第二章5 『これが誠心誠意の土下座です』
昼休みに愛華ちゃんからお願いをされて、それからどうにかできないかと考えてみたものの、全く思いつくことなく放課後を迎えてしまった。まあ何もせず会うなんてこともできなくはないけど、ユウカは今じゃあ毎日テレビに見るほどの有名人。そんな子が町中なんかに出てみろ、報道陣がどこからともなく現れてそれどころじゃなくなる。そしてそれが上にバレて怒られるのも、それはそれで正体がバレる可能性に繋がりかねない。人がいないところで会えば問題ないようにも思えるけど、俺が空を飛んでいるところを見たって人は結構いるらしく、SNSで投稿する一般人は多い。そこからどこに降りたかまで特定できる奴もいる。これも完璧とは言えないな。
「あーでも愛華ちゃんとデートしたいー、相手は俺じゃないけどデートしたいー」
そう、これはデメリットを踏まえた大きなチャンス!ユウカを利用してあの愛華ちゃんとデートすることができる絶好の機会のだ!なんとしても、この問題を解決しなくては!
だが、そんな意気込みも虚しく、あーでもないこーでもないと悩んでいる間に帰宅していた。やっぱりこの問題はマーチと相談した方が速そうだな、朝方はいないとか言ってたけど、流石にもう帰ってきてるよな?
俺は家に入ってまずリビングを覗いてみた、この時間は大概ソファの上で昼寝してるところをよく見かける。当たり前ではあるが、俺以外の人の前では完璧に犬を演じているな。
「ただいまー………母さん、マーチは?」
「おかえり~、多分夕斗の部屋じゃない?」
リビングを一通り見渡してみたが、ここにはアイツの姿はない。母さんの言う通り俺の部屋かもしれない。大体アイツが居そうなのはこの二つくらいだからな。
俺は二階へ続く階段を上り、俺と蜜柑の部屋と繋がる廊下に辿り着く。玄関に蜜柑の靴がなかったから、アイツはまだ帰ってきてないようだ。個人的には少し助かる、俺の部屋に入るには妹の部屋の前を通らないといけない。そして運がいいのか悪いのか、前を通ろうとすると高確率で鉢合わせる。その度に舌打ちや罵声を浴びせられるんだから精神的にキツイ。
いつも通る道にあるハチの巣が次の日に取り除かれていることを知ったくらいの安心感で蜜柑の部屋の前を通り過ぎ、ドアを開いて俺の部屋に入った。
「ただいま、なあマーチ実は相談が……」
俺は部屋に片足を入れた状態で固まった。感情として――とても驚いている状態だ。それもそのはず、俺の部屋のベッドの上で、見知らぬ青年が足組んで座ってるんだから。
「……………………………………………………………………………………………」
実際の時間そのものは短かっただろうけど、俺は体感で三分くらいその青年と見つめ合っていた。そして、そっと部屋のドアを閉じた。
「…………なんだ今の」
考え事してた所為で帰る家を間違えたか?いや、母さんも居たしここは俺の部屋だ。じゃあ部屋を間違えたのか?そう思って確認してみたが、やはりここは俺の部屋だ。蜜柑の部屋じゃない……………じゃあ誰だアイツ?
「………あーなるほどわかった!俺はきっと疲れてるんだ!だからあんな幻覚を見たんだ!なんだそうか、そんなことか。まったく、見せるんなら愛華ちゃんの幻覚にしてほしいもんだよ」
そう、幻覚だ。これはきっと疲れからきてる幻なんだ。それなら問題はない。
俺はもう一度ドアノブを回して部屋の中を見た。
「やあおかえり、今日は若干遅かったけど何かあったのかい?」
「ぎゃあああああああああああああああ不審者ああああああああああああああああ!!!」
「不審者!?どこ!?」
「お前だよお前!どっから入ってきやがった!あと、入る部屋間違えてるぞ多分!妹の部屋はここの隣だ!」
「ちょ、ちょっと、落ち着いて夕斗!僕だよ僕、わからないかい?」
「お前のようなスーツ着た茶髪野郎知るか!さっさと出てけぇ!」
スーツ姿の不審者は何やら慌てふためいているが知ったことではない、ここは俺の家の俺の部屋だ、どこの誰だかわからん奴がいたら追い出すのが当然!あと警察にも連絡しなくちゃ!
