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鼓草

目覚めた時、自宅の布団の上にいた。紫苑しおんと名乗る少年に会ったことは覚えているが、その後のことが思い出せない。夢の中での出来事だったかのような、欠落した記憶が頭の中で渦巻く。

あの日から数日が経ち、仲間たちのことが新聞やテレビで放送されていないか探していた。なんとか見つけた記事は新聞の片隅に握りこぶしほどの大きさで、『来栖ヶ丘町くるすがおかまちで昨夜未明、高校生の少年4名が血を流し倒れているのが発見された。発見時すでに息はなく、近くに鉄パイプが落ちていたことから、少年らの内部抗争の可能性を視野に調査を行っている。少年らは普段より行動を共にすることが多く、度々暴走行為をしている様子が目撃されていた』

とだけ書いてあった。

ーー違う。内部抗争なんかじゃ、ない。

新聞を持つ手に自然と力が入る。無機質な文字群に皺が走るが、書かれた事実は変わらない。恐らく、このまま喧嘩として結論が出されるだろう。彼らは未成年ながら酒や煙草に手を出していた、社会のレールからコースアウトした少年達だ。“彼らなら、やりかねない”その一言で全て片付けられる。

だが、それを、自分が見た事実を警察に届ける気にはならなかった。

ーーもったいない。

ただ、そう思った。彼らの汚名を雪ぐことが出来るのならば、そうしたい。しかし、もう居ない昔の仲間のことよりも、紫苑の方が興味を惹かれる。警察に彼が連れて行かれたら、おそらくすぐに出てくることは不可能だ。彼を更生なんかさせてたまるか。

そう考えた自分が意外だった。しかし、あれこれ考えたところでもう会うことはないだろう。それに、見逃してる時点で同罪だ。わざわざ自分から自首をするには実感がなさ過ぎる。あれは夢だったんだと言われれば信じるほどに。

ユラユラと首を振り、新聞を放り投げた。


しかし、思わぬところで再会を果たすこととなる。

数日後、葬式の連絡が回ってきた。なぜ自分に?と疑問だったが、何度か互いの家を行き来していた時、向こうの親に自宅の番号を聞かれたことを思い出す。一応愛想よく振舞っていたことを覚えられていたのだろう。気は進まなかったが、断る言葉が浮かばず参加することとなった。

親族と少しの参加者により行われた式は、滞りなく進行した。しかし、昴は場の空気に耐えられずに途中で外へでた。

非行に走っていた少年たちの、不名誉な死。ヒソヒソと噂好きな主婦たちの囁き声で、結局内部抗争ということとなったのだと知った。遺族の希望もあり、深く追求することは無かったらしい。

外は相変わらず雪が降っている。深く息を吸い込み、冷たい空気で肺を満たす。ぼうっと遠くを眺めていると、声をかけられた。

「すいません、常磐ときわさんですか?」

振り返ると、帽子にエプロンという場違いな服装の男が立っていた。両手で花を抱えているから、葬式用の花を納品しに来た業者だろうと目星をたてる。

「いや、俺は……」

目が合い、絶句した。帽子と花の間から見える顔には、確かに見覚えがあったからだ。

「……お前っ」

「あれ、昴君じゃん。久しぶり」

場違いな服装で、場違いな表情を浮かべる。

「お前、その格好」

「ん?手伝い」

更に質問を被せようとすると、制止された。

「ごめん、コレ、納品しなきゃ怒られるから。時間があるなら、ちょっと待ってて」

「……あ、あぁ。分かった」

そう言うと、紫苑は満足げに頷き建物の中へ歩いて行ったが、昴はただその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。


