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貴方といると心が晴れていくように感じました

「君がしている瘴気の研究というものはどういった類のものなんだ?」


 例の実験場でアドリアンナが瘴気の量を確認していると、無言を貫いていたフェルナンが遠くからそう声をかけてきた。彼は今、アドリアンナから二馬身は離れた所に立っていて、気だるげに木にもたれかかっている。距離を取るということを頑なに守っているらしかった。彼のお陰か今日は動物の気配もないし、霧が濃くなっても帰ることができるという安心感があった。

 アドリアンナは振り返りながら答える。


「発生と増量減少、それから消滅の条件を発見したいんです。それらを突き止めることができたのなら、瘴気事故で苦しむ人がいなくなりますから」


「そういうのは王立研究所の奴らがやっているだろう。君が積極的にする意味はないんじゃないのか?」


 率直な質問にアドリアンナの言葉は詰まった。フェルナンは真実を突いた。アドリアンナが瘴気の研究をする意味は確かに無いのかもしれない。だがこれまで奪われてしまったら、アドリアンナに生きる意味はない。


「研究所で主に行っているのは事例収集と予測です。過去の瘴気発生の場所を調べて積み重ねて、その傾向を探り、次にどこの地域に発生するのか調べています」


 ふうん、とフェルナンは言った。


「それは君のやっていることとは違うのか」


「わたしのこれは――」


 アドリアンナは再び言葉に詰まった。自身が書いた論文を思い出したが、それは人様に伝えてよい内容ではないように思えた。

 言葉を濁しながら答える。


「瘴気による災害は起きてまだ年数が浅いですから、研究も十分とは言えません。王立研究所ではもっと喫緊の課題を研究していますし、瘴気のことはほんの数人が関わっているだけのようですから。わたしがすることで少しでもお手伝いできればと思うんです」


「瘴気なんて地震と同じように、どうにもならない災害じゃないのか。神のみぞ知るというやつだ。研究したとして発生を抑制できるとは思えない」


「自然災害とは少しだけ異なると思うんです」


 瘴気の霧を見つめながらアドリアンナは言った。


「瘴気による災害が初めて観測されたのは二十年前です。たったのそれだけ。なのに国内外で既に大量の事例が確認されています。最初の災害が契機であったかのように、こんなに急速に――。絶対に原因があるはずです」


 ふうん、とフェルナンはまた言った。目線はアドリアンナが張った結界に向けられている。


「それでその原因がそんなもので分かるのか。それは一体何をしているんだ?」


「密閉された空間で、瘴気がどうやって増えるのかを調べたかったんです。過去の事例で、建物の中に避難した人が始めのうちは無事だったのに、結局は亡くなったというものがあって。その建物の中の瘴気は、他よりも濃かったようなんです。だから――」


 あるいは瘴気というものは、人体を食うことで増殖するのではないのかと考えた。


「わたしの髪の毛を餌として置いてみたんです。確かにそちらの方は瘴気が濃くなりました。でも……」


 アドリアンナが言い淀んだのを、フェルナンは目ざとく見つける。


「でもなんだ?」


「いえ――」


「はっきり言えよ、気になるじゃないか」


「……毒性が、少ないように思うんです。度々人々を襲う瘴気は同じ濃度でも遥かに毒が強いんです。毒の霧の中では、植物さえも枯れているから」


 結界の中にある植物は、濃い方の瘴気の中でも生き生きと茂っていた。同じ瘴気でも、ここにあるものと災害をもたらすものでは異なる性質であるようだ。


(やっぱり、人々を襲う瘴気は毒性が強まっているんだわ。その原因が必ずあるはずよ。……それが分かれば、二度とあんな事故は起こらないかもしれない)


 アドリアンナは目を閉じて、瞼の裏に母の死に際の姿を思い浮かべた。どうにもならないと分かった時、彼女はアドリアンナに覆いかぶさった。そんな必要は、結局は無かったのに――。


「危険が過ぎる研究だな。君自身が死ぬかもしれないぞ」


 声が聞こえ、彼方の記憶からアドリアンナは今に戻った。


「わたしは大丈夫です。瘴気に対して耐性がありますから」


 言うと、フェルナンは驚いたように目を見開いた。


「そういう人が何人かはいます。瘴気に巻かれても生き残るような、耐性が元々ある人たちが」


 瘴気事故の生き残りの例外だ。この体質もあって、父はアドリアンナを不気味だと言いますます忌み嫌った。

 フェルナンもあるいは父と同じようにアドリアンナを不気味がるかもしれないと思ったが、彼が口にしたのは別の言葉だった。彼はアドリアンナをまじまじと見ると、感心したように頷いた。


「まるで神が与えたもうた奇跡だな。君に瘴気の研究をしろと天命を授け、そういう体にしたのかもしれない」


 そんな風に考えたことがないアドリアンナは、ふわりと心が軽くなったように思えた。まるで彼が体を浮かせたときのように、足元が不確かで奇妙な感覚なのに絶対に落ちないという安心感があった、あの時のようだった。





 実験場から城へと戻る道中、アドリアンナは食べられそうな木の実や草を集めなながら歩いた。フェルナンは前を行きながら、もの珍しそうにその様子を見る。


「一体そういう知識をどこで得るんだ? 花嫁学校か?」


「母や本からです。学校は行っていなくて」


「へえ。じゃあ君の家は家庭教師派か」


 ええ、はい。とアドリアンナは控えめに答えた。

 実際は随分昔にそれも取り上げられてしまったらから、知識は主に本や、父が読んで捨てた後の新聞から得ていた。


「城にも前の持ち主が好きだったらしく大量の本がある。好きなら勝手に読んでいいぞ」


 ぼそりと、フェルナンはそう言った。

 

 そうやって歩いていると、アドリアンナの目に異様なものが飛び込んできた。陶器のように白く、細く、尖っていて、いくつも飛び出たもの。

 それが何か分かった途端、思わずのけぞる。


「――――っ!」


「おわ!」


 アドリアンナがよろけ転びかけたため、フェルナンが駆け寄りその体を受け止めた。魔法を使う暇も無かったらしく、彼の腕の中にアドリアンナは収まる。一瞬、彼の顔が青ざめたように思った。


「離れろ!」


 即座に押しのけられる。少なからずアドリアンナはショックを受けた。自分が彼の側によることは、そこまで彼を恐怖させてしまうことなのだ。ほんの少し、少しだけ、彼と心が通じ合ったような気がしていた思い上がりを激しく恥じた。


 彼は数歩下がり、そうしてアドリアンナが狼狽えた原因を見た。それは巨大な動物の骨だった。


「……鹿だろう」

 

 とフェルナンは言った。


「昨日は無かったのに」


 アドリアンナが呟くと、フェルナンは息を吐いた。


「俺達が帰った後に病気か怪我で死んだのだろう。この森じゃ、動物の死骸は一晩で骨になる。明日には骨も無くなっているだろう。ここはそういう土地だ。呪われている」


 アドリアンナは再び鹿の骨を見つめた。誰にも気にされず命を落として、そうして生きた痕跡さえ遺さずこの世から消える。アドリアンナはその動物が羨ましかった。



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