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20.限界を超えて

一日の平均、二時間。

それが、子供が生まれてからの、私と両親と弟の睡眠時間だった。

それも、まとまってとれる事は稀で、赤ちゃんが眠っている僅かな時間に、うつらうつら横になる状態だった。

赤ちゃんが起きている間は、抱っこしたりあやしたりしながら、オムツを替えたり、哺乳瓶を消毒したり家事を、母と手分けして一緒にこなす。

更に、連日深夜十一時から明け方二時までの、激しい夜泣き。抱いても、なだめすかしてもどうしても止まらないそれが、私達の精神的・肉体的疲労を倍増させていた。

分かり易く例えるなら、月四百時間労働し、常に精神的重圧をかけられるようなものかも知れない。

極端な例えかも知れないが、それが新生児を育てている母親の現状なのだ。

まだ手伝ってくれる母がいた私はなんとか乗り越えられたが、一人きりで育てていたら、どうなっていたか分からない。



フラフラになりながらも、なんとか日々を乗り切っていたそんなある日、彼の両親と彼が私達を訪ねて来た。



彼の両親は、言葉には出さなかったが、はっきりと私達を見下していた。

特に彼の父親は、鼻を鳴らして、自分の孫を見下していた。孫とは認めていなかったのだ。

さすがに、息子とそっくりな顔を見て、遺伝子検査を言い出す事はなかったが。

座った途端、出産費用だと、テーブルの上に投げ捨てられた数十枚の札束。

そして、黙って俯いたままの彼。

それを見た瞬間、この人達とは相容れない事がわかった。

お札を纏め、丁寧に揃えてお返しし、認知と幾らかの毎月の養育費以外は結構ですと固辞した。

結局、認知の件は何とか決着が付き、取り敢えず話し合いは終わった。



気力だけで過ごす日々に漸く終止符が打たれたのは、三ヶ月の産休が終わり、私が職場復帰した時だった。

あんなに凄かった夜泣きが、その日からピタッと止んだのだ。

それから少しの間は、穏やかな日々が続いた。

新たな転機が訪れたのは、その後だった。

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