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聖者の灰  作者: スピカ
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6・群集の心理

      6・群集の心理


 何処からともなく生まれる雪を見上げる。月も、雲も、空も無い闇。その闇に向かって、白い息が浮かんでは、吸い込まれるように消えていく。

町の明かりがポツポツと、寂しげに灯っている。明かりのある場所は家庭がある場所。この明かりの何処かに、真理の居るべき場所があるのだろうか?真理は・・・どの明かりを選ぶのだろうか?

今包まれている明かりを、真理は自分の意思で選んだのだろうか?そして・・・選び続けるのだろうか?

「真理は眠ったよ」

 声に振り返ると、絵本を持ったKの姿があった。「月と懐中時計」私も持っている絵本だ。

「本、読んであげたの?」

「この本はもう何度も読んであげたよ。話の内容も展開も知っている筈なのに、どうしてまた聞きたがるのか、僕には分からない」

 私は少し笑いながら窓を閉めた。

「それは私にも分からない。人ってほんと、不思議よね」

「織がそう言うと、より分からなくなる」

 そう言いながら、Kは絵本をテーブルに置いた。

「理屈に合わないことをするのが人なのよ。私から見れば、あなただって十分理屈に合わないことをしていると思うけど?」

 Kは、何も答えなかった。


「真理はね、あなたのことが好きみたい。よく懐いている」

「織は前にもそう言っていた」

「その時Kは、「僕がロボットだから?」って私に聞いた」

「そうだ」

「子供には、あなたがロボットかどうかなんて分からないよ」

「今はそうかもしれない。しかし、いつか理解できるときが来る。その時、真理は・・・僕のことを、どう思うだろうか?」

 滲んでぼやけていて、その奥に潜む深い何かがある。Kはそんな瞳をしている。私にはそう見えた。

「・・・怖いの?」

「・・・分からない」

 Kの中で、何かが生まれては消えている。何かとは、感情のことだ。

 Kはロボットだけど、完全な無じゃない。常に無と有の間を揺らいでいる。それはきっと、生まれ、芽生え、実り、その過程に結びつくだろう。


「織の話したい事とは?」

「ん?・・・ん・・・」

 私は顔を小さく上げた。そしてそのことを思い出し、また少し俯いた。

「私の昔話、聞きたい?」

 そう問うと、Kは温かいコーヒーを入れたカップをテーブルに置いた。

「ありがとう」

「博士は話をする時、片手にいつもそのカップを持っていた」

 私は静かに席に着いて、両手でカップを握り、深く息を吸った。カップの温かさが手に伝わり、根雪に届く。


「私は今年の夏まで、ここから遠く離れた都会で精神科医をしていたの。分からないと思うけど、女が一人社会で生きていくのはとても大変なのよ。医学の世界もその例外じゃない。とても風当たりが強かった。だから私は必死に仕事をしていた。女だからって見下されたくなかったし、私はどうしてもこの世界で生き残りたかった。繰り返される多忙の中、私は今年の5月に、ある患者の担当になった。と言うか・・・押し付けられた、かな」

 軽く触れただけで溢れる言葉。止め処なくなりそうな感覚。今ハッキリと分かった。私は、喋りたかったのだ。心の陰りを。精神科の人間でなければ・・・とっくにそうしていただろうな。

「その患者の名前は「清埜(しんの) 真理(まり)」9才の、女の子」

 ・・・・・・・・・

 ・・・・・・

 ・・・


「今日はどうしてここに来たのか、教えてくれるかな?」

「ここは悩みを相談する場所なんでしょ?」

「まぁ、そうでもあるわね。何か悩み事でもあるの?」

「・・・はい」

「どんなことかな?教えてくれる?」

「当ててみて」

 私は目の前の少女に、少しだけ疎ましさを感じた。でも、これも仕事だからと思って、表情を曇らせなかった。

「じゃあ目を瞑って、両手を私に向かって差し出して」

 真理は何も言わず、少し鼻で笑いながら言う通りにした。

 私は両手を軽く握った。そして、親指で軽く服の袖を上げた。

(左手に一筋の躊躇い傷。傷は少し前のもので、薄っすらと瘡蓋が残っている。それに、前髪が少し不揃いね。髪の切り口から見て、右利きの人が切ったようね。この子は左利きだから・・・)

