宝物
次第に朱に染まり茜色に代わる空。
少しずつ輝きの源が沈み、ゆっくりと暗闇の主が小さい粒を操り出す。
いつだったか…
昔の人は“この世は無常であるからこそ素晴らしい”と述べたらしい。
“無常”
昔の人はうまく言ったものだ。時の流れというものは誰にもとめることは出来ない。
その時に人間はながれていく。
このベンチもトキを越え少しずつだが老化している。
もちろん私たちも。
「真人の手は変わらずあったかい」
ベンチが軋む。私の隣の男性は飯島真人。
私の一番の友達。そぅ…友達。
その一線はどうしても越えてはいけない。
━━十年前━━
私の名前は鈴木美和。私は少し変わった女。
私の嫌いなもの。
男。
この世の中。
私の存在感はない。私は空気。
それ以下?それ未満。
だからそのときの私のたったひとつの生き甲斐は“リストカット”だった。唯一の生きてることの証。気付いたときには笑えなくなっていた。
“死ね”
私の周りはそんな言葉ばかり。
脱力感…
あのトキのココロは言葉では足りない。現せない。
そんなとき
「ちょっと…いい?」
私をいきなり連れ出したのは真人だった。私はもう言葉の使い方さえ覚えていなかった。嫌という感情もない。
そしてあのベンチにきていた。
「俺の好きな場所。」
そう真人が言うと私をそのベンチに座らせた。
凄く寒い…
「あと一時間もするといい感じになるんだ」
いい感じ?
知るかそんなの。
寒い…一時間も私の命が持つかどうか…
それは言い過ぎか…
「着てろ」
ガタガタ震えているのが分かったのか真人は自分の脱いだコートを私になげつけた。
…ひどくなぃ?
勝手に連れてきといて…投げるとか…怒ったのか?
そういえばさっきからずっと私の手は温かい真人の手につつまれている。
日がだんだん西に沈み、ゆっくりと夜になっていく。その過程を見たとき私は涙が出そうだった。
大丈夫だょ。
そんなふうに言われてる気がした。
優しい茜色だった。
だんだん暗くなっていき、そこから見える夜景は宝石のようで、世界はものすごく広く、広大…人間なんてちっぽけだ。
そう思った。
「どぉ?」
真人は真剣にきいてくる。心配している表情で。
「凄く綺麗」
真人の腕の中で、涙がこぼれていた。
真人なら大丈夫。
よくわからない自信。
私はまだ生きれる。
そう思えた。
毎日相変わらずに過ぎていった。1つ変わったことといえば一日一回はあのベンチに座るようになったこと。好きなことが出来たこと。
私の好きなコト。
本を読むこと。
綺麗な景色を見ながら大好きな色をパレットにおとし、絵を描くこと。
空を見上げること。
真人と一緒にいること。
真人も部活が終わったら毎日ベンチに来るみたいだった。
私のためにきてくれているのか…。
とんだ思い込み。
真人がそんなことするはずがない。
「美和?美和?」
真人の声が遠くできこえる。暗闇の中に私の中に響き渡る。
痛。
頭が何かにあたった。
ふぁ?
「風邪ひくょ?こんなとこで寝たら…」
寝てたのか。
起こし方間違ってなぃ?そこは優しくキスだろう?
自分…勘違いも甚だしい。
もうあたりは真っ暗だった。
「真人?」
「なぁに?」
「真人彼女いないの?」
「は?」
真人の顔はみれなかった。別に私は真人を好きじゃないけど、もし彼女がいたらこんなことしちゃいけないと思った。
「いないょ。あんなウザイものと一緒に歩けないょ」
と、真人は笑った。
「真人は悲しい人生を歩んだんだね」
こんなにいい人なのに…。
「そういうのは気を遣って言わないの」
二人で笑った。
「私とは友達?」
おそるおそるきいてみた。私はずっと友達なんていらないと思っていたのに結局は友達が欲しかった。
「おう!友達だ。」凄く安心した。
「帰る?送ってくか?」
私はキョトンとしていた。
「友達はそんなこと普通するの?」
真人は困ったように微笑みながら言い直した。
「…とりあえず美和は女で、とりあえず夜で、とりあえず俺が暇だから送ってくか?」
クスッ
私は笑ってしまった。
「とりあえずね。お願いしますっ」
また笑った。真人と一緒にいると凄く楽しい。
これが友達。
私と真人は仲良くなった。でも付き合うことは絶対なかった。その一線は越えられない。私は彼氏が欲しいのではない。
“付き合わない”
暗黙の了解である。
どちらかが付き合ってほしいといえば、この関係は全て崩れる。私が崩してしまう。
友達
それは最低条件?