「僕だよ夕斗!マーチだよ!」
「お前……嘘吐くならもうちょいマシな嘘吐きやがれ!マーチは犬だ!人間じゃない!」
「ほんとだって!あーもう面倒臭いな!」
鬱陶しそうな表情で頭を掻き毟り、ベッドから立ち上がった。すると不審者の足元から青白い魔法陣が出現し、男の体がたちどころに光へと変わっていった。光は徐々に分裂して消滅していき、残ったのはよく見るチワワだった。
「ほら、これでどうだい?」
「………マジで?」
「マジだよ。いやーそれにしても、そこまでオーバーなリアクションをされるとは思わなかったよ。まあ驚かすためにやったことだし、一応は大成功と言ったところ――いやああああああああああああああああああああ!!!」
「おい駄犬、人の寿命縮めてそんなに楽しいか、あぁん?こちとら色々思い悩んでるっつうのに随分暇だなテメェはよぉ」
とても満足げだったマーチの頭を万力のように片手で締め付けながら持ち上げるこの犬っころは帰ってきたら帰ってきたでロクなことしないなほんと。
「ちょっと待って!怒る要素あったかな!?」
「一つは人のことを遊び半分で驚かせたこと、もう一つは――お前のドヤ顔がムカつくから」
「二つ目が理不尽すぎない!?わかった!驚かせたことは謝るから許して!」
俺の手を叩いてタップアウトをするマーチを、ベッドに放り投げて解放する。もう投げられることに慣れたのか、マーチは華麗に着地して安堵の息を吐いた。
「そういえば初めて見たけど、お前人間の姿に化けれたのな」
「化けるっていうか変身だね。これもサポーターなら誰でも使える魔法だよ、人間の姿じゃないと都合が悪いこともあったりするからね」
「へぇ、便利な魔法だな。ていうかそれを驚かすために使ってんじゃねぇよ」
「いやー、今日久しぶりに仕事で使ったからついでにと思って」
「仕事?ああ、今朝の奴か。何しに行ってたんだ?」
鞄を机の上に置きながらマーチに質問を投げかける。すると、「うっ」という小さい呻き声が聞こえてきた。俺が粘りつくような視線を向けると、アイツは露骨に顔を背けた。こいつは……今度は一体何をしてきた。
「おい、こっち向け。そして質問に答えろ。何しに行ったんだ」
「……えーと、その――今日はちょっと、社長に会って来たんだよ」
「社長?ていうことはお前たちの世界の方に行ってたのか?」
「いや、実は今社長がこっちに来てて、それで話があるから来てくれって」
「なるほど、それで人間の姿に変身してたわけか。で、社長はなんだって?」
ここから先が言いたくないらしいマーチは、口を強く噤んでプルプルと震え始めた。俺はベッドに近づきマーチの頭を上から掴み、揺さぶった。
「な・ん・だ・っ・て?」
「――会いたいって」
「……え?」
「君に……会いたいって、しかも素顔で……」
「…………………………」
「いやあのね夕斗?僕も断ったんだよ?流石に素顔で会うのは無理だと思いますよ?って、でも社長が連れて来なかったら給料を元に戻すとか言い始めて首が捻じれるぅうううううううううううううううう!!」
俺は何一つ言葉を発することなく頭を捻じった。マーチは苦痛の表情を浮かべながら両手を使って必死に抵抗する。部屋には無力な悲鳴だけが響いていた。
「ギブギブギブギブ!待て!夕斗、いや夕斗様ごめんなさい!全面的に僕が悪いです!反省してます!だからこれ以上は、これ以上は御勘弁をおおおおおおおおお!犬の首はこれ以上回らないように出来てるからああああああああああああ!!!」
「――はぁ、ほんっっとこの駄犬は」
マーチの頭から手を離し、両手を顔で覆って項垂れた。最悪だ、愛華ちゃんとデートする云々の前にとんでもない危機が訪れやがった。ぶっちゃけこいつの給料なんて知ったことじゃないしガン無視してもいいんだが、行かないと社長から変に怪しまれるかもしれない。でも、素顔で会いたいなんてオーダーどうすりゃいいんだ?