「はい、もう目を開けていいわよ」

「もう分かったの?」

 真理はケラケラと笑いながら言った。

「真理ちゃんはもしかして、学校でいじめられているのかな?」

「正解。凄いね、傷一つでそこまで推測できるんだぁ」

 いじめられているとは思えないほど、明るい口調だった。これなら大きな問題でもない。簡単な仕事になるだろう。私はこの時、そう思った。

「いじめがなくなるように、一緒に頑張りましょうね」

「はい、よろしくお願いします」

「これから何度か、ここに通ってもらうことになるから、今日はまず、お互いのことを知りましょうか」

「じゃあ私から。先生の趣味は?」

 あまりの活発さに、私は少し気圧された。

「コントラバスっていう楽器を弾くことよ」

「オーケストラをやったことがあるの?」

「あるわよ。ほんの少しだけだけど」

「楽しかった?」

「ええ、みんなで一つのものを表現する。とても素晴らしいことよ」

「世界の調和・・・確かに面白そうかも」

 ・・・?

「ん。じゃあ次は私の番。真理ちゃんの趣味は?」

「本を読むことです」

「どんな本が好きなの?」

「辞書全般。あとは論文とか」

「えぇ?そんなの読めるの?」

「読めるよ。お母さんが、語学と読解力は人生の要だからって教えてくれたから、もうずっと読み続けているよ」

「・・・そう、なんだ」

 随分と変わった子。私はそうとしか考えなかった。治療とは大きく関わらないだろう。むしろ、有利に進む。私はそう考えた。

「失礼します。綾生子先生、相馬さんがお見えになっています」

「少し待ってもらって」

「先生、私ならもういいですよ。また来ますから、続きはその時で」

「・・・そう?」

「はい。またね、先生」

 そう言うと、真理は速やかに部屋を出て行った。

 誰も居なくなった部屋で、私は真理のカルテに目を通した。

知能は・・・極めて高い、か。いじめの原因はそこかも。


(その日を境に、真理は通院を始めた。でも思っていたほど、治療は進まなかった。どうしてかと言うと、治療の時間の半分は真理の話を聞くようになっていたから)


「・・・だから、動いている時計は、止まっている時計よりもゆっくりと時が過ぎるんだって。ね、ね、面白いでしょ?先生」

「そうね、確かに興味深いわね。けど・・・難しすぎない?」

「そうかなぁ。有りのままをそのまま受け入れればいいんだよ」

それが出来るのは子供だから、かな。

「あ、もう時間だね。先生ごめんなさい、私ばっかり話しちゃって」

「いいのよ、あなたのことを知るのも大切なことだからね」

「楽しかったよ。でも今度は先生の話を聞くね」

「はい。それじゃまた今度ね」


(頭がいいのは最初から分かっていたけど、話を聞くに連れて・・・どこか異質な感じが強まっていった。心の奥底で一体何を考えているのか、この時の私には、全く掴めなかった)


「綾生子先生、次の相馬さんですが、15分ほど遅れるそうです」

「そう。分かったわ」

「コーヒーでも入れますか?」

「そうね。お願いするわ」

 私は椅子の背もたれに深く体を沈めながら、大きく息を吐き出した。

「真理ちゃん、今日は何の話をしていたんですか?」

「・・・光の話」

「えぇ?」

「相対性理論よ」

「ほえぇ・・・また随分と飛躍した話しですね。・・・はい、どうぞ」

「ありがと」

 私は両手を暖めるようにカップを受け取った。

「真理ちゃんは、本当の友達がつくれないのかもしれない」

「その、いじめられているからですか?」

「そう。正確には、その原因」

「原因・・・?」

「ほら、子供って、同じ物を持っている子に強い親近感を抱くでしょ。おもちゃとか、ゲームとか、お菓子の景品とか」

「ああ、確かにそうですね。私も子供の頃、同じ人形を持ってないからって、遊びに混ぜてもらえなかったことがありましたね。だから「みんな持っているから」って言ってお母さんに買ってもらいました。他にも、昨日のテレビアニメを見なかったからって、話に混ざれなかったりとか」

