨め。
「立花さんのいちごミルク……」
今の今まで深夜アニメの話で盛り上がっていたはずのオタク仲間の一人が、ぽつりとそんなことを口にした。しまった、熱中してて聞いてないと思ってたのに、面倒な奴らに聞かれた。
「立花さんのいちごミルクだって」
「立花さん、立花さんのいちごミルクを俺に飲ませてくれキリッ」
「俺のいちごミルクも飲んでほしいわ」
「まったくわかってないな安西は、リアルなんてロクなもんじゃないって言ってるだろに」
おい馬鹿やめる。そんな大声で誤解を招くようなことを言うな、まるで俺が愛華ちゃんのいちごミルクを飲みたいみたいに思われるだろうが!
「お、俺ちょっとトイレ行ってくるわ!」
その場にいるのが嫌だった俺はそそくさと教室を出た。
まったくアイツらは、趣味は合うけどロクなことを言わないから困る。そもそもなんだ「立花さんのいちごミルク」って!絶対後ろに(意味深)ってついてるだろ!別にそういう意味で言ったわけじゃないっつうの!ていうか堂々とそんなこと言えるか!
いやそれよりもだ、確認してなかったけど大丈夫かな。愛華ちゃんに聞かれてないよな?聞かれてたら俺はマジで死ぬ、首を吊る。でも待て、別に俺が言ったってアイツらは言ってないし愛華ちゃんも俺が言ったって思ってないかも?いやでも俺が言ったのを聞かれてたら……
そんなことを考えていた所為か、前に人がいたことに気づかずそのままぶつかってしまった。完全に隙だらけだった俺はそのまま尻餅をついた、なんか今日はよくぶつかる日だ。
「悪い大丈夫か――ってなんだ安西じゃねぇか」
その声に俺は目線を上げると、茶髪で背が高い、顔立ちのいい男が呆れた顔でこっちを見ていた。この人は榊原哲也。サッカー部の二年生で、俺の中学時代からの先輩。部活でもよく面倒を見てくれていた人だ。
「榊原先輩!なんで一年の教室の前に?」
「いや、ちょっとサッカー部の一年に用があってな。今日の部活は練習じゃなくてミーティングになったって」
「わざわざ伝えに来たんですか?そういうのって普通はマネージャーの仕事なんじゃ」
「ウチのマネージャーは約一名以外働かないからな、それを承知で顧問もキャプテンの俺に伝えたんだろ」
仕事しないマネージャーってなんだよ、いる意味あるのかそれ?まあ、大概榊原先輩が目的で入ったんだろうな、中学の頃もそんな子いたし。やっぱりサッカー部のキャプテンはモテるんだろうな。
「じゃあ俺まだ回らないといけないから、お前も気が変わったらまたサッカーやろうぜ」
「あはは、まあ気が変わったらですけど」
先輩は爽やかな笑顔で軽く手を振った。ごめんなさい先輩、きっと気が変わることはないです。何故ならサッカー部には愛華ちゃんがいるから。きっと同じクラスということもあって先輩と比べられるかもしれない、ていうかあんなカッコイイ先輩と比べられるのは色々と辛い、何より愛華ちゃんに見られてるって思うと緊張して上手くやれる自信がない!ああ、俺はほんとに小心者だ!
「……はぁ、ジュース買いに行こう」
色々と悩み過ぎて頭が痛い。戻ってもどうせいちごミルク地獄だろうし、昼休みが終わるまで中庭でジュースでも飲んでいよう。弁当は途中だけど、馬場にでもくれてやろう。
階段を下って一階へと辿り着き、中庭近くの自販機でミルクココアを買った。頭を使った時は糖分が一番だ。それにしても――、
「なんか急に曇ったな、さっきまで晴れてたのに」
四階にいた時は窓の縁の影が廊下に濃く映るくらい晴れていたのに、今じゃ廊下が薄暗い。まあ、今日は暑いくらいだったし、丁度いいかもな。
俺はミルクココアをストローで吸い上げながら中庭に出た。
そこには、全長五〇メートルはあるであろう朝顔の化け物がいた。