「おい、引き受けたのはお前なんだから何か対策はあるんだろうな?」
「そ、それについては問題ない、対策は考えてある」
首の調子を確かめるようにパキパキと鳴らしながらマーチは答えた。その返答に思わず顔から手を退ける。
「ほう、お前にしては珍しいな。それで、何をするつもりなんだ?」
「ふっふっふっ、まあ論より証拠だ。今から実際にやってみよう!ということで夕斗!ユウカちゃんに変身するんだ!」
「ユウカに?まあいいけど……」
ベッドから立ち上がった俺は制服の胸元からスフィアを取り出す。もうこの宝石を手にするのにも随分慣れた気がする。
「アフターグロー、セットアップ!」
オレンジ色の光が身を包み、瞬く間に小学生くらいの女の子へと姿を変える。この姿になるのも何十回目になるだろうか、もう数えるのも飽き飽きするほどにまでなっている。
「それで、変身したけどどうするんだ?」
「うん。次にスフィアの設定画面を出してくれ」
俺は言われた通りにスフィアの細かい設定を操作する画面を開く。目の前に不可思議な形をした文字が羅列された青い画面が現れた。
「そこからアバターの変更を選んでくれ」
「アバターの変更……これか」
画面の中から指定されたものを見つけ、それを指で触れる。すると、さっきまでの文字が並んでいるものから俺らしきシルエットをした人物が画面に表示されたものへと変わった。
「何これ?」
「このアバターの変更画面では、ユウカに変身した時の姿を変えることができるんだ。まあ変えられるって言っても数か所程度だけど。ていうか夕斗、これも一応契約した時にインプットされてるはずなんだけど?ちょっとスフィアの使い方忘れてない?」
「そういえばそんな設定もあったような気がする……ま、まあいいじゃねぇか俺のことは。それよりマーチ、これを使って素顔の時の姿を作ろうってことだよな?」
「流石は夕斗、その通りだよ!試しに髪の色を変えてみてよ、画面の髪の毛のところをタッチすると色を変えるところがあるから、決めたら決定ボタンを押してね」
俺はユウカのシルエットの髪の辺りを触れる。すると、シルエットの横に円形のカラーチャートが現れた。その上にも選択できる項目があり、どうやら変身した時の髪型を選べるようだ。なんだかオンラインゲームで自分の操作するキャラクターを作ってるみたいだ。ていうか……
「なぁ、これって自動的にできないわけ?一応魔法の道具だろこれ?」
「あれだよ、携帯ってすごい便利な道具だけど、検索する時とか電話を掛ける時とかは自分でキーワード打ち込んだり電話番号を選択したりするだろう?あれと同じだよ」
「……最近の携帯は音声でなんでもしてくれるんだぞ?」
「うっ……と、とにかく決めなよ!髪の色や髪型が自動で変わるだけでも十分すごいんだから!」
はいはいと軽く返事をして、仕方なくカラーチャートを操作する。色は俺の時の髪の色にするか、えーと焦げ茶色焦げ茶色ーっと……こういう時地毛が真っ黒の人は楽だろうな、わざわざ探す必要がないから。
「どうだい?」
「…………オッケー、決まった。それでなんだっけ?決定だよな」
「そう、右端にあるやつだよ」
俺は画面端にあるボタンを見つけ、それを軽く押した。
すると、まるでイルミネーションのように髪の毛根から毛先に向かって髪の色がオレンジ色から焦げ茶色に変化していく。さらに髪が生きているかのように動きだし、ツーサイドアップからポニーテールへと形を変えた。その様子を鏡越しで見ていた俺は、流石は魔法の道具だと、さっきまであった疑念を取り払う。
「おお!容姿はそのままだけど、髪型とか色を変えただけでも結構違うな!」
「そうだろそうだろー、アバターの変更では目の色も変えられるし肌の色も変えられるんだ!これで服装をなんとかすれば、偽造素顔の完成だよ!」
「マーチにしては本当によくできた策じゃねぇか!あっ、でも杖はどうすんだ?これ有ったらバレるんじゃ……」
「ふっふっふっ!スフィアを起動させたまま待機形態にすることはできるから、いつもみたいに首からぶら下げてれば問題ないのだよ!」
「マジか!ほんとにどうしたお前?今回完璧じゃねぇか!」
「いやー、そんなに褒められると照れるなー」
「ウシッ、あとは服装だな!これもアバターの変更から変えられるのか?」
「ううん、アブソーバードレスはスフィアと連動してないから着替えないとダメだよ」
マーチの言葉に、俺は思わず画面を弄る手を止めた。
なんだろう、嫌な予感がしてきた。
「…………ちなみに服は?」
「確かユウカ状態の時の身長って、妹ちゃんと同じだったよね?」
「……まさか、蜜柑から借りろとか言わないよな?」
「まあ、厳密には盗むんだけど」
「………………………」
しばらくの沈黙の後、逃げ出そうとしたマーチを素早く杖の尻で抑え込んだ。今日ほどアフターグローの尻が鋭利じゃないことに不満を覚えた日はない。
「ふざけんなよテメェ、俺が蜜柑から嫌われてるの知らんわけじゃないだろ」
「おえっ首が!……だ、だって、それにしかいい方法思いつかなかったし」
「外出たついでに買いに行けば良かったじゃねぇか!」
「僕に好奇な視線を浴びろと!?」
「浴びろよお前の所為なんだから!自分だけ綺麗でいられると思うな!」
