追憶
その昔、最高神である天照大御神は高天原から七柱の神々を追放した
各々好き勝手に無法を働き、ついに天照の逆鱗に触れたことが原因だった。
天照大御神は七柱の神々にこう告げた
人間界におり素質のある人間と契約し、私が与える使命を全うせよ
さすれば再び高天原への帰還を許そう
追放された神々は神の子供である神子とされ、力のほとんどを奪われてしまった
そうして高天原を追放された神々は人間界に降り立ち、各々が選んだ人間と契約した
契約した人間は神子に協力するかわりに、もし最高神が下した使命を果たし、再び神子を高天原へと返すことができたらなんでも願いを一つだけ叶えられる
自らの願いを叶えるため
そのために神子と契約したのが契約者である
選ばれた七人の契約者は
契約した瞬間
神子の手となり足となりその身を粉にし、神子のために働く
神子と契約者は人間の幸せのために天照大御神が与えたもうた使命を日々果たすことで人間界に尽くした
ある時まで
この世界にいるはずのない契約者
八人目の契約者が現れるまでは
八人目の契約者
通称捌式
いるはずのない
いてはいけない
それが捌式
この契約者の出現はこの世界に混沌をもたらした
それが今から十年前の六月
水無月の災である
「要するに、そのころから世界はおかしくなってしまって、それにより家族を失ったものや、自分の体に異変をきたしてしまったものが現れたわけよ。」
居残りを命じられた教室で椿は担任教師である石橋柊の補修と言う名の説教を聞いていた
「だから、水無月の災がトラウマになっている奴が、学校にいたとしてもおかしくはないわな。」
「はい。」
「それに加えて私達人間、それに水無月の災により生まれた妖怪や半妖、この全てが十年前の記憶のほとんどを失っている。原因は不明だが私たちは以前の世界の事をほとんど覚えていないんだ。十年前の変わる前の世界を知っているのは、神子と神子と契約した契約者だけだと言われている。それも知ってるよな?」
「はい。」
「それがわかってるんなら別にいいや。これに懲りたら水無月の災がまた起こるなんて人の前で言うなよ。」
「すいませんでした。」
椿は柊に向かって深々と頭を下げた
「そんじゃあ今日はもう帰っていいぞ~。」
「はい。」
帰宅の許しをもらった椿は、鞄を背負い、席を立った。
腕時計を見るとすでに夜の七時を回っていた。口は災いの許だとはよく言ったものだとかそんなことを思いながら椿は小さくため息をついた。
「あぁそうだ、鞘桜。最後に一つだけいいか?」
「はい、なんですか?」
「その契約者は本当に水無月の災を再び起こすと言ったのか?」
「はい。確かにそう言っていました。」
「冗談でもなく本当に?」
「先生…いくら僕でも冗談でそんなこと言いませんよ。それぐらいの良識はあります。」
「そうか…そうだな。悪かった。もう帰っていいぞ。」
「では、お先に失礼します。」
「あぁ。気を付けて帰れよ。」
椿が教室のドアに手をかけ開くと、廊下側のドアの近くで刀華が眠っていた。おそらく椿の帰りを待っていて、疲れて眠ってしまったのだろう。今日あんなことがあったのだから無理もない。寝息を立て眠っている刀華を見て椿は小さく笑った。
「あちゃ~、ちょっと話を長くしすぎたか。悪いことしたなぁ。」
「いいんですよ。元々は僕の軽率な発言が招いたことですから、先生が申し訳なく思うことはないです。」
椿はしゃがみこみ刀華のほっぺたをつんつんと、つついた。
「おい、起きろ刀華、こんな所で寝ていたら風邪ひくぞ。」
刀華は今朝の事で、よほど疲れていたのか、椿の呼びかけにも全く応じず、相変わらず、すやすやと寝息を立てている。
「こりゃ当分起きないな……仕方がない。」
そう言うと椿は、自分と刀華の鞄を首にかけ、寝ている状態の刀華をおんぶした。
「おいおい、そんなんで帰れるのか?車で送ってやろうか?」
「いえ、大丈夫ですよ。いつもの事ですから。」
「それならいいんだけどさ…こんなの改めて言うのもなんだけど、お前ら本当に仲良いな。少し気持ち悪いぐらいだ。」
「まぁこいつとは付き合いも長いですしね。」
「ふ~ん。まぁ今日は二人とも色々と大変だっただろうからな。今日は早く寝て、明日に備えなさい。風邪なんか引いて学校休んだら先生許さないからな。」
「はい。」
柊は、小さく手を振ると暗がりの校舎の中に消えていった。
椿は担任教師の背に頭を下げると校門めざし歩き始めた。
