貴方の孤独を知るにつれて
それは彼が言い出したことだった。夕食を一緒にどうだ――と。
「ひと月だけの関係だとはいえ、君をまるきり知らないのも気まずいからな」
と、そう言って。
午後中かけて、料理を作った。オーブンに火を入れて、小麦粉を練り柔らかいパンを作った。集めた野苺の半分はジャムに、もう半分はそのまま出した。本格的に痛む前の野菜でスープも作り、じゃがいもを茹でて潰しその上にチーズを乗せた。他にもいくつか用意した。
テーブルの上にそれを乗せて待っていると、現れると彼が言った時刻きっかりに食堂の扉が開いた。
テーブルの、端と端。両極端の短辺に二人はそれぞれ腰を下ろしていた。
外は暗く、城の中も暗かった。燭台の灯りだけが光源で、か弱い橙色で二人を照らしていた。
フェルナンは上機嫌に言った。
「昨日も思ったが美味いな。料理と呼べるものを食べたのは久しぶりだ」
アドリアンナはかじりかけのパンと乾燥肉を思い出した。きっとあれが彼の食事なのだろう。
「お口に合って良かったです」
「美味いぞ、本当だ」
彼はどこから持ってきたのかワインの瓶をそのまま煽っている。グラスを使わないのだろうかと考えたが、この城では使えそうな食器類を見つけるのにも苦労したため、その手間を惜しんだのかもしれない。
(お気に召していただけて良かったわ)
フェルナンを見てアドリアンナは胸を撫で下ろした。こうして食事に同席をさせてもらうことも、嬉しい。誰かと食事をするなんて、久しぶりのことだった。
しばらくは互いが料理を口に運ぶ際の僅かな音以外は何もなかった。だが沈黙の末に、彼は咳払いを小さくした後、言う。
「君とこうして場をもったのは、謝罪をしたかったからだ」
謝罪? 聞こえた言葉に驚いて、食事の手を止め彼の顔を凝視した。更に驚いたことに、彼は頭を下げていた。アドリアンナに対してだ。
「すまなかった。人と、それも年頃の娘と話すのは久しぶりで――。何をどうしたらいいのかさっぱりわからない」
どうしよう、なんて声をかけたらいいのだろうか?
アドリアンナは困り果ててしまった。今まで誰かに謝ることはあったが、謝られることはほとんどなかった。それも思い至らない原因で。
「俺の態度だ。不躾に感じただろう。実際そうだった。君に関わるつもりは無かったのに、かかわらざるを得ない状況に、少し苛ついて当たってしまったのは事実だ。君は心細い中、この城までやってきたというのに」
アドリアンナは息が止まってしまうかと思った。唐突に、自分が彼の前に確かに人として存在していることを感じて狼狽えた。
人に気遣ってもらうなど――それも体ではなく心を――どれくらいぶりのことだろうか。生家で吹けば飛ぶほど軽かったアドリアンナを人間扱いしてくれた久しぶりの人間が、出会って二日目の男だとは。冷徹な家族よりもよほど彼の方が温かい。呪われ公爵と呼ばれているほど恐れられているのに。
「不躾だなんて、少しも思いませんわ。むしろとてもお優しく接してくださいます」
ようやく絞り出した声でそう言うと、フェルナンは眉を顰めた。
「ではなぜ君の表情は晴れない。君が笑いかけたのは狼に対してだけで、俺を、俺を――俺を怖がっているように思える。俺に対して君はにこりとも笑わない」
「わたしは、いつもこうなんです。ごめんなさい、不快な思いをさせてしまって」
「別にそうは言っていない。ただいつも哀しげな顔をしているから気になるんだ。この城での生活が不満なのは分かるが……」
慌ててアドリアンナは言った。
「不満は少しもありません。わたしが単に不出来な娘なんですわ――」
言ってからアドリアンナは俯いた。どうかわたしを人扱いしないでほしいと願った。
空気中に散らばり漂っていただけの心が、急速にかき集められたようで落ち着かなかった。人扱いされて不安を覚えるなど、自分はどれほどの間、人の社会の中に存在しなかったのだろう。
「別にそうは思わない。……君のことを馬鹿と言ったことも謝るよ。すまない。君は馬鹿ではないな」
フェルナンはどうやら彼の暴言をアドリアンナが気にしていると思ったらしい。だがアドリアンナは気にしていなかった。彼が口にする表層の言葉よりもはるかに、底には思いやりがあると分かっていたからだ。
「研究がしたいと言い出したり、畑を作ったかと思えば見事な料理もしてみせる。歴戦の使用人顔負けの働きだ。すごいよ、素直にそう思う」
フェルナンの視線が、アドリアンナの手先に向けられたことに気がついた。アドリアンナは手をテーブルの下に隠し、話題を逸らした。
「公爵様は噂と随分異なりますわ。年が随分上だと思っていましたから。年老いた男性だとばかり思っていました」
この話題の転換は上手く行ったらしい。ふ、と彼は口元を緩めた。