「いや、お金が勿体ないっていうか――わああああやめて力を入れないで穴開く!穴開くから!」
このクソ犬、一度本気で懲らしめた方がいい気がしてきたぞ――いや、懲らしめた方がいいな絶対!だが今は服装をどうするかを考えた方がいいな、このままでは俺がマズイことになるし……
「おい、服の種類はなんでもいい。蜜柑の部屋からお前が持ってこい、母さんにも蜜柑にもなくなったことを悟られるな。さもないとどこかの避雷針に縛り付けて放置する」
「わ、わかった、わかりました!やります!やらせていただきます!」
「よし、行ってこい」
マーチは杖から解放されると同時にベッドから勢いよく飛び降り、俺の部屋を出て行った。それから約二分後、服を口に銜えたマーチが脱兎の如く戻ってきた。銜えていたものを放り捨て、死にそうな顔で呼吸するマーチを見ながら俺は部屋のドアを閉めた。
「持ってきたか」
「はい!」
「バレないようにしてきたか?」
「ダミー仕掛けてきたので大丈夫です!」
「よしご苦労、許してやる」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げるマーチから視線を移し、床に置かれた蜜柑の服を見る。最近妹に触れることすらしていないのに、まさかその私服を着ることになろうとは。まあとりあえず……
「着させていただきます」
「夕斗、なんで服に土下座してるの?」
「こうでもしないと許されないような気がして……よし、試着してみるか」
ひとしきり床に額を擦り付け、蜜柑の服を一つずつ並べる。結構適当に選んできたのか、ファッションを意識してるチョイスではなさそうだ。えーと、Tシャツにスカートにニーソックス、あと……
「……縞パンとはまた無難なものを選んだな」
「あの子が履かなそうなものを盗ってきただけなんだけどね」
「ていうか上の下着は?」
「探したんだけどなかったんだよ。それにノーブラの方が興奮するだろ?」
「仮にも女の子にそんな同意を求めるな。まあブラジャーなんて付けたことないし無くていいけど」
一通り着るものを確認してから、俺はクローゼットを開けた。中にはコートやジャンパーが掛かっており、その下にはシャツやパンツなどが閉まってある収納ケースが並んでいる。俺は収納ケースの一つを引き出しあるものを探す。
「何してるんだい?」
「ちょっと探し物を……あったこれだ」
「それって、プールとかで使うタオルだよね?」
「そう、ラップタオルな。これを装着してっと……」
昔使っていたシンプルな青いタオルを首から巻き、全身が隠れるようにする。もちろんボタンは全部付ける。それを見たマーチは露骨に嫌そうな顔をした。
「なんで隠すのさぁ」
「着替えてるところ見せたくないんだよ」
「僕以外誰もいないじゃないか」
「お前がいるからだよ」
「酷っ!」
さて、これで準備完了だ。まずはこのアブソーバードレスを脱がないとな。
俺はタオルの中で服を脱ぎ始める。一見ワンピースのように繋がってるように見えるが、ちゃんと上下に分かれていることを、この前バクにスカート降ろされそうになった時に知った。あの時は色々ピンチだった。
淡々と服を脱いで足元に落としていく間にあることに気づいた。
「……俺ノーブラだったのか」
「そこまで考慮してなかったみたいだね」
「そういえばアンダースコートの下にパンツ履いてるんだよな俺、これはこのままでいいかな?」
「折角持って来たんだから履いてよ、それに無地よりこっちの方が可愛いだろう?」
「はいはいわかったよ」
タオルの下は全裸という状態で蜜柑の服の近くまで移動し、マーチが調達してきた服を着始める。もちろん屈んだ時に見られないようにタオルでガードする。
「そういえばさぁ、君って女子の下着見ただけで興奮する初心童貞なのに、妹の下着やユウカの裸は平気なんだね」
「それで興奮してたら危ないだろ、後者に至っては自分の体だし。子供相手に劣情は抱きません」
何故か面白くなさそうな顔しているマーチは放置して、最後にTシャツをタオルの上から着る。これでタオルを下に引っ張れば見られることなくシャツを着れる。
だが、シャツを着た時点で俺は、少し違和感を覚えた。
「あれ……?」
「どうかしたかい?」
「なんかこう……キツイ気がするんだけど。サイズ間違えて持ってきた?」
「いや、一応確認したけどサイズは全部同じだったよ。中にタオルがあるからじゃないかな?」
「それならいいんだけど……」
違和感を払拭できないまま、ラップタオルを下から引っ張る。狙い通りタオルだけが取り除き、シャツを着ることができた。
そして俺は、違和感の正体に気づいた。
「あっ……」
「夕斗?何か――あっ……」
ここで俺は思い出した。
初めてユウカになった時、女の子になったのかを確かめるために自分の体を触った。その時胸も触ったのだが……俺の胸は、揉めるくらいの大きさがあった。そういえば、蜜柑の胸は昔からサイズが変わらなかったんだよな……
俺はタオルを巻かずにそっとTシャツを脱いだ。同じ身長と体格のはずなのに、シャツの胸の辺りがほんの少し伸びていた。マーチと顔を見合わせ、互いに頷いた後、二人でTシャツに土下座した。心の底から、二つの意味で謝った。




