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「米がなければステーキを食べればいいだろう!」と言った政治家のせいで、国が筋肉に支配されました ~そして始まる正拳交代~

作者: tomato.nit
掲載日:2026/06/02

「米がなければ、ステーキを食べればいいだろう!」


 国会中継で、直森彰隆議員がそう言い放った日。


 全国の茶の間から、箸が止まった。


 その年、米は高かった。


 高い、というより、日々の食卓から少しずつ遠ざかっていた。スーパーの棚には張り紙が増え、弁当屋の大盛無料は消え、定食屋のご飯おかわり自由は、いつの間にか「一杯まで」に変わっていた。


 そんな時期に、直森は言った。


「米がなければ、ステーキを食べればいいだろう!」


 その発言は、瞬く間に拡散された。


 翌朝には切り抜き動画が並び、昼にはニュース番組が特集を組み、夜には直森の顔写真に巨大なステーキを合成した画像が、ネット中を駆け回っていた。


 誰もが思った。


 ああ、この男の政治生命は終わった、と。


 だが、直森彰隆は終わらなかった。


 むしろ、始めた。


 謝罪会見の場で、直森は深々と頭を下げる代わりに、分厚い資料を机に置いた。


「私は、自らの発言に責任を取ります」


 記者たちは一斉に身構えた。


「よって、国家高蛋白法案を提出します」


 誰かのペンが落ちた。


 法案の中身は、米の価格を下げるものではなかった。


 食肉産業への大規模補助。


 畜産技術への研究投資。


 学校給食の高蛋白化。


 公共食堂への肉類支援。


 国民一人あたりの蛋白質摂取量を、国家目標として設定する。


 要するに。


 米がないなら、肉を食わせる。


 誰もが冗談だと思った。


 けれど、冗談にしては予算がついた。


 冗談にしては省庁が動いた。


 冗談にしては畜産団体が拍手した。


 冗談にしては、法案は通った。


 こうして我が国は、主食を米とする国から、肉を食べる国へと傾いていった。




 五年後。


 朝の通勤電車では、あちこちからシェイカーの音が聞こえる。


 しゃかしゃかしゃかしゃか。


 右からも。


 左からも。


 斜め前からも。


 吊り革につかまる会社員が、片手で器用にプロテインを振っている。学生は参考書を読みながらサラダチキンをかじり、年配の女性は膝に置いたエコバッグから、低温調理済みの鶏むね肉を取り出していた。


