9.束の間の…
切迫流産で入院した次の日、彼が着替え一式を持ってきてくれた。
病室に入り、私の顔を見て、「具合はどう?」と訊いて来た彼に、
私は、「取り敢えず大丈夫」と答えた。
彼はそれに対して、「そうか」とだけ呟いた。
私は、彼に聞けなかった。
本当は、無事と知ってあなたはどう思っているのかと…。
入院している間、彼はよく私の様子を見に来てくれた。
だからこそ、彼の気持ちが見えなかった。
いっその事、全てを突き放して逃げてくれたら、彼の事を思い切れるのに…。
中途半端な優しさが、余計に辛かった。
昔、虫垂炎で入院した時に食べた病院食とは比べようもない程、
産婦人科の病院食は、とても美味しかった。
感触のよいベッドで久しぶりにゆっくり休めたような気がする。
看護婦さん達にもとても良くして貰った。
点滴の途中で、管が外れ、血液が逆流して私も暫く気がつかなかったという
忘れられない事件もあったが、とても良い病院だった。
…結局、出産までこの病院にお世話になる事になった。
一週間入院し、退院の許可を貰い、彼に連れられてアパートに帰った。
翌日、出社し上司に急の入院のお詫びと、妊娠の事情を打ち明けた。
詳しくは話せなかったのだが、お腹の子の父親とは暫く籍を入れられない事、
出産するまでこのまま働きたい旨を伝えた。
上司は、部の皆でフォローすると約束してくれた。
同じ課の仲間も、皆応援してくれた。
すごく有難かった。
自分でも、出来る限り、無理はせずにぎりぎりまで仕事を続けよう。
そう思った。
そんなある日、僅かにお腹に感じた違和感。
何かが動き出す予感。
体の奥深くから沸きあがった…それは、かすかな胎動だった。