第二章4 『三次元を夢に見て』
「まさか中二病の言うことを真に受けて会話していたなんて……マーチが知ったら抱腹絶倒間違いなしだったな」
さっき起きたことを思い返しながら、俺は顔を引きつらせる。
傍から見たら、中二病全開の中二病女の戯言に対して深刻な顔で話している残念な男だ。これはマーチじゃなくても見られたくない……いや、何人かには見られたけど、あの時知り合いが誰も通りかからなかったのが不幸中の幸いかもしれないな、変な噂が立たないことを祈ろう。
俺は終始周りの目を気にしながら教室に戻った。入ってきた俺に気づいて小声で内緒話をし始める人が誰もいないのを見るに、まだ教室まで広まってはいないようだ。教室の隅まで近づくと、俺に気づいた馬場が軽く手を振って出迎える。
「おかえりー、結局ココアにしたのな」
「まあな。ほれ、買って来てやったぞ」
「サンキュー………ねぇ安西さん、俺に死ねと?」
「そういえば今朝調子乗ってブラックコーヒー飲んでたなーって思って」
「ねぇ俺死んじゃうんだけど?カフェイン中毒で死んじゃうんだけど!?もしかしてまたココアかプギャーって言ったの怒ってる!?」
「べつにー?ていうかアイツら何やってるの?」
泣きそうになっている馬鹿――元い馬場を無視して指を差す。いつもつるんでいるオタク仲間たちが、いつも以上に小さく固まって負のオーラを出している。見ているこっちまで暗くなりそうだ。
「ええ?……あー、なんか北野が突然やっぱり三次元なんてクソだとか言い始めて、それが伝染してああなってる」
「何があったし」
「聞いてくれるか安西!!」
俺の声を聞いたのか、リアルなんてロクなもんじゃないが口癖である二次元主義の北野雅孝が若干泣きながら抱き着いてきた。鬱陶しいことこの上ない。
「やめろ抱き着くな誤解を招く!」
「つい先日俺の幼馴染が――残念ながら男の幼馴染が、脱非リア充しだしたんだよ!俺と同じくらい目立たない影薄い奴なのに、スゲェ可愛い彼女作りやがってさぁ!しかも惚気話に二時間も付き合わせられたし……やっぱりリアルなんてロクなもんじゃない!」
大きな声で喚く北野を、俺は苦笑いしながら慰める。周りの視線が痛い、何が悲しくて男同士で密着せねばならんのだ……
「そうだな、リアルはロクなもんじゃないな。でもそれなら、北野だって彼女作ればいい話じゃんか」
「た、確かにそうだけど、三次元の女なんて……」
「そう消極的なるなって、三次元にだっていい女の子はいるよ!例えば――」
「愛華ちゃんか」
「愛華ちゃんだろ知ってる」
「お前愛華ちゃん好きだもんな……大体の男子は好きだけど」
「うううるさい!人の思考を先読みするな!えーと他には……」
野次る周りを動揺しながら黙らせ、さらに思考を巡らせる。魔法少女になってから愛華ちゃん以外にもいろんな女子と関わってきた、その中から適任であろう人物を愛華ちゃん以外から選出する。アイツが三次元に興味を持てるような可愛い子、もしくは美人な子……
「そうだ、今日食堂前であった赤い眼鏡先輩!あの人すごい美人だったぞ!」
「赤い眼鏡の美人……もしかして風紀委員長さんのことか?」
「えっ、あの人が風紀委員長だったの?」
「知らないのかよ?二年生の片桐牡丹先輩、相手が誰であろうと規則を乱した者には容赦はしない、別名歩く校則なんて呼ばれている人だ」
馬場の言葉に驚きながらも、確かに納得する。歩く校則とはまた言い得て妙な、漫画の登場人物みたいな先輩だな。
「片桐先輩かぁ、確かに美人なんだけど……」
「俺もあの人苦手だなー、俺らとか目の敵にしてそうだし」
「この前フィギュア持ち歩いてたら怒られて没収されたよ」
「いや、それお前が悪いだろ。でも俺も片桐先輩はなしかなー」
皆が口々に不満の声を上げる。確かに俺もあの人は苦手な人かもしれない、今度見かけたら見なかったことにして避けようかな。
「それで安西、他にはいないのかよ?」
「他?他は……そうだな……」
「……あっ、いやでもなぁ」
「なんだよ馬場、思い当たる子がいるのかよ?」
そう問い詰めると、馬場にしては珍しく渋い顔をしていた。女の子の話になると水を得た魚みたいになるこいつが、そんな微妙な子なのか?