 車内広告には、白い茶碗ではなく、赤身肉が乗っている。


『朝からステーキ。今日も勝てる体へ』


『家族でたんぱく。国産鶏むね肉支援価格』


『小学一年生から始める、正しいスクワット』


 駅前の牛丼屋は、高蛋白定食スタンドになった。


 並盛、大盛、特盛は消えた。


 今は、胸肉、赤身、増量である。


 米は、ある。


 別に消えたわけではない。


 ただ、かつてのように食卓の中心にはいなくなった。


 米が少なければ、ゆで卵を食べる。


 昼に腹が減れば、鶏むね肉を噛む。


 夜はステーキを焼く。


 そして寝る前に、なぜか腕立て伏せをする。


 最初は、一部の筋トレ好きだけが喜んでいた。


「神政策だ」


「ついに時代が俺たちに追いついた」


「鶏むね肉が国策になる日が来るとは」


 彼らは笑っていた。


 だが、肉は安かった。


 肉は腹にたまった。


 肉を食べた者は、少し元気になった。


 少し元気になった者は、階段を使うようになった。


 階段を使った者は、太ももに違和感を覚えた。


 その違和感に名前をつけた者がいた。


 成長痛ではない。


 筋肉痛である。


 人々は気づいた。


 筋肉痛は、裏切らない。


 職場の昼休みには、昼寝ではなくプランクが流行った。


 学校では、給食の献立表に「本日の推定たんぱく質量」が書かれるようになった。


 役所の窓口には、椅子の代わりにバランスボールが置かれた。


 国会でも、変化は起きていた。


「その財源案には無理があるのでは?」


「では、まず握力を見せていただきたい」


「なぜですか」


「握力の弱い者の財源論は信用できません」


 野党議員は反論しようとした。


 だが、隣席の議員が握力計を差し出した。


 委員長も止めなかった。


 止めるどころか、自分の前にも握力計を置いていた。


 直森彰隆は、その光景を本会議場の端から見ていた。


 何かがおかしい。


 そう思った。


 けれど、何がおかしいのかは分からなかった。


 法案は成功していた。


 畜産業は回復した。


 医療費の一部は下がった。


 国民の平均筋肉量は上がった。


 たしかに、数字は良かった。


 ただ、数字以上に国民の肩幅が広くなっていた。


 街を歩く人々の背筋が伸びた。


 電車でぶつかっても、以前ほどよろけない。


 スーパーの特売肉売り場では、老人たちが鮮やかなフットワークで商品を取る。


 米不足に怒っていた国民は、いつしか別の怒り方を覚えた。


 声を荒げるのではない。


 まず深く息を吸う。


 背筋を伸ばす。


 拳を握る。


 そして、正しいフォームで突く。


 政治は、変わっていた。


 演説の最後には、必ず候補者が腕立て伏せをする。


 討論番組では、言い負けた者がスクワットを課される。


 政策チラシには、経歴、所属政党、主な実績に加えて、ベンチプレスの自己記録が載る。


 国民はそれを普通に読んでいた。


「この候補、減税はいいけどデッドリフトが弱いな」


「いや、政策は大腿四頭筋で見るべきだ。スクワット二百なら信用できる」


「前の候補は口だけだった。腹筋が割れていなかった」


 筋肉は、健康法ではなくなった。


 筋肉は、生活になった。


 筋肉は、信頼になった。


 筋肉は、思想になった。


 そして脳は、筋肉に侵食される。




 直森は焦っていた。


 自分が始めた政策なのに、自分だけが取り残されていた。


 五年前、彼はただ失言をごまかしたかった。


 米不足への怒りを、肉へ向けさせたかった。


 国民にステーキを食わせれば、少しは黙ると思っていた。


 それだけだった。


 だが、肉を食べた国民は黙らなかった。


 強くなった。


 肉を食べ、鍛え、背筋を伸ばし、政治家の腹を見るようになった。


 直森の腹は、出ていた。


 少しだけ。


 本当に少しだけだ。


 だが、今の国では、その少しが致命傷だった。


「直森先生、支持率が落ちています」


 秘書が言った。


「なぜだ。高蛋白政策は成功しているだろう」


「成功しています」


「なら、なぜだ」


「先生のフォームが悪いと」


「フォーム?」


「先日の街頭腕立て伏せです。肘が外に開いていました」


 直森は机を叩いた。


「政治家に必要なのは政策だろう!」


「いいえ、今はフォームとカットです」


「おかしいだろう!」


 秘書は目を逸らした。


 その秘書も、以前より胸板が厚くなっていた。


 直森は立ち上がる。


 廊下へ出ると、若手議員たちが並んでランジをしていた。


 右足を前へ。


 左足を前へ。


 誰も談笑していない。


 静かに、深く沈み込む。


 その姿は、何かの儀式のようだった。


「君たち、国会で何をしている!」


 若手議員の一人が振り返った。


「下半身を鍛えています」


「見れば分かる!」


「国を支えるには、足腰が必要ですので」


 周囲がうなずいた。


 直森は何も言えなかった。


 言葉が通じない。


 いや、通じている。


 通じた上で、筋肉に変換されている。




 選挙の日。


 直森の対立候補は、元ジムトレーナーだった。


 政策は短かった。


『食べる。鍛える。支える。』


 演説も短かった。


「この国に必要なのは、言い訳ではありません」


 候補者は上着を脱いだ。


 会場がざわつく。


「継続です」


 その場で腕立て伏せを始めた。


 一回。


 二回。


 三回。


 聴衆も、なぜか一緒に始めた。


 百人。


 二百人。


 三百人。


 駅前広場が、腕立て伏せで埋まっていく。


 直森はその映像を見て、頭を抱えた。


「政策を語れ!」


 画面の中で、候補者は腕立て伏せを続けながら言った。


「政策は、続けられる体で語るものです」


 拍手が起きた。


 いや、拍手ではない。


 大胸筋を叩く音だった。


 どん。


 どん。


 どん。


 それは、太鼓のように広がった。


 選挙結果は、開票開始から十分で決まった。


 直森彰隆、落選。


 元ジムトレーナーの候補者、圧勝。


 街頭インタビューで、有権者は言った。


「直森さんは、最初の一言だけは良かった」


「ステーキ政策には感謝しています」


「でも本人が鍛えていないのは、ちょっと」


「発言に筋肉がついていなかった」


 直森は、テレビの前で震えていた。


「私は、そんな意味で言ったのではない」


 誰も聞いていなかった。




 政権は変わった。


 正式には、政権交代である。


 だが、国民はそう呼ばなかった。


 正拳交代。


 国会前の広場では、新しい首相が正拳突きを披露した。


 一突きごとに、空気が鳴る。


「一!」


 国民も突く。


「二!」


 官僚も突く。


「三!」


 記者も突く。


 直森は、群衆の端でその光景を見ていた。


 かつて自分が言った言葉が、巨大な拳になって自分へ返ってきたようだった。


「米がなければ、ステーキを食べればいいだろう」


 その一言は、後に教科書へ載った。


 旧時代の失言としてではない。


 高蛋白国家成立の号砲として。


 直森彰隆の名前も、歴史に残った。


 本人は、それを喜ばなかった。


 ただ、晩年までこう言い続けたという。


「私は、そんな意味で言ったのではない」


 だが、その声はいつも、朝の号令にかき消された。


「構え!」


 正拳。


「突け!」


 交代。


 こうしてこの国は、筋肉に支配された。

怖いですね。コメ不足。

こんな未来にならない様に祈りましょう。

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― 新着の感想 ―
デッドリフトも大臀筋とハムストリングスに効くので 続く「下半身で見るべき」との違和感が気になって楽しめませんでした。 前後を読むとビッグ3を出したいいとだなとわかるけど。。。
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