第一章15 『恋というものは』
時刻は四時半を過ぎている。
俺は屋上からの転落を防止のためのフェンスに寄り掛かっている。愛華ちゃんはまだ来ていない。どうやら部活の方でミーティングがあるそうで、少し待ってほしいと言われた。こちらとしてはとても有難い申し出だった。何故なら、こんな死んだ魚みたいな目で愛華ちゃんと会話するわけにはいかないからだ。
電車でタコのバクと戦って、その後報道陣の前でインタビューを受けた時、マーチの言っていたことを改めて理解した。どうやら俺は本当に、本物の魔法少女に――元い、女の子になりつつあるようだ。カメラの前では女の子であることを意識して喋ろうなんて気を張っていた、けどさっきのインタビューはなんの意識もすることなく、女の子として答えられていた。まるでそれが当然のように。
マーチは言っていた。スフィアで起きた謎のエラー、それがスフィアの機能に何らかのバグを作り出したかもしれないと。その機能っていうのが、俺の脳内にスフィアの使い方や魔法の情報を植え付けた知識操作機能だ。あれが魔法少女の時の外と中の誤差に反応して、俺の口調を女の子に変えているという。
今は言語だけで済んでいるが、このまま魔法少女を続ければ、意識すらも変えられて、自分が男であることを忘れるかもしれない……男であることを隠して戦うだけだと思っていたはずが、まさかこんなことになるとは。これから愛華ちゃんと大事な話があるというのに――いや、いつまでも衝撃を受けている場合じゃないぞ。この誤動作もホープの力があれば解決する話だ、なんとしても魔法少女から解放されなくては、そうすれば愛華ちゃんと……
「って!こっちもこっちで気がかりだよ!なんなんだ大事な話って!魔法少女のことで一瞬頭がいっぱいになってたけど、そもそもこっちのことで頭を悩ませてたんじゃねぇか!」
「魔法少女のこと?」
「ッ!?」
頭を抱えていた俺は、不意に聞こえてきた声に驚いて振り向いた。そこには不思議そうな顔で首を傾げている愛華ちゃんの姿が………って!やばい、一番聞かれちゃまずい人に!でも待て、落ち着け俺!口に出してたのは魔法少女のことで頭がいっぱいだってことだけ――まあ捉えようによっては危なく聞こえるけど、とにかく冷静に対処するんだ!
「あー……い、いや、そのほら!い、今って魔法少女が話題だから!おお俺も魔法少女のことで頭いっぱいにならないようにってあははは!」
「ふふっ、なにそれー」
慌てふためく俺を見て、愛華ちゃんは愛らしく笑った。な、なんとか誤魔化せた。それとその笑顔、ごちそうさまです!
「そ、それでその――は、話っていうのは……」
「あっ、うん、そうだね。えーと、今日は放課後まで残ってくれてありがとう!本当はすぐ屋上に行くはずだったんだけど、部活の用事が入っちゃって……」
「それはその、えと、うん――大丈夫。逆に助かったと言いますか……」
「そっか、良かった」
俺のドギマギした答えに、愛華ちゃんは安心したように微笑んだ。やばい、なんかすごいいい雰囲気だ。陽が落ち始めた空の下、屋上で二人きり、運動部の練習中の声が聞こえてくる――こういうの漫画とかアニメでよく見たことあるから間違いない!でもそう思うと、俺の心臓は自然と速く動き出した。きっと緊張で顔も固まっているだろう。そして、愛華ちゃんも俺と同じなのか、胸の前で手を絡めさせたりと落ち着かない様子だった。頬も少し赤らめて、瞳もいつも以上に綺麗に見えた。
「そ、それでね?話って言うのは、その……」
「は、はい……」
ドキドキ、と。心臓の音と愛華ちゃんの声だけが耳に届いてくる。それだけでどうにかなりそうだ。そんな落ち着かない思いを抑えながら、愛華ちゃんの言葉を待った。
そして――
「榊原先輩って、付き合ってる人とかいる……?」
「……………………………………………………………………………………………」
一瞬、時が止まった気がした。
「ご、ごめんねこんなこと聞いちゃって!安西君って先輩と仲いいみたいだったから、もしかしたら知ってるかなーって」
愛華ちゃんは照れながら、いつものように笑顔で言った。
ここで俺はようやく理解した。先輩とあんなに楽しそうに話していたのも、去った後に見せた表情も、そして今の表情も。きっと愛華ちゃんも、俺と同じだ――
「そ…………そう、だね。た、多分だけど、付き合ってる人とかいないと思うよ?」
「ほ、ほんと?」
「うん。よく女の人とはいるけど、みんな彼女じゃないって言ってるし」
「そ、そっか!良かったー」
心の底から安心したのか、愛華ちゃんは大きく息を吐いた。そして、とても嬉しそうな表情を見せた。やっぱり可愛いな、愛華ちゃんは。
「――立花さんは、先輩のこと好き?」
「えっ!?あ、いやえっと……」
「顔に好きって書いてありますよー」
「うっ」
俺に指摘されて、愛華ちゃんは真っ赤な顔を手で覆った。
「そっか………好き、なんだね」
「…………うん」
まだ頬の紅潮は引いてはいない。でも愛華ちゃんは顔から手を離して、幸せそうに、テレを隠さずに頷いた。そうだ、俺が愛華ちゃんのことを好きになったのは、自分の感情を素直に出せる、そんな正直なところが好きだったからなんだ。