「いや、まあ可愛いと言えば可愛いんだけど……」
「けど、なんだよ」
「ちょっと――いやかなり癖のある子でさぁ」
「なんでもいい!馬場、教えてくれ!」
藁にも縋る思いで詰め寄ってきた北野に負けた馬場が、諦めたように溜息を吐いた。
「えーと、隣のクラスにいる上白川怜奈って子なんだけど……その子、かなりの中二病なんだよ」
ん?中二病?なんかかなり最近それらしき人に会った気がする。それも十数分前くらい。
「ちゅ、中二病……」
「それはまた痛い……」
「で、でもかなり俺らよりじゃね?」
「ま、まあチャラチャラしたのよりはマシ……だよな」
「俺、一度その子に話掛けられたことがあるんだよ。本人曰く私と同類だと思ったそうで。その時は魔眼がどうの言ってた」
「……なぁ、馬場。そいつって髪長くてボサボサ眼帯付けてない?」
「えっ、安西も知ってるの?」
驚く馬場に俺も渋い顔で頷いた。
「つい十数分前に食堂前でぶつかった。その時も色々言ってたよ、私と同じ代行者だろ?的な」
「………………………」
「えっ、何?どうしたのみんな?」
「いや、俺もそいつ知ってるんだよ」
「俺も、この前ぶつかった」
「まさかとは思ったけど、安西の言った特徴でわかった」
なんだアイツ、ただの中二病患者じゃなくて新手の当たり屋だったのか。ていうか見境なさすぎるだろ選ばれし者の代行者……
「やっぱり――やっぱり三次元なんてロクなもんじゃないんだ!」
「そうだな……北野の言う通りだ!」
「外に出ればカップルカップル……まさに生き地獄だ!」
「なんで俺はあの中にいないんだって何度思ったことか!」
「やっぱり二次元だよ!二次元こそ至高!フィーネちゃん万歳!」
「ああその通りだ!例え彼女がいなくても俺たちには嫁がいる!」
二次元コールを高らかに唱え始める同士たち、周りの痛い視線がさらに増えていく。ああ、きっとこんなんだからモテないんだろうなと悟りを開きかけている。
俺が悟った顔で暴徒たちを眺めていると、その中から一人、突然輪から抜け出した。それはちょっと小太りでゲームが好きな渡邊猛だった。
「あっ、悪いちょっとトイレ……」
「お、おう、いってらっしゃい」
「……なんか最近多くないか?」
「何が?」
「トイレだよ。アイツあんな行くような奴じゃなかったよな?」
「便秘じゃねぇの?」
「――ハッ!まさか抜け駆けか!」
「おいおい、この中で抜け駆けられるような奴なんているか?」
「確かにそうだな!」
HAHAHAHA!と海外のバラエティー番組宜しく笑い合った。俺も含めみんなとても清々しい笑顔を振り撒いている――なんでかちょっと悲しくなってきたぞ。
そんな可哀想な集団に、一人の女の子が近づいてきた。
「あっ、いたいた。安西君!」
青みがかった黒いポニーテールを揺らしながら現れたのは、学校のアイドルであり現在片思い中の相手、愛華ちゃんだった。
「た、立花さん!?」
「良かった見つかって、探してたんだよ?」
「お、俺のことを?」
「うん!」
ま、まさか愛華ちゃんが俺のことを探してくれていたなんて……なんと夢心地なんだ……と、思っていた矢先、突然背筋が凍る感覚を味わった。これは――殺気。憎しみや妬みが強く込められた殺気が、俺の全身に刃を向けている。その原因は、なんとなく察しが付いている。
「安西お前……」
「いつの間に愛華ちゃんと……」
「最近お前もよくいなくなると思ったら……」
「許すまじ、安西……」
