8.騎士ハンス、地獄への招待
カトウェル領を併呑してから三日。
ゼノンは、生き残ったカトウェル騎士団百名と、元のバルト領兵百名を広大な練兵場に集めていた。
昨日の敵と今日からの同僚。互いに疑心暗鬼の視線をぶつけ合う彼らの前に、ゼノンは一本の木剣を持って現れた。
「仲良く睨み合っているところ悪いが、お前たちに互いの顔を覚える時間は与えない。……今日からは、隣にいるのが誰かなど関係なくなるからだ」
ゼノンの合図とともに、ハンスと数人の側近たちが、重厚な鉄の箱を運び込んできた。
中に入っていたのは、奇妙な意匠の「重り」と、全身を縛り付けるような拘束具だった。
「それは私の魔導で重力を操作した特製の教具だ。これを装着し、今から言う『呼吸法』を維持しながら、夕暮れまで模擬戦を繰り返せ」
「な……ゼノン様、これはあまりに重すぎます! これでは魔法の歩法すら……」
カトウェルの元精鋭が声を上げる。
だが、ゼノンはその喉元に一瞬で木剣を突きつけた。
「魔法の歩法? あの無駄に跳ね回るだけのダンスのことか? 私が教えるのは、最短距離で敵の心臓を穿つ『歩行』だ。……ハンス、手本を見せてやれ」
「はっ!」
ハンスが進み出る。彼は既にその重り(ギプス)を装着していた。
一歩、足を踏み出すごとに石畳がみしりと鳴る。
しかし、ハンスの動きには一切の無駄がなかった。
シュッ。 ハンスの体がブレる。
次の瞬間、彼は十メートル先の木人を、魔力を持たぬ木剣で一刀両断していた。
「……バカな。魔力による強化もなしに、あんな速度が……!?」
「魔力は『爆発』させるのではない。体内の血管を、神経を、一点の回路として『巡らせる』のだ。ハンスが今やったのは、全身の魔力を右足の親指一点に凝縮し、地面を蹴る瞬間にのみ開放した結果だ」
ゼノンは冷酷な笑みを浮かべた。
「これが軍事魔導——『一点集中』だ。これさえ極めれば、魔力量の少ないお前たちでも、ドラゴンを素手で引き裂くことができる。……ただし、制御に失敗すれば、自分自身の筋肉が弾け飛ぶがな」
兵士たちの間に戦慄が走る。 だが、ゼノンは止まらない。
「今日から一ヶ月、この訓練を生き延びた者には、私の直属騎士としての位を授ける。……脱落し、再起不能になった者には、一生働かずに済むだけの退職金を出す。そして、死んだ者の家族は私が終身保障しよう」
それは、死すらも報酬に変える悪魔の提案だった。
「さて、招待状は配った。地獄へ行く準備はいいか?」
訓練が始まった。
それは凄惨な光景だった。
重力に押し潰され、魔力操作のミスで腕の皮が裂け、血を吐きながら這いずる兵士たち。
だが、誰一人として逃げ出す者はいなかった。
なぜなら、ゼノン自身が、誰よりも重い負荷を自身にかけ、彼らの先頭で木剣を振り続けていたからだ。 「ハンス。盾を持て」
「……はっ!」
ゼノンはハンスに向かって、圧縮された魔力の弾丸を容赦なく放つ。 ハンスは血を流しながらも、教えられた通りの魔力循環で「盾」を構築する。
「足りん。魔力を面で受けるな! 点で弾け! 衝撃を地面に逃がせ!」
「ぐああぁぁっ!!」
吹き飛ばされ、壁に激突するハンス。
だが彼は、泥を噛みながら立ち上がる。
彼の目には、もはや「無能な中堅騎士」の卑屈さはなかった。
王に鍛えられ、王の盾となる。その至高の悦楽が、彼の肉体を突き動かしていた。
夕暮れ時。 練兵場に立っていたのは、泥と血にまみれた二百人の「怪物候補」たちだった。
「……今日はここまでだ」
ゼノンが告げると同時に、半数の兵士がその場に崩れ落ちた。
しかし、彼らを待っていたのは、ゼノンが私財(旧カトウェル家の隠し財産)を投じて用意させた、最高級の回復薬と、山のような肉料理だった。
「食え。そして寝ろ。お前たちの肉体は、今、私の資産となった。……明日は今日の二倍、負荷を上げるぞ」
兵士たちは、震える手で肉を口に運び、涙を流しながら笑った。
この地獄を越えた先にある、自分たちの「最強」を、彼らは確信し始めていた。
ゼノンは、月明かりの下で剣を振るハンスの背中を眺めながら、密かに頷いた。
駒は育っている。
「そろそろ、あの『学園』の鼻持ちならない連中が、私の噂を聞きつけてくる頃か……」
彼の視線は、次なる獲物——大陸中のエリートが集まる魔導学園へと向けられていた。