紫苑が戻ってきたのは、それから15分後だった。人当たりの良い笑顔を浮かべ歩いてくる。

「驚いたよ、まさか昴君がここに居るなんて」

「こっちのセリフだ。そのまま返してやる」

「あはは、まあ立ち話もなんだし、移動しようよ。確か、すぐ近くにファミレスがあったはず」

その格好で?改めて見ると、赤のウエイトレス風のエプロンと同じ色の帽子に、店舗のロゴらしい、妖精が花束を持っているイラストが描かれている。制服としては良いのだろうが、隣で歩くのは……と思案していると、察したのか紫苑はいつの間にか手にしていたリュックにそれらをしまった。代わりに薄手のコートを取り出し、シャツの上に羽織る。

「これなら問題ないでしょ?」

そう言うとスタスタと歩き始めた。心を読む能力でも持っているんじゃないだろうか、と本気で考えつつも急いで後を追う。


着いたのは、通りを挟んだ向かいに立っているファミリーレストランのチェーン店だった。

「いらっしゃいませ!ご注文はお決まりですか?」

席に案内された後、ウェイトレスが可愛らしく聞いてきた。ランチタイムのピークは過ぎており、店内にはポツリポツリと数人の客がいる程度だ。

「えーと、とりあえずコーヒーとチョコレートアイス1つ。昴君は?」

「コーヒーで」

「コーヒー2つとチョコレートアイスですね、かしこまりました。メニューお下げいたします」

ちゃきちゃきと働く後ろ姿を見送ると、しばしの静寂が降りてきた。窓の外では人々が過ぎ去っていく。眺めていると、雑音が遠ざかる不思議な感覚になった。1人取り残されたような騒めきに陥りかけると、不意に紫苑が呟いた。

「やっぱり、言わないでいてくれたんだね」

あの、路地のことだとすぐに理解した。

「……俺の気まぐれさ。それより、偽名じゃなかったのな」

「偽名?」

「紫苑って名前。どうせ嘘だろって思ってた。名前っぽくないし」

それも、警察に言おうとしなかった理由の一つだ。正直細かいことは何一つ覚えていないし、名前も偽名だったら目撃者がいたという期待だけさせてしまう。

「さらっとひっどいこと言うね……。本名だよ。結城紫苑ゆうきしおん。由来は花の名前」

「花?どんはやつだ?」

「キク科の多年草。一つの茎から沢山の淡い紫色の花が咲くやつさ。ちなみに兄さんの名前は椿つばきだし、多分深く考えずに花の名前から音で決めたんだと思うよ」

流石、花屋と言うべきか。名前に驚くよりも兄がいるという事に驚いたが。

「昴の由来は?まさか、偽名?」

「あの状況で偽名なんて考える余裕はねぇよ。由来は聞いたことないな」

聞こうと思ったことすらないし、興味が湧かない。


「お待たせ致しました。コーヒーにお砂糖とミルクはお付けしますか?」

先ほどのウェイトレスが注文の品を運んできた。それぞれ砂糖とミルクを一つずつ受け取り、コーヒーに入れる。

混ぜながら紫苑の様子を伺うと、アイスクリームにミルクをかけていた。

「コーヒーに入れるんじゃないのかよ」

思わず突っ込む。

紫苑は動きを止めることなく、砂糖もサラサラとアイスにかけていく。かけ終えると、口に運び初めた。突っ込むことを諦め、美味しそうに食べる紫苑を見守りながら普通に会話が成り立つことを意外に思う。初めて見た時と同一人物だとは信じがたいほど、社会に溶け込んでいる。あの時の紫苑はそれくらい存在感に満ち溢れていた。

そんな彼は半分ほど食べ終えたところで口を開いた。

「……聞かないの?」

何のことか分からずに首を傾げる。

「昨日のこと」

「……聞けば話すのか」

少し前に乗り出した際に、テーブルにあたってしまいコーヒーが波立つ。慌ててカップを抑えるが、紫苑は全く動じずに

コーヒーで喉を潤し、話し始めた。

「そんなに話せることは無いけれどね。通報しなかったお礼と釣り合うくらいのことは話すよ」

「……なんで、あんなことを?」

「玩具を前にして、子供はどれだけ我慢できるんだろうね?」

意味を理解できずにぱちぱちと瞬きを繰り返すと、紫苑はふふっと表情を緩めた。

「人間は禁止されるとやりたくなる生物だ。イヴが林檎を食べてしまったように、パンドラが箱を開いてしまったように。その割に、社会には禁止事項が多すぎるとは思わない?その中で一番の禁忌とされているのが“命を奪う”ことでしょ」