まるで呪いでも掛けるような低く小さな声が俺の耳に入ってくる。さっきまで抜け駆け云々の話をしていたんだ、そんな状況で女の子から声を掛けられればこうもなる。俺は若干口の端を引きつらせながらも愛華ちゃんと会話を続けた。
「え、えーと、どうして俺を?」
「あ、えーとその………い、《《いつもの》》――なんだけど」
「あ、あーなるほど!わかった、じゃあ……」
「待て安西!」
席から立ち上がりその場を去ろうとした俺の肩を馬場が勢いよく掴み、後ろに引き寄せて耳元に顔を近づけた。
「おい、いつものってなんだいつものって!まさか愛華ちゃんと……」
「へ?………ッ!はぁ!?いやいやいやちちちち違うから!別にそういうあれじゃ――」
「じゃあなんだよいつものって!絶対意味深なことだろ!」
「そんな同人誌みたいな展開あるか!常識的に考えろ!」
「くっそぉ安西の癖に愛華ちゃんとイチャイチャしやがって、安西の癖に!」
「癖にってどういうことだ!と、とにかくなんでもないからな!行こう立花さん!」
「う、うん――ちょっと安西君借りてくね?」
「チクショーごゆっくりー!」
泣きながら送り返す馬場たちに、愛華ちゃんは不思議そうに手を振る。なんで泣いてるかは理解していないようだ、まあ知らなくてもいいことだけど。
「馬場君たち何かあったの?」
「いや、最近泣けるアニメを見てるらしいからその所為だよ多分」
「そうなんだ、そんなにいいアニメなんだね」
愛華ちゃんは今ので納得したのか「どんなアニメだろう?」と自分なりに考え始めた。そんなところも可愛いです!それにしても、まさかこうして愛華ちゃんと横になって歩ける時が来るなんて、二ヶ月前の俺が見たら泣いて羨ましがるだろうな、これも魔法少女のお蔭か。
俺と愛華ちゃんが向かっているのは校舎の北側にある階段から入ることができる屋上だ。この遊禅寺高校の校舎は東西南北にそれぞれ階段があり、屋上もその階段からしか行くことができない。つまり、東側の屋上に行くには東の階段からではないと入れない。南の階段から南側の屋上に入り、そこから東側の屋上に向かうことはできない構造になっている。とはいっても敷居に使われているのは網状のフェンスなので、落ちる覚悟を持って登れば入れないことはない。実際やろうとする人はほとんどいないけど。
そして、俺たちがこれから何をしに行くかというと、ユウカについての話である。俺とユウカが知り合いだと嘘を吐いて以来、愛華ちゃんとよくユウカの話をするようになった。ユウカはどういう子で、普段はどんなことをしているのか、そんな他愛のない話だ。まあ、ユウカは俺自身なので若干嘘はあるが、大体は俺の私生活をいくらか盛って話しているので、あながち嘘ではない。
「ふぅ、到着~」
「やっぱり真反対だとそれなりに遠いな」
「そうだね、でも誰にもバレないように話なら北側の屋上がうってつけだし、しょうがないよ」
北側の校舎には教室がなく、音楽や美術の授業以外には立ち寄る用事がないこともあってか、あまり北側の屋上は使われていない。それでも生徒は何人かいるが、大きな声を出さない限り、話を聞かれることはないだろう。それにしても、愛華ちゃんと二人っきりっていう状況は、やっぱり慣れる気がしないな。さっきからずっと心臓バクバク言ってるし、これ以上のことが起きたら絶対に心臓が止まる気がする。
「そ、それで立花さん、今日は何が聞きたいの?」
「えーと、今日は聞きたいっていうかお願いがあるっていうか……」
少し申し訳なさそうな表情で俺から目を逸らす。何か言い難い頼みなのだろうか?
