平 和歌絵
ヒラタケ
「魔女様ってさ、毒キノコ食べても死なないってホント?」
「そんなわけあるかい。あんたら自分の『毒』を侮りすぎさねえ」
そう言ってカウンターの反対側に設えられたソファーの上に寝っ転がるのは平和歌絵。
ゴワゴワした暗色のコートは寝心地が悪そうだが当人は気にした風もない。
「……『魔女』は生物というよ大分概念寄りの存在だけど、『毒』が全く効かない訳じゃない」
「どうして?」
「『毒』ってのは『防衛本能』の具現化だからねえ。毒成分そのものよりも――おおもとの『防衛本能』そのものにやられるって感じかねえ」
毒とは――本来。
種を守るための力。
我が身を犠牲にしてでも仲間を守ろうとするその思いは――時に人ならざる身である『魔女』さえ傷つける。
「……ふうん」
「まあ、あんたには関係ない話さねえ」
魔女はカウンターの上をちらりとみる。
かごいっぱいのハツタケ。
縄文の昔から人と共にあった山の幸は魔女の好物でもある。
チーズを乗せてオーブン焼きにすると美味しい。
「今日は毛玉とりかい?」
「うん。よろしく」
和歌絵は髪の裏側に毛玉が出来る癖毛持ちでいつも苦労している。
今日、魔女の所を訪れたのもそのためだ。
「はいはい、じゃあとっとと起きあがって滑り止め外しな!! 床に一つでもひっかき傷が出来たら許さないからね!!」
「はあい……」
いつものように――魔女がそう言って。
和歌絵は渋々と起きあがった。
* * *
魔女は淡い薔薇色の液体が入った霧吹きを手に取った。
ボトルの底には赤い花びらが四、五枚沈んでいる。
トリガーを引いて霧が和歌絵の髪にかかると薔薇の香りが部屋中に広がった。
強すぎないのに存在感のある香り。
「……『魔女』ってのは『森』の番人にして――『森』と『街』を繋ぐもののことさねえ」
「『森』と『街』を?」
「言い換えるなら『ニンゲン』の暮らせない異界と『ニンゲン』の暮らす世界を繋ぐもの」
霧をなじませるように手ぐしで和歌絵の髪をすく魔女。
その手は――『ニンゲン』のようにしか見えない。
「――あたしは元々は『ニンゲン』だった」
今はもう無くなった東欧の小国の小さな村に生まれた。
「どうってことのないただの村娘だったよ。――『魔女』に出会うまでは」
――それは月の無い夜。
悪魔が集い、魔女が宴する――だから出歩いてはいけないといわれていたのに。
少女は――森に入り込んだ。
「森の泉まで一言も口をきかないで走り抜けられたら――泉の水面に結婚相手の顔が映る。よくあるお呪いさあ」
けれども。
少女は知らなかった。
彼女が迷い込んだそこは――常の森ではなかった。
「泉であたしは『魔女』に出会って――『魔女』になった」
和歌絵の髪に十分薔薇水を馴染ませた魔女は銀の櫛を手に取った。
慎重に髪にすきいれ――毛玉に引っかかる度に、指先で丁寧に解いていく。
薔薇水を吸った髪は魔女の指先でするすると解けていく。
――まるで、魔法のように。
* * *
「ほい。終わったよ」
「ありがとう」
薔薇の香りを纏って和歌絵は椅子を降りる。
トレードマークの暗い色の帽子をかぶって完成である。
「……なんだい。そうして立ってると出るとこ出てるじゃないか」
そういう魔女はとってもスレンダー。
いや、ウエストはかなり綺麗に引き締まっているのだけど。
「――ねえ」
鏡を見ながら帽子の位置を調整しながら――和歌絵は呟く。
独り言のように。
祈りの言葉のように。
「――私たちって何なんだろうね?」
魔女は――そっと目を閉じる。
薄く唇に笑みを浮かべたその表情は――まるで聖母のようだった。
「茸は『木の子』――それは『森』より生まれ出ずる『命』の表象」
『ニンゲン』は『森』では生きられない。
それでも、『ニンゲン』を『森』に引きつけてきたもの――それは。
「『森』の恵み――その象徴。そして『森』の毒――その顕現」
狩猟採取の時代から――人を救い、殺してきた。
奪い奪われた命の連鎖。
「『魔女』が『ニンゲン』の側からの『森』の番人であるように――あんたらは『森』の側からの『ニンゲン』の隣人さねえ」
ことさら明るく魔女はそう言って――ポンと和歌絵の帽子を叩いた。
「バーにおいで。ホットワインでもいれてあげよう」
魔女と世界とキノコの娘