表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/10

居場所なんてどこにもなくて

 夜、窓辺に椅子を寄せ、瞬く星々をアドリアンナは見上げた。

 あの星は死んだ先祖達の魂なのだと幼い頃、母が言っていた。死んだ先人たちが、今を生きるアドリアンナを見守っていてくださるのだと。

 

 アドリアンナは涙を流した。自身を憐れむ涙に嫌悪しながらも、それでも頬を流れるそれを止めることができない。嗚咽を押し殺し、体の震えを抱きしめた。

   

 オルエンヌ家は中流貴族といえる家だ。この国の貴族に上流、中流、下流という階層は厳密にはないが、持つ財産、伝統、王族からの寵愛により、それらを分ける空気感はあった。故に父はこの家を、さらに発展させようと必死であった。そうしてそれは、今のところ順調の成功しているように見える。


 父が幸運であったのは、オルエンヌ家の親族に王に近い名門貴族がいたことだ。


 グラン家、というのがその貴族の名だが、この国の三分の一を占めるとまで言われている莫大な財産を持つ大貴族であった。複数の爵位を持っており、父の思惑も相まって、現当主間でグラン家はオルエンヌ家に対して主君といっても差し支えないほどの権力を振りかざしている。

 家長をはじめとする息子たちが国の要職に就いていることから、国政に対しても影響力を有しており、王家さえも彼等から莫大な金を借りているのではないかという噂もあった。のみならず、彼らは強運に恵まれた。


 末の娘が生まれた際、聖女として神託を授かったのだ。


 娘の名はオフィーリアという。会ったことはないが、美しい娘だという噂を方方で聞く。

 妻を望む男に親族の娘をという公爵のささやかな願いを叶えてやるために、聖女が悪気なく言ったことだとしても、この家にとっては絶対服従の命令だった。


 守り刀としていつも枕の下に入れている短剣にそっと触れると、後ろ暗い勇気が湧いてくる。だがこれを使うのは最終手段だ。アドリアンナが信じる神は、信者にそれを許していないから。


 子供の頃は幸せを信じて疑っていなかった。

 優しい両親と温かな家があり、生まれた時に決まった許婚との仲も良好だった。このまま何不自由なく育ち、彼と結婚し、平凡な貴族としての生を終えるのだとそう思っていた。


 だが七つの時に、母方の祖父が病気で亡くなってから生活は一変した。

 婿養子だった父の態度はそれを機に変わった。いや、あるいはそうではなく父は初めからそういう人物だったのだ、とアドリアンナは思った。祖父がオルエンヌ家の当主であったうちは忠実な犬のように従順で、財産を手に入れて以後はみせかけの愛情さえ無駄に思えたに違いない。父が忠実で従順であるのは己の欲望のみなのだ。


 母は貞淑な妻であり、夫に逆らうなどと考えることもできない人だった。一変した夫の態度に異を唱えることもなく、急速に冷え切った夫婦仲は誰の目にも明らかであったにも関わらず、夫に愛を注ぎ続けた。

 父が母を無視し、むしろ疎んでいることは幼いアドリアンナの心を傷つけた。


 母が亡くなったのは、アドリアンナが十歳の時で避暑地に行った際の事故だった。大規模な瘴気がその地に出現し、大勢が死んだ。母はそのうちの一人だった。


 嘆き悲しむ間もないうちに、ヴァレリオは母より遥かに若い一人の美しい女を連れてきた。カーラと名乗るその女は、新たな妻となるらしい。

 親しげな二人を見てアドリアンナは察知した。母が亡くなる遥か昔から、ヴァレリオとカーラが恋人であったことを。


 カーラにはアドリアンナの一つ下の娘がいた。金色の巻き毛と青い瞳が教会の天使を思わせる、大層器量が良い娘。名をジュリエッタというその娘。

 父と養母への不信感はあったものの、アドリアンナはジュリエッタを愛そうと努力した。幼い義妹に罪はないと分かっていたからだ。


 養母のカーラがアドリアンナに話しかけることは決して無かったものの、アドリアンナとジュリエッタの仲は悪くなく、日々が過ぎていった。


 だがそれでも、日常で感じる違和感が、アドリアンナの心を蝕んだ。

 父はアドリアンナに義務的に接していた。貴族の男は子が跡取りや道具として上手く育ってくれてさえいれば問題ないと考える――それ自体はよくあることだと思っていた。

 だが父はジュリエッタを溺愛した。道具以上の愛を注いでいるように、アドリアンナには見えた。

 父はジュリエッタが望めば宝石でもドレスでも馬でも買い与え、アドリアンナが見たこともない笑顔を恥ずかしげもなく浮かべた。アドリアンナは宝石もドレスも馬も望まなかったが、一度だけ、本が欲しいと父にねだったことがある。ジュリエッタのように贈り物が欲しいのだと。父は身の程を知れと激昂し、アドリアンナの食事を二日の間も抜いてしまった。


 義妹はアドリアンナにはないものを持っていた。天性の明るさや天真爛漫さ。彼女が笑えば誰もが笑い、彼女が泣けば誰もがその涙の原因を突き止めようとした。

 アドリアンナも努力した。義妹のように明るく美しければ父も愛してくれるだろうとそう考えたのだ。だが父に笑いかけても返ってくるのは凍てつくような視線だけだった。

 