「それはこの城の前の住人だな。先々代の王の庶子、グリフォン公。彼は生まれつきの病で人が驚くような外見をしていたそうだから、この城に一人で閉じ込められていたという。あまりにも悍ましい見た目だったから、ついたあだ名が呪われ公爵だ」
アドリアンナは城に残る以前の住人の痕跡を思い浮かべた。綺麗に区画された畑、まとめられた作業道具、それから好きだったという本。教養が高く、几帳面な人物に思えた。閉じ込められることが相応しい人物像とは思えず、彼を知らずに恐れていたことを恥ずかしく思った。
「グリフォン公――同じ名なのですね」
「直系ではない。広義では親族にあたるかもしれんが」
どういう意味だろうと考えていると、フェルナンが再び言った。
「一般にはあまり知られていないだろうが、王の庶子の一部はグリフォンを名乗ることがある。王家を守る聖獣になぞらえているそうだ。彼の次は俺だったということだな」
では王の私生児であることは間違いないということだろうか。
アドリアンナは改めてフェルナンを見た。
金色の美しい髪色は、確かにこの国の支配者の象徴だ。ふと彼がアドリアンナに目を遣った。宝石を嵌め込んだような緑色の瞳がきらりと光る。地味な自分が向き合っていることが耐えきれなくなり、思わず視線を反らした。
「君の知るグリフォン公はどのような人物だった?」
失礼なことを言わないように気をつけながら、アドリアンナは答えた。
「……グリフォン公は老いた男性で、近づく者は皆呪われて死ぬと。花嫁を探して夜な夜な彷徨っていて、悪い子供が嫌いで食べてしまうという話です」
悪い子にしていると、夜に呪われ公爵がやってきて食い殺されてしまうわよ。母はそう言ってアドリアンナを叱った。
フェルナンは面白そうに言う。
「尾ひれがついて、虚実混じった噂ができたようだな。先代のグリフォン公も妻を望んだらしいが、結局は叶えられなかったようだよ。俺の方は別に妻を望んだわけではないが――」
「妻を望んでいないのですか?」
思わずそう問うてしまった。望んでいないのなら、なぜ自分はここにいるのだろうという疑問が沸いてしまったからだ。
「戦争で手柄を上げた褒美に何が欲しいかと問われ、欲しいものはオフィーリアだけだから、愛する人が欲しいと言った。オフィーリアが欲しいと言ったつもりだったんだがな、誰がどう曲解したのか君が来た」
フェルナンがこちらを見て微笑んだため、アドリアンナは今度は下を向いた。美しい聖女の代わりに自分が来た時のフェルナンの失望を思い、いたたまれなくなったのだ。
「公爵様は、このお城に幽閉されているわけではないのですね」
はは、とフェルナンが笑った気配がした。
「本当に俺を知らないんだな。無理もないか、一部の奴らくらいしかこの俺の働きを知らないのだから。
俺は命令さえあれば、どんな戦場にだって飛んでいくのさ。それがどんな僻地でも、遥か離れた大陸の植民地でもな。
だが隊列を組んだ兵隊に混じるわけではないぞ。こう見えて優秀な魔術師だからな、王の命令通りに敵兵を殲滅させる。それが俺がこうして生かされている理由だ。利用できる駒であり、王家の忠犬なのさ。その態度を示してさえいれば、奴らが俺の暮らしを保障してくれるってわけだ」
呪われ公爵。彼に近づくと皆死ぬ。
その噂の正体が少しずつ分かってきたように思う。
先代グリフォン公とフェルナンの戦場での話が広がり、少しずつ形作られていったのだろう。
「聖女様とはどのように出会ったのですか?」
言ってから、失言に気がついた。
「……ごめんなさい。とても失礼な質問をしてしまいましたわ」
だがフェルナンは笑う。
「いや、いい。当然の疑問だ。むしろよくぞ聞いてくれた。俺とオフィーリアの関係は素晴らしいものだぞ!」
酔っているのか、彼は機嫌良く寛容にそう言った。
「いわば幼馴染だ。俺はまだこの城に閉じ込められる前、普通に王都で暮らしていたが、その時に彼女と知り合った。同じ貴族同士で同じ年。美しい彼女を見て、たちまち俺は恋をした。彼女は優しく、まさに聖女だった」
彼女を思い浮かべたのか、うっとりと彼は言う。
「友人だったんだ。友人以上には想い合っていたが、結局は友人のままだった。彼女は俺の唯一の理解者で、できれば結婚したかったが、世間はそれを許さなかった。
結ばれないとは分かっている。だからせめて想い合っていたい。それが俺と彼女が出した結論だ」
彼の瞳が悲しみに陰ったように思えた。
そうなのか、とアドリアンナは気がついた。てっきりフェルナンの片想いとばかり思っていたが、話を聞く限り聖女も彼を愛している。愛し合う二人の間には、初めから別の女が入り込む余地などあり得ないのだ。
そう思った途端、なぜだか胸がちくりと痛んだ。
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