廊下から外の景色を見ると、サッカー部や野球部、ラグビー部などの部活動に打ち込む生徒であふれていた。そんな生徒を横目に椿は昇降口から外に出て、朝潮学園をあとにした。
学園前のバス停に着くと、今日の朝の事件のせいで交通機関が未だストップしているようで運行停止のお知らせを告げる電光掲示板が流れていた。
「マジかよ…。仕方ない、少し遠いけど歩くか」
椿はそう覚悟を決めると、自分の住む家に向かい歩き始めた。そんな椿の苦労も知らず、刀華は依然として幸せそうに眠っている。椿は幼馴染の重さを直に感じ、先ほどの柊の言葉を思い返した。
『お前ら本当に仲良いな。少し気持ち悪いぐらいだ。』
「確かに…周りの人から見たら少し異常かもな…。」
椿は高層ビルが立ち並ぶ、松江の狭い空を見上げた。まだ夜の七時だというのに松江の星空は綺麗に輝いていた。椿はそんな星空を見上げ笑った。すると起こしても起こしても起きなかった刀華が椿の笑い声で目を覚ました。
「ん~。」
「お目覚めかな?お姫様。」
「ん~、椿ちゃん…もう先生の話は終わったの?…」
「ああ、とっくにな。」
「そう…って!!ここどこ!?それになんで刀華おんぶされてるの?誘拐か何か?!何何?お嫁にいけないの?!」
「とりあえず落ち着け、いくら起こしても起きないから仕方なくおんぶして、今学校から帰っているところだ。」
「ふ~ん。そうなんだ…んふふふ。」
「なんだ?いきなり笑って気持ち悪いな。」
「ふふふ。椿ちゃん、ありがとね!」
「ふん。口閉じてないと舌噛むぞ。」
「は~い。」
「それよりも起きたんなら降りろよ。いい加減重い。」
「ん~何?聞こえないな~。」
「お前なぁ…。」
「いいじゃん、いいじゃん!もう少しだけ。」
「……仕方ないな。」
「やったー!」
そのあと、椿達は大都会の空の下、人目もはばからず、おんぶをしながら歩いた。よく都会の人の多さや、しがらみに嫌気がさし田舎で暮らしたいと考える人がいるが、それは少し違う。むしろ、こういう都会の人間の方が他人に対し無関心な人種が多い。だから椿たちの方を一瞬だけ、ちらっとだけ見る人がいても、すぐに正面に視線を向け都会の喧騒の中に消えていく。だからこそ、椿は少しむず痒い気がしても、さして気にならなかった。
「ねぇ椿ちゃん。今日は星が綺麗?」
「はぁ?なんだ突然。」
「いや、少し昔の事を思い出しただけだよ。昔、こんな空を二人で見に行ったなぁって。」
「そうだっけ?」
「えぇ~。忘れたの?ひどいなぁ。頭はいいのに、そういうことは忘れるんだね。」
「あ、あれだろ?たしか、うちの母さんと水族館に行った時に…。」
「その日は雨が降ってました。」
「あぁ…じゃああれだ!あの米子に映画見に行った帰りに…。」
「その日は雪が降ってました。」
「あれ?じゃあ出雲大社に行った帰りに―。」
「二人で行ったことないよ!」
「あらら…。」
「あららじゃないよ…。もうしょうがないなぁ。うちの学園の大学のある場所をさらに上にあがって行くと小高い丘があるでしょ?」
「あぁ、科学館の手前にあるやつだろ?」
「そうそう、そこに公園があるのは知ってる?」
「うん…あぁ!思い出した。あの二人で家出した時か!」
「もう!やっと思い出したの?」
「確かにあの時見た星は綺麗だったな。」
「うん。本当に満天の星空って、ああいうこと言うんだなって今は思うよ。」
「そうだな。あれは確かに満天の星空だった。手を伸ばせば届きそうだなんて言って二人して手を伸ばしたりしたなぁ。」
「そういうことは覚えてるんだね。」
「確かに、なんでだろうな。そもそも二人ともそのことを覚えていること自体奇跡だぜ。なんせ僕らには、そのころの記憶なんて、ほとんどないんだからな。」
「確かに、これってすごい事だね!」
椿も刀華も二人して笑った。
「ねぇ、椿ちゃん。今日の星空は綺麗?」
椿は、ビルに囲まれた狭く黒い雲に覆われた空を見上げ、目の見えない刀華に少しだけ考えた後にこう答えた。
「ああ、満天の星空だぞ。あの時見た空に負けず劣らずの綺麗な星空だ。」
「そう……あぁ刀華も見てみたいなぁ。」
「……そうだ!お前の目が良くなったら、もう一度あの公園で星を見よう。」
「それいいね!行こう行こう!約束だよ!絶対に忘れないでね。」
「あぁ、だから早く目…治せよ。」
「うん…ありがとね。刀華頑張るよ。」
椿は、見た記憶もない星空に思いを巡らせ、せめて背中に背負うこの子だけは幸せに生きてほしいと願った。
二人はゆっくりとした足取りで都会の喧騒の中
静かに消えていった。