「それなら、今度デートでも誘ってみてたら?」
「え!?で、でででデート!?」
「そう!そしてその時に告白する!」
「告白!?」
「そうでもしないと、榊原先輩を誰かに盗られるかもしれないし」
「で、でも、いきなり告白だなんて……」
自信がないと言わんばかりに、愛華ちゃんは俯いた。
「大丈夫だって!先輩も立花さんのこと、結構気にしてるみたいだし」
「ほんとに?」
「えっと――ごめんなさい、勢いで言いました」
「なんだ……」
「でも榊原先輩、立花さんと話してる時はとても楽しそうだったし。嫌われてないのは確かだと思う。それに立花さんはなんと言っても学校のアイドル!自信もって!」
「で、でも……」
「あーもうじれったい!よし、まだ先輩学校にいるよな?ちょっとデートのお誘いしてくる」
そう言って俺は屋上の出入口に向かって歩いた。
「えええっ、安西君がするの!?」
「このままじゃあ進展しないだろ?大丈夫大丈夫、先輩とはマブダチの俺に任せとけって!」
「う、うん――ありがとう、安西君」
愛華ちゃんがユウカにお礼を言った時と同じ顔を、俺に向けてくれた。それに対して、親指を立ててから出入口のドアを開いて校舎内に入った。
「……………………………………………………………………………………………」
俺は四階への階段を、一段ずつ降りて行った。その度に愛華ちゃんの色んな顔が思い浮かぶのは、何故なんだろうか。胸が締め付けられるように苦しいはずなのに、涙も出ないのは何故なんだろうか。
虚しい。
心が虚しい。
満杯だったお風呂の栓が抜けて、お湯が全部無くなったように。心が冷めている。こんな体験は初めてだ。これがあれか、失恋というやつか。
「――はぁ、これじゃあほんとに女の子だぞ、俺」
終わったものは終わった。今は愛華ちゃんの恋を応援してあげなくちゃな。そう決めたからこそ、あんなことが言えたんだ。気持ちを切り替えろ安西夕斗!
「さて、先輩はどこにいるか――って、電話すればいい話じゃねぇか」
ようやく頭が回ってきたようで、俺はとりあえず二階にある三年生の教室に向かうために、少し速足で階段を下りながら、スマートフォンを操作する。
その途中、下の階から上がってきた女子生徒二人とすれ違った。まだ放課後が始まったばかりで、いつも通り部活がある生徒も多い。至って普通のことだ。
だが、俺が気になったのは、その内容だった。
「ねぇ聞いた?カエル人間の話、また出たんだって」
俺はスマートフォンを耳に当てながら、思わず振り返った。
「知ってる!なんでもデートが終わった直後に襲われたんだってね。確か名前は……」
「あれだよ、えーと……水泳部のマネージャーで、二年生で、金髪っぽい――」
「わかった、晶子先輩だ!」
「そうそう、晶子先輩!」
「えっ――」
晶子先輩って、昨日榊原先輩と一緒にフードコートへ来てたあの人?
そして、まるでタイミングを見計らったように、呼び出しのコールが途切れた。
「もしもし?」
「榊原先輩!」
「な、なんだよ、どうかしたのか?」
「昨日、先輩とフードコートにいたあの女の先輩。襲われたってほんとですか?」
俺は本来の目的を忘れて先輩に尋ねた。すると先輩は、何かを抑え込むように唸った。
「……ああ、俺と別れた。晶子は襲われた」
「やっぱり……」
「――俺があのまま一緒にいれば、こんなことにはならなかったのに!」
そう言った先輩の声は、とても悔しそうだった。きっと――いや、先輩は間違いなく怒っている。晶子先輩を襲ったカエル人間にも、そして守れなかった不甲斐ない自分にも。
「先輩。今度の日曜空いてますか?」
「空いてるけど、それがどうかしたのか?」
「その日、立花さんとデートしてくれませんか?」
「デート?………いや、悪いけど今はそんな気分じゃ――」
「先輩、晶子先輩を守れなくて悔しいんですよね?」
電話の向こうで、榊原先輩がピクリと動いたような気がした。
「だったら今度は、立花さんを守り切ってください。もう二度と、悔しい思いをしないためにも」
「安西………わかった、やってみるよ」
「ふぅ――ありがとうございます」
「お礼を言うのはこっちの方だ。晶子が襲われて、自分でもどうしたらいいかわからなかったからな。お前のお蔭で少しはスッキリしたよ」
「そうですか、それならよかったです。じゃあ詳しいことは直接本人に聞いてください。俺はそれ以上のことは知らないんで」
「ふっ、なんだよそれ……じゃあそうするよ、ありがとな。それじゃあ――」
「あっ、ちょっと待ってください!」
通話を切ろうとした先輩を、俺は慌てて止めた。
「なんだ?」
「その……立花さんのこと、よろしくお願いします!」
「…………ああ、わかった」
通話が切れたことを確認して、俺は大きく息を吐いた。やることはやった、後は愛華ちゃんの勇気次第だ。これでうまくいけば、愛華ちゃんは幸せになれるはず――いや、絶対先輩ならしてくれる。
「俺の分まで幸せに、愛華ちゃん」
こうして俺の初恋は、静かに幕を閉じた。