「お願い?」
「うん、そのー………お願い!安西君!ユウカちゃんに合わせてくれないかな?」
「ゆ、ゆゆユウカに!?」
「う、うん……安西君の話を聞いててすごい会いたくなっちゃって、でもユウカちゃんがどこに住んでるかわからないし、バクが出たところに行ってももういなくなってることがほとんどで……安西君なら場所も知ってるだろうし、仲がいいから頼めるかなって……」
それを聞いて俺は思わずうなじ辺りを掻いて唸った。
これは本当にどうしたものか、個人的には合わせてあげたいところだけど――基本的に魔法少女は他人との関わり合いは禁じられている。理由はもちろん正体がバレる可能性が高いからだ。変身前の姿で会うなんて尚のこと禁止。俺の場合はバレたら即刻アウトだから、なるべく人とは関わらないように意識して行動しなくちゃならない。でも――こんな可愛い顔でお願いされたら意思も揺らぐ。一体どうすれば……
「ダメ、かな……?」
「そ、そうだな……」
何かいい案はないものかと脳みそを絞るように考えていると、愛華ちゃんの後ろにあるドアがゆっくりと開き出した。そういえば屋上に入って間もないところで話していたことに今頃気づき、堅く口を噤んだ。ステンレス製のドアから物音を立てないように現れたのは、どこかで見覚えのある女子生徒だった。
えーと、誰だっけ?同じクラスだよな?確か愛華ちゃんとよく一緒にいるグループで、ツインテールで、目が結構パッチリしてる……
「――し、篠崎さん、だっけ?」
「うわぁ!?」
思わず名前を呼んでしまった所為か、篠崎さんはバッタのように横へ跳ねた。今ので思い出したけど、確か陸上部だったなこの人。
「え?――あっ、ほんとに澪ちゃんだ!どうしたのこんなところで?」
「わ、私はちょっと……そ、それより愛華も!なんであのオタク集団の、しかもなんちゃってオタクと一緒にいるの?」
おいなんちゃってとか言うんじゃねぇ、せめてにわかオタクしろ。あとこいつ絶対俺の名前覚えてないだろ。
「わ、私たちはちょっとお話してただけだよ!ねぇ安西君!」
「おおおおおうそうだ、ただ話してただけだ」
「……ふーん?」
「何その反応?」
「別に?隠さなくても言いふらしたりしないのにな~って」
あーなるほど、これはあれか、漫画で良く見る「もしかして○○と付き合ってるの?」「○○君はただの友達だよ!」「ほんとに~?」みたいな感じの会話の始まりか。生で見れるとは思わなかった、そして先が読めてる分泣けてくる。
「違うよ!ほんとに話してただけだって!」
「学校のアイドルが嘘ついちゃいけないなー。愛華は顔に出やすいタイプだからすぐ何か隠してるってわかるんだからー」
「隠してる――といえば隠してるけど、とにかく言えないの!」
「わかったわかった、もう言及しないって。でも愛華、一つだけ言わせて?」
「なに?」
そう言うと、篠崎さんは俺のことを一瞥し、暖かい目で愛華ちゃんを見つめ直した。
「男は、しっかり選んだ方がいいよ?」
「おい待て貴様どういうことだ」
「それじゃあ私はこれで。青春しなよ?」
篠崎さんは爽やかな笑顔でサムズアップ。颯爽と屋上から消えて行った、何しに来たんだアイツは。
「えへへ、なんかごめんね安西君」
「あっうん、大丈夫、ちょっと心抉れただけだから」
「それでその……ユウカちゃんのことなんだけど」
「あーそうだ、すっかり忘れてた」
まるで嵐のような女の所為で頭の中から消去されていたけど、この問題はどうしたものか……でも、今は何も思いつかないし、愛華ちゃんには悪いけど少し時間を貰おう。
「正直言って会えるかどうかまではわからないけど、もうしばらく待ってくれないかな?本人にも確かめないとだし」
「そうだね……うん、わかった!もし大丈夫だったら教えてくれる?」
「もちろん!ユウカも立花さんのこと気にしてるみたいだったし、向こうも会いたがってると思うよ」
「ほんと?ふふっ、なんだかそれだけでも嬉しいかも」
愛華ちゃんは頬緩めて柔らかい笑顔を作る、見ているこっちまで笑顔になってしまうほどいい笑顔だ。ほんとに素直な子だな……抱きしめたい、割とマジで。
すると、まるでタイミングを見計らったかのようにチャイムが鳴る。もう五時間目が始まる予鈴か、速いもんだ。
「もうこんな時間か、私たちも戻ろっか?」
俺は軽く頷いてから、愛華ちゃんの後ろについて屋上を出ようとした。
その瞬間――何かの声が聞こえた。
「っ?」
思わず後ろを振り向いた。
屋上には予鈴を聞いてこちらに向かって動き出した生徒が何人かいた。
だけど、あの声はこの中の誰でもない。俺はなんとなくそんな気がした。
「どうしたの安西君?」
「――いや、なんでもない」
後ろ髪を引かれる思いを拭い去りながら、俺はステンレスのドアを閉めた。




