第一章17 『お魚銜えたドラ猫』
『夕斗!商店街は見えてきたかい?』
「待って、あともう少し!」
家から文字通り飛び出した俺は、町を飛行しながら現場へ向かった。
ウチのすぐ近くにあるアスナロ通りは、発展していく町の中でひっそりと、それでいて根強く人々の生活を支えている町の一部。俺も帰り道に少しだけだが通過するし、母さんも買い物する時はいつもここだ。商店街の人たちの話によると、もう何十年も前からこの町にあるそうだ。そんなところでバクが暴れてるとなれば、魔法少女じゃなくても黙ってられないだろう。
その証拠に――
「おら!さっさと出てけぇ!」
「このアスナロ通りはアンタになんか渡さないわ!」
「誰か消防車呼べ!猫は水を怖がるからよぉ!」
アスナロ通りの人たちが、巨大な猫相手に戦っている。
店にある物や自転車をバクに向かって投げている人から、包丁やハサミで体に切り傷を付けている人まで、怪物のはずの相手が攻めあぐねるほどの猛攻を見せていた。パワフル過ぎませんかここの人たち?ていうか怖くないの?全長二〇メートルくらいあるんだけど、怖くないの?
『なんていうか、この町の人たちはすごいな。尊敬するよ』
「いや、この商店街の人たちだけだと思う」
『それより早く行きなよ、いくら商店街の人たちが勇ましいとはいえ相手はバクなんだし』
「う、うん、そうだよね。行ってくる」
俺は戦う商店の皆さんを背に、バクの前に降り立った。心なしか猫が安心した目で俺のことを見つめている気がする。
「皆さん!早く逃げてください!後は私が――」
「いいや、それには及ばんさ!」
「え?」
予想外の反応に俺は思わず振り返った。魚を切る包丁を持った魚屋さんも、大根を二刀流にしている八百屋さんも、待ち針や糸切り鋏を武装した仕立て屋さんも、何故だか目を爛々とさせて敵意をむき出しにしていた。何この人たち怖い。
「ここは俺たちの商店街だ!」
「ここを守るのは俺たちの役目!悪いが嬢ちゃんは引っ込んでな!」
『なんだろう、この人たちに任せても勝てそうな気がするんだけど』
「そんなわけないでしょ、なんとかして止めないと……」
俺はいつ襲ってきても――いや、全く襲ってくる様子もないビビりまくりのバクを牽制するように杖を構えた。
「嬢ちゃん!邪魔をするなと言っただろう!」
「いいえ、そういうわけにはいきません!このアスナロ通りは皆さんあってのアスナロ通りなんです!それなのに、皆さんが怪我なんかしたら、私はこの商店街を本当の意味で守ったなんて言えません!」
それに、と俺は付け加えながら商店街の人たちを横目に見た。
「私もこの商店街にはお世話になってるんです。私もここを守るために、戦ってもいいですよね?」
「嬢ちゃん……」
「――ああわかった!頼んだぞ魔法少女ちゃん!」
「頑張るんだよ!」
「はい!」
アスナロ通りの人たちは俺に激励を贈りながら、商店街の外へと避難していく。これで思う存分戦うことができる、バクもだけど。
『君、この七日間で大分演技が上達したよね?』
「うるさい、半分は本心だからいいの!」
『あっ、バクが動き出すよ!気を付けて!』
攻撃が止み脅威が去っていったことに気づいたバクがゆっくり起き上がり始めた。恐らく種類は茶トラであろうその猫は、鼻を動かしながら辺りを何度も見渡している。何かを探しているのか?しばらくするとバクは動きを止め、駐輪されている自転車を蹴散らしながら道路を走り始めた。ていうか――
「速っ!新幹線かっつうの!」
『素が出てるよユウカちゃん』
「おほん、それより早く追いかけないと」
俺は宙へ浮いて猫を探すことにした。これなら追いかけて見失うようなことにはならない。アスナロ通りを一望できるほど高く飛んだところで、バクの姿が見えた。流石全長二〇メートル、お店がミニチュアに見えるほど大きい。
バレないように空中からバクの頭上に接近する。幸いここは商店街、融合素材には困らない。隙を見せた瞬間に倒してやる。そう思ったのだが、バクに近づいてようやく気が付いた。
「なんか……お店のもの食べてない?」
巨大な茶トラの猫は、とある店に向かって正面から顔を突っ込んでいた。前足で地面を蹴ってさらに奥へ顔を押し込もうとしている。ここに一体何があるんだ?
『あーなるほど、なんとなくわかったぞ。このバクの目的』
「ほんと?」
『ああ、バクが顔を突っ込んでいるお店、そこは魚屋さんだ』
「魚屋さん?」
マーチに言われて俺もその店がなんであるかに気が付いた。良く見ると頭を押し込めたことで飛び出た魚たちが道路に落ちている。まあ気づいたところでそれがなんだという話になるのだが……
『そして、君の後ろの方を見てほしい』
「後ろ?」
言われた通りに後ろを向くと、商店街の中に何人もの人が入り込んでいた。それも全員バクの方へ向かっている。もしかして、また商店街の人たち!?
