第二章1 『梅雨と台風の6月』
「おにいちゃ~ん!みてみて~ちょうちょ~!」
「おお、ほんとだ!よく捕まえたな蜜柑!」
「えへへ~、おにいちゃんにみせたかったの~」
「そっか、ありがとう蜜柑」
「うん!」
これが五年前の俺の妹。いつでもどこでもべったりで、まるでカルガモの親子のように後ろをついてくるような子だった。俺が小学校の友達と遊ぶ時にもついて来ようとするから困りものだったが、今思えばとてつもなく可愛かった。この時の俺はめちゃくちゃ幸せ者だったんだよな。
「みてみておにいちゃん!これ、わたしがつくったの!」
「へぇー、これってなんだ?」
「けーき!」
「ケーキか……うん、美味しそうにできてる!」
「でもかみねんどだから食べちゃダメだよ?」
「そうだな、じゃあ今度は本物ケーキを作ってくれよ!」
「うんいいよ!おにいちゃんのためにいっしょうけんめいつくるね!」
これが四年前の俺の妹。幼稚園の展覧会で自分の作品を嬉々として俺に見せてくれた。俺に褒められるのが相当嬉しかったらしい。そういえば結局蜜柑の手作りケーキは食べれなかったな、もう叶うことはなさそうだけど。他にも将来の夢を描いた絵が飾られていた、蜜柑が描いた絵はとても上手かったらしく、金の折り紙で出来た勲章が貼られていた。その絵の題名は『将来の夢 お兄ちゃんのお嫁さん』。父さんが悔しそうに泣いていたのは今でも覚えている。
「ねぇお兄ちゃん聞いて聞いて!今日隣のクラスの一くんから告白されちゃったの!」
「告白!?す、すげぇな最近の小学一年生は……」
「一くんって女の子から人気があってね、お勉強もできるし足も速いし、クラスのみんなが一くんと遊びたがってるくらい人気者なの!」
「あーそりゃモテるわ一君。でもそんな子から告白されるなんて、良かったじゃんか」
「うん。でも私ね、付き合ってくださいって言われたけど断ったの」
「えっ、なんで?」
「だって……お兄ちゃんの方が大好きなんだもん!」
これが三年前の俺の妹。ちなみにこれは風呂場での出来事である。小学生になっても俺にべったりなのは変わらず、俺が風呂に入ろうとすると一緒に入ってくる。俺も俺で妹だからと気にしていなかった――もちろん今でも気にしない!流石に小学生の、しかも妹の体を意識するとかないです!ていうかその体になってるし!
ともかく、この時まではまだ俺を兄として慕ってくれている。様子がおかしくなったのはその次の年の秋からだ。
「ただいまー」
「お、お兄ちゃん!?」
「ん?ああ蜜柑か、ただいま」
「お、おかえり……」
「なんだ、俺の顔に何かついてるか?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「あっ、もしかしてまた一緒に風呂入ろうとか考えてるな?」
「えっ、べ、別に考えて――考えて……」
「ん?」
「と、とにかくなんでもない!」
これが二年前の俺の妹。何があったのか知らないが、この日を境に蜜柑は俺の前で挙動不審になることが増えてきた。風呂にも入る回数が減ってきたし、話掛けると猫みたいな驚き方するし、会話してても目を合わさなくなった。最初はとうとう男女の意識が生まれてきたのかと思っていたが、俺の考えが甘かった。
「ねぇちょっと」
「うん?」
「邪魔、退いて」
「いや、空いてんだからそこ座れば――」
「いいから退いて、一緒に座りたくないの」
「そ、そうっスか……」
これが去年の俺の妹。この頃から完全に俺のことを嫌い始めた。お兄ちゃんなんて呼ばないし、話掛けても無視するし、話掛けられれば罵倒されるし、昔の面影はどこにもなかった。中学三年生にして妹関係で2回は泣いた気がする。
そして――
「お、おはよう……」
「……………………………」
今に至る。
安西夕斗、今年妹に無視される回数通算三〇〇回を突破しました……泣いてなんかいないんだからね!
