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聖者の灰  作者: スピカ
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5・差等を生む舌

      5・差等を生む舌


焼けた家からは、一家3人の遺体が発見された。出火元は裏手口のプロパンガス付近。原因は放火と見られる。

 これは今朝の新聞の、一面に載っていた記事の内容だ。

「また放火かぁ」

 連続放火。私がこの町に訪れる前から起き続けている事件だ。

 ついに死者が出た。

 とも書いてある。

「ここまでエスカレートするなんて・・・普通じゃない」

 記事の内容から想像すると、犯人は恐怖によるためらいがなく、速やかに確実な方法を選んでいる。私はそんな気がしていた。

(幻覚や妄想・・・あるいは何らかの使命感。統合失調症?)

 私は新聞をたたみ、もとの場所に戻した。そして立ち上がり、コートを羽織った。

「お出かけですか?」

「ええ。夕食までには戻ります」

「今朝は霜が降りていますので、足元にお気を付けて、行ってらっしゃいませ」

 そう言うと、仲居さんは深々と頭を下げた。

「ありがとう」


 旅館の外に出ると、道がキラキラと白く輝いていた。靴の底でグリグリと踏みしめ、感触を確かめる。

(確かに滑るかも)

 改めて足元に目を向けると、自分の靴が夏用のままだということに気が付いた。ここに流れ着いたのは夏の終わり頃。吐き出す白い息が時の流れを抽象的に象っている。

「靴・・・買わなきゃ」

 自分の足元を見たのは久しぶりだった。妙に懐かしい感じがする。

 その懐かしさは、次々と色や形を変え、私の脳裏に浮かび上がった。

どんどんと、時間が逆行していく。


「織」

 私を呼ぶ、懐かしい声。

「こっちこっち」

 父の声だ。

「ほら、秋なのに桜が咲いているぞ」

 そうだ。子供の頃に一度だけ見たことがある。秋に咲いた桜の花。

「秋の気候は春に似ているから、桜が春と間違って花を咲かせることがあるんだ」

 ・・・じゃあ次の春はどうなるの?

「秋に蕾が咲いてしまったから、次の春には花は咲かないんだよ」

 ・・・そんなぁ。

「仕方ないさ。桜の木だって間違えることはある」

 ・・・これからは秋に咲くようになるの?

「いや、桜は間違いを認めて、またその次の春に向けてやり直すんだ」

 ・・・やり直す?

「そう。誰だって失敗はする。だからやり直す。何処にだってそれはある。家の庭にもね。忘れないでくれよ。たくさんの失敗があって、たくさんのやり直しがあって、たくさんの成功があることを」


 子供の頃聞いた父の言葉。私はそれを人生に置き換えた。その結果、私は精神科医の道を選んだ。挫折や苦悩からの逃げ道に立ち、今までいた場所より先に進ませてあげたい。そう思ったからだ。

 もうずっと忘れていた。その心を置き去りにして逃げ出していた。


 大事なことを思い出した今、私は置き去りにした場所まで戻って来られたということなのかもしれない。

 なら、迷わず拾いあげよう。

「タクシー!」

 大きな私の声に、大勢の人が振り返り、タクシーは急ブレーキで止まった。揺れているタクシーの窓をノックすると、運転手は後ろのドアを開けた。私は素早くタクシーに乗り込んだ

「急にごめんなさい。この住所まで頼めるかしら?」

「ん・・・と。町の外れだね。かしこまりました」

 ゆっくりと流れ出す景色。これが、先に進むこと、なのかもしれない。


 真理の規則正しい習慣がずっと気になっていた。結構なことなのだけれど、どこか脅えているし、大きなストレスを感じているように見える。どう見ても、のびのび育てられたという感じはしない。むしろ、徹底された管理の下で育った印象を受ける。

 これはおそらく、家庭での教育ではない。もしそうだとしたら・・・。

「着きましたよ」

 施設ではないだろうか?

「どうもありがとう」

 支払いを済ませ、タクシーから降りると、養護施設とは思えない近代的な建物が建っていた。

(住所、間違ってないよね?)

