断章 決勝戦
「ほらほら! 上手く避けないと危ないよ!! 」
連撃に次ぐ連撃。
そして少しの溜めの動作の後、剣聖ランダル・フォン・フランツベルクご自慢の片手半剣が空気を切り裂く。――風切の轟音と、その鋼の持つ、鈍色の煌めきと共に。
その鋼の塊が自分に向かって水平に高速で振りぬかれるのを、アレンは体を弓なりに反らして紙一重でかわした。
「――チィッ!!!! 」
思わず冷や汗をかいたアレンから鋭い吐息が漏れる。
反動を利用しそのまま三回大きくバックステップを刻んで、相手との距離をとる。
その大きな革製のバトルブーツで踏みしだいた地面からは激しい動作によって乾いた土が巻き上げられ、彼の周囲を砂塵の幕がぐるりと取り囲んでいた。
アレンは相手の追撃に備えようと身構えたが、ランダルの方からは追撃をしてくるような気配はなかった。
白銀の剣聖は自分の周囲に巻き起こっていた砂煙をその手の剣のひと振りの風圧で鎮め、深く息吹するアレンの様子を楽しむかのように、試合前と変わらぬ微笑をその口元に浮かべている。
戦闘開始から数分。
初めて距離をとって一息ついた両者の耳に、熱くなった観客の歓声が響いた。
…………
……
…
戦闘開始の合図とともに先手必勝を狙って突撃したアレンであったが、当然そんな手が上手いこと通じるわけもなく、試合は開始早々ド派手な接近戦となっていた。
アレンは鎚と盾、ランダルは片手半剣が獲物であるため、単純な武器のリーチ――攻撃範囲の差ならば文字の通り「片手半」分、ランダルに分があった。
アレンの考えとしては超近距離といえる間合いまで。もっと言うと相手の懐内まで何とか潜り込むことができれば、そのリーチの差を逆手に取った立ち回りができるのではと半ば期待していた。
だが、切れ味鋭く重厚なその一振りの鋼の塊を、ランダル・フォン・フランツベルクはまるで自分の体の一部であるかのように――ごくごく自然に――軽々と使いこなし、アレンに懐内に入り込む余地を与えなかった。そして攻撃によって少し体勢を崩したアレンに、すかさず斬撃を叩き込んだのである。
――この攻防。
確かに先手を取って攻撃を仕掛けたのはアレンであったのだが、結果として先手を取ったのはランダルの方であったのだ。
『先に相手に攻撃させておいて、それを利用して攻撃に転ずる。』
この、達人の技ともいうべき一寸の見切りが可能にする、俗にいう「後の先」と呼ばれる戦闘法にアレンは見事に引っかかってしまう結果となった。
帝国随一の剣聖と讃えられるランダル・フォン・フランツベルクその人の手によって振るわれる剣の一撃一撃は、仮に形容するのなら――剛胆にして柔軟、柔軟にして強靭、強靭にして流麗、流麗にして凄艶であった。
しかしながら、先の攻防において天才的な見切りを披露したのは何もランダルの方だけではない。
矢継ぎ早に繰り出されるその剣撃を、アレンは今の攻防において全て防御、もしくは回避することに成功していた。
目先の超人的な力に惑わされがちだが、ランダルの剣の型そのものはあまり複雑なものではなかったのである。それが相手が手を抜いているからなのかどうかはアレンにはわからなかったが、血反吐を吐きながらも体に染み込ませてきた技術は、現時点ではまだ帝国随一の剣聖にも通用するように思われた。
もっとも、アレンの予想よりも盾の消耗が著しく、盾にはくっきりと斬撃の痕が刻まれていた。このことは、これからの戦いにおいて支障を生じさせるであろうことは間違いないだろう……
とにかく、これからはなるべく盾を使わずに間合いを計算して立ち回るか、剣の軌道を逸らすような盾の使い方をしていかなくては、盾が使い物にならなくなってしまうことになる。
まぁ、予選において対戦相手の盾を研ぎ澄まされた鋭い突きの一撃をもってものの見事にぶち抜くという荒業を披露してくれたあの剣聖が、そんなことを許してくれるような奴だとはアレン自身もこれっぽっちも思ってはいない。そしてさらに、こんなこともあろうかと色々策を巡らせてきたアレンでもある。
さて、現状。
今の攻防によって両者共に生じた肉体的な損傷はゼロだが、盾を持つアレンの左手は若干痺れを残している。
しかしアレンの方も、攻防の最中にランダルの剣の平と刃先に二三度思い切り鎚を打ち付け、刃と刀身にダメージを与えることに成功している。
何とも地味な成果ではあるが、戦闘が長引いてくればこれも、ゆくゆくは戦況を変えていく要素になるだろう。アレンはそんな希望的観測を頭の中で展開してみたりしていた。
「ふぅ……さっきのは危なかったな。おかげで変な走馬灯見ちまった」
そう独りごちながら、冷や汗をぬぐったアレンの顔に苦笑いが浮かんだ。
アレンの言う『変な走馬灯』とは、具体的には幼少期の思い出である。
もっと言うと、幼少期に気の強い方の姉と繰り広げた――今となっては家族の中での他愛のない笑い話にしかならないような、そんな思い出である。