朝の日課――にしたくないことを終えて、傷心しながらリビングに入る。母さんがお茶を啜りながら情報番組を見ていた。膝の上にはマーチが気持ち良さそうに寝ている、母さんもこの状態が気に入っているようだし何も言わない。キッチンから麦茶を入れたコップを持って戻り、俺もソファに座った。画面には一面の青に白い綿のようなものが動いている映像が流れている、恐らくお天気コーナーだろう。俺も何気なく見ていたら、大きな雲の塊が東京の方へと近づいてきているのがわかった。
「もしかして台風?」
「そうみたい、しかもかなり勢いがすごいんだって。明日にでも東京に上陸するそうよ」
「なんか最近多いな台風。まあその分休校になるしラッキーだけど」
「良かったわね、画面の中でデートし放題じゃない」
「今傷心中だからやめて!効果抜群だから!」
確かにそのつもりではあったけど、他にもやることあるから!漫画読んだりとか、アニメ見たりとか、ネットに潜ったりとか!母さんからすれば一日中部屋に引き籠ってるし同じだと思うけど!
「でもこう台風ばかりだと洗濯物も干せないのよね。少しは夕斗みたいに引き籠っていてほしいんだけど」
「母さんそれ上手いこと言ってるつもり?」
でも母さんの言う通り、ここ最近は台風が多くて部屋干ししている時が多い。こうして寛いでいるリビングにも、椅子を並べてその上に竿を置いて干している。この前はどうやったのか廊下の奥まで洗濯物で埋め尽くされていた。
「ユウカちゃんに頼めば台風も消してくれるかしら?」
俺はその発言に思わず麦茶を飲む動きを止める。母さんの上で眠っていたマーチも、チラリと俺の方を向いた。
「ど――どうだろうね?流石に限度があると思うよ?」
「そう?魔法なんて素敵で便利なものがあるんだから、できるんじゃない?」
「でもユウカの魔法は物と物を混ぜる魔法でそれほど都合がいい魔法でもないし、難しいんじゃないかな?」
母さんから目を逸らして平静を装いながら答える。母さんも画面しか見てないので俺の様子には気づいていない。それとマーチ、俺を見ながら含み笑いするな。
「ふーん……随分詳しいのね」
「えっ、何が?」
「ユウカちゃんのこと、あまり興味無さそうだったのに」
「いやまあ確かにあまり興味はないけど!ほら今ユウカってすごい話題じゃん?友達との会話にもついて行くにはこのくらい知っておかないと!」
「まあ、確かにそうね」
俺の言い分に納得した母さんは再び興味をテレビに戻した。い、いやーいきなりあんなこと言い始めるからマジでビビった。自分のことだし興味も何もないからそのままにしてたけど、家族の前でも気を緩めちゃいけないな。それと駄犬、顔隠してるけど笑ってんのわかってるからな?体すごい震えてるからな?
「そういえばユウカちゃんで思い出したけど、蜜柑が男の子に告白されたそうよ」
「いや、ユウカから思い出す話じゃなくない?」
「それがね、蜜柑に告白したその男の子、ユウカちゃんの大ファンみたいなのよ。本当はユウカちゃんと付き合いたいけど、探してもどこにもいないから少し似てる蜜柑で妥協したそうよ」
「うわぁ……最低だなそいつ」
「蜜柑、ビンタをフルスイングでお見舞してやったんだって。だから今朝起きた時から機嫌悪いのよ」
「母さんそれもうチョイ速く聞きたかったなー」
なるほど、いつもより眉間の皺が深かったのはそういうことか。嫌われてるからさほど変わりはないけど。それにしても告白ねぇ……昔からそうだけど、ウチの妹様はよくおモテなられるな。俺の小学校時代とは大違いだ。
「さっきも思いっきり睨まれてたものね」
「笑いごとじゃないんだけど」
「まあ蜜柑も思春期なのよ、大人になったら少しはマシなるわ」
「だといいんだけど」
あまり期待もせずに適当な返事をしながら、麦茶を一気に飲み干した。例え思春期が過ぎたとしても、それまでのことが原因でアイツとはぎこちないままな気がする。お互いの気の持ちようかもしれないけど。
「そういえばあの子傘持ったかしら?」
「今日雨降んの?」
「天気予報で昼頃から雨だって――ん?」
母さんがベランダの方へ顔を向けると、水滴が窓ガラスに次々と打ち付けられていた。よく耳を澄ませてみるとザァーッという音も聞こえてくる。今はまだ一〇時ちょっとだが、もう雨が降ってきたようだ。
「えっ、もう降ってきたの?洗濯物取り込まないと!夕斗も手伝って!」
「へーい」
焦る母さんと対照的に、俺はゆったりと立ち上がった。
魔法少女になってから今日で一ヶ月。六月になれば急な雨や突然の台風が増えるのは当然のことだ。