最高条件…
そして私は近くの高校に進学し、真人は遠い町の高校に行った。
別にいまさら言うことはない。
このベンチはずっと変わらずにここにあるのだし、真人が来なくなるだけ。そう思っていた。
「さみしい?」
「別に?」
「そういうのは嘘でもさみしい行かないでって言うもんなんだぞ。」
ウソツケ…
そんな乙女を私に求めるな。
「ま、たまに帰ってくるし。」
「なぜ遠くへ?このへんの高校には何かご不満でも?」
「んーなんか家出たかっただけかな。」
なんだそれ。
「じゃ、俺荷造りあるし。行くわ。遅くなんないうちに帰れょ」
「わかった」
“無常”
このときは恨ざるおえなかった。ぶつかるものがそれしかなかった。真人の背中を目でおいかけながら、また明日いつものようにきてと唱えてる自分がいた。
当たり前だったこの時間は…戻ってこないのか。
結局“無常”に頼るしかない自分がいた。
まだ家に帰る気にならなかった…。真人の存在は私にとってこんなにも大きかった。
月は優しく私に微笑む中、声を殺して泣いていた。
高校生活がスタートした。中学のトキよりは人付き合いが良くなり、それほど嫌だと思わなかった。好きなものも少しずつ増えていった。皆と話題を共有することも楽しくなった。
でもあの場所は教えなかった。あの場所は真人と二人だけの場所にしたかったから。あのベンチにいくことも少しずつ減って行った。あのベンチに行くと真人を待っている自分を知ってしまうから。
あのベンチは封印することにした。真人と再会する日までは。
「美和は好きな人とかいないの?」
ただ今、高校に入ってはじめにできた友達、綾瀬未世と、ご飯を食べている途中である。
「私?!未世こそどうなのさ?」
「私ね…んー二組の木暮くんっ」
顔を赤くしていうが、男に興味のない私は木暮くんは知らない。
「だれだって?」
話に交ざってくるのは羽山尚美である。未世と同中で、話すうちに仲良くなった。
「だーかーら、二組の木暮孝仁!」
木暮孝仁?知らぬ。誰だそいつは。
と、いうわけで放課後、尚美と見に行くことにした。
「あいつじゃね?」
尚美が指さす方向にはサッカー少年がいた。
サッカー部…か。
「なかなかのイケメンじゃね?…が、しかし!…」
尚美が分析をはじめる。分析というより…妬みだが…。
そんな中、私は真人の何もわかっていない。真人はどんな学校にいったんだろう…溜め息が溢れる。
…あれ?
あれ真人じゃん。
目があった…こっちに向かって歩いてくる。
「…?美和どうした?顔真っ赤だぞ?」
尚美はやっと分析(?)をやめたようだった。が、もう遅い。
「美和…」
顔が見れない。なんでココに真人が…
「美和知り合い?むっちゃカッコぇぇねんけど〜!!」何故に大阪弁?
「ごめんなっ美和…冗談だったんだけど。全然…来なくなっちゃうから。」
「冗談?」
苦笑いな私。冗談って何が?
「ホントは同じ高校だったんだょ。ごめん」
涙が溢れた。苛立ちと安心が一気に心をおしつぶす。
「…美和?」
真人の腕の中。私の好きな場所。
私は真人に恋しているのだろうか…
「真人練習中だぞ」
木暮くんが、あっちでさけんでる。
「ご…ごめん。今日あの場所で待ってるから。」
言葉を私のまえに置き、真人は練習に戻った。木暮くんは小指を出したり引っ込めたりしている。
古。。
「ちょっと!美和ちゃんと説明してよね。」
尚美の存在を忘れていた。果たして、友達で信じてくれるだろうか…
それから少したって未世と木暮くんが付き合ったことを聞いた。
付き合うというのはどういうことなのだろうか。友達じゃいけないのか。よくわからない。「美和は?真人くんとはどうなの?」
どう…って。何?
「いいよなぁ。二人してお相手がいて。」
尚美が言う。
お相手…そんなに素晴らしいものではないが。未世が木暮くんと付き合い出して、前みたいに遊べなくなったのが少し気にかかる。
尚美が
「所詮友達なんてこんなもんさ」
と諦めた顔をして哀しそうに笑ったのを見るのが辛かった。
「ねぇ真人…」
「何?」
「サッカー好き?」
「まぁな。人間みたいに裏切らないからな。こっちが裏切らない限りは。」
人間は嫌いみたいな言い方だけど?
「そ。」
朱色が少しずつ山の中に吸い込まれていく。
「もう大丈夫そうだな。」
は?何が?
