7・慟哭を包む喉頭
7・慟哭を包む喉頭
「待たせたね。真理は再び眠りに着いた」
「そう・・・不安そうじゃなかった?」
「君のことを案じているように見えたので、織なら大丈夫だ、と言い続けた」
「・・・そっか。・・・ありがとう」
Kは、変わってきている。この生活が実を結んでいるのだと思える。
その姿が・・・とても勇ましかった。
私も、変われるはずだ。そう望んで、挑めばいい。
「話の続き、始めようか。真理がどうやっていじめを解決したのか」
「解決した?一体、どうやって?こんな短期間に?だって、昨日の今日でしょ?」
「そんなに驚かないでよ、先生。ちゃんと説明するから」
あっけらかんとしている私とは反対に、首を左右に揺らしながら、落ち着いた様子の真理。
「私がやったのは単純なこと。クラスのみんなから群集の心理を切り離したの」
「簡単って・・・どうやって?」
「それはね・・・」
(いじめをやってくるリーダー格の子に、授業中に話しかけたんだよ。おもむろに席を立って、その子の席まで行って・・・)
「ねぇ、どうして私に毎日毎日酷いことをするの?」
「な、何よ、いきなり・・・授業中でしょ」
「答えになってないよ。どうして私をいじめるの、って聞いているんだけど」
(私が冷めた目で見下ろしながらそう言ったら、その子は酷く動揺していたよ)
「どうして黙っているの?私が気に入らないの?何処が気に入らない?」
(そこまで言ったら、教室中が冷たくざわついてきてね)
「清埜、今何て言った?お前、いじめられているのか?」
「先生は黙って聞いていて下さい」
(少し強い口調でそう言ったら、その子、ふふ、顔が青ざめてきてさぁ)
「今日は静かだね。いつもみたいに私の悪口は言わないの?新しい教科書買ったけど、焼却炉に燃やしに行かなくていいの?」
「おい、二人ともどういうことだ?答えなさい」
「違、違う・・・私、そんなこと」
「したじゃない。ポケットにいつもカッターを持っててさ、私の髪を切ったりしたじゃない」
「本当か!」
「ち、違い、ます」
「ならポケットの中、全部出してみてよ」
(そうしたらね、今にも泣き出しそうな位に顔が歪んじゃってね)
「どうしたの?違うんでしょ?なら潔白を証明したらいいじゃない」
「・・・出しなさい」
(その子はポケットからハンカチを取り出したの。私がハンカチを持ち上げたら、カッターが転げ落ちてね、)
「もっと上手に隠したら?それに、刃が錆びているよ?私の血が付いたからかな?」
「血?清埜、カッターで切られたのか?」
「はい、でももう大丈夫です。・・・ほら、もう殆ど瘡蓋も残ってないですから」
「お前・・・何てことしたんだ!」
(先生が怒鳴ったら、その子は机に伏せちゃってね、)
「ねぇ、リーダーが困っているよ?みんな助けなくていいの?いつもみたいに手を貸してあげたら?」
(誰も私と目を合わせようとしなかった。下向いたり、窓の外見ていたり、泣いている子もいたっけ)
「みんな関係ないって顔していないでさ、仲間なんだから、助け合わなきゃ」
「みんな、正直に言え!清埜をいじめたやつはいるのか?」
(勿論、みんな何も言わない。鳴き声しか聞こえなかった)
「誰も助けてくれないね。一人じゃ何にも出来ないんだね」
「・・・」
「そんなに泣かないでよ。顔を上げて。私、もう怒ってないよ」
(その子はゆっくりと顔を上げたの。目が真っ赤になっていて、すがる様に細めていた)
「どうしたの?そんなに怯えて・・・。私が怖い?」
(そう言ったら、大声で泣き出しちゃった)
「ちょっとやり過ぎたかも。でもいいよね?今まで散々やりたい放題だったし」
真理は笑いを堪えながらそう言った。
「随分と・・・強引な方法を選んだのね」
「でも上手く行ったよ」
「それは・・・そうかもしれないけど」
「?」
(この時の私は・・・正直、真理に恐怖を感じていたの)
(どうして?)
