7.忠誠の価格設定
カトウェル城の謁見の間。
つい数時間前までこの地の主であったカトウェル子爵は、豪華な絨毯の上に無様に転がされていた。
その周囲には、生き残った彼の家臣や騎士たちが、縄で縛られ、怯えた表情で並んでいる。
玉座に深く腰を下ろしているのは、泥に汚れたブーツを無造作に組んだゼノンだ。
「ゼノン・バルト……! 貴様、こんな暴挙が許されると思っているのか! 王都の法罰会議が黙ってはいないぞ!」
カトウェルが歯を剥き出しにして叫ぶ。だが、ゼノンは退屈そうに耳を掻いた。
「法、か。それは『守る力がある者』が口にする言葉だ。今の貴様は、ただの肉の塊に過ぎん」
ゼノンは傍らに控えるハンスに目配せをした。
ハンスが、カトウェル家の金庫から強奪してきた帳簿と、山積みの金貨袋をドサリと床に投げ出した。
「さて、カトウェルの家臣諸君。私は忙しいので、手短に済ませよう」
ゼノンの冷徹な視線が、並んだ騎士たちを射抜く。
「選択肢は二つだ。一つ、この無能な旧主と共に、地下牢で腐り果てるか、今ここで首を跳ねられるか。……二つ、私に忠誠を誓い、私の軍に加わるか」
騎士たちが顔を見合わせる。
沈黙を破ったのは、カトウェル軍の若き魔導騎士だった。
「……ふざけるな! 恩義ある主君を裏切り、貴様のような侵略者に魂を売るなど——」
「恩義? ほう、面白い」
ゼノンは指先を軽く動かした。
不可視の魔力の圧が、その騎士の目の前に一袋の金貨を弾き飛ばした。
袋が破れ、黄金の輝きが床に散らばる。
「その『恩義』とやらは、この金貨百枚よりも重いか? 聞けば、カトウェルは貴様らへの給与を三ヶ月も滞納していたそうじゃないか。その金で、彼は王都から高級な葡萄酒を取り寄せていたらしいが」
騎士の表情が凍りついた。ゼノンはさらに追い打ちをかける。
「私に仕えれば、滞納分は今この場で支払おう。さらに、これからの給与はこれまでの二倍。戦果を挙げれば、この城の部屋の一つや二つ、好きに与えてやる。……家族を養いたいなら、どちらが『合理的』な選択か、猿でもわかるはずだ」
ゼノンは立ち上がり、ゆっくりと騎士たちの間を歩く。
「私は情を求めない。私が欲しいのは、お前たちの『利害』だ。私を勝たせれば、お前たちは豊かになる。私が負ければ、お前たちも死ぬ。……単純だろう?」
「……あ、ああ……」
一人の年配の騎士が、震える手で床の金貨を拾い上げた。
続いて、もう一人、また一人と、騎士たちがカトウェルに背を向け、ゼノンの前に膝をついていく。
「な……貴様ら! 裏切るのか! 誇りはないのか!」
カトウェルが絶叫するが、もはや誰も彼を見ない。
最後に残ったのは、先ほど啖呵を切った若き騎士だけだった。彼は屈辱に唇を噛み締めていたが、ゼノンはその目の前で足を止めた。
「誇りが飯を食わせてくれるなら、そのまま死ね。だが、その『誇り』を戦場で証明したいというのなら……私がお前に、本当の戦い方を教えてやる」
ゼノンは腰のナイフを抜き、その騎士の縄を断ち切った。
そして、自分の手に持っていた最高級の魔導触媒の指輪を、無造作に彼の手に握らせた。
「これは前金だ。私のために働け。……もし私が無能だと思えば、いつでもその指輪を売って逃げればいい」
若き騎士は、掌の中の熱い指輪と、ゼノンの底知れない瞳を交互に見た。
絶望的なまでの実力差。そして、想像を絶する厚遇。 逆らえるはずがなかった。
「……ゼノン様。この命、使い潰してください」
若き騎士が深く頭を下げた。これで、カトウェルの騎士団は完全にゼノンの手に落ちた。
「よろしい。ハンス、カトウェルを連れて行け。処刑はしない。全財産を没収し、この領地の最も貧しい村で一生肥溜めの掃除をさせろ。……『主君』の末路として、いい見せしめになる」
「はっ!」
引きずられていくカトウェルの悲鳴が遠ざかる中、ゼノンは広大な領地が描かれた地図を見下ろした。
「次はどこだ、ハンス。金も兵も、もっと必要だ」
「北の商業都市、エリュシオンが宜しいかと。あそこを抑えれば、軍資金の心配はなくなります」
「決まりだ。一週間の休息の後、進軍する」
弱小領主の落ちこぼれが、隣領を飲み込み、その力を倍加させた。
ゼノン・バルトの名は、もはや嘲笑の対象ではなく、周辺諸国にとっての「悪夢」としてその輪郭を現し始めていた。"