 私はとりあえず、中に入ることにした。


「いらっしゃいませ」

 ファミレスの定員のような感じで、受付の人は言った。

「ここは・・・養護施設ですよね?」

「はい、そうです。ご利用を希望ですか?」

 目の前の女性は、軽い口調でそうでそう言った。まるで金融会社の受付嬢だ。

「あいえ、人を探していまして」

「申し訳ありませんが、個人情報を教えるわけにはいきません。規則ですから」

 丁寧な口調の裏に、どこか冷たさを感じる。そんな声だ。

「そうね。質問が悪かったですね。では、10月の頭位に、行方が分からなくなった子供はいませんか?」

 普通なら大騒ぎになっているはず。私は表情に表れるのを見逃さないように、顔色を注意深く窺った。

「その子供のお名前は分かりますか?」

 名前・・・。そういえば、私は真理の本名を知らない。・・・どうしよう。

「分かるのであれば、番号の方でお願いします」

「・・・番号?」

 番号。その言葉に反応して、私はあることを思い出した。真理のハンカチの刺繍だ。

「・・・M―05・Ap11」

「少々お待ち下さい」

 そう言うと、女性はカタカタとキーボードを打ち始めた。

 ここまで全く顔色を変えていない。ここではないのだろうか?でもM―05・Ap11という番号に反応した。・・・これはどういうこと?

「分かりました。M―05・Ap11番はこの施設を出られています」

「施設を出た?それはつまり、ここに居たと言うことですね?」

「そうなりますね」

 まるで関心が無いような口調に、私は不快な気持ちになった。

「ここを出たのは両親の意思ですか?」

「いえ、M―05・Ap11番の意思です」

 心の底から感情が沸いてくるのが分かる。

「ふざけないで!あんな子供が自分の意思で飛び出すわけがないでしょ!どうやったらそんな判断が出来るの!」

「自分から出て行ったので、そう判断しました」

「それは脱走と言うのでしょう!」

「ここは刑務所ではありません」

「責任の放棄でしかないでしょう!」

「この施設は、入るのも自由であれば、出るのも自由です」

「答えになってない。5歳の子供に、そんなことを判断できるわけがないでしょ!」

「しかし、これが規則ですから」

 私は俯きながら、力いっぱい両手を机に叩きつけた。

「もういい。両親の居場所を教えて」

「できません。規則ですから」

「教えなさい!」

「できません。規則ですから」

 握られた手の平に爪が食い込むのが分かる。腹が立つ。自分のこと以上に腹が立つ。

「ここでは・・・子供を番号で管理しているの?」

「はい。大勢の子供を管理しているので、こちらが分かりやすいように、それから同じ名前の子もいるので、トラブル防止の為の配慮です」


「配慮?トラブル防止?管理?規則?」


(好き・・・とは?)


(・・・織はどういう時に、そんな目をするのだ?)


(失敗から成功を学べる織には、その可能性がある。そういうことなのだろう?)


(僕は人の心を学ぶために造られたのだ)


 (・・・僕はロボットだ)


「あんた達の方が・・・」

「何か?」

「・・・あんた達の方がよっぽどロボットじゃない!」

 私は震えた声でそう叫んだ。しかし、その声に対して、目の前の人間は全く顔色を変えなかった。

「何のことです?」

「・・・」

私は何も言わず、背を向けた。そして施設を後にした。



さっきのやり取りがずっと心の中で繰り返されている。震える喉。興奮しているのか、余計に白く見える吐息。

今心を支配しているのは、怒りや悲しみではなく、挫折に似た失意感。今この時、初雪が降っていることなど、どうでもよかった。

「っつ」

 滑って両手をコンクリートに付いた。冷めた感覚がゆっくりと私の中を浸食してゆく。無音のまま降り続ける雪が、私を沈めていく。

(立ちなさい。このままだと、また深い氷の中に閉ざされてしまう)

 心を鳴らしても、響かない。

 誰も私に手を差し伸べてくれない。誰もが私を避けるように歩いていく。・・・これが人。

(違う、)

 やっと大事なことを思い出したのに、やっとここまで戻って来られたのに、やっと取り戻すことができたのに。

 何もかもが冷たい。人の目も、手も、言葉も。自分の心もそれに合わせるように、冷めていく。

(Kも・・・人に対して、こんな風に感じたりしたのかな)


「君は話の分からない人だな」

「だから、ここでは扱ってないんだって」

 遠くで声が聞こえる。

「これしかないんすよ」

「しかし、これでは不十分なのだ」

 この口調、Kに似ている。

 私は冷たくなった首を上げた。錆び付いた歯車がキリキリと音を立てるような気がした。

「君では話にならない。誰か他の者を呼んでくれ」

「そんな、勘弁して下さいよ」

 声の主は、Kだった。

(行かなきゃ・・・立って!)