「……それで?」

「どうしてそこまで忌避するのか分からないんだよ。命は平等?そんなことはない。確実に差がある。蚊やハエがいたら迷いなく叩き潰すのに何故犬や猫になったら駄目なんだ?仮に、テリトリーを侵され人間に害を与えるものなら、殺しても許されるとしよう。もっとも人間に悪影響を与えるのは人間だ。なら別に殺しても問題はないだろう?」

そこまで一息に喋り、深く息を吐いた。

「……僕は知りたいんだ。そうすれば、きっと分かる」

聞き逃してしまいそうなほどの小さな声は、今までの飄々とした雰囲気はなく、至って真面目なトーンだった。背筋がぞくりとするような狂気じみたものがこもっている。

だが、それも一瞬のことだった。

「これから先は有料だよ。そうだな、何故彼らだったのか?については、彼らの運がなかったからさ」

「俺のことも殺すか?」

「いや?今はそんな気はないよ……もうそろそろ、店に戻らなきゃ。これ、僕の連絡先」

テーブルにあったペーパーに名前とメールアドレスを書き綴ると、五百円玉と一緒に半ば無理矢理握らせてきた。

「じゃ、また。アイスは食べちゃっていいよ」

ヒラヒラと手を振り、速歩きで去って行く。

「今は、って……」

手の中のペーパーを開くと、達筆な文字で名前とアドレス、そして一言が添えられていた。

ーーこれから宜しくね

ただ、長く宜しく出来ることを願った。


冷めてしまったコーヒーを飲み干し外へ出ると、丁度出棺と同じタイミングだったため離れた位置から眺めていた。しかし、目ざとい参列者に見つかってしまったらしくなにやら周りを巻き込みボソボソと話し始める。その間にも作業は進み、黒塗りの車は何処かへと走り去っていった。参列者を乗せたマイクロバスも見送り一人残されると、紫苑の言葉が頭の中で繰り返される。

『命は平等?そんなことはない。確実に格差がある』

ーー命の格差。命の尊さは幼い頃から散々叩き込まれた。そして同時に、格差についても。恵まれていれば何にも脅かされることなく、守られて生きることが出来る。しかし、それはほんの一握りの者たちだけだ。恵まれなかった者たちは常に死の影に付き纏われる。少しでも気を許せば引きずり込まれる瀬戸際で生きていかなくてはいけない。

では、その差は何故生まれるのか。

命の優劣?

世界がそういう風に出来ているから?

……運がなかったから。

その言葉がとても的を得ているように思えた。

命とともに運を授かり、それにより差が生まれる。命は平等だとしても運は平等ではない。

深い思考の沼に沈みそうになり、深く息を吐いた。悪い癖だ。出るはずのない答えを求め延々と考えてしまう。

ふと上を見上げると、朱色が混じった空に薄い雲が浮かんでいる風景が目に入った。ゆっくりと流れ表情を変えていく空を見つめていると、死という変えることのできない事実が実感となって襲ってきた。思えば、周りの人が死ぬのは初めてだ。祖父母は生まれる前に亡くなっていたし、付き合いのある親戚はおらず両親はまだ生きている。

初めて生あるものはいずれ死ぬということを目の当たりにした。そして、自分が生きている限り日常が続くことを実感する。

紫苑は続く日常についてどう思っているのだろう。あいつと一緒にいたら俺の残りの運も使い切りそうだが、考えが知りたいとただ純粋に思った。

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