 代わりにアドリアンナは必死に勉強をした。愛嬌というものを、神様が自分に与えてくださらなかったのなら、ジュリエッタが持っていないものを獲得して、家族の一員であると父に認めてほしかった。母が生きていた頃のように、彼からの愛情が欲しかったのだ。

 神学も、数学も、経済も、歴史も、貪るように学んだ。寝る間も惜しんで勉強すれば、いつか父は褒めてくれるはずだと信じていた。


 ある日、家庭教師が父の目の前でアドリアンナを褒めた。アドリアンナだけを。ジュリエッタが答えられない質問をアドリアンナが答えた時だった。

 ジュリエッタは泣いた。だってわたしはまだ学んでいないことなんですもの! そう言って彼女は泣いた。


 悍ましい。と義母は言った。まだ勉強を初めたばかりのジュリエッタを嘲笑うなんて、アドリアンナは悍ましい娘だと。


 なんと浅ましい娘だ。と父は言った。恥を知れ、とそうも言った。


 そうじゃないのだとアドリアンナは口にした。ただ自分の頑張りを、彼等に認めてほしかったのだとアドリアンナは彼等の前で初めて泣いた。自分の涙は彼等を更に激昂させ、言い訳としか受け取られなかった。

 アドリアンナが父にぶたれている間中、ジュリエッタはカーラのスカートの陰に隠れて、泣きもせずじっとその様子を見つめていた。


 その時に思った。もう無理だと。もう父の想いが、自分に向くことはないのだと悟った。


 花のように美しいジュリエッタ。

 彼女の周りには常に人が集まる。


 これが嫉妬であることは、すでに分かっていた。いっそのこと、ジュリエッタが醜悪な娘であったらどれほど良かっただろうかと考えた。性根が曲がっていて、自分を偽ることで周囲を味方につけるような娘だったら、アドリアンナも少しは報われる。だが実際のジュリエッタはそれとは正反対の娘であった。彼女はなんの苦労もなく、ただそこにいるだけで愛される。


 アドリアンナは積極的にジュリエッタに関わることをやめてしまった。太陽のように明るい義妹と北風のように陰気な自分では、側にいると劣等感ばかりが募った

 

 噂はたちまち社交界にも広がり、姉妹は暇つぶしの話題にしばしば上がる。

 意地悪な姉と心根が優しい妹。それが世間の評判だった。


 それでもアドリアンナに心の拠り所があった。心優しい許嫁であり、三つ年上の幼馴染。

 だがある事件が起こり、彼もジュリエッタを愛した。いいえ、そうではないとアドリアンナは思う。もう随分と昔から彼はジュリエッタを愛していて、それを遂に隠さなくなっただけだ。


 ――彼女を愛しているんだ。側にいてやりたい。


 その時の彼の顔を思い出すと、今もなお目眩がする。誠実な人だった。彼ほど優しい人には出会ったことがないと思うほどに優しい人だった。

 評判が地に落ちているに等しいアドリアンナに対しても、最大限傷つけるまいと控えめに、だが決して揺るぎない瞳でそう言った。

 彼の瞳の奥底に、アドリアンナに対する疑念が浮かんでいることにその時気がついた。

 彼も父と同じようにジュリエッタの味方なのだろう。そう思うと、縋り付くことも言い訳も無駄に思えた。


 アドリアンナから一つ持っていくたびに、ジュリエッタは決まって謝罪の言葉を口にした。

「お姉様、本当にごめんなさい」と。

 アドリアンナのドレスを父が与えた時も、部屋を追い出されたときも、大切にしていた母の形見の髪飾りを壊された時も、そうして許嫁がアドリアンナとの婚約を破棄しジュリエッタを娶りたいといい出したときも、決まって彼女はそう言った。


 ――本当にごめんなさい、と。


 そう言われてしまうと、アドリアンナは力が抜けるようだった。ジュリエッタは決してアドリアンナを悪くは言わない。にも関わらず、いつの間にかアドリアンナが悪者になっていた。悪人のアドリアンナから善人のジュリエッタが奪っていくのは当然のことなのだと、アドリアンナ自身もそう思っていた。悲しみも怒りも沸かず、ただもうそういうものだと諦めた。


 ジュリエッタは愛される運命の元に生まれた。

 わたしとは違う。

 

 アドリアンナが引き継ぐべきだと母が生前に用意していた遺言状は跡形もなく消え去り、母が守っていた土地も屋敷も何もかもその全てが、いずれはジュリエッタとその夫のものとなる。彼等はかつてそこにアドリアンナが暮らしていたことなど少しも思い出さずに、愛を育むのだろう。だとしても仕方がない。ジュリエッタはそういう運命で、自分もまた、そういう運命だっただけの話だ。


 アドリアンナは目を閉じて、繰り返し繰り返し考えた。


(どこがいけなかったのかしら。一体、どこで間違えてしまったのかしら……)


 答えは分かってる――何もかもだ。

 何もかも、アドリアンナは間違えてしまった。

 この世界にアドリアンナの居場所などどこにも無かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