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わたしは何も持たない娘でした

 普段滅多に顔を合わせない父に呼び出された時から、アドリアンナは嫌な予感を感じていた。

 裏付けるように、書斎で待っていた父はいつにも増して鋭い眼光でこちらを睨みつけ、有無を言わせぬ口調で端的に告げた。


「今より辺境の地へ趣き、フェルナン・グリフォン公へと嫁いでこい」 


 聞いたアドリアンナは驚きのあまり目を見開いた。数多の疑問が浮かび、何か反抗するような言葉を口にしようと思ったが、幼い頃から抑圧を繰り返してきた父を前にして言葉が上手く紡げない。


「で、ですが私にはやりたいことがあります。そ、それを途中で放置することなどできません」


 ようやく絞り出した震える声は父により一蹴される。


「いい加減にしろ! あのくだらんお遊びのことか!?」 


 父が大声とともに手を上に上げたため、アドリアンナの体はビクリと震えた。お遊びではないと反論したかったが、やはり言葉は出てこない。父から身体への直接的な折檻を受けなくなって久しく、このところむしろ彼はアドリアンナに近寄る気さえないようだった。にも関わらず、アドリアンナは彼が怖かった。

 父は苛立ちを隠さず、振り上げた手で机を叩いた。


「よくそのような口答えができたものだな! 今まで無用のお前を置いてやったんだ、役に立とうとは思わないのか!」


 大きな音に背筋が凍りつく。繰り返し刻み込まれ腹の底に沈殿する恐怖がかき乱され上へと舞い上がるようだった。萎縮するアドリアンナに向けて父は冷徹な視線を寄越した。


「あの公爵が妻を望み、聖女様が哀れに思い我が家の娘を推薦したのだ。お前の婚約が破談になったことをあの方はご存知のようだ。もう二度と恥をかかせるな。役に立たぬ娘をこれ以上家に置くつもりもない」


 愕然とした。


(聖女様のご意向なら、逆らえるはずがない――)


 聖女はこの国――とりわけこの家において、圧倒的な権力を誇っている。


(お父様が彼女の提案を拒むはずがない)


 娘をあの公爵に嫁がせるなんてことをするはずがない、と父に希望をかけることも今や忘れてしまっていた。

 彼から愛情を感じたことは、いまだかつて一度もなかった。

 父がそういう人間だということは嫌というほど思い知ってきた。母と結婚したのも、愛ではなく財産が欲しかったからだ。

 母の死後、アドリアンナを手元に残したのも、愛情では当然ない。クズのカードもいつか使い道があるだろうと、かろうじて家に置いていたにすぎない。そうしてカードを切るべき時がきた。

 不用品の処分と聖女への体裁を保つことが同時にできる。


 わたしもお父様の娘なのに。血の繋がらない妹には、あれほど愛情をかけているのに。


 目に涙が浮かびそうになり、隠すために必死に手を握った。爪が食い込み、痛みがアドリアンナの精神を保った。


 父に認めて欲しかった。そのために、必死に今までやってきた。それなのに何もかも無駄だった。完璧に隙のないようにしてきた自分よりも遥かに、義妹は愛されている。

 きっと人間は、生まれながらにして人から愛される量が決まっているのだ。


「分かり……ました」  


 それが自分の役目だったのだとアドリアンナは気がついた。今日まで風雨を凌ぐ場所を与えられた恩を、返せと言うことだろう。

 自分がそれ以外の返事を求められていないことも、当然分かっていた。




 屋敷の中の物置同然の小部屋が自室だった。母がいた頃は一家の一員として屋敷の中に部屋はあったが、父が後妻を迎えてから部屋は妹のものになったから。


「お姉様、お可哀想に。ご気分は大丈夫……?」


 部屋に入る寸前で、背後からそう声をかけられた。大いに同情を含み、憐れんだ湿っぽい声色だった。声の主は分かっている。


「ジュリエッタ……」


 振り返ると目が合い、青い色の美しい瞳が揺れた。その瞳を覗き込んだ瞬間、彼女が既にアドリアンナの運命を知っているということを悟る。


(わたしよりも先に、お父様はこの子に伝えたんだわ)


 父はジュリエッタを愛しているから。

 この家の、もう一人の娘。アドリアンナよりも一つ年下の十七歳の美しい娘。誰もが羨む金色の髪に青い瞳の可憐な娘。

 アドリアンナの幼馴染も、たちまち彼女の虜になってしまった。


 ジュリエッタは眉を下げ、悲しみを瞳に表しながらアドリアンナの手を取った。


「ギフォード様も、とても心配していらしたわ。お姉様のことを、気遣ってやってくれとおっしゃっていました」


 幼馴染の名を彼女が呼ぶ度に、アドリアンナの胸が痛む。二人が急速に恋仲になっていくのを、ただ側で見ていることしかできなかった虚しさが未だに胸のうちに残っていた。


「わたしは平気よ」


 言うと、ジュリエッタは眉を下げ、切なそうに言う。


「ずっと謝ろうと思っていたの。その、わたしとギフォード様のこと。だって初めは、お姉様と彼の方が許嫁でしたもの。……だけど、わたしたち、想いを止められなくって。本当にごめんなさい。わたしがいなければ、お二人は結婚していたかもしれないのに」


 ジュリエッタは目に涙を浮かべていた。それが嘘偽りのない涙だということは分かっていた。彼女は素直で、心が美しい。できないことはできないと言うし、感情を人前で隠すこともない。人からの好意を当然のように受取り、人に愛されていることを疑ったこともない少女だった。

 

 こんな場面でなかったらきっと天使のようだと思っただろう。現にアドリアンナも初対面ではそう思った。こんなに可愛い女の子は見たことがないとそう思ったものだ。

 だが今は、義妹の涙はアドリアンナの心の表面を滑り、心には届かない。

 ジュリエッタはおずおずと言う。


「あの、お姉様。もう少ししたら、きちんとお伝えするつもりだったんですけれど、近々、ギフォード様と婚約を結ぶ予定なの。お姉様とはきっともう会えないでしょう? 先に祝福してくださる? 結婚の際に姉妹からの祝福の言葉をいただくと、結婚生活が成功するって言い伝えがあるでしょう?」

 

 背の低いジュリエッタは、上目遣いをしながら大きな瞳でアドリアンナを見上げる。

 足元が急速に崩れ去るような目眩を感じながら、なんとか踏みとどまった。

 自分がどんな表情をしているのか確かめたくもなかった。それでもアドリアンナは精一杯の笑顔を取り繕い、ジュリエッタに笑いかける。


「おめでとう。心から二人を祝福するわ」

 

 アドリアンナの言葉に、ジュリエッタは幸福そうに微笑んだ。 





こんにちは。

第一話をお読みいただきありがとうございます!

ほとんど思いつきの話ですが癖を詰め込みながら書いてみます。中〜長編くらいを考えています。そんなに長くならないと思いますが、文字数は未定です。


ブックマーク、感想、評価等いただけましたら大変励みになります!

最後までお付き合いいただけましたら幸いです!

よろしくお願いしますm(_ _)m

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