「一応心配してたんだょ。美和の腕にその傷見付けてから」
…リストカット。
「でももうないじゃん?俺のおかげかな」
真人の笑顔はいつも、悪戯好きな天使のよう。
「さぁどうだか」
自然に笑顔がこぼれる。
真人の手が頬にきて、唇を重ねる。
嫌な気はしなかった。が、崩れていく音がした。
「美和?」
尚美の声がする。
「何?」
「あんたちょっと大丈夫?顔真っ赤だけど」
鏡を見る。
あらほんとだ。キモい顔。自分なんか大っ嫌い。
「真人きてるょ?」
呼び捨てかよ。いいけど。
「ど…こ…?」
足がもつれて倒れた。私の手首には無数のリストカットの痕が新しく出来ていた。
「美和?美和?」
…尚美。と、未世。
「びっくりした。突然倒れて覚えてる?」
「これ…これ!聞きたいんだけど」
尚美が怒っている。
「ちょっと、尚美やめなって」
尚美の視線の先には
リストカット…。
生々しい傷痕が無数出来ている。
私いつの間に…自分でもわからない。意識が朦朧としたもう言い逃れ出来ない。
「なんで?なんでこんなことするの?なんでこうなるまえにうちらに相談なしなの?うちら友達じゃん!!」
尚美はそういうと出ていった。
「…」
異様な空気が漂う。
リストカットはもう私だけの問題ではない。
「美和…私たち…なんの為にいるのか…考えて。」
尚美の後を未世は追いかけた。
普通のこと…
私が見捨てられるのは普通のこと大丈夫。心臓の音がはやく高鳴る。
大丈夫…大丈夫…
帰ろう。ここにいるから辛いんだ。帰ろうとしたそのとき。「美和?尚美ちゃんと未世ちゃん走って行っちゃった…けど…」
真人。なんでこいつはいつもバットタイミング…ナイスタイミング…
私こんなに泣き虫だったっけ?
涙は後から後から溢れだす。
「…俺のせいだよな。今の二人もこれも。約束破ったから。俺がキスしなければ…」
「…」
ヤクソク
ヤクソクした覚えはない。私に隙があっただけ。
真人とは距離がある。長い長い距離が…。真人が口をあける。
「俺はずっと美和が…」
「ダメ。いや。いやぁぁああああ!!」
「…付き合ったら何してもいいの?私が嫌だっていうことしていいの?…嫌だったのに無理矢理…嫌って言ったのに…」
「…そっか。ごめんな」
涙が枯れるまで、真人はずっと一緒にいてくれた。
「落ち着いた?」
真人は真っ直ぐ私を見ていた。私は真っ直ぐ見ることができなかった。
「辛かったな。」
ただ一言言っただけだった。
それからあのベンチに行っていつもの夕日をみた。
それなのに今日の夕日はいつもの優しさより、深いものを感じさせた。
尚美は話をしてくれなくなるかと思っていたのに、謝ってきた。
尚美の精一杯の優しさが心に染みた。
私はもう二度としないと決めた。リストカットは自分以外の人を苦しめるのを知ったから。
私は近場の大学に言って心理カウンセラーになろうと思った。真人は今度こそ遠い町の大学に行った。
「綺麗だね」
色褪せたベンチは今もなお此処にある。ここは住宅街になるらしい。工事は来週からということであった。最後かもしれないと真人は地元に二日だけ帰ってきたのであった。
「なぁ…美和。もう一度考えてみてはくれないか。」
「…明日、明日までここにいるのでしょう?」
「ぁぁ。」
「明日、この時間は?」
わかった。と真人は頷いて帰っていった。
尚美と未世と話をつけなければ。今日は尚美の家に三人で泊まる約束をしていた。
「で?話たぃことって?」
「私…中学のときにレイプされたの…」
「え?」
尚美は目をパチクリさせている。
「どうゆうこと?」
未世のほうが冷静である。深呼吸をした…頭に酸素をいれたらどうにかなる気がしたがダメだった。
「付き合ってた人がいて大好きだったけど、でもしたくなかった。こういうのはレイプって言わない?」
「嫌だって言わなかったのか?」
「言ったけど…」
「そうゆうもんでしょ」
未世が口を出す。
「だって付き合ってるんだから…」
「でもしたくなかった」
沈黙がながれる。
「それからすぐ飽きたって言われて別れた。」
「なんだよそいつ。」
尚美は怒っていたがその後ろで未世は放心状態になっていた。
「未世?」
「ぁ…ぁぁごめん考えごと。」
「美和が話してんのに考えごとかょ」
「…私したことある」
そういって下を向いた。
「レイプはしてないけど、飽きたってフったことがある。」
「未世?!」
「そんなつもりはなかった…付き合うっていうのを重く考えたことがなかった。」
未世の顔はくもっていく。未世は反省しているのだろうか、私へのその人への罪悪感なのだろうか…。
「でも…だから軽く付き合うのやめた。」尚美は私と未世を抱きしめて言った
「わかったならいいじゃねぇか。理解することが出来たならいいじゃなぃか。これからだょ。」
「私…真人を信じてみようと思うの」
「彼なら幸せにしてくれると思う」
「うん」
月が高い場所にきたころに私は眠りについた。
真人は先にベンチに座っていた。夕日の時刻より一時間ほど前。なかなか声をかけられなかった。はじめてだった気がする。真人はずっとこの光景をみていたんだ。私が紅い炎の中に埋もれていくのを。
「…真人」
「美和…」
私たちは淡い紅の中で唇を重ねた。
私の好きなこと
真人と一緒にいること。
今はもうないあのベンチでみるあかい夕日。
優しく包みこむ真人は夕日そのものだった。
私の大事なタカラモノ。