(人なら誰もが持っている仮面、ペルソナを剥がし、その後ろに隠れている認めたくない劣等感、シャドーを引っ張り出す。心を壊す残酷な方法を簡単にやってのけたからよ。いじめていた子が気の毒に思えるほどの手際でね。私は真理に対する恐怖心を瞳に映さないよう必死だった)
「とにかく、いじめは解決したのね?」
「はい。もう大丈夫だと思います。リーダーの子は学校に来なくなっちゃったけど」
「え?・・・そう、なの?」
「うん」
「他の子は?」
「ちゃんと学校に来ているよ。みんな泣きながら私に謝ってきた」
「・・・そう」
(その時私は、妙な胸騒ぎを感じた)
「報告は以上です。もう帰るね」
「あ、待って」
「何ですか?」
「また・・・ここに来てね」
「解決したからもう大丈夫だよ、先生」
「でも、」
「大丈夫だよ、先生。またいつか、会えるから」
「あ・・・ん」
(私はそれ以上引き止めなかった。もうしばらく、時間が経ったら連絡してみようと思ってね)
「私は真理に、危うさを感じていたの。ううん、違う。言葉を選ばなければ、危険な子、そう感じていた」
「どうして?」
「残酷なことを成功させてしまったからよ。いじめをなくす為とはいえ、クラスを恐怖で支配した。結果、リーダーの子は不登校になってしまった。だからよ」
「・・・」
「あの賢さが・・・悪い方向へ進まないよう、巧く導かなければ。そう考えていた。でも遅かった」
「・・・何かあったのかい?」
「ええ・・・」
私は何度も深呼吸をした。何度も何度も。頭の中が真っ白になる位に、繰り返した。そして私は、こう書き込んだ。
(自分をコントロールして。乱れぬよう、対峙しなさい。出来るよね?)
私は小さく頷いた。
「真理が診療所に報告に来た、その次の日よ。真理は、学校の、自分のクラスで・・・自殺をしたの」
全身が粟立ち、宙に浮いた様な感覚が駆け巡った。体が揺れ、私は堪らなくテーブルに手を付いた。
「何故そんなことに?問題は解決したのだろう?」
「・・・私も、すぐには理解できなかった。自宅に連絡をしたけど、一度も繋がらなかった」
挫く心を私はゆっくりと押し出した。
「数日後、お通夜の案内が届いた。私は混乱の最中、その場に赴いたの」
「学校でいじめられていたんだって?」
「自殺の原因って・・・それかしら」
「まだ9歳なのに・・・」
香典を納める列に並んでいる時だ。様々な哀れみが飛び交っていた。否が応でも耳に入ってくる。
「こうなる前に、どうにかできなかったのかねぇ・・・」
「今の教育現場は狂っている」
全ての言葉が、私に向けられているような気がした。
後ろからすすり泣く声が聞こえた。そっと目を向けると、学校の担任と、クラスメートと思われる子供達が列に並んでいた。
皆が小さな声でヒソヒソと話し始める。私は担任に挨拶をしようと思い、列を抜け、足を運んだ。
「すみません、真理ちゃんの担任、」
私が話しかけた瞬間、誰かが私を押しのけて担任に掴みかかった。
「真理はいじめにあっていました。こんな結果になる前に、どうにか出来なかったんですか!」
掴みかかったのは真理のお母さんだった。
「どうして・・・こんなことに・・・」
お母さんはその場に泣き崩れた。
先生は涙を拭った後、何も言わず、何も言えず、ただ深々と頭を下げた。
「・・・・・・」
(私は何も言えず、ただ困惑していた。その最中、生徒達に目を向けると、異様な感覚に気が付いた。泣いている子。髪を掻き毟っている子。恐怖で呼吸が止まりそうな子。様々だった。でも共通していることがあった。それは、全員の心が挫けている事、だった。私はすぐに気が付いた。担任を含め、クラスメート全員が、強迫神経症にかかっていると)
「・・・生、先生」
「・・・え?」
ハッと我に返ると、真理のお母さんが目に映った。
「先生に・・・聞きたいことがあります」
私はお母さんに気圧された。何故なら、涙で滲んだ瞳の奥に、憎しみが映っていたからだ。
「あ・・・はい」
「・・・真理の部屋から手紙が出てきました。先生宛です。先ずは・・・これを読んで下さい」
渡された手紙。子供が好むような可愛らしい絵柄の物。でもその手紙はくしゃくしゃで、誰かの爪痕が見られた。・・・間違いなく、お母さんのだろう。
私は不安に苛まれながら、手紙を開いた。
誰も私の話を聞いてくれない。理解してくれない。クラスメートは楽しそうに、毎日、毎日、毎日、毎日、玩具の様に私を扱う。まるで小さな世界の間引きのように思えます。
でも先生だけは違った。私の話を聞いてくれたし、理解しようとしてくれた。そういうの、初めてだったから嬉しかったよ。
でももう我慢できない。先生と話せなくなるのは残念だけど、私は今回の命を復讐に使います。私を払い物にした人全員に、死ぬまで消えない傷を付けて、蝕んでやると決めました。
先生。もう一度命が廻ってきたら、また私の話を聞いて下さい。
「復讐って・・・何ですか?」
「・・・」
「いじめは解決したはずでしょ?」
「・・・」
「先生?手紙に書かれた意味、分かるんでしょ?」
「いえ・・・私には、」
(嘘だ。私は理解できた。自殺することが復讐そのものなのだと)
(どういうことだい?)