ギリギリの命のやり取りをしている最中にそんな記憶がフラッシュバックするとは露とも思っていなかっただけに、込み上げてくる何らかの感情が『純粋な懐かしさ』であるということにアレン本人が気付くまでに、少々時間がかかるほどであった。
例えばそれは――小さいころ、まだ字の読めない小さな弟に自慢げに本を読み聞かせては弟に予想外の質問をされて答えに詰まり、ついつい喧嘩をしてしまう。そんな小さな女の子の姿。
例えばそれは――年下の弟に姉の威厳を見せようと背伸びをして、何かにつけて斜に構えた言動をしていた。そんな少女の姿。
例えばそれは――家族を思いやり、その美しい瞳に涙を浮かべて……だけど決してその涙を流すことはない。そんな儚くも凛として咲く花のような、そんな女性の姿。
時の流れに沿って成長していくそれらの情景が、脳裏にくっきりと浮かび上がる。
アレンは思わず邪念を振り払うために兜を鎚で殴りたい衝動に駆られたが、すんでのところで堪えた。
「あぁ~いかんなぁ。どんどん思い出してきちまったぞ。こんなこと思い出している場合じゃないってのに……」
しかし懐かしいなぁ……あの時は姉さんにさんざんやられていたっけか……小さいころから気が強いのは、いったい誰に似たんだか……
――そういえばいつからだったかな? 姉さんがあんな顔を見せるようになったのは。
アレンのそんなノスタルジックな感傷は、大音量で鳴り響く銅鑼の音でものの見事にぶち壊されてしまった。
どうやら、審判の「早く戦闘を再開しなさい」の合図のようだ。
一方ランダルはというと、自分から動くつもりはないらしい。相変わらず微笑を浮かべながら感触を確かめるように、その手に持った片手半剣を体の前でくるりくるりと∞の形を描くように、ゆったりとした動作で回している。
アレンと視線が合うと、その剣の動きはちょうど剣を体の前で掲げるような体勢で止まった。
「あれ~しっかりしてくれなくちゃ困るよ、鎚の振るい手さん? まさかさっきのでもう疲れちゃったのかい? 三年間の成果、見せてくれるんじゃなかったの? 」
挑発の意味でも込められているのだろうか。体の前に掲げられた片手半剣の陰から小首をかしげる。そうして微笑という名の仮面の下からほんの少しだけ無邪気な笑みを覗かせて、剣聖ランダル・フォン・フランツベルクはアレンに問いかける。
そんな対戦相手を見て、アレンは感傷に別れを告げるかのように小さく息をついた。代わりに鋭い大きな犬歯をむき出しにした野性的な笑みを、対戦相手に向ける。
「そんなわけあるかよ。体も程よく温まってきたし、そろそろ本気で行かせてもらおうかと思っていた頃さ。――お前こそ、もうそろそろ手ぇ抜いて戦うのやめたらどうだ? それとも、この俺じゃ役者不足かな? 」
この言葉を聞いて、ランダルは驚いたように大きく目を見開いた。
ぽかんとした表情をしたその後。剣聖ランダル・フォン・フランツベルクはゆっくりと、その微笑の仮面を取り払った。
アレンはランダルの冷ややかな微笑以外の顔は初めて見た。
その微笑みの仮面の下から覗かせたのは、年相応の――ともすればそれよりもなお子供っぽい、無邪気で快活な笑顔だった。
「あはははは! さっすがだよ! 僕にそんなこと言ってくれる人なんて今までいなかった。ううん、力不足なんて思わない。そのために三年間待ったんだからね。それにさっきのも、そこまで手加減してたわけじゃないよ……でもやっと……やっと心の底から楽しめるんだ! 期待していいんだね? 」
まるで子供が友達を遊びに誘うかのような、あまりにも無邪気なその表情と口調にアレンは少々面喰ってしまった。
「あ、あぁ……まぁ、お互い思いっきりやりあおうぜ。即死しない限りは、どんな怪我を負っても『白い人たち』が何とかしてくれるんだからな! とにかく、こっから先は第二局面だ。アンタの手の内、見せてもらうぜ、剣聖! 」
「うん、僕も本気で行く! 二人で素晴らしい試合にしよう! あぁ、僕は今日の試合を絶対に忘れない! 」
――なんだよ……あんないい顔で笑えるんじゃないか。よくわからんが、こっちまで楽しくなってきやがった……
「アレンだ」
「え? 」
「俺の名前さ。いい加減、『鎚の振るい手』ってのは勘弁してくれ。どうも調子が出ない」
「……ありがとう、アレン。じゃあ君も、僕のことは名前で呼んでほしいな。剣聖っていう肩書きは嫌いじゃないけど、君とは対等な関係でいたいから」
「へぇ、意外と律儀なんだな。わかった! じゃあはじめようか! ランダル! 」
「本気で行くよ! アレン! 」
アレンが勢いよく地面を蹴って動き出した。
同時にランダルもそれに応えるように片手半剣を両手で持ち、体の側面で構えると、猛然とアレンに向かっていく。
二人の動きを見て、一斉に観客はその歓声のボリュームを最大限に上げる。
大地も割れよとばかりに繰り出された、二人の若者の持つ――鎚と剣。
――双振りの鋼が、闘技場の中心で、橙色の火花を散らした。