「そう、それなのよ。真理ちゃんの場合、学んだ知識を共有できる子がいないのよ。だから同級生に壁を作るのかもしれない」

「なるほど」

「だからここで、大人相手に楽しそうに話をするのよ」

「じゃあ先生は友達のような感じですか?」

「真理ちゃんからすれば、そう感じているかもね。知能は大人並でも、精神は子供だからね」

「精神の天才ではない。ですか」

「微妙な言い方ね」

「すいません」


(いじめの原因なんて、ほんの些細なことだったりするの。周りとは少し違う。同じ価値観を持ってなかったり、生まれ持った体質だったりとかね。全く原因のない場合だってある)

(理解できないな)

(私も・・・そう思う)


「真理ちゃん、学校ではどんな遊びが流行っているの?」

「知らない。ずっと本を読んでいるから」

「遊びに誘われたりしないの?」

「誘われないよ。誰も私に話しかけてこないから」

「・・・そうなんだ」

 真理は椅子に座り、足を前後に揺らしながら淡々と話している。

「いじめられているって話だけど、どんなことをされたのかな?」

「私の本を焼却炉に捨てられたりとか、教科書に落書きされたりとか・・・」

「・・・他には?叩かれたりはしないの?」

「あるよ。髪を切られたり、靴を盗まれたりもした。左手の傷だってそうだよ」

 いつも物静かな真理の口調が、段々と荒く、息巻いていくのが分かった。

「もしかしたら先生は、私が自分で傷つけたと思っているかもしれないけど、あれはね、カッターで切られたんだよ。床に転ばされて、何人も私の上に乗っかってきて、」

 真理がずっと隠そうとしていた感情が瞳に映りだした。・・・これは恐怖?いや、それだけじゃない。もっと、黒い、今にも全身を染めてしまいそうな、

「手も強く押さえられて、それからカッターで左手を、」

「ごめんね、辛い話をさせて」

 私は真理の話に割って入った。

「今日はまだ時間があるから、真理ちゃんの好きな話を聞かせて」

「・・・いいの?」

「ええ、勿論よ」

 そう言うと、冷たくなっていた真理の唇が緩やかに解けていった。

「じゃあね、この前話した相対性理論の続きだけど、」

 真理の瞳に映っていた、黒い何か、は次第に姿を消していった。

 私は真理の話に相槌を打ちながら、自分を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐いた。

「・・・だからね、相対性理論の方程式を解くと、ある場合には時間がループしている答えも存在するんだよ。だからね、ずっとずっと未来に行くと、いずれは過去に到着するんだよ」

 考えていたよりもずっと深刻な問題のようだ。もっと急がなければいけない。

「・・・ビックバンは今でも膨張を続けていて、宇宙は広がり続けている。最大まで広がりきると、今度は縮小を始める。そうなると、時間は逆行を始めるんだって。死んだ人も生き返って時間を逆行するんだよ」

 もっと急がなければ、取り返しのつかないことになるかもしれない。真理も、真理をいじめている子も。

「そして最小限まで縮小したら、今度はまた膨張を始める。本当の意味で歴史は繰り返されることになるんだよ」


(この時の私は、事態の重さを深刻に受け止め直していた。だから・・・真理の話を真剣に聞こうとしなかった。これが・・・私の一番の過ちだった)

(どうして?)