(真理は・・・自分でいじめを解決した。そうすることで、加担していた者全員に、反省を促した。皆が、悪いことをした、酷いことをした、そう考えたところで、自分の命を絶った。そうすることで、いじめをしていた子供達は、自分が殺したと思う。人を殺したという強烈な自責の念は、子供の精神力では太刀打ちできない。手紙に書いてあった通り、一生消えない深い傷を、心に刻ませた。子供達全員に現れていた強迫神経症は、復讐の成功を表していると言えるでしょうね)
「先生なら、こうなる前に、どうにか出来たんじゃないですか?」
「私は・・・全力で・・・」
「救うことのできる命だったんじゃないですか?」
「私は・・・そのつもりで・・・」
「ひょっとして、こうなるって分かっていたんじゃないですか?」
「知らない、私は・・・何も、」
お母さんの荒い声とは対象に、私の声は誰にも聞こえないほど、小さかった。
喉が熱く、目の奥が痛い。
「どうして・・・こんなことに・・・」
お母さんは再びその場に泣き崩れた。掠れた鳴き声がその場に響き渡り、悲しみで覆われた。
その場にいた全員の視線が私に向けられた。鋭く尖った視線が、あらゆる方向から私を切り刻む。
「あ・・・は・・・は・・・ぁ・・・」
突然、私は呼吸の仕方を忘れた。
小さな話し声が、全て私への罵声に聞こえる。ありもしない幻聴が、私の聴覚を支配していく。
耳を閉じようにも、腕が動かない。
「自分を・・・コントロールして!」
そう言い聞かせ、私は固く閉ざされた拳へと視線を運んだ。自分の意に反し、頑なに硬直を続ける指を、少しずつ解いていく。
「・・・これが・・・私の、手?」
食い込んだ爪が、私の手を紅に染めていた。怨念のように湧き上がる血が、私を沈めていく。
「私も・・・復讐の・・・対象なの?」
指の隙間から零れる紅い雫が、私の足元に飛び散った。
「それからすぐ、私は逃げ出した。そしてここに流れ着いた」
これが、私の罪。
「・・・痛いのかい?」
「え?」
私は手を開いた。あの時の爪痕はすっかりなくなっている。いや、なくなったと言うよりは、埋め込まれた。そんな気がする。
「ううん、もう、痛くない」
「いや、手じゃなくて・・・ここ」
Kは胸に手を当てた。
「話している時、何度もここを押さえたり、撫でたりしていた」
私は誘われるように胸に手を当てた。
「・・・痛いよ。心が痛くて、何度も悲鳴を上げている」
ずっと続く痛み。晴れることのない、暗闇の雲。
そう思うと、また心が悲鳴を上げた。
「救うことができた命なのに・・・救うどころか、摘み取ってしまうなんて・・・」
「本当に救うことが出来たのかい?」
「分からない、分からないけど!・・・私は知っていた。真理の、生と死に対する価値観が曖昧だったってことを」
「生と死の価値観?」
「真理はね、人生は一度きりじゃないと考えていたの。真理が話していた科学の話には、時間がループしているとか、時間が逆行するとか、そんな説が何度も出ていた。その可能性を知る度に、真理は生と死の価値観が揺らいでいったのだと思う」
「それは本人にしか分からないさ」
「そうね。けど、それを知らなければいけないのが、精神科医なの。もっとよく話を聞いて、理解しようとしていれば・・・違う対応ができたのに・・・。私は目の前の問題にばかり目が向いていた。ううん、いじめだってそう、私は何もしてやれなかった」
荒れる心が、あの時のシーンを映し出した。
私を切り刻む、冷たい視線。
私を攻める、多くの罵声。
焼けるように熱い喉、奪われる呼吸。
(いっそ壊れてしまいたい。誰か、私を、)
「・・・K?」
「こうすれば、落ち着くのだろう?」
Kの手が、私の手を包んだ。
「うっ・・・あっ・・・」
私は堪えきれず、泣き出した。
一度溢れたら止まらない。声の無い心を物語るように次々零れてくる。
私は空っぽになるまで、夜通し、大声で泣き続けた。
Kは、ずっと私の手を放さなかった。