 私は凍りついた体を力いっぱい引き離した。

(・・・行きましょう)

 自分の意思通り、ゆっくりと足を運ぶ。まるで歩き方を忘れていたみたいだ。・・・いや、その通りかもしれない。

「K」

 久しぶりに聞いた自分の声。そう感じるのは、実意を正したからだろうか?・・・そう信じたい。

「織、いいところに来てくれた」

「どうしたの?」

「順を追って説明しよう。家で真理が本を読んでいた。君が買ってくれた料理の本だ。その本の87ページに掲載されているケーキを、食べたそうに見ていた。だからそのケーキを作ろうと考え、買い物に来たのだ。しかし、ここでは材料が揃わないようでね」

「真理が・・・食べたそうにしていたの?」

 心に滴が落ちた。

「そうだ。推測だがね」

 また一つ。

「お姉さん、この人の知り合い?」

「・・・え?ええ、そうです」

「レーズンケーキを作りたいそうなんですけど、うちで扱っているレーズンが国産じゃないから、レシピ通りに作れないって言うんですよ」

 私が買った本、確か・・・「体に安心な料理の作り方」だったっけ。それで国産ってわけか。

「あ、ごめんなさい、ご迷惑お掛けしました。ここで扱っている物で構いませんので、売って下さい」

「いいんですか?」

「ええ」

「織、あの本には、農薬の危険性が少ない国産のレーズンをなるべく使うようにと書いてあったぞ。真理にきちんとした食事を作るのは僕の役割だ」

 いつもなら、融通の聞かない言葉に困るところなのだけれど、今は違った。滴がもう一つ、心に落ちた。

「無い物は仕方ないでしょう?また作る時までに探しましょう」

「織がそう言うのなら、そうしよう」

 また一つ。



 買い物を済ませた私たちは、その足で教会に向かった。

「足、大丈夫?」

「今は問題ない。が、ずっとこのままというのは問題だな」

 Kは杖を突いているものの、あまり違和感なく歩き続けている。

「博士、帰って来るといいね」

「そうだな」

 戻ってくることなど有り得るのだろうか?そう思えるほど、5年とういう年月は重く感じた。

「織は?どうしてここにいる?」

「え?」

 意外な質問だった。

「私は・・・真理のことを調べに来たの」

「どうやって?」

 またしても、意外な質問だった。

「私の中で考えた結果、真理は施設に居たんじゃないかって思ってね、この町にある施設を尋ねてみたの」

「それで?何か分かったのかい?」

「ん?・・・んん」

 私はさっきから驚かされてばかりだ。

「何も分からなかった。その施設に居たのは確だけど・・・何も教えてもらえなかった」

「どうして?」

「・・・それが規則なんだってさ」

 私は悲しい気持ちを覆い、少し砕けた言い方をした。

「規則、それを順守するのは仕方のないことだな」

「・・・?」

「どうした?」

「いえ、何でもないよ」

 本当にK?


「真理の居た施設が分かった。なら、そこに帰すのか?」

「それはダメ!」

「・・・どうして?」

「それは・・・」

 あそこには、人がいないから。あるのは無機質な物と者ばかりだから。

「それはね・・・真理の為に、ならないからよ」

「そうか」

 あそこにいても、真理は良くならない。きっとこのままだ。むしろ悪くなるかもしれない。

「ねぇ、もし、このまま真理の帰る所が見つからなかったら、どうする?」

「・・・・・・」

 Kは立ち止まった。何も言わず、立ち尽くしている。

私の望む答え。Kは言ってくれるのだろうか?