(・・・続きを聞けば、分かるわ。・・・それから1ヶ月くらい後かな、真理は心理学に興味を持つようになったの)


「先生、いじめをする人ってどんな心理を持っているの?」

「ん?・・・そうねぇ、まず、あまりいじめているって自覚はなかったりすることが多いと思うわね」

「そうなの?」

「いじめている方は、からかっているだけ、とか、ふざけているだけ、としか思っていなかったりして、いじめられている側とは感じ方が食い違っていたりすることは多々あるわね」

「それって・・・酷いよ。クラス全員がそう思っているの?」

「それは違うわ。逆らえなくて、仕方なく従っている子も多いはずよ。自分だけその輪から外れたら、今度は自分がいじめられる。みんなそれが怖いのよ」

「でも・・・笑いながらいじめてくる子だって沢山いるよ」

「それは絶対に間違っている。正しいはずがない。・・・みんな反省力をなくしているのよ」

 私は真理の両肩に手を当てながら言った。

「やっぱり・・・これは群集の心理」

 真理は小さくポツリと呟いた。

「・・・また難しい言葉を覚えたのね」

「先生とお話していたら心理学に興味が沸いちゃって」

 真理はにっこり笑いながら言った。

(私自身、この真理の笑顔に救われていた。何の解決策も見出せず、困惑していたから)


「先生、私ね、いじめをしてくる人達のリーダー格の人と話してみようと考えてる」

「どうして?」

「みんながその人に従っているのなら、結局は1対1なのかな?と思って」

 悪くないかもしれない。むしろ、一番の方法かもしれない。

「そうね、いい方法かもしれない」

「でしょ!私がどうにかしなければ、いじめはなくならないもんね」

 私は心が震えた。

「強いね・・・本当に強いね。凄い勇気よ」

「そう?」

「そうよ」

 私達は、二人で笑った。

「でも無茶しちゃダメよ?もし何かされたら、すぐ先生に言ってね」

「うん、分かっているよ」

(本当に心の強い子だった。私よりもずっと、強い子だった。・・・ただそう感じるだけで、その強さの陰りの部分に、私は全く気が付かなかった)


(それから数日後、学校でのいじめはなくなった)



「少し、休ませて」

「分かった。コーヒー、温かいのに入れ直そう」

「ありがとう、お願いするわ」

 深い氷に覆われた心理が、少しずつ姿を現してくるのが分かる。

最後の一言まで、私は辿り着くことが出来るのだろうか?

私は両手を合わせて、祈るように握り締め、額へ運んだ。

「織、真理が目を覚ましてしまった。すまないが、少し待ってくれ」

「・・・え?」

 視線を声のする方向に向けると、虚ろな瞳をした、パジャマ姿の真理が目を擦っていた。真理を見た瞬間、私の、心の中の真理と姿が重なった。

「・・・」

 私の不安な眼差しが、真理の瞳と交差した。すると、真理に私の心理が駆け抜けたのか、真理は大きく瞳を見開いて、Kにすがる様に抱きついた。

「あっ、」

 膨張する鼓動が私の言葉を遮った。

「織、どうかしたのか?」

「いえ、私は、大丈夫、だから、」

 まるで涙を堪えている声で、私は答えた。

「・・・そうか」

 真理はKの服を小さく何度も引っ張っている。

(怖がらないで・・・私に・・怯えないで)


「真理・・・織が心配なんだな?」

 Kがそう言うと・・・真理は大きく、ゆっくりと頷いた。


(・・・真理・・・)

私の胸は震え、痛くなった。

「そうか。でも織なら大丈夫だ。だから寝室に行こう」

 Kはそう言うと、真理の手を取り、静かに歩き出した。


「真理・・・ごめんね・・・。私のことを、心配してくれたんだね」

 硬直している両手から、自然と力が抜けていくのが分かる。私はゆっくりと両手を解き、目の前で開いた。


 何もない手。

 そう・・・何もない手。



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