『人妻だ』
「ひと――えっ、人妻?」
た、確かに言われてみれば女性の人しかいないけど。ていうかなんで奥様方がこんなところに?積み重なる謎に首を傾げていると、バクが店から顔を出した。その口には三メートルくらいの大きさのマグロが銜えられていた。本当は大きいはずなのに、今はマグロが小魚に見える。すると、猫が再び動き始めた。だが今回は新幹線みたいなとてもないスピードではなく、本来の猫の走るスピードで道路を駆け抜けていく。その後を追いかけようとしたが、俺を下から追い抜いていく影を見つけて動きを止めた。
「待てぇええええええええ!」
「お魚返しなさーい!」
「このドラ猫めぇえええええ!」
何故か主婦の方たちがバクに追いかけて全力疾走し始めた。それもお淑やかそうな人すら修羅のような顔になるくらいかなり鬼気迫っている。正直言って意味がわからない、なんだこの状況は。
『この人妻たちはあのバクの力で自分を追いかけるように操られているんだ』
「それに何の意味が……」
『あのバクはおそらく、人妻に追いかけられたいという願望を叶えているんだと思う』
「え?」
『その気持ちよ~くわかるよ、普段は旦那さんのために尽くしている奥様が、自分を求めて追いかけてくる……いい!実にいいよ!誰かの奥さんとか誰かの彼女っていうのは何故か綺麗に見えるものだ!ほら、この世界の言葉にもあるだろう?隣の芝生は青く見えるって』
ほんと、毎度毎度ホープは変な願いを叶えてくれる。ていうか欲望ダダ漏れ過ぎませんか皆さん?俺は人妻の群れから逃げている猫の顔が、なんだか幸せそうに見えてきた。まあでも、スカートを捲るような奴や触手で痴漢してくる奴よりはかなりマシかもしれない。主に実害がないからなんだけど。
「……ねぇ、帰っていい?馬鹿らしくなってきたんだけど」
『何言ってるんだ!ホープ・ピースがあと一つ手に入れば魔法少女を辞められるんだよ?それにもう報道局のカメラとかも集まってるし、今更帰るなんてことできないよ』
言われてみれば、いつの間にか商店街の周辺はカメラや野次馬で賑わっていた。アスナロ通りの人たちも、様子を見に来ている。マーチの言う通り面倒臭くなったから帰る、なんてことはできない。
「はぁ、しょうがない。さっさと倒しちゃおう」
溜息を一つ吐いてから、今も道路を走り回っているバクの元へと飛んだ。立ち並ぶ店の間を飛行し、時々店の中に入って壁を突き破る。そんなショートカットをしながら猫の真横までたどり着いた。向こうも俺に気づいてスピードを上げようとしたが――そこは願望の化身、速度を上げたら奥様たちから離れすぎてしまうとわかり、速く走れずにいる。この七日間、ずっとバクと戦ってきた俺は、バクが願望を優先することはわかったいた。こうなればこっちのものだ!
「フィッシュマター・フュージョニウム!」
バクの横を飛行しながら、マグロに向けて杖を構えた。魔法が発動すると同時に魚は魔法陣に挟まれ、光に包まれる。バクもそれに気づいたが、マグロを口から離さない。おそらくあの人妻たちを操るには口に魚を銜えていないといけないようだ。そして融合が終了した途端、猫は勢いよく道路に顔を叩きつけた。いや、叩きつけたというより下に引っ張られた。顔面で急ブレーキが掛かったバクの体は宙へ浮き、反転するようにそのまま前に倒れた。
「どう?お店の屋根で出来た超重量級のメタルマグロのお味は?」
屋根が消えて中が丸出しになった八百屋さんを横目に、仰向けになってジタバタともがくバクの腹の上に降りた。マグロの重さはおそらく1トンほど、超重量によって身動きが取れない猫は口を何度も開閉して魚を離そうとしたが、マグロが歯に突き刺さって離すことができない。
「良かったね、それで一生魚はあなたから離れないよ」
『なんて悪い笑顔……君はドM層にも媚びを売るのか』
「後でしばき回すから覚えてろよ犬っころ――さて、と」
俺は怯えるバクに向かってにこやかに笑って見せた。その様子に危機感を覚えたバクは顔の前で爪を立てた前足を薙いだ、だが俺はそれよりも速く空中へ回避した。猫は両前足を何度も振って殴ろうとしたが、俺はギリギリ届かない位置にいる。まるで猫じゃらしに向かって猫パンチを繰り返しているようだ。
「ふふっ、じゃあ特別にその魚を調理してあげる!あなたと一緒にね!」
杖を片手に持ってバクの顔に向ける、魔法陣を展開させながら懐からある物を取り出す。それはショートカットのために入ったコンビニで手に入れた、カセットコンロに使うカセットボンベだ。わざわざ低空飛行しながら商店街に沿ってこいつを追いかけたのは、融合する素材を調達するため。