「・・・・・・」


 私はKに強いられている3つの原則を思い出した。・・・それなら。

「このままあの教会に居ても構わないよね?勿論、私も一緒」

「ああ、織がそう言ったのなら、構わない」

 また一つ、滴が落ちた。


 Kは今、揺れているのだ。原則を守らなければならない傍らで、その原則を越えた、その先を望んでいる。私にはそう思えた。

 博士はもしかしたら、強いられた原則に疑心を抱くことを望んでいたのかもしれない。原則が正しくないと考え、踏み越えようとする。それが人の心を知る、第一歩なのだと考えていたのかもしれない。

 そうでなければ・・・悲しすぎる。

「帰ろう、真理の居る教会へ」

 私は買い物袋を持ち替え、空いた手でKの手を取った。

「温かいね」

「摂氏20度がかい?」

「これだけ寒いと、20度はとても温かく感じるものなのよ。・・・それに、こうしていると、凄く落ち着く」

「そうか」

 手に落ちた雪が雫に変わる。

「急ぎましょう。真理が待ってる」



「ただいま」

 教会の中に言葉が木霊する。返事はない。

「真理はどこ?」

 真理の姿は見当たらなかった。

「いつもの椅子で絵を描いている筈だが?」

 Kが答えた途端、私は足早にその椅子を目指した。

「・・・」

 真理は椅子の横になって寝息を立てていた。背もたれに隠れて見えなかっただけだ。

「大丈夫、眠っているだけみたい」

「そうか。僕は早速調理に取り掛かる。3時に間に合わせたい」

「お願いね」

 Kを見送りながら、私は真理の隣に座った。


 私はそっと真理の髪を撫でた。

「大丈夫よ。あなたは私たちが守るから。何があっても、必ず守るから」

 私は今日あったことを噛み締めながら誓った。


 精神医学を学んでも、人の心は分からない。複雑で、繊細で、黒くて、白くて。

知れば知るほど、人が怖くなる。そんな時もあった。真理は心の陰りを持っている。だからこそ、人に怯えることなく、真っ当に育って欲しい。

まだまだ間に合うはずだ。この子はまだ、白いスケッチブックなのだから。

「・・・・・・」

 私は傍らに置いてあるスケッチブックを手に取った。

「・・・見せてね」

 小声で呟いた後、私はスケッチブックを捲った。

 捲る度に上達が窺える。

「・・・これは?」

 最後のページに差し掛かった時だ。今までは果物や物質を描いてあったのに、人が描いてあった。

「これは・・・K?」

 スケッチブックの右側に、Kの姿があった。

「人を・・・描きたいと思ったんだ」

 私は堪らなく、嬉しくなった。


「ケーキができた。こっちに来てくれ」

 Kの呼ぶ声。

「真理、起きて。おやつの時間よ。Kがケーキを作ってくれたのよ」

 真理はゆっくりと目を開けた。そして、慌てることなく、私を見上げた。

「行きましょう」



「いただきます」

 ケーキにフォークを通す。それだけでケーキのふんわりとした感覚が伝わってくる。

「・・・美味しい!」

「それはよかった」

「美味しいね、真理」

 真理は頷きながら、大きく口を開けてケーキを頬張っている。

「お店で売っているのと変わらない味よ」

「作り方を記憶したから、これでよければいつでも作ろう」

 何だか幸せな気分。


「ねぇ、その服は?」

「雪で濡れたので、着替えた」

 Kは上から下まで黒一色の服を着ていた。その姿はまるで・・・。

「まるで神父ね」

「そうなのか?」

「・・・そうね。そんな感じ」

 窓の外は白一色で、深々と雪が降り積もっている様子が窺える。私は静かにフォークを置いた。

「今日・・・泊まってもいい?」

「構わないが?」

 Kは私を瞬きせずに見据えている。何か疑問を抱いているように見える。

 私は目を逸らし、再び窓の外を見た。

「ちょっと、話したい事があってね」

「分かった」

 私は自分の事を話したかった。彼が神父のような格好をしていたから、懺悔したくなった訳ではない。根雪のような記憶を溶かす為に、他の誰もなく、Kに話を聞いてもらいたかった。

 ・・・どうしてだろう?




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