バクは魔法から逃れるためにマグロを噛み砕こうと牙を立てるが、もう遅い。
「フィッシュマター・フュージョニウム!アイアンフィッシュエクスプロージョン!」
手に持ったカセットボンベは魔法陣に挟まれて姿を消し、噛み砕かれようとしている鉄製のマグロの元へと移る。ぐしゃぐしゃにひしゃげた鉄の魚が再び姿を変えるのと同時に、バクの牙が魚を噛み砕いた。次の瞬間、魚は猫の口の中で大爆発を起こした。ガスボンベそのものとなった魚の中で、牙と鉄によって起こった火花が引火したのだ。
ガス爆発で起きた爆風がアスナロ通りに吹き荒れる。空中にいた俺も暴風に押されて飛ばされる。商店街から七メートル離れたところでなんとか体制を整えた、火を使った魔法は自分にも被害が及ぶから少々厄介だ。
爆発による煙が徐々に治まっていき、商店街の姿が見えてきた。上空から見た限りではバクの姿はどこにもない。まあ爆心地の近くにあった店が軒並み全て吹き飛ぶ程の威力だ、それを口の中で受ければどうなるかは想像もしたくない。
商店街に降りてさっき戦っていた場所まで行くと、そこには小太りで眼鏡を掛けた男性が仰向けで倒れていた。良かった、口はちゃんと付いてる。そして、その横には光り輝く金平糖のようなものが転がっている。それを拾い上げて確認する、間違いないホープ・ピースだ……
「――っしゃああああああああああ!七つ揃ったあああああああああ!」
ついに、ついにこの時が来た!これで俺は、魔法少女から解放されるんだ!やばい、そう思うと涙が出てきた――でもまだだ!まだ泣いちゃいけない!泣くのはホープに願いを叶えてもらってからだ!ううっ、でも長かったなぁこの七日間!
「お疲れ様、そしておめでとう!ついに集まったね!」
俺が喜びで感動していると、物陰からマーチが出てきた。お前結構近くにいたんだな、知らなかった。ていうか……
「なんでそんな真っ黒なの?」
「君の所為だろ!近くで応援してたら突然猫が爆発してそれに巻き込まれたんだよ!ていうかもうちょっとスマートに戦ってくれないかな?修復するの僕なんだけど?」
「まあそう怒るなって、これで最後なんだしさ」
マーチはまだ文句があったようだが、これで最後というフレーズを聞いて口を噤いで堪えた。こいつでもそういう空気は読めることに少し驚きを感じる。
「じゃあ僕が修復している間にマスコミの相手でもしていてくれ!これで最後なんだしさ!」
「はいはい、了解しました」
ぶつぶつと一人で文句を言うマーチに踵を返して、報道陣や野次馬たちがいる商店街の外へと向かった。これが最後だと思うと嫌だったインタビューでも寂しく感じる――いや、それはないな。嫌なものは嫌だし、これで清々する。とっとと終わらせて、ホープで願いを叶えよう。
そう思っていると目の前から誰かが走ってきた。背丈は今の俺よりは高いが、普段の俺と比べると小さい。恐らく俺と同い年くらいの女の子だろう。彼女は俺の前で止まり、膝に手を突いて荒い呼吸を繰り返す。
「ね、ねぇ、あなた、魔法少女、よね?」
「は、はい、そうですけ――」
俺が最後まで応えるより先に、相手は俺の両肩を掴んできた。な、なんだこの人、もしかして俺のファンか何かか?どうしよう、こうやって一対一で接近されるなんて初めてだし、まず俺が女の子と喋るのに慣れてないしな……
対処の仕方に困っていると、女の子は息を整えて顔を上げた。俺は彼女の顔を見て驚いた。その子はマーチが見せてきたカエル人間の被害者たちの一人、デート中に襲われたらしい陸上部のマネージャーの長谷智恵理さんだった。
「お願い!カエル人間を捕まえて!私やみんなの仇をとって!」
「か、カエル人間?」
「そうなの、今私の学校の生徒たちがみんなそいつに襲われてるの!あなたは怪物とも戦う魔法少女でしょ?だったらカエル人間とも戦ってよ!」
彼女は俺の肩を強く掴み、涙を堪えながら訴えかけてくる。その顔からは悔しさが滲み出ているのがわかった。俺はその思いに答えようと真っ直ぐ彼女の目を見た。
「襲われた時のことを、詳しく聞かせてください」
さっきよりも力が抜けた彼女は肩から手を離し、ゆっくり頷いて語り始めた――
「やあおかえり、速かったねってどうしたの?顔が真っ青だけど――」
「おいマーチ!何か瞬間移動とか高速で動けるとかそういう魔法覚えてないか!」
「な、なんだい急に?」
「いいから答えろ!早くしないと、早くしないと愛華ちゃんが襲われるかもしれないんだよ!」